第1話 ニート、異世界にポートフォリオを失う
気がついたらジャングルの真ん中にいた。
株価アプリは開けない。為替チャートも見れない。
ただし、EAは動きっぱなし。
俺の柔肌以外にあるのは、木とツタと、どう見ても人類未踏の緑の壁。
「……おい、俺のポートフォリオはどこ行った?
ゴールドはリスクヘッジになるんだろ?」
俺はニートだ。
ただし普通のニートじゃない。
実家資産ビリオン超え。配当金だけで百世代は暮らせる、超上級国民ニートだ。
好きなものはS&P500。嫌いなものはトマトと流動性の低い市場。
最近の関心事はジャクソンホール。
そんな俺が今やってるのは、木を擦って火を起こすという前時代的アクティビティである。
「……ROIゼロじゃねぇか」
指は痛い。汗は出る。火は出ない。
努力という非効率投資は、俺のポートフォリオに存在しないのだ。
「マッチ一箱200円。この俺が、マッチ以下の男だと……?」
なぜこんなことをしているか?
理由はひとつ。
「神と名乗るやつに説教したらブチ切れられて、『山で朽ち果てろ』って言われたからだ」
クソが。せめてETFにでも転生させろ。
……意味が分からん?
安心しろ、俺も分からん。
だが金をくれ。年間実質利回り5%で増やしてやる。
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焚き火は失敗した。
だが俺は諦めない。市場も人生も「平常心」こそ最大の武器だからな。
「……木材が燃えない?
そんなの、インフレ率がマイナスになるくらい意味不明だろ。マイナス金利か?」
そのとき、気づいた。
――ジャングルの奥から黄金色の瞳がこちらを見ている。
「……誰だ?」
バサッと葉の影から飛び出したのは、小さなリスのような生き物。
だがそいつが口を開いた瞬間、俺は耳を疑った。
「チュイ! 分散投資は正義なのです!」
「は?」
リスは胸を張って言い放った。
「あなた、ポートフォリオ偏ってますね?
S&P500だけじゃベータが高すぎです!」
異世界のリスは金融を語るらしい。
いや、待て。なんで俺より金融リテラシー高いんだお前。
俺は悟った。ここはただの異世界ではない。
金融ネタで俺を殺しにくる世界だ。
「……投資回収ゼロ。俺の人生かよ」
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リスが喋る。それ自体はどうでもいい。
異世界ならなんでもあり。なろう系のお約束だと。
だが……
「……おい、リス。お前、名前は? なぜ俺のことを知っている?」
「私はリート、リビング族です! あなたのことはぶるーむばーぐで知りました」
「……住宅系不動産投資信託かよ。というか、俺の名前は経済誌に載ってねえ」
「安定的なキャッシュフローを志す森の民は神様の加護「ぶるーむばーぐ」が無料オプションなんです!」
……疲れるわ。なんでもありすぎだろ。
というかあのクソ神、何やってんだ……
だがリスはやたら自信満々だ。
そのとき、俺の腹が鳴った。
マーケットは開いてない。コンビニもない。
俺の胃袋は昨今の国債より下落基調だ。
「……食い物、あるか?」
「はい! この森にはナッツETFが豊富に存在します!」
ドングリを両手いっぱいに抱えるリート。
見た目はただの野生動物なのに、しゃべる内容は証券マン。
恐る恐るかじってみた。渋い。舌が粉を吹く。
「……ROIマイナスだなこれ」
「ですが、土に埋めれば将来的にナッツが増えてリターンはプラスに!」
「……いや俺、その前に死ぬんだよ」
頭を抱える俺に、リートはふわりと尻尾を揺らして笑った。
「仕方ありませんね……では、特別に秘密兵器を!」
ポケットから取り出した小瓶。黄金色に輝く液体。
「……まさか」
「はい! 森の民に伝わる伝説の『はちみつ先物』です!」
「いや現物じゃねーか!!」
ひと舐めした瞬間、甘さが喉を満たした。
……生き返る。
「助かった……ありがとう、リート」
「ふふん、私を雇えばこの程度の分散効果は標準装備です!」
俺は思った。
――この世界、意外とリス頼りで生き延びられるんじゃね?
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ガサッ……ガサガサッ……
だが、ジャングルの奥から聞こえてくる足音は、そんな甘い幻想を壊すようだった。
リートの耳がぴくりと動く。
「……来ます。信用不安の足音です」
……いや、なんだその表現。
けど間違いなく、何かが近づいている。
俺はごくりと唾を飲んだ。
ここは異世界。
そしてどうやら、金融知識だけで生き延びねばならない世界らしい――。