魔的空間
〈思ひ出も何もかも溶け夏盛り 涙次〉
【ⅰ】
此井です。カンテラ事務所は、尾崎一蝶齋を特別顧問として迎へ入れる事にした。最初、カンテラはバジェットの問題か、澁つてゐたのだが、私のたつての薦めもあり、彼にサラリーを月々渡す事を承諾した。私が推薦した譯は、カンテラも私も彼の活人剣思想に染まつた譯ではないけれど、何せ前回の仕事では彼に一本取られたと云ふ事もあり、彼の經濟的活動の一助となれば、との思ひがあつたからだ。
【ⅱ】
今月分のサラリーで、彼はスマホを買つたと云つてゐた。上総誘拐の件で、私がテオから素早く報告を受けた事に感化されたやうだ。カンテラはまだ自分のスマホを持つてゐない。まあ、一味メンバーは皆持つてゐるから支障はないが。
早速尾崎はSNSを始めた、弟子取りの為に使ふ、との事。そこで彼は或る素敵な出會ひをした、* web画家のN***さんの存在に氣付いたのである。とてもいゝ繪を描く方で、カンテラと私は、彼女の幻想から出て來たをろちを退治た事がある。
* 当該シリーズ第11話參照。
【ⅲ】
尾崎は神秘的なものに惹かれる質で、N***さんの繪は素晴らしい、を連發してゐた。私に是非紹介しろと、せつつくのだ。彼女の仕事場に向かふ道々、彼女の繪の余りに夢幻的なせゐで、【魔】を呼び出し易いんぢやないかな。さう云ふ話をした。
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〈過半數割れした與党分からぬや人まだ投ずこれだけの票 平手みき〉
【ⅳ】
アポイントを取つた此井と云ふ者です。玄関でさう云つたが、N***さんは出て來ない。可笑しいな、私は胸騒ぎを覺え、通用口に回りもう一度ノックした。通用口には鍵が掛かつてゐなかつた。
恐る恐る中に入つた。やはり【魔】だ。【魔】の姿は見えなかつたが、そこは「魔的空間」とでも云ふべき、暗渠と化してゐた。「こ、此井さん」尾崎が身構へる。彼女の繪から、その瘴氣とでも云ふべき「氣」が出てゐる。
【ⅴ】
彼女は、自らの描いた繪の世界に取り込まれてゐた! かうなると尾崎はてんで役に立たない。私は一人、彼女のPCに映つたweb画と対峙した。そして... その中に拳を突つ込んだ!
何とか間に合つた。「魔的空間」は入り口を開放した儘で、私はN***さんを引つ張り出す事が出來た。N***さんは震へてゐた。「もう大丈夫」私は彼女の肩を抱いた...
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〈分からない事ばかりなり雲の峰 涙次〉
【ⅵ】
禮金は何故か尾崎が出した。「私の大事な画家の為に」‐彼はかう云ふのであつた。短いがこれ迄。因みにN***さんは實在の人物である。勝手に名前を使つてご免なさい。以上、此井の報告でした。
大作を書いた後は小品を。セオリーである。(永田)ぢやまた。




