黒き牙の足音
帝国歴1500年3月23日。ナタアワタ共和国首都高層都市。ネオンが絶え間なく明滅し、都市の空を網目のように交差する監視ドローンの光。完璧な秩序と制御で構築されたこの都市は、無機質でありながら、どこか不気味な静けさを湛えていた。ノクティア・オルドの各班は市民社会に溶け込みながら、極めて慎重に諜報活動を進めていた。
ヴァレリア上級指揮官は、特殊作戦艦『アルヴィオン・ノクターン』の指令室に立ち、映像モニターを見据えていた。各班からの報告は一様に『証拠なし。』だが、その整然としすぎた状況が逆に彼女の警戒心を刺激した。
「やっぱり都市は……綺麗すぎる。痕跡がなさすぎるの。おかしいわ」
彼女の一言に、第2班班長・イリナ軍曹が応じた。
「どう対応しますか?」
「こちらから敵の姿を炙り出すしかない」
ヴァレリアは即座に作戦を切り替えた。逆探知作戦の開始だった。
第2班は都市インフラの中枢ネットワークに潜入。エネルギー供給網、交通監視系統、データ通信の接続点から、不自然な信号の逆探知を試みた。結果はすぐに現れた。市内の巨大地下送電施設で、わずかだが高度な偽装が施された中継信号が存在していた。それは明らかに都市管理機構の通常通信とは異質で、しかもノクティア・オルドが通信を行った直後、微細な周波数の変化が検出された。
「これは……こちらの行動に反応している。傍受されてる」
イリナ軍曹が顔を険しくする。だがそれは、敵の居場所を示すサインでもあった。
一方、第3班のセリス班もまた別の形で痕跡を掴んでいた。旧輸送倉庫群の一角で、焼け焦げた装備の残骸を発見。中には黒く炭化した繊維片があり、持ち帰った分析班が驚愕した。
「これは……ガフラヤサタ連邦製光学迷彩繊維だ。それも、最新型」
さらにもう一つ、焼損したプラズマナイフ。国家マークも登録番号も一切無い、まさしく『無国籍仕様』だった。
ヴァレリアはそれを手に取り、静かに目を細める。
「これで確信したわ。ガフラヤサタ連邦のシュヴァルツ・シュトラークが既に私達を、『狩ろう』としてるわ。」
指揮室の空気が一瞬にして張り詰めた。
深夜。アルディオール市の西区。第2班の一人、シアン伍長が市街偵察の帰路、人気のない小路でふと立ち止まった。そこには、何かが『いた』。黒い仮面。無音の足取り。闇に溶けるような影。見間違いではなかった。確かにそこに、人ではない『何か』が立っていた。
瞬間、影は消えた。
シアンは即座にヴァレリア上級指揮官へ連絡を取った。その報告を聞いたヴァレリアは、仲間たちに告げる。
「これは宣戦布告よ。奴らは既に、この都市の中にいる。私たちの行動を監視し、誘導しようとしている」
「ならば……こちらも仕掛けるしかありませんね」
イリナが静かに言う。ヴァレリアは頷いた。
「次の作戦目標は『敵の拠点』を炙り出すこと。こちらから先手を取るわ。いい? 全員、ここからは戦争よ。諜報戦と名の付く、血の匂いのする戦い」
彼女の声は低く、だが確信に満ちていた。そして、誰もが理解していた。都市全体が『舞台』となるこの死闘が、いよいよ本格的に幕を開けようとしていることを。