密輸と密約
帝国歴1500年3月1日。神聖旭日連邦帝国連邦議会議事堂の上空には、薄曇りの空が広がっていた。 季節風が銀白の雲を流し、遠くに見える星港の発着灯が、昼なお鮮やかに瞬いている。まるで宇宙の静寂をそのまま閉じ込めたような朝だった。アリス総理は首相官邸の私室で、未明に届いた帝国情報庁からの報告書に目を通していた。 その表情は、読み進めるにつれ、硬くなる。
ついに繋がったのだ。ガフラヤサタ連邦が戦争を続けられる理由が。2月26日の会議で指摘された疑念は、諜報部門によってようやく確証に至っていた。 発端は、帝国先端科学査察局(ARIA)と宇宙軍遠征隊隠密局(ECAD)の合同調査チームが発見した、ガフラヤサタ連邦に向かう物資輸送船団の異常な軌跡だった。 公式記録には存在しない『第3航路』永世中立国ナタアワタ共和国を経由し、民間企業と見せかけた運搬ルートが複数確認された。 しかも、その経路を護衛していたのは、ゼンメホ帝国の私設軍事部門だった。アリス総理は小さく息を吐き、タブレットを閉じた。 すぐに召集がかかるだろう。だが、その前に。
「エインを呼んで」
秘書官の返答を待たずに、アリス総理は立ち上がった。 それは総理としての反応ではなく、彼女自身の本能に近かった。
首相官邸の大円卓会議室に集まった閣僚達の前で、帝国情報庁長官は慎重な口調で報告を開始した。
「我が国の諜報機関は、調査の結果、ガフラヤサタ連邦が用いる非正規輸送ルートの存在を確認しました。中立国家ナタアワタ共和国の星港企業、『オメル・ステラ物流』が偽装供給元です」
どよめく閣僚達。「さらに重大なのは──」と、長官は一瞬言葉を切る。
「その護衛艦の一部に、ゼンメホ帝国の民間軍事会社『クレヴァ・タール社』の所属艦が確認されたことです」
室内の空気が凍りつく。
「ゼンメホ帝国は我が国の唯一の同盟国ではなかったのか?」と国防大臣が声を荒げた。
エイン外務大臣は、静かに言葉を挟んだ。
「民間軍事会社であれば、政府の関与は限定的に見せかけられます。だが、これほど大規模な護送を黙認するには、何らかの『密約』が存在すると見るべきでしょう」
「……密約」
アリスは苦々しく呟いた。
エインは続ける。
「私が得た情報では、ゼンメホ帝国内部で『親ガフラヤサタ連邦派』の貴族が勢力を増しているという報告があります。表向きは神聖旭日連邦帝国と同盟関係を保ちながら、裏では別の勢力と繋がっている可能性がある」
「裏切りだな」
帝国情報庁長官が唸る。
アリスはゆっくりと立ち上がり、重く言葉を放った。
「帝国情報庁は、ナタアワタ共和国におけるオメル・ステラ物流の全活動を監視対象とせよ。ゼンメホ帝国に対しては、同盟関係を維持しつつ、民間軍事部門との関係性を探り出すよう、外交戦略を再構築する」
「了解しました」
「また、エイン外務大臣。貴女に、外交チャンネルを通じてゼンメホ帝国に『問い』を発してもらいたい。形式は礼儀正しく、だが内容は強く。問いはこうだ」
アリスは目を細めた。
「『同盟とは、表裏のない誠実を前提とするものではないのか?』とね」
一瞬大円卓会議室に張り詰めた沈黙が走る。 エインは頷いた。その眼差しは、冷たい火のように燃えていた。
解散した後、アリスは独り首相官邸のバルコニーに立っていた。 遠くの星々が、薄曇りの向こうで瞬いている。そこへ静かに現れたエイン。
「総理。……いえ、アリス」
呼ばれて、アリスが振り返る。
「私は貴女の命令で動いてきた。けれど、今夜は……私自身の判断でも動きます」
「それは外交官としての?」
「ええ。そして人として」
アリスの唇が、わずかに震えた。だが何も言わなかった。 エインもそれ以上は言わず、ただ隣に立つ。 沈黙は、かつてないほど穏やかなものだった。
──次の一手は、盤上を覆す鍵となる。 だが、それを握るのは既にこの国の若きふたりなのだ。