外交の迷宮、諜報の刃
帝国歴1500年3月6日。ゼンメホ帝国本星。荘厳な金属ドームに覆われた中央官庁区域は、朝もやの中で沈黙を保っていた。神聖旭日連邦帝国外務大臣エインは、再びその大地を踏んでいた。目的はただ一つ、盟友ゼンメホ帝国の真意を見極めること。そのために、彼女は己の命をも賭す覚悟を持っていた。
「ゼンメホ帝国国政院筆頭代理、カレヴォス閣下がお越しになります」
重厚な扉の向こうから、護衛官の声が響く。エインは一礼し、応接室の中央に姿勢を正して立った。数秒後、カレヴォス国政院筆頭代理が現れた。姿勢は優雅、だがその眼差しは計算と猜疑に満ちていた。
「ようこそ、神聖旭日連邦帝国の誇る外務大臣。再びの急な訪問とは、驚きましたな」
「私も驚いております。貴国の民間軍事会社が、ガフラヤサタ連邦の物資船団を護衛していたと聞きまして」
エイン外務大臣の声は静かだった。だが、室内の空気が一瞬にして張り詰めたのを誰もが感じた。カレヴォス国政院筆頭代理は表情を崩さぬまま、笑みを作る。
「民間部門の暴走でしょうな。政府は一切関知しておりません」
「では、その暴走が神聖旭日連邦帝国との信義を裏切るものであれば、ゼンメホ帝国政府はそれを是正する意志をお持ちですか?」
「……検討いたしましょう」
その曖昧な言葉の裏に、確かな何かが隠されている。だが、それは明かされることはなかった。形式だけの握手を交わし、会談は終わった。
だが夜になって、エイン外務大臣の元に動きがあった。ゼンメホ帝国親神聖旭日連邦帝国派の高官数名が、密かにエインの随行員と接触した。
「我々は、神聖旭日連邦帝国こそゼンメホ帝国の真の友邦だと信じております。しかし、国内には別の勢力が動き始めています。女帝陛下さえ、今は慎重な立場に……」
「では、その動きが表面化する前に、我が国に何を望まれますか?」
エインは感情を抑えたまま問い返した。
「……真実を。動かぬ証拠と、支援を。貴国が支えると知らしめれば、彼らの野望は鈍ります」
その頃、ナタアワタ共和国首都。
ECADの諜報員ヴァイスとルゥナは、深夜の街を抜け、情報通信省庁舎近くの路地裏で告発者と接触していた。青年は震えながら、小型データチップを差し出す。
「これは……ガフラヤサタ連邦の国営企業が、うちの上層部と交わした密約の写し。しかも、日時は制裁決議後です」
「決定的だな」
だがその瞬間、ビルの屋上から一筋の光が差し込んだ。ヴァイスが咄嗟に告発者を庇う。レーザーは青年の肩を貫いた。
「っ……!」
「ルゥナ、退路確保! 脱出する!」
ヴァイスは青年を抱え、闇の中へ飛び込んだ。情報チップは、任務の全てだった。命を賭けても、それだけは渡さなければならなかった。
数時間後、そのデータは帝国情報庁に到達し、アリス総理の端末に表示された。
「……やはりナタアワタ共和国の中枢まで、汚染されているのね」
その背後に足音が響いた。エインが帰還したのだ。
「ただいま戻りました。ゼンメホ帝国は、表面では平静を装っていますが……その内部には深い軋みがあります」
「貴女のおかげで、見えなかった真実が少しずつ姿を現してきた」
アリスは穏やかに微笑んだ。だがその目には、深い疲労がにじんでいた。
「今日は少し、休みましょう。星でも眺めながら」
首相官邸のバルコニーで、ふたりは無言のまま並んで夜空を見上げた。星々は遠く、静かに瞬いている。
「……私は、まだ信じたい。言葉の力を。人の誠意を」
エインが呟くように言った。
「ならば、私が証明するわ。貴女を信じるということの、重さを」
アリスはそう答え、そっとエインの肩に手を置いた。その触れ合いは、政治でも、戦争でもなく──ただ一人の人間としての温もりだった。その夜、銀河は静かだった。だがその静寂の下で、確かに運命の歯車は、音もなく動き始めていた。