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(付録) 意識の概要  作者: 安田孫康
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21 生命の本質

21 生命の本質


  意識の本質


  生命の本質


  生物とマシーンをわける鍵






  《 意識の本質 》


意識は、生体の構成要素である物質群にそなわる物質作用群のうちの観念的な働きをはたす作用群――測定作用と演算作用――から、生体でのエントゥロピ生成速度の減少により生じると思われる物理的秩序形成効果により形成される、観念的な働きだけを果たす、1個の大きな(巨視的な)統合体(融合体)と、推測されます。


ただし、意識の源は物質作用であるゆえ、その質は微視的――非物質的――と思われます。(微視的な物質作用の働きが、痕跡としての巨視的な物質をもたらします)。


(意識は、測定作用と演算作用そのもの、とも言えます。測定作用と演算作用の作用がどのようなものであるかは、私たちの意識の身体感覚作用と思考作用のことを思えば、少しは類推できるかも、知れません。もっとも大きさが余りに違いますが)。


(ただし、融合するのは、それら二つの観念的な働きをはたす作用だけ、と思われます。それら以外の実体をあつかう作用群は、個この作用のままに留まります。なぜなら、生体の構成要素である物質群の全体が、緊密な化学結合により、1個の大きな(巨視的な)物質(量子)を形成するわけではないからです)。


そして、巨視的には三人称の客体である物質には、自発的・主体的・能動的に動作する微視的な物質作用群が、一人称の主体として具わりています。


このため、そういう、一人称の主体である(観念的な働きをはたす)作用群から形成される意識も、(それが形成されているあいだ)、物質にそなわる作用群と同様、自発的・主体的・能動的に動作することができる、と思われます。つまり意識は一人称の主体です。


(物質にそなわる作用群が一人称の主体であることが、意識が、一人称の主体でありて、かつ、知的である――身体感覚能力と思考能力を持てる――ことの、根本的な根拠または理由です。これは本質的なことです。なにかは、一人称の主体でないかぎり、決して知性は持たないと、思われます)。


(こういうことのため、対外的――巨視的・物質的――には無数の物質の集合体でしかない三人称の客体の生体も、観念的な働きをはたす物質作用の内的――微視的・非物質的――な面で、意識という大きな一人称の主体でありえます。生体とは、とても奇妙な物理的存在なわけなのです)。


ところで、意識の動きの様相には、微視的な動きと巨視的な動きの二種類がある、と思われます。(詳細については、節「意識はエナァジにより動作するわけでない (重要)」を参照してください)。


まず、意識の構成要素である物質作用群の動きが自発的かつ主体的な瞬間的な動き――微視的な動き――であるゆえに、意識の動きも根本的には瞬間的な微視的な動きです。


しかし、形態的には大きく巨視的な意識は、被造物であり、瞬間ごとに形成されつづけます。意識(= 身体感覚作用 + 思考作用)が時間の経過のなかで動いているよう(変化しているよう)感じられるのは、単に、意識が時間の経過のなかで受動的かつ瞬間的かつ積分的に形成されるづけているためである、と思われます。意識の、見掛けじょう、巨視的で通時的な動きは、一人称の主体である意識がみずから齎すものでなく、意識の基盤である生体――構成要素の物質群――の巨視的な動きにより他律的かつ積分的にもたらされます。


これは動画の再生のようなものです。一つ一つは静止している画像群も、それらが連続的に再生されるなら、その全体は自分で動いているよう、錯覚されます。意識の、一人称の主体の面での微視的で瞬間的な動き(作用)は瞬間ごとに完了し、その結果――身体感覚・思考感覚――は、言わば、静止しています。しかし、瞬間ごとに完了している結果も、連続的に発生するなら、その全体は自分で動いているよう、錯覚されえます。


意識は、動画の各画像がリアルタイムで作成されて、かつ、それらが作成と同時にリアルタイムで上映される動画のようなものです。この意味で、意識の基盤である生体は、意識の(形成装置かつ)再生装置のようなものと言えます。


(この点で、意識(の動き)には、「(内的で自発的で瞬間的な動きの)微視性と(通時的で大きく受動的な動きの)巨視性の二重性」や「能動性と受動性の二重性」が具わりている、と言えるかも、知れません)。


(ちなみに、物質にそなわる作用群は物質の存在にとりては本質的なものであり――物質にそなわる作用群が物質の正体です――、物質は内的かつ瞬間的にはエナァジの供給なしに動作していますが、意識の内的かつ瞬間的な働きにもエナァジは必要ないと、思われます。


エナァジは、各種の新陳代謝など、生体の物質群の外的(巨視的)で具体的な活動で使用されます。すると、熱が発生しますが、その熱がつねに外部に排出されつづけるゆえに、エントゥロピ生成速度が減少します。言わば、エナァジは、意識(の形成)を維持しつづけるために燃やされている、とも言えるかも、知れません)。


一人称の主体として、意識が、それの生体の内部や表面での物質群の状態や状況や物理事象を包括的に感知することができ、それに基づき、じぶんの生体のつぎの瞬間の状態を、生体全体の物理的秩序を維持または形成する建設的かつ生産的な方向で、包括的に考える(設計する)ことができ、そして、その思考結果によりて、生体の構成要素の物質群(の動き)に影響を与えられることが、意識の本質と、思われます。


そして、このことは、生物(生体)の動き(活動)についても本質的です。意識は生物の活動には不可欠であり、意識の発生が生物の存在の本質ないし中核である、とさえ言えます。


ただし、意識にそなわる作用群――身体感覚作用・思考作用――は、瞬間的なものであり、瞬時に完了します。そして、意識の思考に影響をうける物質群の動きも瞬間的に果たされます。そして、それらが通時的かつ積分的かつ果てしなく繰りかえされることで、新陳代謝などの、生体の大きな動きが形成される、と思われます。


そして、生体(生物)はオートポイエシス――自己制作・じぶん自身の高度な物理的秩序の自発的・主体的・能動的な生産――のシステムですが、意識がそういうものであるゆえに、生体は、じぶんの物理的秩序を維持または形成する方向で、自発的・主体的・能動的かつ統合的かつ生産的かつ建設的に動くこと――言わば、自己組織化を果たすこと――ができる、と思われます。


ただし、意識での(微視的・非物質的・内的な)思考結果にもとづき生体の物質群が(巨視的・物質的・外的に)動くということは、物質群がふつうの既知の物理法則に違反して不自然に動くことを意味します。(生体の動きは、既知の巨視的な物理法則だけではまだ十分には説明できないと、思われます)。


この宇宙は、エントゥロピは増大するという熱力学第二法則に支配されており、事物は時間の経過とともに乱雑になるのが自然です。(事物が乱雑になる方向が、時間の流れる方向です)。そして、高度な物理的秩序が、熱力学第二法則を物ともしない何らかの原因・効果・根拠・メカニズム・枠組・要因・原動力などなしに、自然に形をなすことは、有りえません。


このため、巨視的な三人称の客体の集合体にすぎない物質群が、じぶんらの全体的な物理的秩序を維持または形成する方向で、自発的・主体的・能動的かつ統合的かつ建設的かつ生産的に動くことは、(たとえば、統合的なものである意識による包括的な思考結果にしたがい、空間的に動いたり、自転をしたり、化学反応を起こしたりしないかぎり)、ありえません。


ところが、現在のところ、意識と物質のあいだは切れており、両者のあいだにはいかなる物理的因果関係も生じえないです。


なので、生体(生物)の動きは不自然なのです。


なので、このあたりには、(なんらかの新しい物理的な枠組・メカニズム・要因などを想定しないかぎり)、克服しがたい問題が存在する、と予想されます。(もっとも、それは、見方を変えるなら、物理学の視野を広げることのできる重要なイシューかも知れません)。






  《 生命の本質 》


意識は、生物(生命・生体)の発生と同時に、発生する、と思われます。そして、生物は、意識の働きにより、自発的・主体的・能動的かつ統合的かつ生産的かつ建設的かつ予測のできないかたちで柔軟に動けると、思われます。つまり、生物の(物質的な)活動に、意識は欠かせないのです。


簡単に言えば、以下のことが生物(生命・生体)の本質と、思われます。


1) 生体には必ず意識が発生する。


2) 生体は、意識の働きにもとづき、自発的・主体的・能動的かつ統合的かつ生産的かつ建設的かつ予測のできないかたちで柔軟に動くことができる――オートポイエシスを果たすことができる――。


生物(生体)の生命活動はオートポイエシス――自己制作・じぶん自身の高度な物理的秩序の自発的・主体的・能動的な生産――に該当します。このため、オートポイエシスを果たすことが生命の本質と、言えないことも、ありません。ただし、オートポイエシスは、生体の意識の働きにもとづく結果です。


さらに、生物だけがオートポイエシスを果たすとも思われません。無生物であろうとも、物理反応性や化学反応性に富む、柔軟な環境であれば、そこには無生物の物質意識が発生し、その働きに基づき、オートポイエシスが果たされる、と推測されます。以下のものが、その例です。雪の結晶を始めとする、各種の物質の結晶化の過程――各種の宝石や鉱物の形成過程もオートポイエシスと思われます――・海底の熱水噴出口のあたり・各種の熱の発生源のあたり・地球を始めとする、内部で熱の発生している天体。


さらに、生体の生命活動は意識の働きに基づきているゆえに、生体の意識が消滅すると、それと同時に、生体の生命活動も停止します。または、生命活動の全面停止と同時に、意識も消滅します。


このように、生物(生命)の活動に意識の働きは欠かせません。なので、ひと言で言えば、意識(の発生)が生命の本質ないし中核です。


詳しく言えば、以下のことが生命(生物)の本質と、思われます。


a) 生体(生物)には必ず意識が発生する。


b) 五感をとおし、生体の意識が、じぶんの基盤である生体をふくめ、内外の物質世界に発生する物理事象を感知する。(入力、検出器・測定器のような)


c) 感じし五感にしたがい、意識において、じぶんの基盤である生体全体の物理的秩序を形成または維持する建設的かつ生産的な方向で、包括的で予測のできない思考(演算)が自動的に遂行される。(内部的な観念処理、電気回路・コムピュータァ・DSP・FPGA・AIなどのような)


d) 意識での思考にもとづき、体(の物質)が、自動的かつ建設的に動く――関係する細胞群における関係する物質群が自動的かつ建設的に動く――。(出力、マシーンやロウボトゥの具体的な動きのような)


以上のことをひと言で言えば、オートポイエシスと言えるかも知れません。






  《 生物とマシーンをわける鍵 》


以下のことが、生物とマシーンをわける鍵と思われます。


A) 生体(生物)内におき、意識の働きに基づき、自律的な新陳代謝がはたされる。


B) 新陳代謝により生じる熱が生体外に排出されて、エントゥロピ生成速度が減少し、それにより、生体内に物理的秩序形成効果がしょうじる。


C) 生体内にしょうじる物理的秩序形成効果によりて、生体の構成要素の物質群にそなわる物質作用群のうちの、観念的な働きをはたす作用群――測定作用と演算作用――から、生体の全体に超越的に重なるかたちで、意識が自然に自動的に形成されて、維持されつづける。


D) 三人称の客体である沢山の物質から形成される集合体であるマシーンが、なんらかの基本相互作用――外因的な力やエナァジの働きかけ――に受動的に巻きこまれて初めて、プロウグラミンされしとおりに、他律的(かつ巨視的)に動ける三人称の客体であるのに対し、物質群の、一人称の主体である物質作用群から形成される意識は、みずから自発的・主体的・能動的に動作のできる、一人称の主体である。


E) 意識には、身体感覚作用と思考作用が具わりている。身体感覚作用は、じぶんの生体にたいする外因的な力やエナァジについての外因的な影響と、じぶんの生体の現在の状態を、測定(感知)できる能力である。意識は、この作用をとおし、じぶんの生体の状態・他者・外界を包括的に感知することができる。思考作用は、プロウグラムはされていず、予測がつかない。しかし、身体感覚作用の包括的な測定結果を参照しながら、当の生体の全体的な物理的秩序を形成(または、維持・更新)する建設的かつ生産的な方向で、その生体の次の瞬間の状態を、包括的かつ予測のできないかたちで演算する。


F) 意識の思考作用での演算結果を参照しながら、その生体全体の、統合的かつ能動的かつ動的かつ建設的かつ生産的な動きが、発生する(発生しつづける)。


つまり、生体の活動は、その生体とその意識の協働なのです。


そして、意識がそういうものであるゆえに、三人称の客体の集合体であり、かつ、固定的で予測可能なプロウグラミンに基づき機械的に動くものであるマシーンとは異なり、生物は、自発的・主体的・能動的かつ統合的かつ建設的かつ生産的かつ予測のできないかたちで柔軟に動くこと――言わば、自己組織化を果たすこと――ができる、と思われます。


意識(の思考作用)が、生体全体のつぎの瞬間の状態――物理的秩序――を包括的に演算(設計・思考)できるということは、決定的に重要なことです。

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