8 生物 (1)
8 生物 (1)
(ちらし) 脳のない単細胞生物が統合的に動けるのはどうしてか?
(ちらし) 細胞内での熱生成はいったん保留される
(ちらし) 粘菌の知性と記憶
エナァジに具わる内因的な傾向 -- 創発の源 (意外に重要)
生物や結晶の形成などでの物質群の動きの組織化 (重要)
物質群の動きの組織化の要件
生物は思考にもとづき活動する (実証不要)
細胞内での物理事象の発生は保留されうると予想される
生物の能動的な動きの基盤
《 (ちらし) 脳のない単細胞生物が統合的に動けるのはどうしてか? 》
単細胞生物に脳はありません。それでも、その単細胞生物は、一匹の独立せし生物として統合的に動くことができます。
一匹の単細胞生物の全体的な動きは、その単細胞生物を構成する物質群の動きによりて齎されます。しかも、その全体的な動きは統合的であり、それを実現するため、それらの物質群は統合的かつ協調的に動きています。
しかし、冷静に評価するなら、これは極めて不思議です。単細胞生物が、多様な構成要素の物質群の、高度に組織化されし集合体であろうとも、脳がないのに、どうしてそれは全体として辻褄のあいしかたちで統合的に動けるのでしょうか?
(脳の代わり、単細胞生物もジーノウム――染色体の一組――を有しており、そのなかにはDNAが含まれています。しかし、DNAの基本的な役割は、生体に必要な各種の蛋白質を合成するための情報を、アミノ酸配列のかたちで保持することです。DNAは、どんなに精妙な高分子であろうとも、三人称の客体であり、みずから外的に動くことのできない完全に受動的な物質のひとつです。そういうDNAに、単細胞生物全体の動きを制御する機能ないし能力は、決して具わりておりません)。
さらに、構成要素の物質群の統合的かつ協調的な動きは、高度でダイナミクな物理的秩序でもあります。しかし、そういう物理的秩序は、エントゥロピは増大するという熱力学第二法則ゆえに、自然に形成されることは決してありません。そういう秩序は自然には形成されえないです。
それなのに、高度でダイナミクな物理的秩序である単細胞生物の動きは現実に実現されています。このゆえ、単細胞生物の動きには、それを可能とする、現在の物理学にはまだ知られていない何らかのメカニズムないし枠組が働きている、と推測されます。そうでなくてはなりません。なぜなら、単細胞生物は現に統合的に動きているからです。
細胞などの生体内部での物質群の機能や動きは、分子生物学などにより詳しく研究されています。しかし、生体内部での微細な物理事象が詳しく究明されるだけでは、生体全体の統合的な動き――構成要素の物質群の統合的かつ協調的な動き――はまだ説明することはできません。それが果たされるには、さらに、分子生物学などで究明されしことを統合する物理的なメカニズムないし枠組も究明されることが欠かせない、と思われます。
1個の生体全体の統合的な動きを実現するため構成要素の物質群が統合的かつ協調的に動くということは、それらの動きが組織化されて制御されているということを、意味します。
言わば、生体全体の統合的な動きというのは、構成要素の物質群のレヴェルでの協調的で正確な動きと、それらの動きをもたらす生体全体のレヴェルでの組織化のメカニズムないし枠組の、二つの要因のコラボレイションにより実現される、と思われます。
そして、そういうことは、実は、無生物の物品にては、ごく自然です。たとえば、人間により生みだされる各種の物品やマシーンは、そういう機能的な構成――個この部分の正確な機能や動きと、それらを取りまとめる組織化の枠組――により実現されます。つまり、細部と全体のコラボレイションです。観念的な物品――たとえば、文章や音楽――や、人的な組織さえ、そうです。
生体の構成要素の物質群の機能や動きは分子生物学などにより詳しく研究されています。しかし、それらの機能や動きを組織化するメカニズムないし枠組の究明は、自然科学の基盤である物理学の担当になる、よう思われます。それが物理学により取り組まれることが、つよく望まれます。
《 (ちらし) 細胞内での熱生成はいったん保留される 》
生物学によれば、細胞内では、マイトコンドゥリアにより、ATP(アデノシーン3リン酸)のADP(アデノシーン2リン酸)への加水分解をとおし、熱が生成されるそうです。
しかし、これは説明しづらいことですが、この加水分解は、マイトコンドゥリアによりATPが生成されしのち何故かいったん保留されるよう見えます。それはほぼ意図的に差し止められるよう思われます。なぜなら熱は細胞内で常に生成されるわけでない、と思われるからです。熱は、細胞内におき、必要あるとき初めて(意図的に)生成される、と思われます。それまでATPの加水分解は保留されるです。
しかしこの保留はとても不思議です。なぜなら、化学反応をふくめ、物理事象は、それが発生する条件が満たされるなら、即座に自動的に発生するからです。このゆえ、ATPの加水分解が発生してもいいし発生しなくてもいいという宙ぶらりんの状態におかれることは、ふつう有りえないです。
それでも、ATPの加水分解は、実際、保留されます。
生物学と物理学はいつまでもこの事実から眼を背けているべきでない、と思われます。むしろ、それを事実と認め、それを可能とするメカニズムないし枠組の解明に着手するのが望ましいです。物理学がその直接の担当になると思われます。
(そもそも、生物学による、細胞内での熱生成の説明には変なところがあります。つぎの2点です。
i) 熱エナァジは品位が悪く使いづらいが、その用途または目的が説明されていぬ。
ii) 熱生成のトゥリガァが説明されていぬ。
つまり説明はまだ完了してはいないです)。
《 エナァジに具わる内因的な傾向 -- 創発の源 (意外に重要) 》
物理的秩序は、一般に、エントゥロピは増大するという熱力学第二法則により、自然に崩壊し、物事はランダムな混沌に向かいます。この動きは、基本的に、物質外部の巨視的なレヴェルでのエナァジの働きによる、と思われます。
さりとも、他方で、エナァジには、物質内部にて、可能なら、自分自身を素材として使い、より高い物理的秩序を形成しようとする傾向が具わりている、ように見えます。
さもなくば、物質がより大きく複雑な物質に進化することは、とてもできないと、思われます。
たとえば、物質は、ほかの物質と接触しなく、単独で存在するあいだ、無数の構成要素からなる波動の存在様相にあり、物理量(= 空間位置)が確定していず、物質の存在は、ある意味、曖昧です。この状態は、ひくい秩序の不定元の海の状態と見なせます。
しかし、物質がほかの物質と接触すると、その相互作用の発生を契機として、物質(の無数の構成要素群)は、空間の局所的な1点に集中する、粒子のような存在様相に移行して、その物質の物理量は一つに確定し、物質の存在は明確になります。この状態は、より高い秩序の状態と見なせます。
(ちなみに、物理的な相互作用は、たがいに相手の存在を問う問いと見なすことも、可能です。なぜなら、相互作用の発生は、物質内部での観念的な働きを活性化するからです。物質の存在は、問われることで、観念的な働きをとおし、確定するのです。逆に言えば、問われないかぎり、物質は、その存在を確定させる必要はないのであろう、と思われます)。
つまり、物質には、原則、二つの存在様相があり、一つの物質においてさえ、その秩序の度合いは互いに切り替わるです。
そして、その切り替えは、物質の正体であるエナァジ(により体現される内因的な作用)によりて直接に果たされる、と思われます。
つまり、エナァジには、(なんらかの物理的な相互作用をとおして問われることで)、可能なら、自分自身をより高い秩序の状態に移行させようとする傾向が具わりているのです。これは、エナァジにそなわる本質的な傾向と思われます。
つまり、エナァジには、(物質外部の巨視的なレヴェルでの物理的秩序の崩壊を齎しがちな外的な働きとは裏腹に)、内的には、可能なら、自分自身をより高い秩序の状態に昇格させようとする――進化させようとする――内因的な創発の傾向が本来的に具わりているのです。
そして、この創発の傾向が、この宇宙での様ざまな物質の発生――核融合や化学反応をとおしての様ざまな物質の形成や進化――の根本的な原動力と思われます。
そして、物質の、生物への進化も、この進化に該当します。生物の発生と進化、そして、意識の発生も、物質の進化です。
(実証することは不可能と思われますが、観念的な働きを果たす意識は、まちがいなくこの宇宙という物理世界に発生しており、意識もまちがいなく物理的です。物理的でないかぎり、なにものもこの宇宙に存在できないのです。そして、他者に実証することは決してできないですが、少なくとも自分の意識の存在を認めるならば、自分の意識は物理的であらざるを得ないです。もしも認めないなら、わたしは存在しないことになります。そして観念も物理的なものに含まれるです。
ただ、観念にたいし、意識によりて感じられる身体感覚や思考の感覚と、それらに伴うクワリアは、微妙です。観念は、物質にそなわる観念的な作用の動きのなかに、瞬間的なもの、作用という実体の動きそのもの、として発生する――形成される――、と推測されます。そして、そういう観念にたいして感じられる感覚とクワリアは、さらに、それらの影ないし写像のようなものと解釈されます。このゆえ、感覚とクワリアは微妙です。この宇宙という物理的な実体の世界に、そういう妙な儚いものも発生する――意識に感じられる――というのは、ある意味、驚きです)。
《 (ちらし) 粘菌の知性と記憶 》
単細胞生物である粘菌に知性と記憶の具わりていることが、北海道大学教授の中垣俊之先生により、視覚的かつ間接的に実証されました。
(エナァジは体積なくて非物質的です。エナァジは物質ではないのです。そして不可視です。このため、エナァジそのものを直接実証することは不可能です。エナァジの存在は、熱エナァジ・電気エナァジ・運動エナァジなどの個別的な物理現象により、間接的に推測する他はないのです。
そして、もしも、エナァジ同様、なにか非物質的なものが存在するとするなら、その存在も、なんらかの物理現象をとおし、間接的に実証するほかはない、と思われます。
そして、知性や記憶がそれに該当する、と推測されます。この点で、間接的ながら、粘菌の知性と記憶が視覚的かつ客観的に実証されしことは、高く評価されます。
さらに知性は意識です。そして、じぶんの主観の意識の存在は、じぶんで直接感知できるので、即値の事実です。(じぶんの主観の意識の存在は、この宇宙において最も確かな事実です)。このため、それに、それ以上の実証は必要ありません。
しかし、他者に意識が本当に具わりているか否かを見極めることは、きわめて難しい、と思われます。
この状況で、脳のない単細胞生物である粘菌に知性(意識)の具わりていることが、間接的ながら、視覚的かつ客観的に実証されしことは、驚くべきことです。
しかも、意識の存在(発生)が客観的に実証されしことも、初めてと思われます。意識が、間接的ながら、客観的に実証されつです。(そもそも、意識(知性)を直接実証することは不可能と思われます)。この点でも、意識が客観的に実証されしことは高く評価されます)。
《 エナァジに具わる内因的な傾向 -- 創発の源 (意外に重要) 》
物理的秩序は、一般に、エントゥロピは増大するという熱力学第二法則により、自然に崩壊し、物事はランダムな混沌に向かいます。この動きは、基本的に、物質外部の巨視的なレヴェルでのエナァジの働きによる、と思われます。
さりとも、他方で、エナァジには、物質内部にて、可能なら、自分自身を素材として使い、より高度な物理的秩序を形成しようとする傾向が具わりているように、見えます。
生物の活動をふくめ、この宇宙での全ての生産的な事象は、根本的に、エナァジのこの傾向に由来する、と思われます。意識の形成や思考の働き――これらは高度で動的な物理的秩序です――も、この傾向による、と思われます。
さもなくば、見事な結晶の塊や生物をふくめ、物質がより大きく複雑な物質に進化することはとてもできないと、思われます。
ところで、(この見方は、物理学ではまだ認識されてはいず、ある意味、異端と思われますが)、たとえば、物質は、ほかの物質と接触しなく、単独で存在するあいだ、無数の構成要素からなる波動の存在様相にある、と思われます。このため、物理量(= 空間位置)が確定していず、物質の存在は、ある意味、曖昧です。この状態は、ひくい秩序の不定元の海の状態と見なせます。
しかし、物質がほかの物質と接触すると、その相互作用の発生を契機として、物質(の無数の構成要素群)は、空間の局所的な1点に集中する、粒子のような存在様相に移行して、その物質の物理量は一つに確定し、物質の存在は明確になります。この状態は、より高い秩序の状態と見なせます。
(ちなみに、物理的な相互作用は、たがいに相手の存在を問う問いと見なすことも、可能です。なぜなら、相互作用の発生は、物質内部での観念的な働きを活性化するからです。単独では曖昧な物質の存在も、問われることで、そして、観念的な働きを根拠として、確定するのです。逆に言えば、相互作用によりて問われないかぎり、物質は、その存在を確定させる必要はないのであろう、と思われます)。
つまり、物質には、原則、二つの存在様相があり、一つの物質においてさえ、その秩序の度合いは互いに切り替わるです。
そして、その切り替えは、物質の正体であるエナァジ(により体現される内因的な作用)によりて直接に果たされる、と思われます。
つまり、エナァジには、(なんらかの物理的な相互作用をとおし問われることで)、可能なら、自分自身をより高い秩序の状態に移行させようとする傾向が具わりているのです。これは、エナァジにそなわる本質的な傾向と思われます。
つまり、エナァジには、(物質外部の巨視的なレヴェルでの物理的秩序の崩壊を齎しがちな外的な働きとは裏腹に)、内的には、可能なら、自分自身をより高い秩序の状態に昇格させようとする――進化させようとする――内因的な創発の傾向が本来的に具わりているのです。
そして、この創発の傾向が、この宇宙での様ざまな物質の発生――核融合や化学反応をとおしての様ざまな物質の形成や進化――の根本的な原動力と思われます。
そして、物質の、生物への進化も、この進化に該当します。生物の発生と進化、そして、意識の発生も、物質の進化です。
《 生物や結晶の形成などでの物質群の動きの組織化 (重要) 》
私たち人間にとり、生物が主体的に動くことは、当たりのことであります。私たちは、そのことになんの不思議も感じません。
しかし、生物の、対外的・自発的・能動的な動きは、物理法則に違反しているよう、思われます。
まず、生物の、対外的な動きは、ほとんど、すべて、筋肉運動により実現されています。そして、筋肉運動は、それを構成する無数の細胞群の、収縮や伸張の動きにより形成されます。さらに、細胞の収縮や伸張は、その細胞内の物質群の、細胞内での対外的な動きによりて齎されます。
以下の事象などが、物質の対外的な動きに該当します。
a) 自転
b) 空間移動
c) 化学反応
つまり、生物の対外的な動きは、究極的には、細胞内の無数の物質群の、細胞内での対外的な動きによりて齎されるです。
さらに、これを厳密に説明することはとても難しいですが、細胞内の物質群の動きは、統合的かつ協調的、と評価されます。このことは、また、細胞内の物質群の動きは組織化されて、制御されている、とも表現できます。
さもなくば、それらの動きは出鱈目になり、細胞が自発的・統合的・能動的・目的的に動くことはできないことになります。そもそも、その細胞は細胞たりえないです。(それ以前に、生物は決して発生できなかりしはずです)。
たとえば、小さな池に単細胞生物のゾウリムシがいて、見掛けじょうランダムに動いている、とします。その目的は、私たち人間には必ずしも察知できませんが、しかし、単細胞生物に脳は具わりてはおりません。しかし、ゾウリムシを構成する無数の物質群は、ゾウリムシがそういうふうに動けるようにするために、かならず、統合的かつ協調的に動いているのです。脳がなくても、生物の動きは組織化されて、制御されているのです。
分子生物学などの観点から見て、細胞内の物質群の動きはあまりに高度で複雑です。このため、私たちは、無意識には感じているにせよ、そういうことになかなか気づけません。しかしこれは必然です。
このゆえ、細胞内の物質群の動きは、かならず、組織化されていて、統合的かつ協調的でなくてはならないのです。
そして、このことが、細胞――生体・生命――のいちばん重要な特徴です。つまり、構成要素の無数の物質群の動きが組織化されていて、それらの動きに統合性と協調性の具わりていることが、生命の本質であり要点です。
そして、これは、また、オートポイエシスの要点でもあります。生体(生物)はオートポイエシスのシステムです。各種の物質の結晶の形成プロセスもオートポイエシスのシステムです。
しかし、物質は、(内的には、一人称の主体でありて、みずから自発的・能動的に動作しているにしても)、外的には三人称の客体です。そして、三人称の客体である物質は、なんらかの物理的な相互作用に受動的に巻きこまれないかぎり、みずから対外的に動くことは決してできません。
そして、微生物・細胞・組織・器官などの生体は無数の物質群で形成されますが、そういう1個の物質群の集合体におき、その物質群が(静的な意味で)いかに高度に組織化されていようとも、対外的には三人称の客体でしかないそれら無数の物質群の動きが自然に組織化されて、それらに統合性と協調性の具わることは、ありえないです。
ちなみに、白血球や赤血球は遊離細胞とのことですが、これらの動きも組織化されて制御されている、と思われます。白血球には染色体――ジーノウム・DNAの集合体――が含まれているとのことですが、赤血球に染色体は含まれないそうです。(赤血球の染色体は、赤血球の製造が完了せしのちは、赤血球の体積を減らすため、除去されてしまうそうです)。それでも赤血球は統合的に活動するのです。これは、染色体にさえ、細胞全体の動きを組織化し制御する働きは具わりてはいない、ということを意味します。(では、なにが白血球や赤血球の動きの統合性を齎しているのでしょうか? 不思議としか言いようがありません)。DNAの第一の用途は、蛋白質を製造するための情報を保持することとのことですが、DNAも細胞を構成する物質群の一つであるという点で、DNAと他の構成要素の物質群とのあいだに、違いは丸きりないのです。DNAさえ三人称の客体なのです。
さらに、重力・電磁気力・原子や分子を結合させる力などの物理的な力に、無数の物質群の動きを組織化する能力ないし機能はまるきり具わりてはおりません。たとえ、無数の物質群が集合し、1個の集合体を形成しつとして、その全体の動きが自然に組織化されることは、普通、ありえないのです。
さらに、無数の物質群の動きが組織化されて、それらの動きに統合性と協調性の具わることは、高い動的な物理的秩序が形成されるということも、意味します。
しかし、エントゥロピは増大するという熱力学第二法則により、高い物理的秩序は自然には決して形成されません。
つまり、生物の対外的な動きは、根本的には、細胞内の無数の物質群の(細胞内での)対外的な動きの総体として齎されるですが、それらの動きが自然に組織化されて、それらに統合性と協調性の具わることは、不可能なのです。
このゆえ、生物の、対外的・自発的・統合的・能動的・目的的な動きが自然に実現されることは、ありえないです。
しかし、生物の主体的な活動は実際に実現されています。ゆえに、それは、物理法則に違反する他はないのです。
そして、同様のことは、各種の物質の結晶の塊についても該当します。
各種の物質の結晶の塊には、その形態的な形に統合性と協調性が具わりています。このことは、雪の結晶で特に顕著です。このゆえ、それは、静的ではあるにせよ、高い物理的秩序です。
そして、このことは、それらの形成プロセスにおき、無数の構成要素の物質群の動きが主体的に組織化されて、それらの動きに統合性と協調性の具わりていしことを、意味します。
このため、各種の物質の結晶の塊の形成も、物理法則に違反します。
しかし、生物の主体的な活動や、結晶の塊の形成は、現実に実現されています。すると、それは、それらの動きが物理法則に違反しているのではなく、むしろ、無数の物質群の動きが組織化されて、それらに統合性と協調性の具わるメカニズムないし枠組が、まだ知られておらず解明されてはいない、ということを意味すると、思われます。
つまり、ここはまだ空白地帯です。つまり、そのメカニズムないし枠組の解明は、物理学や自然科学にとりては未踏の領域です。
しかし、事象の性質から見て、その解明は、結晶学・生物学・分子生物学・生物物理学などの個別的な学問分野の担当ではないよう思われます。それは、まさに、自然科学の基礎をなす物理学の担当になるよう思われます。物理学での新しい研究分野です。物理学により取りくまれることが強く望まれます。
ちなみに、結晶の塊の形成プロセスは、かなり静的なオートポイエシスのシステムなので、取りつきやすいかも知れません。
《 物質群の動きの組織化の要件 》
生物や結晶の形成などでの物質群の動きは組織化されています。それらには、統合性と協調性が具わりています。
そして、その組織化の要件は、論理的に推測することができます。以下のことがその要件と推測されます。
i) 物質群の全体の物理的な状態についての情報収集をはたす働き。これは状態を測定する働きです。この測定には、ほかの物質とのあいだで生じる、エナァジや力などの外的な影響についての測定も含まれます。この働きが必要なのは、全体の現在の状態についての情報のないかぎり、全体をつぎの瞬間にはどのような状態にすべきなのか、決して判断(設計)できないからです。そして、測定とは、測定対象の値(= 観念)を読むことなので、観念的な働きです。
ii) 物質群の全体の、つぎの瞬間での物理的な状態を設計する働き。これは、物質群の状態についての情報収集により得られし情報――観念――にもとづき、全体の、つぎの瞬間での状態を演算(設計)します。この設計は、物質群の物理的(物質的)な動きの、観念的な根拠になります。この働きも観念的な働きです。
iii) 物質群の全体の、つぎの瞬間での物理的な状態を実際に実現する働き。これは、物質群の全体の、つぎの瞬間での状態についての設計にもとづき、その状態を実現する働きです。そして、状態を実現するゆえに、(全体の内部において)、物質群を外的に動かす――自転・空間移動・化学反応――必要があります。(ただし、外部から操作して動かす必要は必ずしもないと思われます。例えば、それぞれの物質が設計にしたがい自ら動くなら、それで実現される、と思われます)。この働きは、物質群の動きを齎すゆえに、物理的(物質的)な働きです。
ただし、iii)の働きは、ii)の設計――観念――にもとづき物質群の動きを齎すゆえに、物理的にきわめて深刻な問題をはらんでいると予想されます。それでも、iii)の働きを想定しないかぎり、生物や結晶の形成などでの物質群の動きは決して組織化されえない、と思われます。そのゆえiii)の働きは論理的な必然です。
《 生物は思考にもとづき活動する (実証不要) 》
1) 主観による直接的認知の事実性がいちばん高い
2) 生物は思考にもとづき活動する
3) 意識と物理学
................
1) 主観による直接的認知の事実性がいちばん高い
じぶんの主観の意識についての、じぶんの主観の意識による感知・観測・認知は、直接かつ即値です。このゆえ、その感知は、それ以上の証拠は必要とはしないです。意識による直接感知に証拠は必要ないのです。
これに対し、客観的事物についての認知は間接的であり、あいだに無数の物理的相互作用が介在します。このゆえ、感知されることは速やかに変質し、認知対象の客観性もすみやかに失われる可能性が高いです。しかも、ひとは、固定観念を抱きがちであり、往おうにして色眼鏡をとおして物事を見がち(解釈しがち)です。
これらのことのため、たとえ証拠としての認知対象が客観的な客体であろうとも、それが人により実際どのように認知されるかは丸きり分からなく、最終的に認知されることはそれぞれの人により幾らでも異なりえます。
つまり、物事が事実であるか否かの判断におき、物事の客観性は、必ずしも当てにはならず、絶対ではないのです。
むしろ、意識による最終的認知までのあいだに距離があり、人により多様に解釈されうるという点で、客観的事物の事実性は低いです。
違いは、客観的事物についての観測は他者と共有できるのに対し、主観的感知は他者と共有できないということです。しかし、他者と共有できるという程度の(距離のある)客観性は、観測される事物--解釈されること--が真の事実であるか否かの判断にはほとんど役に立ちません。
意識に生じる感覚についての、主観による感知のみが、(証拠不要の)厳密な意味での感知、と思われます。他者とは決して共有できないにせよ、自分にとりて、主観による感知がいちばん信頼できるです。
2) 生物は思考にもとづき活動する
これはごく普通の判断ですが、私たち人間は、じぶんの主観の意識に生じる(身体感覚と)思考--演算・設計--にしたがい活動しています。
たとえば発話はその典型的な例です。話す動作はかならず思考に基づいています。話す内容が直前に考えられていないかぎり、発話に関係する全ての筋肉は動作しないです。話すことが意識に生じて、初めて、発話の筋肉は動作するのです。
そして、もしも自分の主観による認知を事実として信頼するなら、このことは否定のできない究極の事実です。これに証拠は必要ありません。つまり、私たち人間は、即値の事実として、思考という大きな観念により体を動かしているのです。
そして、このことは、究極的には、からだを構成する物質が観念にもとづき(統合的かつ協調的に)動くことを意味します。動きに関係する器官・組織・細胞を構成する物質が、からだの整合性のとれし動きを実現するため、大きな思考にもとづき統合的かつ協調的に動くです。
細胞などの生体はきわめて高度で複雑かつ精妙な物質システムですが、それらのシステムを構成する物質が、それぞれのシステムにおき組織化されて、それらの動きが統合的かつ協調的に制御されるよう見えるです。
ちなみに、動きは、生体内での空間移動と自転(姿勢制御)を意味します。もしかして、化学反応の発生も思考に影響されるかも知れません。
さもなくば、一個の統合的物質システムとしての体の辻褄の合いし動きは決して達成されえないです。そもそも、たとえ部分的であろうとも、体は決して動かない、と思われます。
そして、そういうことは人間だけには限らない、と思われます。これは推測にすぎませんが、微生物・単細胞生物・動物・植物などでも事情は同じ、と思われます。
つまり、生物のあらゆる生体におき、構成要素の物質は、その生体の全体にわたり生じる大きな思考という観念にもとづき動くです。(これは実証不要の事実です)。
(このことは、また、少なくとも、思考(観念)の本体が、物理的であること--思考の本体が、物質と相互作用のできる、(エナァジで体現される)物理的実体であること--も意味します)。
生物学と物理学は、このことにつき、いつまでも知らんぷりをしているべきではありません。むしろ、それを(実証不要の)事実と認め、それを可能とするメカニズムないし枠組の解明に着手するのが望まれます。そのメカニズムは無数の物質にわたるゆえ、その解明はおもに物理学の担当になる、と思われます。物理学には頑張りてほしいです。
3) 意識と物理学
そういう意味で、意識そのものの事実性がいちばん高いです。なにしろ、意識は、主観による直接的認知をはたす主体だからです。
意識は表面的には掴みどころなく不思議なものと感じられます。
しかし意識はこの宇宙に発生しています。私たちの意識は、発生し、しばらく持続し、そして消滅するものとして、この地球上に存在します。
そして、意識は、発生しているあいだ、片時もやすまず変化しつづけます。その存在様相の詳細はここではまだ分からないにせよ、そういうものは物理現象です。物理世界であるこの宇宙において変化する(動く)ものは必ず物理現象です。このゆえ意識も物理現象です。
そして物理現象は必ずエナァジや物質により体現されます。そして、物質は無数のエナァジにより体現されるので、物理現象である意識も究極的にはエナァジで体現される、と思われます。(実際、意識は、エナァジそのものと推測されます)。
ビグ バン理論によれば、ビグ バンでは、この宇宙を形成する無限量のエナァジだけが噴出しつそうです。そして、エナァジは、体積なくて、非物質的です。そういうエナァジはとても不思議です。しかし、そういうエナァジがこの宇宙の物理性の源であり、エナァジ自身が物理的です。そして、空間をふくめ、この宇宙に存在する全ての物質--すべての物理現象--は、そういう不思議なエナァジで体現されるです。
(この宇宙に存在するものは、全て、物理的であり、エナァジで体現される必要があります。エナァジで体現されぬものは、この宇宙には存在しないです。
ただ、意識の感じる身体感覚や思考などの感覚やクワリアの原因(源)は物理的であるにせよ、それらの感覚そのものは物理的でない、と思われます。それらの感覚が存在すると見なせるか否かは微妙です)。
もしも意識が物理的であり物理現象として存在することを認めないなら、話はそれでおしまいになります。
意識は、物理的であり、究極的にはエナァジで体現される物理現象として存在するのです。そして、私たち人間にとり、意識の事実性がいちばん高いです。
物理学は、物理現象として存在する意識をいつまでも無視しつづけているべきでない、と思われます。物理学による意識の解明がつよく望まれます。
《 細胞内での物理事象の発生は保留されうると予想される 》
1) 予備情報
2) 細胞内での物理事象の発生は保留されうると予想される
3) 説明の可能性
4) ATPの加水分解の保留についてのもう少し詳しい説明
5) 深刻な問題
6) 生物の活動は物理法則に違反していると感じられる
7) 自由意志の関与
8) 生成される熱の副次的な効能
................
1) 予備情報
生物学によれば、動物の細胞内にはたくさんのマイトコンドゥリアが共生しているそうです。このマイトコンドゥリアは、ADP(アデノシーン2リン酸)からATP(アデノシーン3リン酸)を合成します。このATPはエナァジ通貨と呼ばれますが、細胞内での、エナァジの必要なほぼ全ての物理事象に使われます(消費されます)。たとえば、筋肉運動・細胞膜を横ぎるアイオン輸送・細胞内への栄養物質の取りこみなどです。
そして、その消費で、ATPは加水分解によりADPに変換されますが、その時に熱が発生します(放出されます)。
つまり、動物の体では、ほぼ全ての事象でATPが使用され熱が発生するのです。しかも、動物が見掛けじょう活動していなくても、基礎代謝はかならず果たされるので、動物の体では、程度の差はあれ、熱はつねに発生していることに、なります。
2) 細胞内での物理事象の発生は保留されうると予想される
動物が活動すると体に熱が発生します。(より正確には、体の動きを実現するため関係する細胞におき何らかの物理事象が発生すると、ATPが消費され、熱が生成されます)。そして、その発熱量は、ほぼ動作量に比例します。
そして、動物の体が飢餓状態にない限り、動物が動作を起こすことは、ふつう、簡単にできます。そして、その動作におうじ、熱も発生します。そして、このことは、暗に、その動作を起こすための材料(物質)が細胞内にもう準備されていることを意味します。
しかし、化学反応をふくめ、物理事象は、それが発生する条件が満たされるなら、即座に自動的に発生します。
このため、もしも細胞内で何らかの物理事象を起こすための準備がもう完了しているならば、その物理事象はただちに発生し、それに伴い熱も発生するはず、と思われます。つまり、物理事象が起きる準備が完了せし時点で、その物理事象はただちに発生し、熱も発生してしまうです。
ところで、動物の身体動作は、その動作をおこそうとする、意識の意図にもとづき発生します。(たとえば、発話では、意識に形成される考えに基づき関係する筋肉運動が生じます。話す内容が意識に形成されない限り、発話の筋肉運動が生じることはありません)。つまり、身体動作は、かならず、意識での思考(目的・方針・設計・指令)にもとづき生じるのです。
(ちなみに、こういうことから、観念と物質のあいだには接点あることが理解されます。そして、このことからは、さらに、観念には物質的な(物理的な)側面あることも予想されます。こういうことは物理学により認識されることが望まれます)。
そして、身体動作に限りて言えば、熱は、その動作が起こされることで生じます。
しかし、身体動作にともなう熱は、動物の体におき定常的かつ均等に発生してはいないよう思われます。(そのよう見えます)。なぜなら、動物の動作は、意識に形成される考えに基づき果たされるのでありて、つねに遂行されているわけではないからです。
すると妙なことになります。物理事象は条件が満たされるなら直ちに発生します。物理的にみて、条件が満たされている状態で物理事象の発生が保留されることは有りえないです。しかし、それにも拘わらず、細胞では、熱は定常的かつ均等に発生しはしないです。このゆえ、準備が完了しているはずの沢山のATPの消費--または、マイトコンドゥリアでのATPの合成とそれの細胞内での消費--も定常的かつ均等に果たされはしない、と推測されます。
そしてそういうことは保留と見なせます。細胞では、ただちに発生するはずのATPの消費は、意識での思考に起因する必要が生じるまでは、保留されうるのです。そして、その必要が生じ、初めて、その保留が解除され、ATPが使用されるです。そのように評価するほかはありません。
(細胞だけでなく、組織や器官でも同じかも知れません。さらに、細胞内で保留されうる物理事象はATPの消費だけではないかも知れません。なぜなら、動物は、定常運転されているマシーンではないからです)。
(ちなみに、細胞内でのATPの消費は、胃液や酵素などの物質の、それが必要な場所への分泌とは異なります。なぜなら、それらの物質は、一般に、体内での物理的刺激におうじ分泌されるのに対し、筋肉細胞でのATP消費は、根本的に、意識での思考に起因して開始されるからです)。
(ちなみに、このことは、また、物理法則への違反と見なせます。そういう明解な物理法則はないとは思われますが。そして、これは、動物の活動が物理法則に違反していると感じられることの原因の一つ、とも思われます)。
いずれにしても、動物の体内におき、物理事象は(物理法則に違反しながら)保留されうると、推測されます。(もしかして、植物でも、保留される物理事象があるかも知れません)。
そして、物理事象が現実に保留されるとすれば、それを可能とする何らかのメカニズムないし枠組が必要です。このことを事実と認識し、その解明に着手することが、生物学と物理学には望まれます。物理学がその直接の担当になると思われます。
3) 説明の可能性
物品の製造では、材料の調達は欠かせないです。しかし材料が調達されしだけでは製造はまだ開始できません。製造は、必要なすべての材料が製造の現場にまで移送されて初めて開始できます。
調達されし材料が製造に実際つかわれるまでのあいだ、製造は保留されている、と見なせます。
そして細胞でのATPの消費についても同じです。マイトコンドゥリアにより合成されしATPが細胞内に放出されても、それが、それの必要な場所にまでまだ移送されてはいないなら、それは実質的にATPの使用--物理事象の発生--の保留になります。
筋肉運動やその他の物理事象の発生は、こういう、必要な材料をまだ現場にまで移送しないことで保留にできる、と予想されます。
4) ATPの加水分解の保留についてのもう少し詳しい説明
ATPの加水分解は、ATP分子が水分子とただ接触するだけでは生じないようです。そして、細胞内部では、ATPの加水分解は、ATP分子が、ATPエイスと呼ばれるATP加水分解酵素に結合することで発生するそうです。
マイトコンドゥリアにより合成されしATP分子が細胞内部に放出されようと、それは即座にATPエイスと結合しはしないです。放出されしたくさんのATP分子が細胞内部にランダムに散在するにせよ、それらは、必要あるまで、加水分解されぬままに留まるのです。
しかし、それでも、細胞内部では、なんらかの原因により、ATP分子は、それを必要とする場所に存在するATPエイスのそばに移動して、それと結合し、加水分解を施されるのです。(しかも、ATP分子がATPエイスにうまく結合するためには、微妙な姿勢制御も必要かも知れません)。
しかし、ATP分子をATPエイスのそばに自然に正確に移動させうるような物理的力は存在しないです。ATP分子の移動にそのような力は働かないのです。
このゆえ、ATP分子の移動は、自発的かつ能動的であらざるを得ないです。それは目的的で意図的とも見なせます。
そして、ATP分子が目的的に移動するまでのあいだ、そのATPの消費は(暗に)保留されている、と評価されます。
つまり、細胞内での物理事象の発生はこういう遣りかたで保留されうるのです。
そして、こういうことは、細胞などの生体の動きが、それらの意識での思考(目的・方針・設計・指令)にもとづき生じることと、矛盾はしないです。
そして、こういうことが、生物(生体)の能動的な動きが何らかの物理法則に違反していると感じられることの根本的な理由、と思われます。
ただ、ATPだけでなく、そのほかの物質も、必要あるなら、能動的かつ目的的に動けるのだろうと、推測されます。(そして、それらが関係する物理事象はそれまで保留されうるのです)。なぜなら、細胞の構成要素の物質として、ATPとその他の物質のあいだに違いはないからです。
5) 深刻な問題
ただ、深刻な問題があります。
物理事象を開始するにはATPなどの材料(物質)を現場にまで正確に移送するという操作が必要です。(そして、迅速に化学反応を起こすため、物質の姿勢制御も必要かも知れません)。しかし、細胞という生体内部での事象という特殊な条件はついてはいるにせよ、こういう動きは対外的な力学的事象です。そして、それを果たすことのできる物理的力は存在しないです。
(このことは、ATPだけには限らなく、細胞内での物質の移動全般に当てはまります。たとえば、mRNAの現場への移動などがあります)。
つまり、植物をふくめ、生物が自発的かつ能動的に活動できるためには、細胞内で物質を正確に能動輸送することが不可欠ですが、そのメカニズムはまだ明らかにされてはいないよう思われます。
その解明も物理学の担当になると思われます。
6) 生物の活動は物理法則に違反していると感じられる
生物の自発的かつ能動的な活動は物理法則に違反していると感じられますが、細胞内で物質が(物理法則に違反しながら)(言わば意図的に(目的的に))能動輸送されているらしいことが、その根本的原因と思われます。
なぜなら、(物理法則に違反する、意図的な)能動輸送が可能であることに基づき、物理事象の発生が保留され、生物の(身体的・物質的)活動が(物理法則に違反する)意図的な(目的的な)ものになりうると、思われるからです。
生物の活動は物理法則に違反しておりますが、細胞内で物質の意図的な能動輸送が遂行されたり延期されたりすることが、その違反の根本原因と推測されます。
(ちなみに、生物の活動(= 根底に存在する物質の動き)が意図的(目的的)であるということは、そういう動きの根底に観念が存在することを意味します。生物という物質の動きの根底には、観念が存在するのです。そして、どこかに観念と物質の接点があるのです。そして、観念には、物質的な(物理的)な側面があるのです)。
7) 自由意志の関与
生物の自発的かつ能動的な活動は、また、自由意志により実現される、とも思われるかも知れません。すると、自由意志は、細胞内で物質を能動輸送することに関与できなくてはいけないことになる、かも知れません。
しかし、もしも、能動輸送が、自動的に形成される(物理的)意識での思考(目的・方針・演算・設計・指令)にもとづき果たされるなら、自由意志は必ずしも必要ない(関係ない)ことになる、と思われます。
((物理的)意識は、物理事象(物理現象)なので、完全に自動的に形成されます。このゆえ、意識に生じる思考も、(物理的秩序を形成する方向で)、完全自動で形成されます。(思考と身体感覚を合わせし全体がすなわち意識と思われます。また、その意識に自動形成される思考は物理的秩序です。思考は物理的秩序です)。つまり、厳密な意味で、自由意志はないのです)。
8) 生成される熱の副次的な効能
細胞でATPが消費されると熱が生成されますが、この熱は無駄になりてはいない、と推測されます。熱は、品位の悪いエナァジであり、使いづらいですが、しかし、そういう熱の生成は、むしろ、生物の活動--生物の生存の持続--にとり不可欠と思われます。
なぜなら、発生せし熱が外部に排出されるなら、細胞内のエントゥロピー生成速度が減少するからです。そして、エントゥロピー生成速度の減少には、エナァジにそなわる自己創発作用(または、自己融合作用)を活性化させる効果がある、と推測されるからです。
そして、このエナァジの自己創発作用によりて、細胞の構成要素の物質の本体である物理的作用のうちの観念的作用--自己状態測定作用と自己次期状態操作演算作用--が1つに融合し、それが細胞の意識に昇格する、と予想されます。
(物質は無数のエナァジの統合的な集合体です。そして物質の物理的作用はエナァジで体現されます。このため意識もエナァジで体現されます。物理的作用も意識もエナァジそのものです。
(ちなみに、細胞を構成する物質の動きには統合性と協調性が具わりています。これは、物質が組織化されて、それらの動きが制御されるようなことです。しかし、そういうことは、なんらかの包括的な物理的メカニズムないし枠組の働きなしには実現されえない、と思われます。その解明は物理学の担当になると思われます))。
細胞の活動や生存は、構成要素の物質と細胞意識のコラボレイションによりもたらされている、と思われます。
このため、もしもATPの消費による熱の発生なくなれば、エントゥロピー生成速度の減少が根本的になくなりて、細胞意識は速やかに消滅し、細胞の活動も停止して、細胞は死亡してしまいます。
細胞(生体)の全体的な働きは以下のように果たされると予想されます。
a) ATPが必要とされる場所におき、なんらかのトゥリガァにより、ATPが加水分解されてADPに変換される。この化学反応の発生に起因して、筋肉運動などの物理事象が実現される。そしてATPの消費によりて熱も発生する。
b) 発生せし熱の外部への流出により、細胞全体のエントゥロピー生成速度が減少する。
エントゥロピー生成速度を減少させるには、根本的に熱の発生が不可欠です。熱の発生ないならば、エントゥロピー生成速度の減少もなく、細胞意識は消滅し、細胞も死亡します。
c) エントゥロピー生成速度の減少により、エナァジの自己創発作用(自己融合作用)が活性化されて、細胞の構成要素の物質にそなわる作用のうちの、観念的な機能をはたす作用が融合しつづけ、細胞意識を更新しつづける。
d) 細胞意識の情報収集作用--自己測定--と演算作用--設計--により、構成要素の物質のつぎの瞬間の状態や動きが設計される。
e) その設計結果にもとづいて、物質の動き--空間移動・自転(姿勢制御)など--が制御され促進される。(もしかして、化学反応も影響うけるかも知れません)。
ここには物理学にとり深刻な又は興味ぶかい問題が潜在していると予想されます。
f) 細胞意識によりて更に情報収集と演算が行なわれる。
g) もしも、物質の動きをさらに制御する必要あるなら、さらにATPが消費され--さらに熱が生成されて--、ここまでの手順が繰りかえされる。
h) もしも、もはや物質の動きを制御する必要ないなら、手順はいったん休止して、細胞の活動度は低くなる。(ただし、細胞意識を持続させるため、最低限の基礎代謝は果たされつづける)。
こういう次第で、ATPの加水分解により細胞に生成される熱は、細胞の活動や生存にかんし極めて重要です。そして、細胞での基礎代謝の遂行は、細胞を生存させつづけるという点で不可欠です。
《 生物の能動的な動きの基盤 》
1) 生物の動きは無数の物質の統合的かつ協調的な動きによりて実現される
2) (余談) 生物の活動に随意性を持たせる可能性
3) 生物は高度かつ精細なオートポイエシスの物質システムと評価される
4) 生物は高度な物理的秩序を能動的に形成しつづけている
5) 生物の活動は物理法則に違反している
6) 生物の発生・活動・進化などの動きが自然に生じることは有りえない
7) 生物が実現されるためには物理的メカニズムまたは枠組または基盤が必要である
8) 生物の能動的な活動は観念的な機能に基づいている
................
1) 生物の動きは無数の物質の統合的かつ協調的な動きによりて実現される
植物をふくめ、生物や、細胞・組織・器官などの生体は、自発的かつ能動的に動いています。しかも、それらの動きは、ふつう、意図的(目的的)であり、かつ、全体的に辻褄が合いています。
しかし、生物のそういう動きを実現するには、関係する全ての細胞におき、関係する全ての物質が、正確かつ協調的に動かなくてはなりません。これは不可欠です。
(物質の正確な動きとは、細胞内のある物理事象の材料となる物質がその物理事象の現場に正確に移動することを意味します。もしかして、化学反応などを迅速に起こすため、物質の微妙な姿勢制御も果たされるかも知れません)。
言わば、細胞などの生体の構成要素の物質の動きには統合性が具わりているのです。これは、また、構成要素の物質が組織化されて、それらの動きが制御されている、とも評価できます。(これは恐らく事実だろうと推測されます。さもなくば、生物は決してまともには動けないはずなのです)。
(ちなみに、各種の物質の結晶の塊の形成プロセスにも統合性は感じられ、構成要素の物質の動きには協調性が具わりているように、見えます)。
2) (余談) 生物の活動に随意性を持たせる可能性
ちなみに、準備済の材料物質の、現場への移動を延期することで、細胞内の物理事象の発生をいったん保留にすることができる、と思われます。
そして、こういう枠組に依拠するならば、細胞内での物理事象の発生に、ひいては、生物の活動に、随意性を持たせることが可能である、と予想されます。
(随意性は生物の活動の本質の一つと思われます。しかし、根本的には物質システムである生物(の構成要素の物質)の動きと随意性は両立しないです)。
こういうことが、生物の活動を((巨視的な)物理法則に違反する)意図的(目的的)なものにできるか否かのキーになるかも知れません。
3) 生物は高度かつ精細なオートポイエシスの物質システムと評価される
こういう次第で、それらの生体や生物の体は、機械に例えれば、極めて高度かつ精細なマシーンと言えます。また、極めて高度かつ精細なオートポイエシスの物質システムとも見なせます。(オートポイエシスとは自己製作のことです)。
4) 生物は高度な物理的秩序を能動的に形成しつづけている
さらに、きわめて高度なマシーンに例えられる生物の活動は、ひと言で言えば、物理的秩序の形成に当たります。生物は、きわめて高度かつ精細かつ動的かつ大規模な物理的秩序を、自発的かつ能動的に形成しつづけているのです。
生物は、からだの物理的秩序を形成し維持するために、そして、可能なら、より高度な物理的秩序を創発させるため、瞬間、瞬間、動きつづけています。生物とは、きわめて高度かつ精細なオートポイエシスの物質システムの実現であり、みずからの物理的秩序を能動的に形成する物質または存在と、評価できます。
5) 生物の活動は物理法則に違反している
ところで、エントゥロピーは増大するという熱力学第二法則があります。これは、物理的秩序は自然には崩壊するということを含意しています。別言するなら、より高い物理的秩序が自然に形成されることは有りえないです。
このため、根本的には物質システムである生物が(原因も根拠もなしに)(動的な)物理的秩序を自発的に形成することは、不可能です。
さらに、生物は無数の物質により形成されますが、物質は、三人称の客体であり、(なんらかの物理的相互作用に受動的に巻きこまれない限り)、対外的に動くことはできません。いわんや、自発的かつ能動的に動くことは決してできません。
このゆえ、無数の物質からなる物質システムである生物が自発的かつ能動的に動くことは、(なんらかの原因ないし根拠のないかぎり)、不合理です。生物の活動は物理法則に違反しているのです。つまり、生体を構成する無数の物質の能動的な動きは、そこは生体内部という特殊な環境ではあるにせよ、物理法則に違反しているのです。
6) 生物の発生・活動・進化などの動きが自然に生じることは有りえない
そして、熱力学第二法則ゆえに、そして、生物が基本的に三人称の客体である物質システムであるという点で、生物におき、その発生・活動・進化などの動きが生じることは、根本的に有りえないです。
(たとえば、(辻褄のあいし目的・方針・設計などなしに)ランダムに生じる突然変異は、熱力学第二法則ゆえに、生物の発生や進化--より高い物理的秩序の形成--を促進する方向で生じることは先ずないと、推測されます。逆に、それは、生物の物理的秩序を崩壊させる方向にはたらき、その生物をして(自然選択により)淘汰されやすくするはずです。
つまり、ランダムな突然変異で生物が発生したり進化したりすることは、ほぼ不可能なのです。
(このゆえ、生物を進化させる方向ではたらく変異は、生体や生物の体の全体にわたる包括的な目的・方針・設計などにもとづき生じる必要がある、と予想されます))。
7) 生物が実現されるためには物理的メカニズムまたは枠組または基盤が必要である
しかし、それにも拘わらず、生物という高度な物理的秩序は現実に実現されています。
このため、物質が三人称の客体であるということと熱力学第二法則に拘束されずに生物が実現されるためには--根底の細胞内部のレヴェルで、物質が自発的かつ能動的に動くためには--、それを可能とする何らかの物理的メカニズムまたは枠組または基盤が必要です。
生物学と物理学には、生物の動きにかんし、こういう見方を追加することと、そして、そのメカニズムなどを解明することが、望まれます。そして、生物という高度かつ動的な物理的秩序の形成には無数の物質が関与しているという点で、その解明は主に物理学の担当になる、と思われます。
ちなみに、細胞内部での物質の自発的かつ能動的な動きのメカニズムなどの解明は、生物の発生や進化のメカニズムの解明の一助となることが期待されます。
8) 生物の能動的な活動は観念的な機能に基づいている
ちなみに、生体の構成要素の無数の物質の動きに統合性と協調性が具わりていることと、それらの物質が組織化されて、それらの動きが制御されているよう評価されることから、それを果たすものは、なんであれ、その生体の大きさに匹敵する大きさを有すると、推測されます。
さらに、生体の活動が実現されるためには、生体全体の現状についての包括的な観測機能(情報収集)と次の瞬間における新たな状態についての包括的な演算機能(設計)が必要と思われます。この二つの機能はどちらも観念的な機能です。つまり、生物の能動的な活動は観念的な機能にもとづく必要がある、と予想されます。
そして、たとえそれらが観念的なものであろうとも、闇雲に敬遠すべきではありません。なぜなら、私たち、人間は、現に、かならず、意識に生じる考えに基づき活動しているからです。たとえば、発話に関係する筋肉の動きは、かならず、意識に生じる思考にしたがい生じます。つまり、生物というオートポイエシスの物質システム(= 高度かつ精細かつダイナミクな物理的秩序)の活動は、すべて、観念に基づいているのです。生物の活動や生体の動きに観念が関与することは、不可欠なのです。
ちなみに、生物の活動が意識に生じる考えに基づき果たされるという点で、まず、考えには物質的(物理的)な側面あることが理解されます。そして、発話にかんして言えば、脳の意識と発話のための筋肉組織のあいだのどこかに観念と物質のあいだの接点あることが推測されます。それは、恐らく、神経より前の、ニューロン内部か、脳組織の内部です。こういうことも物理学により認識されることが望まれます。