戦国?転生したけども
気が付いたら赤ちゃんだった。母親と思しき人物は黒髪の日本人女性で、驚くべきことに出産直後と思しき場面の舞台は病院ではなく小汚いあばら家の一室だった。俺に産声を出させるために産婆が手慣れた感じで尻を引っ叩きまくる中で意識が覚醒したのだった。
俺はひとしきり泣いて、産み慣れた感のある母親からおざなりに乳をもらった後、状況を確認するため周囲を観察することにした。そこは日本家屋というのもおこがましいあばら家ではあるが生活感を感じる家の一室ではあった。ただし電化製品は全くない。コンセントすら見当たらない。母親と産婆の服は古臭い和装で、肌も髪もろくに風呂に入ってないのか、垢がこびりついたように汚らしい。なんとなくだが時代劇の長屋を思いっきりリアル寄りにしたようなシチュエーションだ。
生まれたばかりの赤子の俺は自由にならない視界に見切りをつけて現状を考察する。まずはここが夢か現実かだ。俺は自分が50歳近い既婚のサラリーマンだと認識している。死んだ記憶もない(睡眠時に急死の可能性はあるが)。そうすると赤ん坊の身体になっている状況は夢だと考えるのが妥当だ。しかしながらここまではっきりとした意識、産婆に引っ叩かれた尻の痛み、色々とリアルな臭気。これらが否応のない現実感を与えてくる。意識が覚醒した直後は現状認識できなくて、巨人のような産婆が俺を逆さにして尻を引っ叩いてくる状況に卒倒しそうになったしな。俺が信じがたい状況に思考放棄しかけていると、部屋の木戸をガタガタと開けて男が入ってきた。
「おっかぁ!ややこは生まれたかぁ!?」
新生児のいる部屋に入ってきたら看護師のおばちゃんに叩き出されること間違い無しな小汚い男がでかい声を上げながらドスドス足音高く入ってきた。容姿はよく日に焼けた肉体労働者体型の髭面だ。特筆すべきは髪型とその格好。時代劇に出てくるお百姓さんスタイルと言えばいいのか、頭は丁髷?月代というのか、額から頭頂部にかけて剃って残りを髷にまとめている。服は浮世絵とかに出てくる百姓みたいな着流しに裾をまくり上げた尻端折り姿で、すね毛がボーボーの生足とふんどしが見えている。
ああ、これは俺は江戸時代とか下手したら戦国時代の農民に転生したんだなぁと嫌な実感を感じさせてくれた人物の登場に、どうかこれは夢であってくれと出会わなかった神に必死に願ってしまったのだった。
結論としてここは夢ではなかった。生まれて数年がたち、俺も歩きまわれるようになった。これまでに分かったこととしては、今は戦国時代でここはたぶん和歌山県あたり。おんぶされて外に連れ出されたときに海辺で昔旅行で行った橋杭岩によく似た景色を見せられたから串本あたりじゃないかなぁと思ってる。そして親父は漁師をやっていて俺はその七男として生まれた。俺の後にも何人か生まれたようだが半分ぐらいしか生き残っていない。この時代の衛生状況とか栄養状態とかいろいろ理由があるんだろう。知らんけど。
そうそう、俺の名前だがサバと名付けられた。生まれた日に鯖が獲れたからというなんとも適当な由来だ。兄弟たちも長男以外は魚貝系な名前を付けられてるので俺だけ適当なわけではないが。
「どこ行ったんだいサバ!?干物づくり手伝いな!」
家の作業場からおふくろが呼んでるが俺は身を隠して外にこっそり逃げ出した。この時代、幼稚園児ぐらいの小さいガキでも仕事の手伝いをさせられるが、悪ガキは大抵逃げ出し遊び惚けて、後でどやされるもんだ。あまりさぼりすぎると飯を抜かれるんで加減の見極めが大事だが、今日は他の兄弟が何人か捕まってるのでさぼっても大丈夫なはず。
こそこそと家を抜け出し、集落の中を海に向かって走っていく。俺は近所の悪ガキどもと遊びたいわけではない。浜辺に用事があるのだ。
浜では漁から帰ったおっさんどもが網の修繕を行っていた。仕事中のおっさんに話しかけても邪険にされるだけなので、作業しているところを避けて砂浜に引き上げられた舟の方に向かう。だが目的は舟ではなく、その横に打ち捨てられた雑魚と呼ばれる未利用魚だ。
網にかかった小さなハゼやゴンズイ、毒のある小さなフグやクラゲが捨てられている。小さい魚とか食えるか正確に判別できる人間がいないのだ(探せばいるかもしれんがうちの村にはいなかった)。下手にヒガンフグとか食えば一発であの世行きなので、飢饉でもない限り漁民でも特定の魚以外は食わない。そういうのを食う変人も偶にいるが大抵どっかでハズレ引いて死ぬらしい。
まあ、そんなのが水揚げ時に捨てられているので、それらの中から現代知識で毒の無いモノ、腐って無いモノをよりわけて、お手製のザルにのせていく。ザルは葦に似た植物の葉っぱを編んだものだ。縁の始末もろくにしていないお粗末なものだが、ちゃんとしたザルなど子供に渡してくれるわけないので基本的にいるものは自作している。
雑魚をのせたザルを持って次は磯場の方へ行く。波で岩場に打ち上げられたアカモクっぽい海藻を集めるためだ。この辺の漁民は飢饉にでもならないと海藻は食わないらしい。アカモク美味いのにもったいないことだ。
海藻を集めたら俺の秘密基地に向かう。基地といっても岩場に波の浸食で穴が開いた浅い洞だが、人目を気にせず過ごしたい時のために何箇所か同じような場所を用意してる。悪ガキに見つかって放棄することがよくあるので一つ所を長く使ったことはない。
洞の中は誰も入り込んだ様子はない。ここしばらく海がシケることも無かったので以前運び込んだまな板代わりの切り株もそのままだ。ザルにのせた雑魚とアカモクを下に置き、薪の燃えカスの灰の山を木の枝でつつく。運良く火種が残っていたので、枯れた葉っぱや枝を追加して火をおこす。
洞の奥に行き地面の砂を少し掘ると真水が滲み出てくる。窪みに溜まった水の濁りが落ちつくのを待って土鍋に掬う。この土鍋は焼き払われた隣集落の民家から失敬したものだ。隣同士の村は基本仲が悪い。縄張り争いで小競り合いから殺し合いに発展するのもざらだ。俺のような幼児が参戦することはないが終わった後の戦利品漁りに忍び込んで鍋とか包丁とか欲しいやつを貰っといたのだ。罪悪感はあったがこの時代に生まれたからには郷に入れば何とやらだ。いちおう手は合わせてから頂いたので勘弁してほしい。
火の周りに石を並べた土台に鍋を置いて水をかける。お湯が沸くまで下ごしらえを進める。アカモクは真水で砂を落とし石の上に置いて水を切る。雑魚は戦利品の包丁で鱗をとって頭を落とし内臓を抜いて背骨や大きい骨をとって、後はひたすら叩いて蒲鉾にするために粘り気を出させる。
ほんと鍋と包丁が手に入ってラッキーだったわ。やっていることは料理だ。家の飯だけでは足りないので自分で食い物を集めて食べるのを日課にしている。俺は前世であまり背が高くなかった。成長期が早く始まり、期間は短かったため栄養も運動も足りていなかったのだ。なので転生モノのお話を読むたびに、自分なら小さいうちからよく食べ、よく運動して成長期に爆発的に背を伸ばすのにと妄想したものだ。まさか現実にその機会が訪れるとは思わなかったが、来た以上は実践させてもらおう。これが現代に転生ならピアニカでも買ってもらって絶対音感の訓練とかするんだが、食うのもままならない戦国転生では身を守るためにも身体を鍛える方向に全振りしようと思う。
土鍋のお湯が沸騰したらアカモクを入れる。鮮やかな緑色に変わったら小枝の菜箸で引き上げて石の上に置いて水を切る。
ザルに蒲鉾型に成形したつみれを置いて土鍋の上に置く。多少お湯に浸かるのは仕方ない。でかい葉っぱを何枚か被せて蒸気が籠もるようにする。
蒲鉾が蒸し上がるまでの空き時間は運動に使う。スクワットから腕立て伏せの体勢をとり、最後にジャンプをするバーピージャンプを行う。前世では身体の調子を悪くして入院したこともあったので、リハビリのためにトレーニング動画をよく見ていた。筋トレマニアほどじゃないが、素人に毛が生えたぐらいの知識は蓄えてると思う。
蒲鉾に火が通ったら刻んだアカモクを添えて飯とする。正直そんなにうまいもんじゃない。醤油があれば別だが塩味だけだしな。幼児の舌だから余計に好ましくない味に感じるのかもしれん。栄養摂取のために頑張って食うけどね。
食い終わったら少し食休みしてから運動を再開する。飛んだり跳ねたり走ったり柔軟したりがメインだ。筋トレは身長の伸びが落ち着いたら本格的にしようと思う。素人考えだからこのメニューが正しいかは分からんけどね。
こんな感じで追加飯と運動をしつつ、たまに家の手伝いをするといった生活を続けていった。勉強とかは無しだ。この戦国の田舎漁村に寺子屋なんてあるわけねえからな。知識チート発揮する機会なんてなかったんや…
栄養を取って運動をする生活を続けて数年、子供付き合いなんて全くしなかったから、同年代のガキンチョからは変人とみなされている。成長期が来る前の小さい頃はコミュニティに属さないガキということで悪ガキが石を投げて虐めてきたりしたが、身体がデカくなってきたらそういうのはなくなった。石を投げてきた悪ガキにタックルしてマウントとってボコボコにしたからかもしれんが。今は10歳で身長170cmぐらいだ。既に前世を超えたし、この時代の平均で見てもたぶんデカい方だろう。成果が出て万々歳だ。
家の手伝いも浜から魚網を引っ張るなどの力仕事が増えてきた。舟での漁には上の兄貴たちが出ているので俺に声がかかることはないが、隣村との小競り合いには駆り出されるようになった。殺人なんて寝覚めの悪いことしたくないんで、ぶん殴って気絶させるだけにしてるが、他の奴らは平気で殺し殺されしている。現代人感性が残ってるとこういうところが辛いわ。そしてガキでも戦果を上げれば当然報酬がもらえる。
「おーいサバよぅ!三人もノしちまうなんてやるでねえか。これやるから一皮剥けてこい!ゲヘヘヘ」
スケベ面した村長がグイっと腕を引っ張って俺の前に連れ出したのは、負けた村の妙齢の女性だ。思春期のガキに童貞を散らさせようといらん気をまわさせたのかもしれない。たしかに俺も肉体年齢に引っ張られた性欲はある。けど俺ってかわいそうなのは抜けない人なのよ。さっきまでこと切れた赤子を抱いて泣いていた女性を渡されても困るわ。かといって同情で引き取って面倒見ようなんて甲斐性もないから、断って隣村で一番の力自慢が使ってた野球バットみたいな金棒をくれと言ってみた。
「かぁ!おぼこいなあ!まだ女には興味ねえか!しゃあねえ、それ持ってけ!」
この時代にこれだけの鉄を使った武器は相当に高価だが、スケベ親父の村長は妙齢女性とチョメチョメするのに夢中であっさりと譲ってくれた。ありがたい。これでダンベルトレーニングもできるな。
戦勝に浮かれて酒盛りしている大人たちを隣村において俺は先に自分の村に帰った。家にいたおふくろに勝ったぞとだけ声をかけて、村の洗濯場に行って水を浴びて汗を流す。
「兄ちゃん勝ったんか?」
「父ちゃんは帰ってきてないの?」
「おみやげある?」
首筋に着いてた固まった返り血を爪でこそいでると、弟たちが小競り合いの様子を聞きに集まって来た。娯楽の無い田舎では戦の話はいい退屈しのぎになるのだろう。金棒を振り回しつつ臨場感たっぷりに語って聞かせてやった。某バーサーカーな剣士の黄金時代編みたいな話にまで膨らましてたら近所のガキから大人まで集まってきて演劇役者か講談師みたいな語り口になってしまった。村長なんて一人で殿をつとめて矢でハリネズミになったもんな。帰ってきたら不死身の男とか言われるんじゃないか?
なんとか話に落ちをつけて拍手喝采で終わらせる。独壇場のせいでまた汗ばんだ身体を水で流していると、年頃の娘さんたちが手ぬぐいを持って近づいてきた。
「お疲れ様サバ!拭いてあげる」
「すごーい!大活躍だったんだね」
「喉乾いてない?お水飲む?」
「お、おう」
若い娘は押しが強いな。俺はガキのくせに大人より屈強だから娘さん達から有望株と思われてるみたいだ。現代日本の大人の精神が入ってるから同年代のオスガキと違って粗暴なところもないしな。
前世よりモテモテなのは嬉しい限りだが、誰かと一緒になる気は今のところ無い。前世に嫁さんいるし、死別した記憶もないから割り切れない想いがあるし。嫁とめちゃくちゃラブラブしてたわけではないが、まあ仲のいい夫婦ではあったと思う。いきなり俺が居なくなって困ってるかもしれんし…
ああ、これ考え出すと憂鬱になるわ。やめやめ。
「ありがとう!俺は村長の奥さんに伝言があるからもう行くわ!じゃあなっ」
娘っ子たちのえーという不満の声を聞き流して村長の家に走っていく。伝言といっても男衆は戦勝の酒盛りを開いているから帰りは明日になるって伝えるだけだ。
「おかみさん!村長が明日帰るってさ!」
「あのヤドロク!またどこぞの後家に手を出す気じゃないだろうね!」
すげぇ勘の鋭さ。村長の冥福を祈るわ。村長の奥さんがその恰幅のいい身体を揺らしてぶりぶり怒る。その怒気に当てられたくないので早々に退散しようと踵を返したら、横から闊達な印象の爺さんの声がかかった。
「おうサバや、隣村の奴らはぶちのめせたか?」
「おう!俺は三人殴り飛ばしたぜ!」
「かっかっか!でかした!」
前村長だったご隠居さんだ。白い髭を蓄えてるが今でも現役で漁に出られそうな屈強な爺さんだ。
「おまえの兄貴のブリだかマスだか小さい方が家におったろ?」
「マス兄さんだな。今回の小競り合いには出ずに家におったよ」
マス兄さんは俺の4つ歳上の兄貴だ。身体は小さく、ひ弱で家族には冷遇されがちだが、頭は良いし優しいので俺は結構気に入ってる。
「そうそうソレじゃ。神託が下っての。そいつに神通力が宿ったそうだから連れてこい」
「はぁ!???」
前村長の爺さんが怪しげなことを言い出したと思ったが、よくよく聞いてみると爺さんは神職も兼ねているらしく海神を祀るお社の神主だそうだ。その爺さんの占いでマス兄さんが神子に選ばれた程度の軽い話かとその時は思っていた。
家に帰ってマス兄さんを連れ出して村長の家に行くと、神主っぽい格好に着替えた前村長が出迎えてマス兄さんを連れて裏山の神社に連れて行ってしまった。俺も見物したかったが神事の準備があるからと連れて行ってはもらえなかった。
次の日、村の男衆が帰ってきて村長がおかみさんにぶっ飛ばされ、前村長の号令で急遽、祭りの準備が始まった。神子を祀るお祭りというのは俺たちガキは初めてだが大人世代はしたことがあるらしく、みんな嬉しそうな顔で手際よく準備を進めていた。実は人柱に選ばれたとか鬱展開があるんじゃないかと親に確認してみたが、んなわけないだろと頭をはたかれただけなので心配することはないようで安心した。
祭りといっても盆踊りみたいなのがあるわけでもなく、村の中心で篝火をたいて、ちょっと豪勢な料理と酒が振舞われてみんなでワイワイガヤガヤ騒ぐだけだ。今日帰ってきた連中は二日続けての酒盛りなんで嬉しそうに飲んでる。
日も暮れて宴もたけなわとなったころ、前村長が前に出てきてマス兄さんが海神の神子に選ばれたことを発表した。みんな拍手喝采で騒いでいる。子供たちもよくわからずとも大人の嬉しそうな雰囲気に当てられて騒いで走り回っている。
マス兄さんが前村長に促されて前に出てきた。今後の抱負を語るでもなく、おもむろに両腕を盃を掲げるように上に持ち上げる。なにか祝詞をあげて神楽でも踊るのかなぁと気を抜いて眺めいていたら、いきなり驚愕の光景が展開された。
「潮騒の響き渡るこの地に、敬虔なる心をもって集い申し奉る。天の高き神々とともに海を統べる尊き御神よ……かしこみ、かしこみ、申し上げます」
マス兄さんが長々とした祝詞をつっかえることもなく読み上げると、顔より高く掲げられた両の掌から10㎝は上の空中にグレープフルーツ大のシャボン玉が急に膨らんで現れた。いや、シャボン玉に見えたが水でできた球だ。俺はいきなり見せられた超常現象に目を剝き息も忘れて驚愕させられた。
トリックを疑ったが俺とマス兄さんの距離は3mもない。左右に動いていろんな角度から水球を眺めてみたがCGのような違和感はない。不自然だが自然な水の球が空中に浮いている。マス兄さんに許可をもらって触ってもみたが実態だ。触った指先が濡れるので本物の水だった。
「いやいやいや、これなんで?水魔法?んな馬鹿な!?」
「水まほ?何言ってるんだいサバ。これは水神様に授かった神通力だよ」
マス兄さん曰く神通力というもので、水球よ出ろぉと力んだら出るらしい。前村長に詳しく話を聞きだしたら、神通力持ちを判別するアイテムが村に埋めてあって、マス兄さんが判別に引っかかったそうだ。アイテムは貴重だからどこにあるか教えてくれないし、形がどんなのかも教えてくれなかった。ちなみに俺は判別に引っかかってないそうだ。
俺は過去の日本に転生したと思っていたが、まさかの異世界転生だったらしい。魔法があるなら早くに教えといてくれよ!赤ん坊のころから魔力枯渇トレーニングでチートとかする機会逃したじゃねえかっ!!
それからの俺の日課に魔力トレーニングが加わった。「炎よ!」とか「水気よ集いて球となせ!」とか創作詠唱を唱えてみたけど魔法は出ず。そもそも魔力(神通力?)を感じ取れない。マス兄さんに聞いても魔力的なモノはあるみたいだけど朧気で操作できそうもないモノと言っていた。瞑想が神通力の修行法と前村長が言っていたので筋トレの後に瞑想の時間をとっている。
「丹田のあたりがあったかくなっているような。気のせいのような…」
すぐに成果は出るもんとは思えないし(簡単にできるならそこら中に魔法使いが溢れてるはず)、気長に修行していこうと思う。魔法なんて存在を知ってしまったら現代人なら諦めきれるわけがねえ!
「ふん!ふん!ふん!」
今日も日課の筋トレを行う。俺は15歳となった。数年前に手に入れた金棒は重りを括ってベンチプレスに活用している。成長期に最高効率で栄養摂取と運動をしていたので身長は180㎝をゆうに超えた。近代的なトレーニングのおかげで筋肉もムキムキについている。頭頂部を剃りたくないから髪は適当に切った蓬髪にしている。適度に洗髪して痒くならないように気を付けているから、そこらの女の子よりサラサラヘアーだ。
マス兄さんのような目に見える魔法はいまだに使えないが、なんとなく身体強化魔法っぽいのは使えてる気がしていた。成人男性が動かせないような大岩を動かせたり、切り傷が数秒で塞がったりするのは普通じゃないよな。これがさらに強力になるかもしれないので瞑想も続けていくつもりだ。
家は二年前に出た。誰かを娶る気はないのでまだ独身だ。女の子のアピールが凄いので逃げるように無人の離れ小島に居を構えている。ここが俺の知っている過去の日本とは違うと判明してから周りを見直すと、動植物にもちょくちょく見たことないのがいることに気づいた。鉄並みに固い鱗を持つ巨大ウミヘビや、水晶のように透き通った殻を持つ二枚貝。スライムにしか見えない肉食クラゲ。前世よりあきらかに海中の危険度は高いが、金になる資源が豊富とも言える。危険度の高い獲物はたまに村に来る行商人が良い値で買っていくので貴重な現金収入源となってくれていた。
夜光貝の大物を捕まえたので、漁村に行商人が来たときに売りにいった。行商人は顔馴染みなので売り買い以外に世間話にも付き合ってくれる。
「サバさんよう、以前売ってくれた赤サンゴはまた手に入らねえかな?」
「赤サンゴは潜って取れる深さに無いからなあ。偶然網にかかるのを待つしかねえよ」
「それか他になんか高く売れるやつの在庫ねえか?」
行商人が普段なかなか買い渋る高級品がないか聞いてきた。
「なんだ?高価なもん買い漁ってるお大尽でもいるのか?」
「しばらく来れねえから出来るだけ仕入れとこうと思ってよ。デカい戦が始まるそうじゃねえか。ここらも巻き込まれんだろ?」
「マジか…俺知らんかったわその話」
「そういやあんた離れ小島に住んでたか。みんな知ってんぞ」
行商人の話では殿様が近隣の村人を集めて戦の準備をしているらしい。この村にも近々徴兵が来るんじゃないかって話だ。
「そうかぁ、ちなみに攻めてくる相手は誰なんだ?」
行商人がニヤリと笑い、芝居がかった口調でその名を告げた。
「昨今、飛ぶ鳥を落とす勢いの大大名。織田信長だ!」
…めっちゃビッグネームやん。日本人なら誰でも知ってるわ。ていうか信長って諱とかいうやつで一般人が口に出したらあかんのとちゃうん。ここはわかりやすさ優先のライトな和風異世界だったのか。
現実逃避したくなる名前が出てきた。今がどの時期かわからんが和歌山の南の方まで攻めてこれるならイケイケな時なんじゃないかな。勝てる気がしねえ。
行商人が帰ってから数日後、村に徴兵の役人が来た。村から出す人頭には俺も入っていた。今となっちゃ村どころか近隣でも一番強いと目されてる(事実は知らん)から戦に駆り出されるのは当然だわな。
漁民で舟を持ってるから俺たちは海兵戦力として海からくる敵を迎え撃てとのことだ。立派な鎧兜を着たお偉いさんは陸に残り、村長が現場士官となって俺たちは海に漕ぎ出す。戦の初期はどこも様子見だ。相手も俺たちみたいな小舟ばかりだから接舷して海賊みたいな戦いは起こらない。互いに牽制して終わる。
何日かして驚きの情報が入ってきた。近隣の大きな港を持つ領地が陸からの大兵力の襲撃と大型軍船も混じった大船団の強襲による同時攻撃で陥落したというのだ。こちらの陣営の制海権の一部が織田方にとられたのは大きい。次はこちらに大船団が向かってくるかもしれないのだ。
夜になると村長以下、村の主だった連中が集まって今後のことが話し合われた。そこに何故か若輩の俺も参加させられている。
「でかい船がたくさん来たら、わしらの舟じゃ太刀打ちできんなぁ」
「村長の言う通りじゃが、んじゃ逃げるかい?」
村長たちはこの戦いから抜けたがっている。既に敗色が濃いから仕方ない。
「サバはどう思うよ?」
「俺もこの戦を抜けるのは賛成だ」
村長たちが意外そうな顔でこちらを見る。俺は好戦的だとでも思われてるんだろうか?心外だ。
「けど、今すぐはうまくないだろうな。殿様も敵前逃亡には目を光らせてるだろうし」
「サバの言う通り、背を見せたら即座に味方から矢が飛んできそうだわ」
「けど、そんじゃどうするよ?」
村長たちが今度は期待を込めた顔でこちらを見る。若輩の俺に変な期待かけんなよ。
「…織田の軍がここいらに現れたら夜中に俺が混乱を作ってやるよ。村長らは夜陰に紛れて舟を出せ」
「サバはどうすんだ?」
「俺一人ならどうとでもなる。まかせろ」
前世でも長々とした打ち合わせが嫌いで、多少自分が大変でもさっさと解決策を決めさせる悪癖がでてしまった。俺の負担はデカいが正面きって殺し合いするよりかは気が楽だからいいか。村長たちは暗い海に舟で漕ぎ出すことに不安そうだが他に手もないんだ、準備してその時を待とうぜ。
数日後、突如として織田の陸戦兵力が山の上に布陣したのが麓からも見えたことでこちらの陣地に動揺が走った。そんな簡単に高所をとられるなよと思うが、相手の方が諜報力も何もかも上なんだろう。物見の舟が帰ってこないことから、姿は見えないが岬の向こうには大船団も来ているみたいだし、いよいよ進退窮まったな。未だに名前も知らないこちらの殿様は降伏せずに決戦をするようだ。前日に思いっきり炊飯の煙炊いてたら夜討ちか朝駆けしますよってバレバレじゃん。
日が暮れて月明かりが水面を薄く照らすころ、篝火の明かりと決戦前夜の脱走兵への警戒を避けて磯場の波の飛沫がかかる岩陰へとやってきた。
前世なら夜の海に泳ぎだすなんて絶対しなかっただろうが、今世では身体強化魔法(推定)が良い仕事をしてくれているようで夜目が物凄く効く。月明かりがあればナイトスコープほどではないが離れた場所のモノを見分けることができるほどだ。水晶の殻を持つ二枚貝を加工して作った水中眼鏡と葦で作ったシュノーケルをつければ夜の素潜り漁も問題なくできた。海岸で拾ったクジラの髭を加工して作った足ヒレもあれば長距離も泳げる。
準備ができたら初春の冷たい夜の海へと入っていった。目指すは砂浜近くに停泊している味方の大型船だ。一瞬、俺一人ならこのまま脱走できるよなと思ったが、村長たちを置いて逃げると生き残られた時に困るから当初の予定通りに騒ぎを起こすことはしてやろう。それを生かして逃げ出せるかは村長の甲斐性しだいだ。
夜の海は昼間は寝ている魚が活動する。サメなんかも夜活動する奴がいるんで警戒して避けるようにしている。肉食魚避けになる海藻から作ったローションを塗っているが近づかないことに越したことはない。
水深の深い沖から船に近づくと、船上に焚かれた篝火の明かりの下で出港準備に勤しむ船員や見張りの兵の姿が見える。都合よく浜より沖の方が見張りの数は少ないようだ。
ここからは潜水で船に近づく。泳ぎながらでも潜水時間は身体強化魔法のおかげか驚異の10分越えなので海中からバレずに近づける。前村長に尋ねたことがあるが、怪力を出す神通力というのはあるそうだが、潜水時間を延ばす神通力というのは聞いたことがないそうだ。長距離潜水が一般的じゃないなら海中からの接近者を検知するような魔法も無いだろう。希望的な願望かもしれんがそう思っとく。
目標の大型船の下まできた。息継ぎをしたらすぐ海中に潜り下から船の様子を観察する。前世で見た戦艦クラスの安宅船の模型より小さいだろうか?巡洋艦クラスの関船とかいうやつかもしれん。
見張りの目が届かない船の下に出て、腰に結わえ付けていた油壺を二つ外す。密閉していたコルク擬きで作った栓を抜き、立ち泳ぎで船上の高台にある篝火が見える位置まで移動する。まだ見張りには見つかっていない。篝火の直上に落ちるように狙いすまして油壷を投擲。前世ではできる奴のいなさそうな3kgの壺の海中からの遠投は残念ながら篝火には当たらず、その周りをガシャンと油まみれにしただけだった。俄かに騒がしくなる船上を横目にすぐさま用意していた第二の壺を投擲。篝火を直撃はしなかったが空中にまき散らされた油に引火したようで、一投目の油と合わせて派手に燃え出した。俺を指差して大声を出している奴がいるから見つかったようだ。矢が飛んでくる前にさっさと海中に逃げよう。
船の下を通って反対側の海中から顔を出すと船上は消火に大わらわだった。腰に結わえた残り三つの油壺も栓をしたまま船に投げ込んだらうまいこと引火してくれた。船が停泊している場所は浅瀬なのでいざとなったら海に飛び込んでも助かるだろう。たぶん。
派手に燃える船の様子に浜でも大騒ぎとなっている。敵襲という声も聞こえるので勘違いされてるな。いや違うとも言い切れないか。明確な裏切り行為だしな。どうにも今世には当事者意識がわかなくて、簡単に味方の船に火を放ってしまった。まあ戦国時代は調略なんて言葉があるくらい裏切りなんて日常茶飯事(?)らしいから逆に今世に馴染んでるとも言えるな。強く生きろ。
村長達の舟は出せただろうか?うちの村以外の舟も逃げ出してるようなのでうまく目晦ましに使って逃げてくれ。俺は浜には上がれないから沖を目指して泳いでいく。すいーと近寄ってきたクソ硬い鱗のハンマーヘッドシャークの頭をぶん殴って追い払ってから離岸流に乗って楽に沖に出れた。夜の海で離岸流に流されて平気でいれるの、よく考えんでも常人離れしてるよな。夜目が効くおかげで海中も陸も見えてるからだけど、ほんと身体強化魔法さまさまだわ。
自分の位置を確認していると岬の向こうからでかい軍船が姿を表すのが見えた。織田の船が夜襲をかけに来てたらしい。火の手の上がった船にかかりきりの浜の方では対応が進んでいない。奇しくも俺の放火が織田軍をアシストしたらしい。この好機を信長が見逃すとは思えんから勝敗は決しただろうね。あとは戦渦に巻き込まれんようにゆっくり帰るとするか。
ふと思ったんだが、同じ戦法を織田の船に仕掛けたら勝てはしなくとも大打撃を与えて侵攻を遅らせられたんだろうか?織田信長の覇道を邪魔する戦国成り上がり主人公ルートとか?…ないわぁ。
村の方角に向かって海を泳いでいく。疲れたら岩礁の上で捕まえた魚を食って休み。眠くなったら岸近くで潮に流されないように海藻にくるまってラッコのように眠る。初春の冷たい海で風邪ひかずに眠れる自分の頑丈さに戦慄するわ。人間やめてねえ?
海岸沿いの村は次々と黄色地に永楽通報という貨幣が縦に三つ並んだ織田の旗が打ち立てられていった。うちの殿様のとこが負けたのが決定打だったようだ。内陸の方は全部は確認できてないが、状況的に三重に近いところは大きく切り取られているだろう。
人に見つかるわけにいかないので夜に泳いで移動してたら村に帰るまで一ヶ月もかかってしまった。沖から村の中を観察すると戦闘などはあったように見えないが、村の各所に織田の黄色い旗がある。村の中を歩いている人間も知らん顔ばかりだ。どうも占領されたらしい。元の村人が殺されたか逃げ出したかはわからんが、俺はもうここには帰れんようだ。
村には寄らずに暗くなってから離れ小島に泳いで行く。小屋は家探しにあったようだ。壺に入れて屋内に埋めておいた赤サンゴや貨幣は根こそぎ奪われていた。油紙に包んで外に埋めておいた金棒は無事だったので持っていく。
15年生まれ育った村なので、理不尽に出ていかされることに思うところがないわけではないが、俺一人で村を守れるわけがない。残念だが新天地を求めて旅立とうと思う。あばよ結局名前を知ることがなかった村よ。
故郷を旅立って織田の勢力圏から逃れるように南下。紀伊半島を大阪の方にぐるっとまわって移動した。途中で村長たちに合流するかと思ったが、出会うことはなかった。内陸に入っていったのかもしれないな。今は大阪最南端の海沿いの廃墟集落に間借りしている。
たまに盗賊とか落ち武者狩りとかが寄ってくるが丁重におもてなしして帰ってもらっている。そんな奴ら生かしてても他の善良な人間が被害に会うだけだとは思うが、見も知らぬ赤の他人の善人のために俺が心的疲労を負いたくはないので殺してはいない。人増やして仕返しに来る奴もいたが、そのときは両手両足を金棒で砕いて海に放り捨てたからその後どうなったかは知らんがな。
縁側で月を見ながら自家製の烏賊の塩辛を肴に盗賊から奪った酒を呑んでると、今が戦国乱世なことを忘れそうになる。織田信長との戦いから逃げてからは大きな戦は経験していない。ひょっとしたらあそこがターニングポイントだったのかもな。逃げずに織田と戦っていたらこの時代に名を挙げていたのかもしれん。ライトな戦国異世界みたいだからファンタジーなヒロインとか出会ったりして。
酒に酔った頭が取り留めもないことを夢想する。しかし今の俺は特別な因縁もないモブだから、明日の予定はぼっとん便所の改造ぐらいだ。洋式便器を作って座って用をたせるようにしたいと思ってる。片手で操作できる噴霧器も作ってウォシュレットまでできれば最高だ。
今の目標はQOLの向上。スローライフがしたいわけではない。快適に過ごしたいんだ。俺はこの世界のストーリーの主人公ではないようなので、これからも誰彼遠慮せず好きに生きさせてもらおうと思う。
完