静かなる反撃
帝国歴1500年3月8日。神聖旭日連邦帝国地球。首相官邸の地下通信室に、非常時を示す蒼い警告灯が回っていた。未明、最高機密暗号回線『カナリア・ルート』が作動し、一通の映像付き通信が届いたのだ。それは、ゼンメホ帝国の若き女帝アナスタシアからのものだった。アリス総理は、暗室の中でひとりその映像を見つめていた。
「……カレヴォスに、兄の件を握られたわ」
美貌の女帝が、震える唇でそう告げる。亡き兄かつて皇太子だった男は、生前ゼンメホ帝国軍産企業とガフラヤサタ連邦の間に介在し、闇取引の仲介をしていたという疑惑があった。アナスタシアはその事実を認識しつつも、皇族の名に泥を塗ることを恐れ、記録の封印を命じていた。
「……私は、正義の名の下に議会を導いてきた。でも、皮肉ね。私自身が過去に蓋をした、その代償で、今全てを失おうとしている」
アナスタシアは語った。カレヴォス国政院筆頭代理が、そのスキャンダルの詳細を掘り起こし、黙っている代わりに「一切の妨害をするな」と通達してきたこと。そして、彼女は議会工作を断念せざるを得なくなったことを。だが、最後にアナスタシアは静かに言った。
「……私はもう、恐れない。兄の罪は兄のもの。私はゼンメホ帝国の未来を守るために立ちます。アリス、お願い。私が暴走する前に、手を打って」
通信は、沈黙とともに終わった。アリス総理は無言で立ち上がった。そして、執務室に戻るやいなや通信端末を操作し、ただ一人の名前を呼んだ。
「エインを呼んで」
わずか数分後、駆けつけたエイン外務大臣が執務室に入るなり、アリスは即座に状況を伝えた。エインはアナスタシアからの通信を見終えると、深く息を吐き出した。
「……やりかねませんね、カレヴォスは。あの男の手口は、一貫して『権力の踏み台にする弱点』を探ることです。弱みがあると分かれば、必ずそれを利用します」
アリスは机に手をかけ、静かに答えた。
「このままだと、アナスタシアは退位に追い込まれる。ゼンメホ帝国の同盟体制は崩壊、戦局は一気に不利になるわ」
エインの瞳が細まった。
「……では、こちらから手を打ちましょう」
「どんな手?」
エインは一瞬の躊躇もなく、答えた。
「カウンタークーデターです」
室内の空気が変わった。アリスの瞳が僅かに揺れる。
「……つまり、実力行使?」
「はい。カレヴォスは軍を使っていないだけで、事実上のクーデターを進めています。議会を封じ、女帝の行動を制限し、政府の中枢を買収で固めた。これはもう、立憲体制の簒奪です」
アリスは数秒間黙り込んだ後、椅子から立ち上がる。
「続けて」
「我々のECAD、宇宙軍遠征隊隠密局は、前線潜入および敵性星域の破壊・粛清任務に特化しています。極秘裏にゼンメホ帝国首都星へ潜入し、親ガフラヤサタ連邦派の議員・高官を排除。カレヴォス自身は『見せしめ』として生かし、逮捕する。これが最も効果的です」
「まるで、革命政権の樹立のようね」
「違いはあります。アナスタシアは合法政府の元首です。彼女を守ることは、秩序を守ることです」
アリスは、その言葉に頷いた。そして通信端末を操作し、軍の最高指導部に命を下した。
「宇宙軍総司令部に伝達。宇宙軍遠征隊司令官およびECAD上級指揮官を、即刻首相官邸に招集。最高機密会議を今夜、開くと」
エインもまた、背筋を伸ばしていた。
「私も現地へ向かう覚悟はできています。アナスタシアに伝えてください。私たちは、彼女のために『正義』を奪い返しに行くと」
その夜、帝都の空には雲が垂れ込めていた。だが、その陰には確かに希望の光が灯っていた。
『静かなる反撃』は、今始まったばかりだった。