15 物質意識
15 物質意識
(ちらし) 結晶の形成は意識の発生の証拠と思われる
物質段階での意識
マシーンや普通の場所や自然環境にも物質知性は発生するかも知れない
原初の生物の発生の可能性
《 (ちらし) 結晶の形成は意識の発生の証拠と思われる 》
ところで、さらに、雪の結晶を始めとして、様ざまな物質が、物質の見えづらい微細なレヴェルで見事な結晶を形成することは、その全体に観念的(= 非物質的)な知性(= 意識)の発生することの、客観的で物質的な証拠になるよう思われます。
なぜなら、無生物の物質におき、熱力学第二法則に逆らいて、見事な結晶という高度な物理的秩序が形成されるなら、その形成には何らかの根拠ないし原因が必要であり、そして、その形成プロセスは、なんらかの統合体による包括的な設計に基づかざるを得ないからです。そして、観念的な事象である設計(思考)を果たせるものは、観念的な知性(意識)だけだからです。物質の見事な結晶は、その形成プロセスの全体に1個の巨大かつ包括的かつ統合的な知性(意識)の発生していしことの、動かぬ証拠です。
そして、もしもその通りなら、物質レヴェルでの知性ではありますが、そして、推論の介在をとおす間接的な証拠でしかありませんが、この物質的な世界に、観念的で非物質的な知性(意識)の発生の、客観的(かつ物理的かつ物質的)な証拠はありしことに、なります。
すると、植物の葉を始めとして――物質の結晶に似て、植物の葉も、形態的に高度な物理的秩序です。植物の葉も分かりやすいです――、生物のあらゆる生体の存在(形成)も、知性(意識)の発生の証拠になります。
生物では、様ざまな生体におき、高度な形――物理的秩序――が様ざまに形成されますが、その形態的な多様性は、様ざまな物質の様ざまな結晶の多様性に決して引けを取りません。むしろ、多種類の物質の関与する、その形成のためのプロセスが極めて込みいりしものであるという点で、生体での様ざまな形の形成ははるかに高度です。そして、このことは、生体での知性の発生の強い証拠になる、と思われます。
もっとも、生物だと分かりにくいです。しかし、結晶ならば、物質は無生物なので、ある意味、分かりやすいです。無生物の物質で、見事な結晶という高度な物理的秩序が形成されるなら、その形成は包括的な設計に基づかざるを得ないです。そして、包括的な設計を果たせるのは、巨大かつ包括的な知性(意識)だけです。
この地球上には、知性(意識)の発生の(間接的で)物的な証拠は満ち溢れていしわけです。
《 物質段階での意識 》
雪では様ざまな結晶が形成されます。そして、それらは自然に形成されます。しかも、雪の結晶は、広域的で見事な物理的秩序です。さらに、どのような結晶が形成されるかは予測不可能であり、カイミアラと呼んでもいいくらいです。
各種の化学物質でも結晶が形成されます。また、鉱物や宝石や陶磁器なども結晶と思われます。さらに、(合成)樹脂も、ひろい意味では結晶かも知れません。
そして、さらに、生物にも眼を向けるなら、たくさんの細胞で形成される各種の植物の葉は形態的に高度な物理的秩序です。さらに、植物の葉だけには限らなく、生物の様ざまな生体の色いろな局面にても、無数の物質やたくさんの細胞により形態的に高度な物理的秩序は形成されます。それらの形成の物理的な枠組は、各種の物質の形態的に高度な結晶の形成の物理的な枠組に似ているかも知れません。
しかし、雪の結晶という物理的秩序が自然に形成されるというのは、不思議なことです。なぜなら、この宇宙は、エントゥロピは増大するという熱力学第二法則に支配されており、事物は時間の経過とともに乱雑になるのが自然だからです。(事物が乱雑になる方向が、時間の流れる方向です)。そして、高度な物理的秩序が、熱力学第二法則を物ともしない何らかの原因・効果・根拠・メカニズム・枠組・要因・原動力などなしに、自然に形をなすことは、ありえないからです。
しかも、雪の結晶の形成には無数の水の分子が関わりています。雪の結晶は、ひろい領域に存在する無数の水の分子が、結晶という秩序を形成する方向で協調して結合しないことには、決して形成されえない、と推測されます。
(雨滴のなかでは、複数の水の分子が、水素結合により結合し、大きな塊を形成していることが、考えられます。そして、はっきりしませんが、この塊が1個の量子に昇格している可能性もあります。すると、雨滴のなかには、大きさの異なる無数の水の量子の混在していることが、考えられます。しかし、それでも、1個の雨滴が無数の量子で構成されていることに、変わりはありません)。
そして、水の分子はただの物質であり、ただの物質は対外的には完全に受動的です。(物質は、基本相互作用に受動的に巻きこまれて、初めて、対外的に動くことができます)。温度が氷点下にさがれば、水は、水分子群の接触と物性にしたがい、単に氷の塊に固化するのが自然です。(氷は、重合により形成される樹脂のようなもの、と言えるかも知れません)。
なので、多様な雪の結晶の自然な形成は、ある意味、不条理です。現在、知られている巨視的な物理法則では説明できず、現在の物理学に違反している可能性があります。現在の物理学ではまだ認められてない何らかの物理的なメカニズムの働いている可能性があります。
なので、ただの受動的な物質にすぎない水の分子がいくら集まろうとも、雪の結晶という広域的で見事な物理的秩序は自然には形成されなかろうと、普通の感覚では予想されます。
それなのに、美しい結晶が形成されるとすれば、単なる冷却とは別の、なんらかの物理的な要因が働きているのに違いありません。しかも、その要因は、広域的かつ統合的なものでなければなりません。(雪の結晶は、無数の量子から形成される1個の統合的な物理的秩序です。その全体が1個の統合的な量子になりているか否かは分かりません。もっとも、その可能性は高いと思われます)。もしも結晶化の現場にそういう統合的な要因が働きていないなら、その場の水は、ほんとにただの水でしかありません。雪の結晶は形成されなく、ただの氷になるばかりです。
こういう観点から、雪の結晶の形成には、ひろい領域における物質の動きに統合性をもたらす何らかの物理的な力ないし効果が働きているだろう、と推測されます。それは、複数の要素を見渡しかつ勘案しながら為される設計ないし計画と、その実施のようなもの、と言えます。それは長期的なものである必要はなく、ごく瞬間的なもので事足ります。全体の状況の変化にしたがい、瞬間、瞬間、次つぎ新しい設計が果たされれば、いいのです。(なぜなら、物質は、自発的・主体的・能動的なプロセスであり、その作用はつねに働きているからです)。そして、こういうフィードゥバク ループの動きが連続的に発生しさえすれば、美しい雪の結晶は積分的に形成されえます。
そして、無数の物質にまたがり統合性を齎しうるものは、統合的かつ包括的なものである意識(知性)を措いて、ほかにはなかろうと、思われます。
意識は、観念的な働きをはたす作用だけを有する統合体であり、その出現に、核融合や化学結合のような、素材の量子群の緊密な結合は、必要ありません。意識が出現できるための何らかの条件が満たされるなら、それでいいのです。
ただ、この結晶化での意識は、物質とエナァジの新陳代謝を自律的にはたす生物の生きている意識とは、異なります。物質の段階で生じるほんの一時的な生きてない意識でしかありません。結晶化のプロセスにおいてのみ瞬間的に出現します。なので、この意識は、もしもそれが本当に出現しているのなら、言わば、物質段階の意識――物質意識――と言えます。
水以外の他の物質でも結晶は形成されますが、それらでも、その結晶化のプロセスでは、刹那的な物質意識が出現し、結晶化に関与している可能性は、必ずしも否定はできません。
そして、雪の結晶の形成は、準静的過程における自己集合の一種である、と考えられます。準静的過程とは、その場が物理的に攪拌されることがなく、かつ、熱がほとんど伝導しない(流出しない)、熱力学的な平衡状態にちかいと見なせる静的なプロセスです。それでも、わずかに熱が流出するので、その分、エントゥロピの生成速度が減少し、物理的秩序形成効果が発生する、と思われます。そして、静的な環境ゆえに、渦のような動的な秩序は形成されず、水の分子群の微視的な物質作用のなかの、観念的な働きをはたす作用だけで秩序が形成される、と期待されます。(こういう秩序の形成に、構成要素の量子群の物質的な融合は必要ありません)。そして、もしもほんとにその秩序が形成されるなら、それが、雪の結晶化での物質段階の意識、ということに、なるのではないか、と思われます。
そして、この物質意識において、結晶化のプロセスの全体にわたる包括的な演算作用が果たされて、その結果にしたがい、雪の美しい結晶が少しずつ積分的に形成されるかも、知れません。
雪の結晶化では、物理的秩序形成効果によりて、その場の、現在の、物質的な状態や状況、そして、水分子の物性にしたがい、雪の結晶という秩序を形成する建設的な方向のものとして、演算作用が形成されるかも知れません。さらに、この演算作用は、結晶化の進行――物質的な状況の変化――にしたがい、どんどん更新されます。この包括的な演算作用の動的で連続的な形成は、物理的秩序形成効果として果たされる、と思われます。そして、どのような演算作用が形成されるかは、予測がつかず、不確実で、不定です。雪の結晶がカイミアラのように多様なのは、そのせいかも知れません。
ただ、こういう風に、もしも物質意識での包括的な演算結果を参照するかたちで物質面での結晶化が進行するとすると――物質意識が、能動的に、直接に、水の分子群を結合させるわけでは、ありません。演算結果という情報(観念)の、結晶化のプロセスの量子内での微視的な伝達をとおし、間接的に影響を及ぼすだけです。(自由意志は存在しないです。自由思考も存在しません。思考作用は、物理的秩序形成効果として、物理的に自動的に形成されるからです)――、ここでも、基本相互作用のあたりの何らかの物理的な作用への違反が疑われることになるよう、思われます。なぜなら、むしろ、無数の水分子が乱雑に結合し、ただの氷の塊が形成されるのが、自然と思われるからです。基本的にはそういう状況で、高度な物理的秩序が形成されるとすると、空間移動や自転にかんし、水分子群が不自然に動かないといけないと、推測されるからです。
結晶の形成のプロセスは、結晶が完成してしまえば即座に消滅します。それでも、そのプロセスは、それが出現しているあいだ、オートポイエシス――自己制作・じぶん自身の高度な物理的秩序の自発的・主体的・能動的な生産――のシステムと見なせるようです。
すると、無数の物質で形成される物質的な(または、生物的な)オートポイエシスのシステムには、現在の物理学ではまだ説明されてない、なんらかの未知の物理事象の含まれていることが、予想されます。自己組織化などの、物質的なオートポイエシスは、なんらかの未知の新しい物理事象を前提にしないかぎり、実現されえないよう、思われます。
すると、散逸構造の形成が、物理的秩序の形成の本質ではないのかも、知れません。むしろ、エントゥロピ生成速度の減少が、物理的秩序形成効果の正体かも、知れません。エントゥロピ生成速度が減少しさえすれば、(必ずしも眼には見えずとも)、なんらかの物理的秩序が形成されるかも、知れません。
もしも動的な状況であれば、物質の巨視的(外的)な面――粒子面・三人称の客体面――で物理的秩序が形成されるです。しかし、静的な状況では――たとえば、準静的過程。微生物や細胞の内部空間も、渦のような動的な秩序の形成が難しいという点で、静的な状況にあると見なせるかも知れません――、物質の微視的(内的)な面――作用面・一人称の主体面――で物理的秩序が形成されるです。ただ、すべての物質作用が秩序形成に使用されるわけでなく、観念的な働きをはたす作用だけが使われるです。これが、生物の意識であると物質意識であるとを問わなく、意識の出現に該当する、と思われます。
すると、準静的過程での結晶化だけには限らなく、どのような物理事象であろうとも、エントゥロピ生成速度が減少する状況では、なんらかの無生物の物質意識が形成される可能性が考ええます。
すると、物理的秩序形成効果によりて生体内にて生体の意識が形成されるなら、それ以前に、エントゥロピ生成速度が減少する、無数の物質により形成される柔軟な状況で、どのようなものであれ、なんらかの無生物の物質意識が形成されることが、順序としては順当なように思われます。
そして、その働きにより、なんらかの形でより高度な物理的秩序が形成されることが、考ええます。
そして、物質意識の形成と、その働きによる何らかの物理的秩序の形成の、果てしない積みかさねによりて、最終的に、自力で新陳代謝のできる生物が出現するのです。
物質意識の形成が、原初の生物の発生と、生物の主体的かつ能動的な活動と、そして、生物の進化の、根拠かつ原動力と、予想されます。
ただ、構成要素の物質群の接触は必要なように思われます。もしかすると、空気中での気体の分子群のあいだで生じているような緩い接触でも構わないかも知れません。
たとえば、海底の熱水の噴出口のあたりでは、エントゥロピ生成速度が減少していることが、期待されます。そして、その効果として、なんらかの物質意識が形成されて、その働きにより、より大きく複雑な分子が形成されやすくなりているかも、知れません。
もちろん、物質意識までは形成されず、エントゥロピ生成速度の減少による物理的秩序形成効果だけで、より大きく複雑な分子が形成されやすくなりている、可能性も、あります。どちらとも判断できません。
そして、そのようにして、エントゥロピ生成速度の減少が、物質の進化と生物の発生――より高い物理的秩序の形成――に一役買いている可能性が、あります。つまり、エントゥロピ生成速度が減少している柔軟な環境に生じているかも知れない物質意識が、原初の生物の発生に寄与する――原初の生物の体を造形する――のかも、知れません。
または、複数種類の複雑な分子によりて物質の集合体が形成されて、この集合体にも、環境の物理的秩序形成効果によりて、それ固有の物質意識が発生する可能性もあります。そして、この物質意識が、独自に、じぶんの集合体をより高度なものにする働きをすることが、考ええます。ただ、この集合体は、自力で新陳代謝を果たすまでには至りていないので、まだ生物とは言えません。しかし、自力で進化しうるので、物質と原初の生物の中間の存在、言わば、前生物、と見なすことが、可能かも知れません。
自力で新陳代謝のできる生物がいきなり出現するのは、ある意味、考えにくいです。むしろ、自力で新陳代謝はできないが、環境の物理的秩序形成効果のおかげで(物質)意識を持つことのできる、そして、ごく単純な核酸もふくむ、物質の集合体(前生物、ヴァイラス)(の形成)が、原初の生物の種なのかも、知れません。原初の生物が、環境に育てられる前生物の段階をへて出現するのは、順当なことと思われます。
つまり、エントゥロピ生成速度が減少していることが期待される海底の熱水の噴出口のあたりの柔軟な環境に生じると予想される物理的秩序形成効果と、その効果によりその辺りの一帯に創発すると予想される大きな物質意識が、(自力で新陳代謝のできない)前生物の体――より高度な物理的秩序――をはぐくみ、それにも固有の物質意識が創発するかも、知れません。そして、長い時の経過をけみして、その前生物が自前の新陳代謝能力を獲得し、ついに原初の生物に昇格するのです。
また、無生物の物質意識の形成にかんしては、台風・サイクロウン・ハリケイン・竜巻などもそうかも知れません。もしかすると、地球や太陽などの天体でも、内部で熱エナァジが発生し、それが外部に輻射されるという点で、エントゥロピ生成速度の減少していることが、考ええます。
複雑な体(生体)の形成と自律的な新陳代謝の遂行が必要な生きている意識とは異なり、無生物の物質意識は、エントゥロピ生成速度の減少だけにより形成される可能性があるので、(それが発生しているか否かは決して観測できないにしても)、意外に、地球やこの宇宙では、多様な物質意識が無数に発生しているのかも、知れません。
ちなみに、騙されているようですが、もしもほんとに物質意識が出現するのなら、ダイヤモンドゥ・宝石類・陶磁器・岩石・金属・合成樹脂などの形成(冷却)過程での儚い物質意識でも、クワリアをともなう原初的な感覚(身体感覚・思考感覚)が知覚されるよう、思われます。物理的な状況に起因する身体感覚の過酷さは、まるきり問題にはならないよう、思われます。
なぜなら、物質意識も大きな物理現象としての統合体であり、包括的な測定作用と演算作用の動作において、それらの影のようなものが意識に生じうる、と予想されるからです。
感覚の根源は、物質作用のなかの測定作用と演算作用です。結晶化での物質意識に感じられる原初的な感覚は、物質段階の感覚、または、原感覚とくらいに呼べるかも知れません。
形成過程での物理的な状況がいかに過酷なものであれ、物質意識が感じる感覚は、まだ、熱さ・冷たさ・圧迫・痛み・つらさなどのような、生物の意識が感じる体感的な感覚にはなりてはいなかろう、と思われます。
また、微生物・単細胞生物・体の各種の組織や器官の細胞・体の各種の組織や器官の意識で感覚がどのように感じられているかは、興味ぶかいことです。
ところで、納得しづらいですが、多様で見事な雪の結晶などが自然に形成されることは、観念的な働きをはたすタイプの物質作用の存在と、物質意識の発生の、間接的ながら客観的な証拠にならないでしょうか?
《 マシーンや普通の場所や自然環境にも物質知性は発生するかも知れない 》
細胞は、高度に組織化されてはいても、根本的には、無数の物質の集合体です。その点で、細胞は、マシーンや一般的な物質の集合体となんら変わりはありません。
なので、エントゥロピ生成速度の減少により、細胞で知性(意識)が形成されるなら、マシーンや普通の場所や自然環境などでも(物質)知性が形成されて、少しもおかしくありません。
なぜなら、意識(知性)は、無数の構成要素の物質群にそなわる極微の観念的作用群から形成される1個の巨大な観念的作用でありて、その形成に、構成要素群の緊密な化学結合は必要ないからです。意識は、きわめて特異な量子でありても、1個の物質的な量子ではないのです。
生物の生きている意識と、無生物の物質意識のあいだに、本質的な違いはないのです。
そして、もしも何らかの物理システムにおき物質知性(意識)が発生するなら、その設計(演算)により、なんらかの物理的秩序が形成されやすくなりていることが、予想されます。
そして、もしも物質群の全体が、液体の状態にあるならば、たとえば、形態的により高度な結晶が形成されるかも、知れません。
しかし、マシーンのように、もしも物質群が堅固であれば、見掛けじょう、いかなる物理的秩序も形成されなかろうと、思われます。物質面では実質的に何もできないのです。
それでも、例えば、電子機器なら、電子の流れは柔らかいと言えるので、その面で物理的秩序は形成されるかも知れません。冷却されていぬ電子機器では誤動作の発生することがありますが、冷却されていれば、誤動作は減るようです。これなどは、物質知性の働きによる物理的秩序の形成に該当するかも、知れません。(もっとも、過熱ゆえ、物質群の運動エナァジが大きくなりて、それゆえに誤動作が発生しやすくなる可能性もあります)。
つまり、冷却による熱の系外への排出には、物理的(物質的)な効果はちゃんとあるのです。これなどは、エントゥロピ生成速度の減少による物質知性(意識)の発生の、(とてもまわりくどい、分かりにくい)証拠にならないとも限りません。
《 原初の生物の発生の可能性 》
人間や動物や植物に意識が具わりているか否かを客観的に判断することは、ほぼ不可能と思われます。
すると、生物でなく、ただの物質でしかない、雪やその他の物質の、結晶化のプロセスに、おおきく統合的な物質意識が創発しているか否かを判断することは、そうとう難しそうです。
(生物であると無生物であるとを問わなく、もしも、なんらかの1個の存在が自発的に動いていて、かつ、その動きがオートポイエシスであると判断されるなら、その存在には意識が発生していると判断できます。しかし、そもそも、なんらかの1個の存在の動きがオートポイエシスであるか否かを判断することが、相当むずかしい、と思われます。実体を構成する物質(部品群)が必ずしも形成されたり修復されたり解体されたり――アポトウシス――しなくても、その実体(部品群)の単なる動きが、無数の物質と、たくさんの物理事象ないし化学反応などの、複雑なネクサスにより齎されるのであれば、その動きはオートポイエシスと判断できるかも知れません。これは、生物の動きだけには限られません。各種の物質の形態的に高度な結晶の結晶化のプロセスなども、オートポイエシスで有りえます)。
しかも、結晶化のプロセスは見かけじょうダイナミクなものではありません。結晶は、人知れず、ひっそりと形成されてしまいます。そして、全体は、(おそらく1個の大きな量子として)即座に固まりてしまいます。(そして、かりに、結晶化のプロセスのあいだ、そこに意識が発生していつにせよ、それは直ちに消滅してしまいます。言わば、結晶化のプロセスに発生しているかも知れない物質意識は、発展性・拡張性・進化性に欠けている、とも言えます)。なので、そこに意識のようなものが発生していると想像するのは、いよいよ難しいです。
しかし、それでも、見事な結晶という高度な物理的秩序が、形成要素の物質群の物性と静かな冷却だけで形成されるのは、かなり難しかろう、とは憶測されます。
なぜなら、この宇宙は、エントゥロピは増大するという熱力学第二法則に支配されており、事物は時間の経過とともに乱雑になるのが自然だからです。(事物が乱雑になる方向が、時間の流れる方向です)。そして、高度な物理的な秩序が、熱力学第二法則を物ともしない何らかの根拠(メカニズム・原動力)なしに自然に形をなすことは、有りえないからです。
ところで、生物学では、海底の熱水の噴出口のあたりが、生命の発生の有力な候補地の一つと考えられているようです。
たとえば、生物物理学者の松野孝一郎先生の著書「来たるべき内部観測」には、海底の熱水口のあたりで分子が少しずつ成長してゆく可能性が、「内部観測」にもとづき詳しく説明されています。(松野孝一郎『来たるべき内部観測』、講談社、2016)
そして、熱水噴出口のあたりでは、エントゥロピ生成速度が減少していて、物理的秩序形成効果の生じていることが、期待されます。しかも、熱水はまわりの海中に拡散してゆくので、そこは、熱平衡に達することがありません。なので、物理的秩序形成効果が長い期間にわたりて持続しえます。これは、発展性に富みており、強力です。
可能性の一つとして、熱水噴出口のあたりでは、以下のような物理事象の発生することが、考えられます。
1) エントゥロピ生成速度の減少にともなう物理的秩序形成効果によりて、自然には形成されにくい分子が形成される。
2) または、物理的秩序形成効果によりて、そのあたりに1個の大きな物質意識が創発する。(なぜなら、環境が柔軟であり、かつ、水中の物質は、すべて、別べつの物質ではありながら、たがいに接触しているからである)。
3) そして、この物質意識が、(設計・通信・輸送などの生産管理の作業をはたし)、自然には形成されにくい分子の形成をもたらす。
4) そして、物理的秩序形成効果または物質意識により齎される分子が循環し、より大きな分子が形成される。(高分子も形成されうる)。
5) 形成される分子の一種として、ニュークリオタイドゥ――核酸の構成要素――の構成要素になりうる分子も形成される。ニュークリオタイドゥも形成される。さらに、オリゴニュークリオタイドゥも形成される。
6) ニュークリオタイドゥをふくめ、形成済の複数の分子が(なんらかの形でゆるく)結合し、物質の集合体を形成する。
7) 環境の物理的秩序形成効果によりて、複数の物質からなる物質の集合体に、それ固有の物質意識が創発する。(自分で新陳代謝はできぬので、この集合体はまだ生物でない)。
8) 物質の集合体に創発せし物質意識にそなわる生産管理能力により、その物質集合体はさらに(自力で)進化する。
9) そして、進化せし物質集合体として、ごく単純な核酸をゆうする原初のヴァイラスと言える集合体も形成される。(ヴァイラスは、自分で新陳代謝はできず、その(物質)意識の発生は環境の物理的秩序形成効果に負うている。なので、ヴァイラスは、まだ生物でなく、無生物と生物の中間の存在である)。
10) みずからの物質意識の働きにより、原初のヴァイラスが、物質とエナァジの新陳代謝能力を獲得し、ついに生物に昇格する。その物質意識もそのまま生物の意識に昇格する。
11) ここまで来れば、その原初の生物は、新陳代謝能力を有していて、自力でエントゥロピ生成速度を減少させられるので、その場を離れても、自力で生きてゆける。自力で進化してゆける。
つまり、海底での熱水噴出口のあたりは、エントゥロピ生成速度の減少と、物理的秩序形成効果の発生ゆえに、原初のヴァイラスとヴァイラスのつぎの段階の原初の生物の揺りかごになりうる可能性があるのです。原初のヴァイラスと原初の生物は、海底の熱水噴出口のあたりで育成されつかも、知れません。
こういう次第で、結晶化のプロセスでの発展性に乏しい物質意識とは異なり、海底の熱水噴出口のあたりに発生すると期待される物質意識は、ありそうで、有望と、思われます。とにかく、自力で新陳代謝のできる生物がいきなり発生するのは、とても考えにくいです。しかし、原初の生物の発生が、環境の物理的秩序形成効果と、それにより出現する物質意識によりて後押しされつとすれば、それは尤もです。物質意識は実際に発生しているかも知れません。
そして、物質意識の形成が、原初の生物の発生と、生物の主体的かつ能動的な活動と、そして、生物の進化の、根拠かつ原動力と、予想されます。
ところで、こういう、無数の物質の結集による、生物の体という高度な物理的秩序の動的な形成は、オートポイエシス――自己制作・じぶん自身の高度な物理的秩序の自発的・主体的・能動的な生産――に該当する、と思われます。
しかし、自然にはそうはならない状況でその秩序が発生するなら、そこには、なんらかの形で、現在の物理学への違反の生じていることが予想されます。空間移動や自転にかんし、(そして、事前の設計や通信にかんしても)、物質群が、現在の物理学ではまだ説明されていぬ、なんらかの未知のメカニズムにより動いている可能性が、あるのです。自己組織化などの、たくさんの物質群の統合的な動きに基づかざるを得ないと思われる、物質的なオートポイエシス――結晶化――、そして、生物的なオートポイエシス――原初のヴァイラスや原初の生物の形成(、そして、生体の維持・運用)――は、なんらかの新しい物理的メカニズムを前提にしないかぎり、実現されえないよう、思われます。