娘に会いに
雨の降る深夜のことだ。
男はLAに住む自分の娘に会うため車を走らせていた。久々にもらった長い休暇は、単身赴任中の彼にとって願ってもないことだった。
「娘と会ったらどこにでかけよう」
男の頭の中はそのことでいっぱいだった。
降りしきる雨の中、道路は彼の走る車しかなかった。
しばらく進むと、前方に若い女性が親指を立てて道の脇に立っていた。どうやらヒッチハイクのようだ。男は雨も降ってることもあり、女性の前に車を止めた。
「どちらまで?」
「LAまで乗せていってくれないかしら?」
ブロンドの髪、白いブラウスをきたその女性は静かに言った。
男はどこかで聞いたことのある声だなと思ったが深く考えないようにした。
「乗りなよ」
「ありがとう」
女性は男の車に乗り込んだ。
女性は車に乗ってから一言も口を開かなかった。
無言の車内。
気まずい空気が流れた。
しばらくしてこの沈黙に耐えられなくなった男が口を開いた。
「じつは私、会社から長い休暇をいただきましてね。娘に会いに行くんですよ。娘は今LAにいるんです」
「そう」
「あなたは? なんのためにLAに?」
女性は答えなかった。
「ああ、別に答えなくていいですよ。こんな夜中にヒッチハイクをしてるぐらいですから何かワケありのようですし」
男が言うと女性は静かに言った。
「LAに住む……娘に会いに行くんです」
しばらく進むと、今度は60ぐらいの太った老人が道の端に立って親指を立てて立っていた。
雨の中、傘も差さずに男の運転する車をじっと見つめている。
深夜ということもあり、男はブレーキペダルを踏み老人の近くに車を止めた。
すぐさま後部座席のドアを空けて老人が乗り込んでくる。
「いやぁ、助かりましたよ。こんな大雨の中、まったく車が通らないもんだからどうしようかと思ってしまいました」
「いったいどうされたんですか?」
男は車を発進させながら尋ねた。
「車がエンストしたんですよ。もうずっと昔から乗ってる車だったんですがね。なんともまあ、こんな日に止まってしまいまして。LAまでまだかなりあるっていうのに。あ、私、LAに行く途中だったんです。できればそこまでお願いしたいんですが」
「ああ、それはお気の毒でしたねぇ。実は私もLAに行くところでして。別にいいですよ」
「それはありがたい」
「ところで、LAまで何しに?」
「娘に会いに行くんです」
雨はさらに激しさを増していた。
しばらく進むと、男は妙なことに気が付いた。一台の車も通らないのだ。まわりもひらけてきて、一軒の家も見当たらなかった。あるのはまばらに生えている大きな椰子の木だけである。
「なんか、おかしいですね」
誰に言うともなく、男はそう言った。
「そう?」
女性はそっけなく答える。
「だって、こんなに走ってるのに一台もすれ違わない。家だって、まったく見当たらないですし」
「ここは開拓地ですからねえ」
老人の言葉に、男は口をつぐむ。
確かにそうかもしれないと思った。
よくよく見れば街灯もない辺鄙な場所だ。ここに住んでる人がいたとしたら、よほどの変人だろう。
「まあ雨のせいでよく見えないだけかもしれませんがね」
「ああ、なるほど」
「動物が飛び出してくるかもしれませんから、気をつけてくださいね。くれぐれも……」
「はい」
男はそう言って押し黙った。
老人の言葉に、なにか異様なものを感じたからだ。
ルームミラーに映る老人の顔は、どこか死人のようだった。
「………」
男はそれ以上の会話は求めなかった。
そして、沈黙が続いていった。
やがて、今度は一人の少女に出くわした。
深夜のハイウェイ。
傘も差さず、雨に打たれながら親指を突き出している。
男はスピードを緩めて少女の前に止まった。
「どうしたんだい、こんな夜更けに!」
すぐに窓を開けて少女に声をかける。
10歳くらいだろうか。少女は何も答えず、黙って男を見つめていた。
「とりあえず乗って!」
男は車から飛び降りると、少女を後部座席へと押し込んだ。
続いて自分も運転席へと戻る。
まさか女性と老人に続いて子どもまで拾うとは。
男はダッシュボードからタオルを取り出して少女に手渡した。
「洗車用だけど、これ使って。風邪ひいちゃうよ」
ポタポタと雫が前髪から落ちている。
少女は手渡されたタオルをジッと見つめていた。
「何かワケありかい? どうしてこんなところにいたんだい?」
少女は渡されたタオルから目を背けることなく答えた。
「会いたい人がいて……」
可愛らしい小さな声だった。
女性の時もそうだったが、どこかで聞いたことのある声だと男は思った。
「会いたい人?」
彼の言葉に、少女は初めて視線を動かした。
うつろな目で男を見つめながら少女は答えた。
「娘に……会いに……」
なんの冗談だろう。
雨の降る深夜に拾ったヒッチハイカーたち。
年齢も性別も違うが、目的が同じだ。誰もが皆、娘に会おうとしている。しかもそのうちの一人はまだ子どもである。どう見ても娘がいるようには見えない。
そこで初めて男は自分が置かれた立場が異常であることを悟った。
これはもしかして、とんでもない現象に出くわしてしまったのではなかろうか。
深夜のハイウェイを進むうちに、いつの間にか異次元に迷い込んでしまったのではなかろうか。
そう思ううちに、助手席に座る女性も後部座席に座る老人も少女も不気味に思えてきた。女性の方はともかく、あれほど饒舌にしゃべっていた老人も黙ったままだ。
男は次第に怖くなった。
もしかしたら自分はとんでもないナニかを乗せてしまったのではないか。
ハンドルを握る手に力がこもる。
車のデジタル時計は午前0時を表示していた。
男は思わずラジオのスイッチを入れた。
スピーカーからレトロな音楽が流れてくる。沈黙した車内が一気に明るくなった。
「へえ、ゴートゥーマイホームですか」
音楽を聴いていた老人が口を開く。
「この曲、好きなんですよ」
「私も」
助手席に座る女性も老人に同意するようにポツリとつぶやく。
長かった沈黙が破られて、男はようやくホッとした。
「これ、ゴートゥーマイホームっていうんですか?」
タイトルは知らなかったが、どこか懐かしい。そう感じた。
「知らないんですか?」
「ええ、全く」
「そんなはずはないんだけどなぁ……」
言いながら老人も女性もゴートゥーマイホームを口ずさみ始めた。
しかし歌詞を聞きながらも思い出すことができない。
そんなに有名な曲なのだろうか。
すると、老人の隣でずっと黙っていた少女までもが歌いだした。
「ゴートゥーマイホーム、ゴートゥーマイホーム」
「そんなに有名なんですね。誰の曲なんです?」
男の言葉に老人が不思議そうに見つめる。
「本当にわからないんですか?」
「え、ええ……」
「この曲はわたし達が作ったんですよ」
「………」
次の瞬間、男は意識が一気に遠のいていった。
※
「パパ、起きて」
太陽の光を浴びて、男は目を覚ました。
なんだろう、身体が重い。
気が付けば男はベッドに横たわっている。
どうやら昨夜はいつの間にか帰宅していて、悪い夢を見ていたらしい。
「もう、帰って来るなりいきなり眠っちゃって。そんなに疲れてたの?」
妻と娘の言葉に、徐々に意識が覚醒していく。
しかし、いつ帰ったかの記憶がなかった。
「オレ、いつここに来た?」
「いつって午前0時ごろよ? 覚えてないの?」
わからなかった。
まるで記憶になかった。
「疲れてたんだな。ひどい土砂降りで、途中で3人のヒッチハイカーを乗せた夢を見ていた」
「ヒッチハイカー?」
「ああ……。3人とも娘に会いたいって言ってさ」
その言葉に妻がハッとする。
「3人?」
「ああ、3人」
「4人じゃなくて?」
「3人だよ。ブロンドの女性と小太りな老人と10歳くらいの女の子」
「……あなたを入れたら4人よ」
「……?」
男は首を傾げた。
突然何を言い出すんだと思った。
「何を言ってるんだ?」
「だから、あなたを入れたら4人なのよ。ヒッチハイカーは」
4人?
ヒッチハイカーが4人?
言っている意味がわからず呆けていると、妻は手鏡を持ってきて男に差し出した。
「見て。これが今のあなた」
そこに映っていたのは、見知らぬ男だった。
目をギョロつかせ、やつれきった顔をしている。
男はたまらず悲鳴をあげた。
「な、な、な、なんだこれは……。どうなってるんだ」
「いい? 落ち着いて聞いて。あなたはね、仕事でプレッシャーを抱えすぎていろんな人格を持ち始めたの」
「いろんな人格?」
「女性、老人、少女、そして男性。今のあなたは男性の人格が現れてるけれど、本当はボブ・マーティーという作曲家なのよ」
その刹那、男の脳裏に昨夜の記憶がよみがえる。
深夜の道路。あれはこのボブという男の深層心理だったのだ。
娘に会いたいという願望が強すぎて、本来の宿主であるボブをないがしろにして出て来ようとしたのだ。
そしてそれは他の人格も同じで、次々と現れては表に出てこようとしていた。
結局、最終的に表に出てこれたのは自分だったわけだが。
衝撃の事実を突き付けられ、男は家を飛び出した。
ウソだ、ウソだ。
でたらめだ。
自分は信じない。
信じるものか。
「あなた!」
と叫ぶ妻の声を無視して男は走った。
ひたすらに走った。
ボブ・マーティー? 誰だそれは。私には立派な名前がある。私には……。
そこで男はふと思った。
(私は……誰だ?)
男は自分に名前がないことに気が付いた。
いや、記憶をめぐらすと幼い頃の記憶すらない。
(私は……誰だ)
振り向くと、妻が必死の形相で追いかけて来ていた。
「ひっ」
男は慌てて逃げだした。
間違いだ、これは何かの……。
瞬間、男の目にトラックのフロント部分が飛び込んできた。
大きな音とともに男の身体が宙を舞う。
声にならない叫びをあげる妻の姿を空中で見つめながら、男は思った。
(そうか、これは夢なんだ。たちの悪い夢なんだ……)
ドシャッという音とともに、男はピクリとも動かなくなった。
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