「ナルコ=ホタルとサッカー少年」
「みんなに言った酷いことを
撤回してください」
暴言のヌシから目を逸らさずに、ホタルはそう口にした。
ホタルの瞳は少し揺らいでいた。
彼女はあまり、矢面に立ちたいと思うタイプの人物では無い。
このように多くの視線を浴びて、平静でいられるはずも無かった。
だがそれでも。
級友への暴言を黙って我慢するなど、どうしてもできなかったのだった。
~『ナルコ=ホタルと呪いの針』より抜粋~
……。
イヤーグワーツ。
なんと英国的情緒に満ちた響きだろうか。
イヤーグワーツ。
それはイギリスに本校を持つ、伝統的ニンジャ学校の名前だ。
起源をさかのぼれば、アーサー王の時代にまでたどり着く。
かのアーサー王に仕えた伝説的ニンジャ、マーリンが設立した学校なのだという。
ブリテンで最も偉大だと言われた王は、悪のニンジャの策謀によって命を落とした。
それを悔いたマーリンが、善のニンジャの育成のために学校を建てた。
その学校こそがイヤーグワーツだ。
そう言われている。
眉唾だと言う者も居る。
何にせよ、古い歴史を持っていることは間違いが無い。
その分校である日本イヤーグワーツも、それなりの歴史を持っている。
そんな由緒ある学校の、中世日本的なデザインの校舎。
その教室の一つ。
幻術学の教室で、生徒たちが二組に分かれて向かい合っていた。
生徒たちの年齢は、おおよそ13歳。
イヤーグワーツ中等部の1年生たちだ。
少年少女たちは、全員がニンジャ装束を着用している。
それらのニンジャ装束は、イヤーグワーツ指定の制服だ。
制服の色は、学年によって異なる。
中等部一年生の制服は、白色と決まっていた。
二つに分かれた白いニンジャの卵たち。
それらのグループは、お互いに敵意を向け合っているように見えた。
その片方の先頭には、銀髪の美少女が立っていた。
少女の名はナルコ=ホタル。
伝説的ニンジャの一人娘として、学校中に名を知られている。
それに対するは、金髪の少年。
長身で、ゾッとするような冷たい美貌を持っている。
名前はヘビガミ=リュウ。
格式有るニンジャの一族、ヘビガミ家の長男だ。
ホタルの赤い瞳を見ながら、リュウが口を開いた。
「暴言?
俺たちが言ったことが、
そんなに間違っているか?
事実として、
俺たちピュアブラッドのニンジャは
皆が強力な
ユニーク忍法を生まれ持っている。
運任せのような忍法しか持たない
ハーフブラッドや
ミュータントよりも
集団として優れていると思うがな?」
「ユニーク忍法……?」
初めて聞いた言葉に、ホタルが疑問符を向けた。
それを聞いてリュウが笑った。
「ハハッ。
そんな事も知らずに
口を挟んできたのか。
可愛らしいことだな」
「っ……!」
無知を笑われたことで、ホタルの頬に赤みが増した。
だが怯まずにこう言った。
「たしかに私はまだ、
ニンジャの世界のことを
良く知りません。
ですが、
そんなふうに人を差別するのが正しいとは
絶対に思えません……!」
「あの四代目の娘ともあろう者が、
随分となまっちょろいものだ。
弱いものは弱い。
そう区別しなくては、
強さを掴むことはできないと思うがな」
「四代目って……。
私はパパのことなんか……
何も知らないのに……」
「そうか。それで?
もう話は終わりということで良いか?」
「謝る気は……無いと言うんですか……?」
「さきほども言ったが、
間違ったことを言っているつもりは無いからな。
俺は」
「っ……!」
(良い人かもしれない。
そう思っていたのに……!)
ホタルは今日までの間に、何度かリュウによって助けられていた。
近寄りがたい見た目をしているが、実は良い人かもしれない。
その幻想が砕かれたことを、ホタルは悲しく思った。
「だが……」
「…………?」
「もし俺と勝負をして
おまえが勝ったら
頭を下げてやらんこともない」
「勝負って……。
結局は力ですか」
「怖いのならやめておけ」
「っ……! 怖くはありません……!」
「フッ。そう思うのならかかって来い」
リュウは冷たく笑った。
だが……。
(はぁ……。
どうしていつもこうなってしまうんだろう……。
生まれつきの性格?
原作通りに進むように
強制力でも働いてるんじゃないだろうな?
ああ……それにしても
ナルコさんは今日も美しいな……)
彼は内心では、そんなふうに考えているのだった。
ヘビガミ=リュウは転生者だ。
そして彼にとって、ナルコ=ホタルは初恋の人でもあった。
……。
「行ってきまーす」
母親に声をかけ、ワカツは家から出た。
ワカツは11歳の少年だ。
髪はさっぱりと短く、快活そうな外見をしている。
時刻は午後の4時ごろ。
小学校から帰宅して、少しの時間が経過していた。
彼は自転車に跨った。
ワカツは自転車のペダルを踏み、本屋に向かって走らせた。
彼のズボンのポケットには、折りたたみの財布が入っていた。
その中には、三千円が入っている。
あまりお小遣いが多くないワカツにとっては、ちょっとした大金だった。
彼の目的は、とある本にあった。
(今日は待ちに待った
ナルホタ2巻の発売日だ……!)
『ナルコ=ホタル』シリーズ。
略してナルホタ。
100年以上の長い歴史を持つ、児童文学のロングセラーだ。
あらすじは王道そのもの。
実はニンジャの血をひいていた主人公が、ニンジャ学校に入学し、成長していく。
繊細さと大胆さを併せ持つストーリーには、大人のファンも多い。
多くの親子の間で、時代を超えて親しまれている。
だがワカツは、つい最近までナルホタを読んだことが無かった。
ワカツは体を動かすのが大好きなサッカー少年だ。
文字を読むのはあまり好きでは無かった。
小説なんて、読書感想文のために読むくらいだ。
そういう生き方をしていた。
ある日そんな彼に、転機が訪れた。
ワカツは小説は読まないが、漫画は少しだけ読む。
彼が特に好んで読んだのは、リアル路線のサッカー漫画だった。
多少の誇張は有るが、現実的な最先端の戦術を取り上げている。
それを読むとワカツは少しだけ、サッカーがうまくなったような気がするのだった。
既刊は全て、自室の本棚におさめられている。
そんな愛読書の新刊のため、ある日ワカツは、本屋を訪れた。
そして……。
「かわいい……」
とある小説の表紙に、ワカツは一目惚れをしてしまった。
小説のタイトルは、『ナルコ=ホタルと呪いの針』。
ナルホタシリーズの1作目だった。
その本がワカツの目に止まったのには、一つの理由が有った。
新装版の発売だ。
有名なイラストレーターが、表紙や挿絵を手がける。
そのことが話題になり、数十年ぶりのナルホタブームが到来したのだった。
新装版のナルホタは、本屋の目立つ場所に配置された。
その表紙が、ワカツの心を強く強く惹きつけたのだった。
表紙には、ニンジャ装束を身にまとった銀髪の少女が描かれていた。
その絵柄はリアル調だった。
だがその絵からは、写実画のくどさは感じられなかった。
繊細優美。
本の表紙に本物の妖精が宿った。
ワカツには、そのように感じられたのだった。
気がつけばワカツは、その本を手に取り、レジに歩いていた。
漫画を買うお金は無くなったが、ふしぎと後悔は無かった。
小説を買って帰ったことで、家族には驚かれた。
ワカツ自身、自分に小説なんて楽しめるのかという不安は有った。
杞憂だった。
ワカツは一晩で、ナルホタ1巻を読破してしまった。
それだけでは飽き足らず、何度も読み返した。
それから彼は、2巻の発売を楽しみに待った。
ナルホタは、既に完結したシリーズ作品だ。
その気になれば、図書館で全巻を読むことができる。
だがワカツは、そうする気にはなれなかった。
あの綺麗な表紙のナルホタで無ければ、自分にとってはナルホタとは言えないのだ。
そんなふうに思っていた。
ナルホタは映画にもなっている。
そんな話も聞いた。
だが、DVDのパッケージを見たワカツは、映画を見る気をなくしてしまった。
(本物のナルコ=ホタルは、もっと可愛い)
既にワカツにとってのナルコ=ホタルは、神聖なる初恋の対象になっていたのだった。
試し書きです。