第3話 森の総会と共同基金(リビング・ファンド)
巨大な樫の森が、相場の板みたいにざわめいていた。
木の根の間に倉と穴蔵がぎっしり。ドングリの山、はちみつの樽、乾いた木片。どれもあるのに、どれも足りない顔をしている。
倉の壁には『ドングリ年次目標:前年比+20%』。上書きの跡が蛇みたいにうねる。KPIの亡霊が壁に棲んでいる。
「ここが我らリビング族の首都・アーバングローブです!」
リートが胸を張る。
「分散の美学が息づく、世界最高の森ですよ!」
「いや、鼻にはドングリ一極の匂いしかしないんだが」
穴蔵ではリスがドングリを埋め、別の穴から別のやつが掘り返している。右から左へ動いているだけで総量は増えてない。
広場の片隅には葉札の端材がぽつんと落ちていた。木工班の切れ端らしい。
リートが拾って、「もったいない」と笑って懐にしまう。
「……平均回帰に身を委ねるな。備えるんだ」
思わず口から出た。俺はニートだが、ニートなりに飢餓のチャートは嫌いだ。
***
夕暮れ、「森の総会」が開かれた。円形の広場に長老、組頭、倉番、子育て班。木肌が光を返す。
「議題は――ドングリ依存の是正と、共同基金の創設について」
長老の声が響く。ざわめきが一段深くなる。
「提案者は、ぶるーむばーぐの人間さまだそうだ」
「いや俺、掲載はされてない」
視線が集中する。仕方ない、やる。
「俺は金融ニート。好きなものはS&P500、嫌いなものはトマトと単一リスクだ。単刀直入に言う。共同基金を作る。森の資源をバスケットにして、内部決済の葉札を回す」
「りーふ?」と子リスが首をかしげる。
「基準を示す。1リーフ=ドングリ4粒+はちみつ小さじ1+乾燥木片1束+労働15分。どれか不足したら他で補える。配合は月次で微調整。季節で実りは変わるからな。満月に棚卸しだ」
「分散投資は正義です!」
リートが反射で叫び、耳を伏せた。
「発行は《三倉輪番》。裏付け台帳は広場の刻印台で常時公開。議事録はこの広場の木に彫る。削ったら年輪ハッシュでバレる」
「ね、年輪ハッシュ……?」
「年輪の目が乱れたら改竄だ。目視監査、最強」
前列の倉番が立つ。蜂蜜色の紐飾り。名はコルク。
「我が倉は代々ドングリ一筋だ。外の商人とは倍値契約がある。納めれば次も買ってくれる。
逆らえば取引停止だ。今さら混ぜ物の価値札など、手間が増えるだけだし、恨みも買う」
利と恐れ。合理的な抵抗の匂い。
「純粋で腹は膨れない」
俺はきっぱり言う。
「実りが悪ければ? 樹病が流行れば? 保存に失敗すれば? 単一の失敗で全滅だ。
分散は臆病者の盾じゃない。生き残るための剣だ」
ざわめきが細くなる。いくつかの尻尾が揺れた。
リートが静かに口を開く。
「……昔、冬に木の実が腐りました。
火を尻尾で扇いでも鍋が温まらず、粥は酸っぱく、弟は先に寝て――起きませんでした。
分散を笑っていた巣ほど、先に火が消えました」
長老が息を吸う。
「葉札の利はどう出す?」
「葉利(利息)の原資は、流動性手数料と、外売りマージンの一部。上限は木に彫って公開、三倉輪番が監査する」
「保護は?」
「医療・子育て・非常食に限る『保健枠』を設ける。発動は広場で宣言→週次で公開。不正は翌月の葉利停止。命は契約の上に置くが、契約は死なせない」
コルクはなお食い下がる。
「葉札が内を回って外売りが減れば、商人は締め付ける」
「外売りは外売りのまま。だが余剰は基金へ回し、村内の保健枠を優先する。命は契約より先だ」
小枝票で投票。賛成は緑、反対は茶。壺が二つ、見張りが二人。
集計の間、俺はニートらしく、頭の中でROIとかベータとか、不要な指標を組み立てて捨てた。
「発表――賛成六七%」
歓声と舌打ちが混ざる。いい比率だ。反対ゼロの制度はたいていどこかが腐っている。
***
翌朝から実装。
戸板に担保刻印を焼き付け、在庫を紐で束ね、木工班が葉札の型を彫る。
葉札の裏にはバスケット配合を絵で刻んだ。数字が苦手なリスでも見て分かるように。
「労働十五分の定義は?」
「穴掘り換算で、深さ《三尾っぽ》ぶん」
「三尾っぽ?」
「尾の長さの単位です」とリートは真顔。
俺は台帳に『三尾っぽ=子リス三人が潜れる深さ』と追記した。こういうのが制度の穴になる。最初に埋めろ。
木こりの丸太が葉札経由で乾燥木片になり、かまどが温まる。
子育て班の粥に一滴のはちみつ、咳が収まる。
倉の余剰が基金に刻印、板端で年輪ハッシュを指差して笑いが起きる。
昨日反対だった若いリスがぽそり。
「……便利、だな」
俺は広場の板に一行だけ書いて、皆に読ませた。
便利は依存を呼ぶ。依存は支配を呼ぶ。――なら、便利はルールで飼う。
***
昼前、妙な噂が広がった。
「葉札は半分に割ると二枚分使えるらしいぞ」
その直後、半分の葉札を握った子リスが駆け込んでくる。
「落ちてた! 半分こで使えば、お得かなって……」
同時刻、別の穴蔵でも半券が提出され、倉番が顔をしかめる。
さらに、倉の奥から――未刻印の葉札の束。出所は、コルクの倉。
「偽造未遂だ」
俺は広場に皆を集めた。
「規約に半券照合と再発行の公開手続を追加する。刻印番号の両端が揃ったときだけ有効。片方だけなら無効。破損や汚損は回収して刻印消去、再発行は公開の場で行う」
コルクが前に出る。
「子リスのすることだ。うちの倉は関係ない」
リートが淡々と言う。
「未刻印の束は、あなたの倉の樽の裏から見つかりました。――誰が何枚持ち出したか、木に彫りましょう」
倉番たちの視線が刺さる。
コルクは一歩引いた。
「……手数が増える。そんな細かい監査に誰が耐える」
「耐えられない者だけが困る。それをガバナンスと呼ぶ」
***
雨の日の夜、木鈴が鳴った。備蓄フロア割れのアラートだ。鳴っているのは、よりによってコルクの倉。
「雨漏りでドングリが湿った。今出すと外の倍値契約が……」
迷いの空気。視線は子リスと年寄りの方へ自然に集まる。
俺は一歩出た。
「保健枠を発動。対象は医療・子育て・非常食。葉利ゼロで即時供給。週末の棚卸しで全村補填。乱発は翌月の葉利停止、三倉輪番で監査する。――命と最低限の生活は先に出す」
「……刻印の乱発は監査対象。数字は広場に晒す」
コルクは何も言わなかった。ただ、尻尾が小さく落ちた。
***
満月の夜、棚卸し。
刻印台に台帳が開き、皆で数え、皆で記す。
広場の木に彫られた議事の傷が銀色に光った。
「……嘘は月に照らすのが一番早い」
誰かが小さく繰り返し、いくつかの尻尾が揺れた。
半券騒ぎは公開謝罪と作業奉仕で落着。未刻印束は没収、材にして連絡札の板になった。
冗談で「年輪ハッシュ」がまた笑いを取る。こういう笑いは強い。皆が関わって生まれるからだ。
長老が俺のところに来る。背は丸いが、目は若い。
「人間さま。今日のやり方、わしは嫌いではない。だが――」
「だが?」
「外の商人が触れを出した。『森が葉札で内部決済を始め、外売りが減るなら価格を上げる』とな。締め上げに来たのじゃ」
リートの耳がぴくりと立つ。
「……蜂蜜帝国」
「名前からして虫歯になりそうだな」
俺は苦笑して、すぐ真顔に戻る。 「柵は村を守る。が、外から見れば囲いだ。囲いは狙われる」
「分かってる。だから次は――道だ」
「道?」
「森、ゴブリン村、木こり小屋、川向こうのオーク集落を、一つの清算路で結ぶ。葉札を通す清算陣を敷く。
道が通れば、価格は場所で嘘をつけなくなる。物資が動く先に、価格の透明を置く。独占の影は、光が差せば縮む」
リートが尻尾を高く掲げた。
「その名も――森の回廊プロジェクト!」
「……ネーミングはあとで考えよう」
星空の向こう、甘い匂いがわずかに濃くなる。北の空に黒い点がいくつも。輸送蜂か、ただの虫か。どちらでもいい。どちらでも、迎え撃つ。
俺は葉札を一枚、掌で弾いた。軽い。けれど重い。価値は紙じゃなく約束が支える。
「行こう、リート。柵を飼い慣らした。次は道を通す」
「はい。分散投資は――」
リートは一拍置いて、微笑んだ。
「……みんなで生き延びるための道具、です」
頷こうとした、その瞬間――
「触れだ! 外の蜂蜜、前日比+四〇%!」
狼煙見張り台のリスが叫ぶ。広場がざわめきで波打つ。
「清算陣を前倒しで敷く」
焚き火の火を弱め、立ち上がる。夜は冷える。だが、もう寒さは数字だけじゃない。
――甘味の独占に、透明の刃を。
あとがき:本日の金融ワンポイント
今回登場したのは「共同基金」と「内部通貨」でした。
現実世界でいうと、これは「共同組合の基金」や「地域通貨」に近い仕組みです。
共同基金
みんなで少しずつ資源やお金を出し合い、いざというときに助け合う箱。
現代でも「信用組合」「農協共済」「労働者互助会」などで使われています。
異世界のリスがやっていた「医療・子育て・非常食だけは保護」っていうルールは、現実でいう「社会保険」や「災害用備蓄」に相当します。
内部通貨
「1リーフ=ドングリ4粒+はちみつ小さじ1+木片1束+労働15分」みたいに複数の資産で裏付ける通貨は、現実だと「バスケット通貨」と呼ばれます。
たとえば国際的には「SDR(特別引出権)」という、ドル・ユーロ・円・元などを混ぜた通貨単位が存在します。
分散しておけば、どれか1つの資産がダメになっても通貨全体が崩れにくい。これが大きなメリットです。
ガバナンス(監査と透明性)
「年輪ハッシュ」や「三倉輪番監査」みたいに、不正や改ざんを防ぐ仕組みは、金融にとってとても重要です。
現実では「外部監査」「議事録公開」「内部統制」などがそれに当たります。
不正は仕組みが複雑なほど見つかりにくくなるので、リスたちがやっていた「木に彫る」「みんなで数える」みたいな単純さも実は強みだったりします。
まとめると――第3話では「備えと分散」「透明性と監査」という金融の基本を森に持ち込んだ回でした。