少年の陰陽師(読み切り版)
夜。
昼間とは打って変わって大部分の人が眠りにつき、町が静寂と妖しさに包まれる時間。
しかし、その静寂を崩すかのごとく、「見えないモノ」は動き出す。
人間の生活を裏から支配するように。
そんな暗闇の中を、一人の少年が駆けていった。
小さな体躯に白黒の羽織、腰には日本刀を携えている。
「えっと…次はどこなんだっけ…駅前…?全く、おちおち寝てもいられないな。また内申下がっちゃうよ。
…でも、受け入れるしかないか。僕は陰陽師だもんね」
翌日。
亜也加市立明暗中学校。
この学校では、「見えないモノ」の話題で持ちきりであった。
「ねぇねぇ、今朝の新聞見た?」「私のお母さんが、帰ってくる途中で見たんだって!」
教室では、女子が新聞を見せたり、他人の体験談を語ったりして、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、
ワーワーキャーキャー騒いでいる。
おそらく、「見えないモノ」見たさに、恐怖心というものを排除しているのだろう。
そんな明るいムードの中、沈んだ表情で座っている一人の女子生徒がいた。
彼女の名は滝根 姫花。
彼女は普段成績優秀、容姿端麗な非の打ちどころのない完璧な人間。
クラスの男子には沢山の好意を持つことはおろか、女子や他学年、先生すらも魅了する。
そんな彼女が今は目にくまができ、もともと細かった体はさらにやせ細り、呼吸も荒い。
いつもの美少女の姿は、見る影もない。
「滝根さん、大丈夫?」
クラスの複数の女子が、姫花に向かって心配そうに話しかけた。
「心配ありがとう。でも、大丈夫。安心して。すぐに治るよ」
姫花は、クラスメイトに向かってできる限りの笑顔を向け、そのあとすぐに机に突っ伏した。
すると、ホームルーム開始を告げるチャイムが鳴った。
それとほぼ同時に、クラス最後の登校生徒が入ってきた。
「おーい、安倍ー。10秒遅刻」
先生に冷静に告げられ、クラス全体が笑い声に包まれる。
今日の遅刻者・安倍憂晴は、顔を赤らめた。
そして、放課後。
クラス委員長が「さよなら」と告げると、クラスの生徒の大半は、姫花のところに群がった。
「姫花さん、今日の豆テストどうだった?」「どうしてそんなに頭いいの?」「一緒に帰りませんか?」
クラスメイトが、姫花を潰さんとばかりに押し寄せる。
姫花は「ちょっと、用事があるから…」とだけ言って、その場を後にした。
その教室の中に、憂晴の姿はもうなかった。
姫花は、新鮮な空気を吸おうと、屋上を目指した。
いつもは何食わぬ顔で登っていた階段の一段一段が、大きな障壁のように感じる。
屋上のトビラの前まで来る頃には、息はゼーハー上がっていた。
姫花はふらふらになりながらもやっとの思いでドアノブを握りしめ、トビラを開けた。
しかし、トビラの先にあった光景は、いつもとは全く違う光景だった。
その空間は限りなく真っ黒な地平線であり、果てしなく続いていた。
どこを見てもゴールもなく、道しるべもなく、ただただ真っ暗な空間をさまよい続ける。
姫花はああ、私は疲れているのだろう、これもまたまやかしだ、そう思った。
「あ、違う違う、そっちじゃないよ」
どこからか、そんな声が聞こえた。
「だ、誰?誰かいる?」
「ごめん、驚かせちゃったかな。まずはキミが今向いている方向へとにかく進んでほしい。ストップは僕が言うから」
姫花は天の声に言われるまま、直進を続けた。
20歩ほど歩いたところで、
「ストップ。ここで手を伸ばして」
姫花が手を伸ばすと、暗闇の中に、ドアノブの感触を覚えた。
姫花はドアノブをひねり、誘われるように中へ入った。
姫花に待ち受けていた光景は、異質なものだった。
部屋は黒と紫で覆われ、かなり薄暗い。明かりはろうそくで照らされている。しかも、炎の色は青白い。
時計は壊れて長針と短針が狂ったようにくるくると回っているし、タンスやクローゼットは自我を持った
様にパカパカとひとりでに開いている。
まるでお化け屋敷のような空間だ。
姫花は不気味であると同時に、ここが本当に学校の中なのかと錯覚しそうだった。
「ちゃんとココまでこれたみたい。人間でここに来たのは、キミが初めてだよ」
部屋の奥から、先ほど聞いた天の声の主が出てきた。
その風貌は赤い髪、白黒の羽織。かなり特殊な服装である。
「ここは、明暗中の3.5階。ここは、悪神に取りつかれ、悩む者がたどり着く場所」
「悪神?何者なの、それ?」
「今から説明をするよ。この世界の神は、善良な神である『式神』と、邪悪な神である
『悪神の大きく二つに分けられるんだ。今キミには、その悪神が取り憑いてしまって
いる。君が今までの生活に戻るためには、その悪神を退治し、浄化しなくてはならない」
「いったい、どうすればいいの?」
「そのために、僕みたいな陰陽師がいるんだ。陰陽師は、式神を使役し、悪神を浄化させる使命がある。
そこをトコトコ歩いてるのが僕の式神のこんまる」
こんまるは名前を呼ばれると、嬉しそうに一回吠えた。
「陰陽師…聞いたことがある。昔、そんな職業の人がいたって。ところであなた、見ない顔。名前は?」
「そういえば、まだ名乗ってなかったね。僕は安倍憂晴。キミと同じクラスだよ」
「嘘!安倍くん!?だって、髪の色も違うし…!なんか背も高いし…!」
「陰陽師で活動してると、いつもの姿だと不都合が生じる。だから、陰陽師は姿を使い分けて、
人間と変わらない生活をしてるんだ」
憂晴は、淡々と続ける。
「話を戻そう。今キミは悪神に取り憑かれてる。浄化できるかできないかは、僕と悪神の戦いの勝敗と、
キミの強い心によって変わる。厳密に言えば、君の心が弱くなるほど悪神が強くなる…ってのが
正解なんだけど」
そう言いながら、憂晴は姫花に茶を差し出した。
「安心して。キミは物理的に戦うことはない。なぜならキミは悪神には干渉できないから。
これでも飲んで落ち着いて」
「ありがとう、頂くね」
姫花は茶を一口飲んだ。緋奈はすぐに目を見開いた。
「なにこれ…不思議な味」
「ふふ、そうだろう?この味は企業秘密」
二人はしばらくの間、茶を交わし、現状を確認した。
最近、よく眠れないこと。食欲がわかないこと。低い声の幻聴が聞こえること。よく歩いていても急に金縛りが起きること。そのせいで、どくろのようにやせ細ってしまったこと。
二人はすっかり打ち解け、笑顔を交わした。
「なるほどなるほど…。OK,キミの中にいる奴がわかった気がする。それならすぐに浄化しよう。
今浄化のための空間を作り上げる」
憂晴は両手でいくつかの印を結び、こう唱えた。
「大地転象、我が闇の印に呼応し、或る可き狭間に姿を変え給へ」
すると、今まで飾ってあった家具は瞬く間に消えてゆき、赤紫色に包まれた荒野が姿を現す。
「滝根さん、ちょっと失礼」
憂晴は姫花の首元を持っていた剣で切った。切り口からは、妖しい煙が噴き出している。
「な、なにしたの?急に私の首元を切って」
「大丈夫。悪神の出口を作っただけだから。おい、ビビってないで出て来いよ、餓者髑髏」
憂晴が呼ぶと、巨大な髑髏の怪物が姫花の首元から勢いよく出てきた。
「きゃぁぁぁぁぁ!こんなのが私の中に入っていたの!?」
「そう、こいつは餓者髑髏。きちんと弔われなかった死者の怨念が集まって生まれた髑髏の悪神だ。
滝根さんは隠れてて。僕が浄化する」
姫花は足がすくんでしばらく動けなかった。
「ウ…オマエ…オンミョウジ…チ…タヤス…!」
餓者髑髏は巨大な腕を振りかざし、辺りを薙ぎ払う。
憂晴は攻撃を飛んでかわし、発生したスキに斬撃を一閃叩き込む。
硬そうな骨に傷がついた。
「いい感じだ。この調子なら…」
憂晴は小さい体を逆手に取り、ここぞとばかりに様々な方向から切りまくる。
しかし餓者髑髏はいともせず剣を受け止め、デコピンで憂晴を吹き飛ばした。
「がっ!」
憂晴は何回かバウンドし、ものすごい音とともに倒れた。
彼の周りは、土煙で何も見えない。
姫花は、その事態に恐怖していた。
安倍くんが全く歯が立たない。
安倍くんが敵わないなら、もう私は助からない。
私はこんな化け物と生活を共にしていかなければならないのか。
姫花は呼吸が荒くなり、心臓の拍動が速くなる。
絶望と不安が姫花の周りを覆い、曇ってくる。
しかし、この曇りを一つの声がかき消した。
「そんな顔しないで!さっき言ったことを忘れたの?」
憂晴はボロボロになりながら、姫花に呼びかけた。
姫花ははっとした。
「そうだ…。私の心が弱くなればなるほどこの怪物は強くなってしまう。何も、私だけが苦しんでる
わけじゃない。安倍くんだって、私のために必死に戦ってくれてるんだ」
姫花は一度自分の頬をたたき、深呼吸をした。
「…もう逃げない。私は、安倍くんを信じる!」
姫花の憂晴を信じる気持ちが憂晴の傷をいやし、餓者髑髏を弱体化させる。
「僕を信じてくれて、ありがとう。一気に止めを刺すよ、こんまる」
こんまるは憂晴の肩に乗った。
「式神顕現!」
憂晴がこう叫ぶと、こんまるはみるみる憂晴の刀に吸い込まれてゆく。
憂晴の刀は白い毛が生い茂った姿に変貌した。
「妖狐紫炎流 其の一…、斑火一閃!」
憂晴が放った斬撃は、餓者髑髏の体を真っ二つに斬った。
餓者髑髏は紫色の炎に包まれ、灰になって消えた。
「倒したん…だよね」
姫花は憂晴に駆け寄った。
「ああ、もう悪い気配は完全に消えた。餓者髑髏は安らかに浄化されていったよ」
姫花は胸をなでおろし、安心したように大きなため息を吐いた。
「帰る前に一つだけ伝えとく」
憂晴は帰る前、姫花にそう伝えた。
「これは憶測にすぎないんだけど、滝根さんが餓者髑髏に取り憑かれた理由があるんだ。
昔、滝夜叉姫という、伝説の妖術使いがいたんだ。彼女は餓者髑髏を引き連れ、平将門と
戦ったという。キミの名前『滝根 姫花』、少し似てるだろ。彼はキミに懐かしさを覚えて
取り憑いてしまったのかもね。平安からの因縁を断つために…。」
憂晴はそう言い終えると、くるっと振りかえって元の世界へ戻ろうとした。
「安部くん、ありがとう。私を助けてくれて。あなたがいなかったら、私もう駄目だったかもしれない。よかったら、また会いたいな。また悪神騒ぎがあったらまた力を借りてもいい?」
「お安い御用。また悪神にお悩みなら、3,5階に足を運んでくれ。その時は安倍晴明の子孫、
安倍憂晴が力を貸そう。」