第2次太陽系進出計画
2060年に神聖旭日連邦帝国連邦議会で決定された『第2次太陽系進出計画』は、軌道基地と宇宙ドックの拡大を行うという内容だった。その為に地球上の宇宙基地は拡大新設され、新型往還宇宙船まで開発されたのである。宇宙への行き来は従来よりも気軽に行う事が可能となり、その為に軌道基地と宇宙ドック拡大作業は順調に進んだ。何せかつては大規模なロケットや宇宙船の発射シーケンスを行い、手間暇が掛かる作業であった。それが大日本帝国とヨーロッパ合衆国の往還宇宙船によりかなり簡略化されたが、それでも大型電磁カタパルトによる射出を行う必要がありそれなりの手前が掛かる作業でもあった。
しかし神聖旭日連邦帝国が成し遂げた新型往還宇宙船ユピテルは、規模の大きい路線バスレベルにまで簡略化されたのだ。何せ新型推進装置のパルススラスターにより最大速度マッハ220を叩き出し、地球から大気圏離脱による宇宙空間到達まで数分であったからである。驚異的な進歩であった。そして移動手段が進歩した結果、第2次太陽系進出計画は順調に進んだ。
軌道基地『きぼう』と『オリュンポス』をドッキングさせ、軌道基地『みらい』としそれを更に拡大していく事になった。1000トンの貨物を搭載しながらも宇宙基地から軌道基地まで、僅か数分で到達出来る為に作業効率は圧倒的に早かった。何せ軌道基地への行き帰りと作業が完全に就業時間内に収まるのである。3交代シフトを採用しており軌道基地には常に誰かしらが存在するが、かつてのように1個人が何日も軌道基地みらいに滞在する事は完全に無くなった。しかもかつての大日本帝国とヨーロッパ合衆国以上の資金力を投入した神聖旭日連邦帝国により、人員も大量に投入されていた。
これにより第2次太陽系進出計画は進展し、5カ年計画達成時には軌道基地みらいは横20キロ縦5キロという、人類史上最大規模の宇宙空間での構造物になったのである。この軌道基地みらいに宇宙ドックは将来的な大型艦建造を見越して1つ辺り全長500メートル最大幅100メートルで建造され、合計100個が設置された。これにより宇宙ドックで同時に100隻の建造が可能になり、神聖旭日連邦帝国は『第3次太陽系進出計画』として新型宇宙船の建造を開始したのである。新型宇宙船は往還宇宙船ユピテルの発展改良型として設計され、月面基地との往復を短縮し大容量の運搬を可能にするのを目的にされた。
そして第3次太陽系進出計画が始まった2065年。神聖旭日連邦帝国を成立させた立役者であり、神聖旭日連邦帝国初代内閣総理大臣となった叶真理亜連邦議会議員が、総理を任期満了で退任した。神聖旭日連邦帝国内閣総理大臣は1期4年で連続2期が最長とされたが、叶総理は前述の通り神聖旭日連邦帝国成立の立役者である為に連邦議会の総意として特例で2年の任期延長を行っていた。そしてその任期満了により遂に叶総理は退任の時を迎えたのである。退任行事は全て断った叶総理は定例記者会見に於いて、「神聖旭日連邦帝国に栄光あれ」と言い残し全ての公職から退いた。
あまりにも呆気ない幕引きであったが地球統一政府という、人類史上初の偉業を成し遂げながらの潔い引き際に全人類が称賛を贈った。そして神聖旭日連邦帝国連邦議会は敬意を表して、叶真理亜初代内閣総理大臣の誕生日である1月11日を祝日に制定したのである。