10 生物 (3)
10 生物 (3)
(ちらし) 生体(生物)には必ず意識が発生している
知性にかんし生物学で明らかにされしこと
細胞などの生体内で物質は観念にもとづき動きうる -- 意識から物理学への贈り物 (意義ぶかい)
高度な物質的物理的秩序の形成は、表向き、熱力学第二法則に違反している (論理的必然)
物質的物理的秩序の形成の要件と特徴 (論理的必然)
生体内の物理事象の動きは、表向き、熱力学第二法則に違反している
生体内の物理事象の動きは、表向き、慣性の法則に違反している
生体などの内部での高度な物理的秩序はかならず知性の働き(観念的機能)にもとづき実現される (論理的説明・重要)
受精卵の、胎児の体への成長の動きの始動
細胞などの生体には必ず知性が生じている
進化の原動力
《 (ちらし) 生体(生物)には必ず意識が発生している 》
1) 意識形成の枠組
2) 生体の活動そのものがその生体に意識が形成されていることの証拠である
................
1) 意識形成の枠組
詳細はここでは説明できないですが、意識の源は、エナァジにそなわる自己状態測定作用と自己次期状態&操作演算作用という2つの観念的作用、と予測されます。この2つの作用が意識の構成要素です。
(ちなみに、この2つの作用を合わせしものは知能ですが、エナァジには、根本的に、無生物の知能が具わりているのです。さらに、同様、物質(量子)にも知能が具わりています。知能は、単一のエナァジや単一の物質(量子)の内部に限定されるです。そして、無数の物質にわたり形成される大きな知能が、意識です)。
そして、意識が形成される原因は、システム内のエントゥロピー生成速度の減少です。システム内の熱が外部に流出すると、システム内のエントゥロピー生成速度は減少しますが、その効果によりて、エナァジにそなわる自己創発作用(または、自己融合作用)が活性化されます。そして、その結果として、無数の物質の観念的作用から、意識が形成されるです。
(ちなみに、形成される意識の活性度は、エントゥロピー生成速度の減少の程度に左右される、と推測されます。温度差が大きいほど、形成される意識の働きは活発になる、と予想されます)。
(ちなみに、さらに、このように、熱が外部に流出し、エントゥロピー生成速度が減少している所では、物質が接触している範囲で、意識は容易に形成されうる、と予測されます。そういう所は私たちの身の回りにありふれています。
ただ、形成される意識を物理的に観測することは、ほぼ不可能と、思われます。なぜなら、構成要素のエナァジは、体積なくて、無形でありて、質量がなく、物質ではないからです。そして意識も無形でありて物質ではないのです。(ただ、ある意味、体積はある、とは言えるです)。
たとえば、熱水の氷結は温水の氷結よりも速く進行するというムペンバ効果がありますが、この効果の原因として、意識の形成とその働き(設計)が推測されるばかりです)。
2) 生体の活動そのものがその生体に意識が形成されていることの証拠である
発話の筋肉運動はかならず主観の意識に形成される思考にもとづき生じます。
このことは、少なくとも細胞などの生体内におき、物質が思考(観念)にもとづき動きうることを、簡単に見てとれる事実として実証しています。
さらに、このことは、生体の活動が意識と物質の協働であることも示しています。なぜなら、物質側での熱の発生が意識を形成しつづけていて、かつ、意識側での思考(演算・設計)が物質の動きの根拠になりているからです。
つまり、生体の活動は、物質と意識の協働です。生体における熱の発生とその熱の外部への流出により意識が形成されつづけ、そして、形成されつづける意識が生体内の物質の動きを演算(設計)しつづけているのです。
(これは、意識から物理学への贈り物のようなものです。ここには物理学にとり完全に新しい世界が広がりています)。
このゆえ、活動している生体(生物)には必ず意識が形成されている、と判断できます。生体の自発的・主体的・能動的な活動そのものが、その生体に意識が形成されていることの証拠です。
ちなみに、生体の動きが停止しし瞬間に、その生体の意識が消滅し、意識と物質の協働が解消されつ、と判断されます。これが生体の死に該当します。意識の消滅が生体の死に直結するのです。(なぜなら、物質の動きについての設計がなくなれば、物質が動くこともなくなるからです。物質は動くことができなくなるのです)。
(別言すれば、たとえば、生体に意識が発生しているか否かを問うことに、意味はありません。その必要はないのです。なぜなら、生体には必ず意識が形成されており、生体の活動はその意識と生体内の物質の協働だからです)。
(ちなみに、生体(生物)の体の全体にわたり1個の大きな意識が形成されていることと、そして、その生体の活動がその意識と生体の物質の協働であることが、生命(生物)の本質の一つ、と言えるかも知れません。
(知能は1個のエナァジや物質(量子)の内部に限定されるのに対し、無数の物質にわたり形成される大きな知能は意識と格づけられます。ちなみに、さらに、大きな知能(= 意識)は、それが無生物であるか生きているかを問わずに形成されえます))。
《 知性にかんし生物学で明らかにされしこと 》
細胞・組織・器官・体全体などの生体の内部では、基本的なものから、大規模なものまで、高度・動的・かつ多様な物理事象が遂行されています。そして、それらのメカニズムなどは、生物学により詳細に解明されています。それは高く評価されます。
そして、それを通し、生体内の多様な物理事象にての物質の動きに、微細さ・正確さ・個別性・差異性・柔軟性・協調性・そして統合性などの特徴(と要件)の具わりていることが、浮き彫りにされました。
これらの特徴は、生きている知性(= 意識)と深い関係にあります。なぜなら、知性の機能に基づかない限り、それらの特徴は決して達成されえないからです。そして、生物の活動は不可能になります。(こういうことについては別記します)。
また、脳がなくても、粘菌やプラネリアなどの単細胞生物に生きている知性と記憶が具わりていることが、間接的ながら客観的に実証されました。このことも高く評価されます。
ただ、知性と記憶は、細胞だけには留まらず、組織・器官・そして体全体にも具わると、つよく推測されます。たとえば、脳は、動物の活動を制御する観念的機能をはたす巨大で特別な器官ですが、脳にはまさに巨大な知性と記憶が具わりています。つまり、意識は、生体が接触してさえいれば、容易に融合しうる、と推測されます。
ちなみに、記憶は、定型的で再現性ある物理事象の細胞内での実装や、生物の進化には不可欠と、予想されます。知性による演算(予測)結果が記憶されなかりせば、細胞内物理事象は実現されず、生物は決して進化できなかりしはずと、推測されます。このゆえ、生体に、知性だけでなく、記憶も具わりていることは、極めて重要と思われます。
《 細胞などの生体内で物質は観念にもとづき動きうる (意義ぶかい) 》
1) 観念と物質のあいだには接点があり、観念は物理的である
2) 少なくとも細胞などの生体内におき、物質は観念にもとづき動きうる
3) 細胞などの生体内にての物質の動きは、表向き、慣性の法則と熱力学第二法則に違反している
4) 筋肉組織でのATPの動き
................
1) 観念と物質のあいだには接点があり、観念は物理的である
これは灯台下暗しのようなものですが、発話の筋肉運動はかならず意識に形成される思考にもとづき生じます 。(これは、それ以上の実証を必要とはしない即値の事実です)。
さらに、発話だけには限らなく、人間のほとんど全ての動作が意識に形成される思考にもとづき果たされる、と思われます。ほぼ明らかです。
(この点で、発話の筋肉運動は意識的です。そして、人間のほとんど全ての動作が意識的と見なせるかも知れません)。
そして、このことは、思考(観念)と物質のあいだに接点あることを、直接に意味します。そして、物質とのあいだに接点あるならば、観念には物理的側面あることに、なります。観念や思考は紛れなく物理的です。観念が形成される場所である知性や意識も物理的です。(これは意識から物理学への贈り物のようなものと言えます。物理学にとり新しい世界が広がりています)。
ただ、これらは、物理的であろうとも、必ずしも物質的とは限りません。なにかが物理的であろうとも、それは非物質的でありえます。その代表がエナァジです。エナァジは、それ自身が物理的であり、この宇宙と物理性の源ですが、体積なくて非物質的です。
さらに、私たち人間は身体感覚や思考の感覚(= 観念)を感じることができます。それらは、私たちに感じられるゆえに、なんかの形で必ず存在します。そして、物理世界であるこの宇宙に存在するものは必ず物理的です。このゆえ、観念ないし観念的なものも根本的に物理的でなくてはなりません。
ただ、このことは、意識の出力側でのことです。しかし、入力側の身体感覚--五感・観念--につき検討しても、観念と物質のあいだに接点があり、観念に物理的側面があり、観念が物理的であることが、理解されます。なぜなら、意識は、五感(観念)をとおし、体や外界(物質)を感知できるからです。もしも意識が外界を感知できるなら、両者のあいだには必ず物理的接点がなくてはなりません。これは必然です。
(素粒子から始まり、この宇宙に存在する全ての事物は、エナァジで体現される物理現象であり、時間の関数です。そして、意識も、この宇宙に生起しており、片時も休まず変化する物理現象です。そして、意識が物理現象ならば、それは端的に物理的、ということになります。意識がこの宇宙に生起する物理現象であるという点で、意識は、そもそもの最初から、物理的なりしわけです。ただ、このことは、なぜか説得力が薄いです。あまりにも当たりまえだからでしょうか?)
そして、意識や観念が物理的ならば、それらはエナァジで体現される物理的実体ということになります。それらの源はエナァジであり、それらは無数のエナァジの統合的集合体です。つまり、意識や観念の正体はエナァジです。
(意識は、物理的な機能のうちの観念的な機能を果たします。(物質的な機能とともに、観念的機能も物理的です。(それらは根本的にエナァジに具わりています))。ここで、観念的機能とは、じぶんの現在の状態についての情報収集機能と、じぶんの次の瞬間の状態についての演算機能の、2つの機能です。そして、これらは、じぶんの物理的秩序を形成し維持する方向で果たされます。
(エナァジには、条件が満たされるなら、じぶん自身の物理的秩序を創発しようとする機能が具わりています。このことは、ビグ バンにおき、エナァジから素粒子が形成されしことから導かれます。エナァジに比べ、素粒子はより高度な物理的秩序です))。
(ちなみに、意識や思考は、より詳しくは、脳や細胞などの生体に自動的に形成されつづける物理現象です。(物理現象は、エナァジの働きにより、かならず完全自動で引き起こされます。そこに意識の関与する余地はありません)。この点で、そして、厳密な意味で、自由意志はありません)。
2) 少なくとも細胞などの生体内におき、物質は観念にもとづき動きうる
さらに、上記のことは、少なくとも細胞などの生体内におき、物質が観念(思考)にもとづき動きうることも、間接的ながら客観的に実証しています。とても信じられませんが、明らかです。(これも、意識から物理学への贈り物のようなものと言えます)。
(ちなみに、生体内での物理事象の動きは、生物学により、原子や分子の大きさのレヴェルで、克明に解明されています。それに依るなら、生体内の物理事象での物質の動きの特徴は、微細さ・正確さ・個別性・差異性・柔軟性・協調性・そして統合性、と評価されます。こういう特徴は、物質の動きが、(意識(= 生きている知性)の)観念的機能にもとづき制御されない限り、決して実現されえないと、予想されます。
人間や動物の意図的な動作において、関係する全ての細胞内部の物質は、まさに意図にもとづき動いている、と予想されます。つまり、細胞内部での物質の動きは意識的で知的です。(さらに、細胞などの生体内部の物理事象は高度な物質的物理的秩序の形成に該当しますが、ことからは、高度な物質的物理的秩序の形成プロセスでの物質の動きも意識的で知的であろう、と予想されます))。
3) 細胞などの生体内にての物質の動きは、表向き、慣性の法則と熱力学第二法則に違反している
さらに、物質が観念にもとづき動きうるなら、それは、それらの動きが、表向き、慣性の法則(ニュートンの運動の第一法則)と、そして、恐らく、エントゥロピー(乱雑さ・無秩序)は増大するという熱力学第二法則に、違反することを、意味します。(もしかして、エナァジ保存の法則にも違反するかも知れません)。
しかし、むしろ、物質が、慣性の法則と熱力学第二法則の制約を凌駕しながら、観念にもとづき動きうる何らかの要因の生じているということが、より事実に近いだろうと、予想されます。
そういうことの解明されることが望まれます。それは物理学の担当になると思われます。それは、さらに、物理学の視野を広げるだろうとも期待されます。
4) 筋肉組織でのATPの動き
筋肉運動は、筋肉繊維にATPが接触し、そのATPが加水分解されることで引き起こされます。
しかし、マイトコンドゥリアによるATPの生産とその放出にしたがい、ATPが筋肉繊維で不定期かつランダムに加水分解されるなら、筋肉もランダムに動きつづける他はありません。
しかしそれは事実ではありません。筋肉は、筋肉組織の意識に生じる思考によるフィードゥバク制御にもとづき厳密に動くです。
このゆえ、ATPの動き--空間移動・自転(姿勢制御)・加水分解--は、筋肉組織の意識によりて厳密に制御される、と推測されます。
筋肉繊維へのATPの接触は、上位意識からの指令があるまで保留されるです。つまり、上位からの指令がありて、初めて、ATPを筋肉繊維に接触させるという思考が筋肉組織の意識に生じるのです。そして、その結果、ATPが加水分解されて、筋肉繊維が収縮します。
(原子や分子のレヴェルでの時間軸はとても細かく高速と推測されます。このゆえ、生体内での物質の動きも、人間の時間軸とは比較にならないくらい高速に果たされる、と予想されます)。
(細胞などの生体の活動は、構成要素の物質と、それらの全体に形成される大きな意識の、協働--フィードゥバク制御--の結果として生じます)。
《 高度な物質的物理的秩序の形成は、表向き、熱力学第二法則に違反している (論理的必然) 》
熱力学第二法則は、エントゥロピー(= 乱雑さ・無秩序)は増大するということを表明しています。そして、それは、高度な物質的物理的秩序が自発的に形成されることが不可能であることを、意味しています。(これは、物理力が一般に集合的であり、そういう力をうける物質の動きがランダムにならざるを得ないため、と考えられます)。
つまり、熱力学第二法則にしたがう限り、高度な物質的物理的秩序は自発的には決して形成されないのです。これは不可避です。
このため、もしも高度な物質的物理的秩序が自発的に形成されるなら、それは、表向き、熱力学第二法則に違反していることになります。
ただ、このことは、次のようにも解釈できます。
a) 高度な物質的物理的秩序の形成は、なんらかの要因により、熱力学第二法則の適用を免除されている。
b) 高度な物質的物理的秩序の形成には、熱力学第二法則の制約を凌駕しながら、それを可能ならしめる何らかの要因が、関与している。
そして、もしも高度な物質的物理的秩序が自発的に形成されるなら、それは二つめの解釈の要因によるだろう、と思われます。(二つめの解釈が前向きで建設的です)。
ちなみに、たとえば、以下の事象などが高度な物質的物理的秩序に該当する、と予想されます。そしてそれらは動的な事象です。
A) 各種の物質の結晶の形成プロセス
B) 細胞などの生体内で果たされる多様な物理事象の遂行過程
《 物質的物理的秩序の形成の要件と特徴 (論理的必然) 》
まず、エナァジの正体は物理的作用です。そして物質の正体も物理的作用です。それらは片時も休むことなく動作しつづけています。このゆえ、それらは、内的には一人称の主体ですが、しかし外的には三人称の客体です。
1個の物質的物理的秩序は一般にたくさんの物質から構成されますが、この構成におき、それらの動きは、その秩序を形成するため、統合的・個別的・差異的・そして協調的に組みあわさる必要があります。
しかし、物質に外因的にはたらく力は一般に集合的力でありて、たくさんの物質にそういう動きをもたらせるきめ細かな物理力は存在しないです。しかも、物質は外的には三人称の客体ゆえに、たくさんの物質が、1個の大きな統合的物理的秩序を形成するため、外的に統合的・個別的・差異的・そして協調的に動くことは有りえないです。このゆえ、一般に、1個の物質的物理的秩序がその構成要素の物質だけにより自発的に形成されることは不可能です。
このことは、エントゥロピー(乱雑さ・無秩序)は増大するという熱力学第二法則からも了解されます。たくさんの物質の集まりは、一般に、時間の経過とともに、乱雑になるのです。
このゆえ、1個の物質的物理的秩序が形成されるためには、その物理的秩序を形成させる方向で構成要素のたくさんの物質の全体に作用する何らかの大きな要因が、それに生じていることが欠かせないです。
しかも、その要因は、たくさんの物質の動きや役割に協調性をもたせるために、それぞれの物質にたいし、微妙に異なるかたちで作用する必要があります。つまり、その大きな要因は、それぞれの物質にたいし、個別的に作用しないといけないのです。構成要素の物質は、集合的な物理力の影響を受けて、ランダムに動いてはいけないのです。
さらに、接触による合体や化学反応などの相互作用をきちんと起こすため、構成要素の物質は、空間移動において、原子や分子の大きさのレヴェルにて、微細・正確・個別的・差異的・柔軟・協調的・そして統合的に動かなくてはなりません。これは不可欠です。恐らく物質の自転--姿勢制御--も必要です。
つまり、1個の物質的な物理的秩序が形成されるためには、まず、その物理的秩序を形成させる方向で、構成要素のたくさんの物質の全体に作用する何らかの大きな要因の生じていることが不可欠です。さらに、そういう原因をうけるたくさんの物質は、微細・正確・個別的・差異的・柔軟・協調的・そして統合的に動かないといけません。その動きはかなり複雑になる、と思われます。
これは論理的必然です。
そして、それらは、たとえば、細胞などの生体内におき、1個の物質的で動的な物理的秩序が形成されるための要件であり、かつ、その構成要素のたくさんの物質の動きの特徴です。
その特徴は次のとおりです。
a) 微細さ
b) (空間移動と自転--姿勢制御--の)正確さ
c) 個別性
d) 差異性
e) 柔軟性
f) 協調性
g) 統合性
ちなみに、機械の動作は、エナァジにより外因的にもたらされるものであり、外因的で固定的な物理的秩序の形成と言えますが、上記の特徴は、機械の運転におけるそれぞれの部品の動きにも該当します。
《 生体内の物理事象の動きは、表向き、熱力学第二法則に違反している 》
エントゥロピー(= 乱雑さ・無秩序)は増大するという熱力学第二法則により、高度な物理的秩序が自然に形成されることは有りえないです。
そして細胞などの生体内で果たされる多様な物理事象は高度な物質的物理的秩序です。
このゆえ、生体内では、普通には有りえない物理事象が生じている、と表向き判断されます。生物(生体)に生じる様ざまな生産的活動は、表向き、熱力学第二法則に違反しているのです。(生物の自発的・能動的活動そのもの--高度な物理的秩序の形成--が、それらの達成が、表向き熱力学第二法則に違反することを、明白に実証しているのです)。
ただ、このことは、次のように考えるのが前向きです。
生体内には、熱力学第二法則の制約を凌駕しながら物理的秩序の形成を可能とする何らかの要因が生じている。
やや信じがたいですが、逆に言えば、生物(生体)におき多様な生産的活動が果たされるという事実そのものが、高度な物理的秩序の形成を可能とする何らかの要因が生体内に生じていることを、間接的ながら客観的に実証しているのです。
そして、生物の生産的活動には、ながい時間を要する進化--体の形の変化など--も含まれます。進化は、見掛けじょう目的的であり合理的です。そして進化は高度な物理的秩序の実現に該当します。
このゆえ、生物が多様に進化してきつという事実そのものが、熱力学第二法則に拘束されることなしに高度な物理的秩序の形成を可能とする何らかの要因が生物の体内(生体内)に生じていることを、端的に実証しているのです。
《 生体内の物理事象の動きは、表向き、慣性の法則に違反している 》
細胞などの生体内での物理事象の実現は、高度・動的・かつ複雑な物理的秩序の形成に該当します。
このゆえ、それらの構成要素の物質の動きは、物質的物理的秩序形成の要件を満たす必要があります。その要件(特徴)は、物質の動きの微細さ・正確さ・個別性・差異性・柔軟性・協調性・そして統合性です。
しかし、たとえそれが生体であろうとも、そこに存在する--そこで作用しうる--物理力は、集合的力だけです。そして、集合的力には、それぞれの物質の動きにそれらの特徴をもたらすことは決してできません。
しかし、高度な物理的秩序である物理事象は生体内で現実に生じています。
このゆえ、生体内では普通には有りえない物質の動きが生じていることに、なります。そして、それらの動きは、表向き、慣性の法則(ニュートンの運動の第一法則)に違反していることになります。(もしかして、エナァジ保存の法則にも違反するかも知れません)。
生物の自発的かつ生産的活動をもたらす物理事象を、原子や分子の大きさのレヴェルで詳細に検討するなら、関与する物質の洗練されし動きが慣性の法則に違反していることが、見てとれるです。そして、生物学による詳細な解明は、そのことを間接的に実証していると、評価できます。
ただ、このことは、以下のようにも表現できます。それが前向きと考えられます。
生体内には、慣性の法則に拘束されることなしに物質を動かすことのできる何らかの要因が生じている。
《 生体などの内部での高度な物理的秩序はかならず知性の働き(観念的機能)にもとづき実現される (論理的説明・重要) 》
1) 高度な物質的物理的秩序は物理力だけでは形成されえない
2) 物質的物理的秩序形成プロセスにての物質の動きの特徴
3) 高度な物質的物理的秩序の形成には必ず観念的機能(知的機能)が関与する -- それを可能ならしめる要因または枠組 (重要)
4) 生体内の物理事象の実現に広域的評価は欠かせない -- また別の説明
5) 細胞などの生体には知性が具わりている
6) (脱線) 物質的物理的秩序形成の観点での物理現象の分類
................
1) 高度な物質的物理的秩序は物理力だけでは形成されえない
物質的物理的秩序は、一般に、たくさんの物質により形成されます。
そして、高度な物質的物理的秩序には、大まかには、次のものがあります。(他にもあるかも知れません)。それらは動的な秩序でもあります。
- 細胞などの生体内での多様な物理事象の動作過程
- 各種の物質の結晶の形成プロセス
しかし、これらの物理的秩序は、物理力だけでは形成されえないです。
まず、エントゥロピー(乱雑さ・無秩序)は増大するという熱力学第二法則により、高度な物理的秩序が自然に形成されることは有りえないです。(これは、物理力が一般に集合的であり、そういう力をうける物質の動きがランダムにならざるを得ないため、と考えられます)。
そして、このことからだけでも、上記の物質的物理的秩序の形成が、表向き、熱力学第二法則に違反していると、結論されます。
ただ、熱力学第二法則の制約をものともせずに物理的秩序の形成を可能とする、物理力以外の何らかの要因が生じている、と考えるのが前向きです。
2) 物質的物理的秩序形成プロセスにての物質の動きの特徴
前記の物理的秩序の形成プロセスにての物質の動きには、以下の特徴があります。
a) 微細さ
b) 正確さ
c) 個別性
d) 差異性
e) 柔軟性
f) 協調性
g) 統合性
しかし、物質の動きにこれらの特徴をもたらせるきめ細かな物理力は存在しないです。このため、上記の物理的秩序の実現プロセスにての物質の動きは、表向き、慣性の法則にも違反していることになりますが、慣性の法則の制約を凌駕しながら物理的秩序の形成を可能とする、物理力以外の何らかの要因が生じている、とも考えられます。(もしかして、エナァジ保存の法則にも違反するかも知れません)。
しかし、とにかく、高度な物質的物理的秩序は物理力だけでは形成されえないです。
3) 高度な物質的物理的秩序の形成には必ず観念的機能(知的機能)が関与する -- それを可能ならしめる要因または枠組 (重要)
完成ししジグソー パズルは、静的ではあるにせよ、比較的高度な物質的物理的秩序です。そして、ジグソー パズルが、その完成にむけ、人間により取り組まれている過程は、動的な物理的秩序です。
しかし、ジグソー パズルを完成させる過程にて、たとえば、各ピースを闇雲に組み合わせていつのでは、それの完成はほぼ不可能です。
ジグソー パズルをきちんと完成させるためには、広域的な状態についての情報収集と、収集しし情報にもとづく、次の操作についての思考が欠かせないです。
そして、ことから、物質的物理的秩序の実現には、広域的な観測と、その観測にもとづく設計という観念的機能(知的な機能)の関与することが不可欠であることが、理解されます。観測や思考という観念的機能の関与なしに物質的物理的秩序を実現させることは不可能です。これは必然です。
また、このことは、現在の状態に呼応して微妙な応答の求められる自動製造装置の稼働やロウボトゥの動作にも当てはまります。これらも高度な物質的物理的秩序ですが、それらのマシーンが順当に動作するためには、それらが観測と演算という観念的機能にもとづき制御されることが不可欠です。
以上の例は、人為的なものですが、その過程はつぎの3つの手順で構成されます。
i) 物理事象の現在の広域的状態についての情報収集 (測定)
ii) 収集しし情報にもとづく、次の瞬間の状態や果たすべき応答の動きについての思考 (演算)
iii) 思考結果にしたがう物質の動き
高度な物質的物理的秩序の形成過程では、これらが、時間経過につれて、積分的に繰りかえされるです。それはフィードゥバク制御です。
そしてi)とii)の事柄は観念的機能です。
つまり、上記の例での物理的秩序の形成は人為的で外因的であるにせよ、高度で動的な物理的秩序は、フィードゥバク制御なしには達成されず、そして、制御はかならず観念的機能(知的機能)にもとづくのです。これは論理的必然です。
つまり、たくさんの物質で構成される物質システムを、1個の物質的物理的秩序を形成させる方向で統合的に動かすためには、その動きが観念的機能にもとづき制御されるという枠組が欠かせないです。それ以外の方法はありません。(三人称客体にすぎぬ物質に、こういう広域的かつ観念的な機能を果たすことは、根本的に不可能です)。
ジグソー パズル・自動製造装置・そしてロウボトゥでの物理的秩序は、人為的かつ外因的に形成されますが、そういうものさえ、観念的機能に基づくという枠組が欠かせないです。
すると、物質の、自発的・微細・正確な動きの求められる生体や結晶では、そういう枠組の必要性はモーア高くなります。なぜなら、観念的機能を果たしてくれる、たとえば人間の知性のようなものは、外部に存在しないからです。生体や結晶は、不可欠の観念的機能をみずから果たさなくてはいけないのです。
もちろん、iii)の事柄も必要です。そして、これについては、細胞などの生体内での自発的物理事象の遂行プロセスにても、問題ありません。なぜなら、少なくとも細胞などの生体内におき、物質は、(たとえば、発話の筋肉運動におきそうであるように)、観念(思考)にもとづき動きうるからです。そして、これは、恐らく、結晶の形成プロセスにも該当する、と予想されます。(多様な結晶が実際に形成されるという事実がそれを間接的に実証している、と考えることもできます)。
つまり、大きな物質システムをきちんと動かすためには、観念的機能にもとづくことが欠かせないです。もしも高度な物質的物理的秩序が自発的に形成されるなら、それは、かならず、観念的機能に基づいているのです。高度な物質的物理的秩序の自発形成に知性(観念的機能)の関与は不可欠です。
言わば、高度な物質的物理的秩序の自発形成は、知的で意識的な物理事象です。そして、そこにおける物質の動きは知的で意識的です。物質は知的かつ意識的に動かされるです。
ちなみに、発話の筋肉運動はかならず思考にもとづき生じますが、その事実が、そういうことを遠回しながら実証しています。なぜなら、関係する全ての細胞内で、物質が思考にもとづき動いて、初めて、筋肉運動がまともに実現されるからです。これは、さらなる実証を必要とはしない即値の事実です。
4) 生体内の物理事象の実現に広域的評価は欠かせない -- また別の説明
生体内の物理事象は動的であり時間を要します。そして、そのプロセスのなか、おのおのの物質は、空間を移動しますが、その移動先を知ることはありません。なぜなら、そういうことは、根本的に、外部の状況を広域的に評価することでしか決定(設計)できないからです。そして、物質は、外的には三人称の客体にすぎず、外部の広域的な状況ないし状態を知ることは決してできないからです。
このゆえ、生体内の物理事象の実現には、広域的な状況ないし状態を評価できる何物かが関与していることが欠かせないことに、なります。
そして、広域的状況は、それについての情報収集(測定)と、収集しし情報にもとづく思考(演算)によりてのみ評価できます。これは論理的必然です。広域的状況を評価しうる手段は他には存在しないです。
(こういうことは結晶の形成プロセスにも該当します)。
5) 細胞などの生体には知性が具わりている
測定と演算は観念的機能です。そして、観念的機能は、三人称の客体にすぎぬ物質によりては決して果たされず、知性によりてのみ果たされえます。
このゆえ、細胞などの生体には、必然的に、測定と演算という観念的機能を果たせる知性が具わりていることに、なります。しかも、広域的状況を見渡すために、それは大きくなくてはなりません。つまり、細胞などの生体には、その全体にわたる大きな知性が具わりているのです。
(結晶の形成プロセスにも大きな知性は生じます)。
さらに、この知性は生きていますが、生きている知性は、すなわち、意識です。
このゆえ、細胞などの生体には大きな意識が具わりていることに、なります。
細胞などの生体で果たされる様ざまな物理事象は、生物学により詳細に解明されています。それは、物質の動きの微細さ・正確さ・個別性・差異性・柔軟性・協調性・そして統合性を浮き彫りにししことを通し、次の2つのことも、間接的かつ遠回しながら客観的かつ論理的に実証しつのです。
A) 細胞などの生体には意識(= 生きている知性)が具わりている。
B) 生体内での多様な物理事象は、その生体にそなわる意識によりて果たされる観念的機能にもとづく制御をとおし実現される。
別言するなら、細胞などの生体の活動は、その意識と物質の協働により実現される、とも言えます。
(ただ、結晶の形成プロセスでの知性は無生物です。なので、その意識も無生物です。結晶の形成プロセスでの意識は、無生物の物質システム意識です。そして大きいです)。
6) (脱線) 物質的物理的秩序形成の観点での物理現象の分類
結晶の形成プロセスや生体内での高度かつ動的な物質的物理的秩序の自発形成に知性(観念)の関与が不可欠という事実に注目するなら、物理現象を、大きく、つぎの二種類に分類できるかも知れません。
A) 非知的物理現象・非意識的物理現象・非被知的制御物理現象・非被意識的制御物理現象 ---- ふつうの物理現象。物質の動きが、知性により制御されずとも、エナァジの働きだけで生じる。この物理現象では、高度な物質的物理的秩序が自発形成されることはない。
B) 知的物理現象・意識的物理現象・被知的制御物理現象・被意識的制御物理現象 ---- 高度な物質的物理的秩序が自発形成される特殊な物理現象。物質の動きが知性の働きにより制御されつつ生じる。
ちなみに、B)の被意識的制御物理現象には、次のものが想定されます。(他にもあるかも知れません)。
- 細胞などの生体内での多様な物理事象の動作過程
- 各種の物質の結晶の形成プロセス
《 受精卵の、胎児の体への成長の動きの始動 》
受精卵は、細胞分裂と細胞の機能分化をとおし胎児の体に成長してゆきます。そのプロセスは、きわめて高度で複雑で長い時間のかかる動的な物質的物理的秩序の実現に相当します。
生体内での物理事象は、生体の意識に形成される観念とそれに基づく動的で統合的な制御によりて果たされます。このゆえ、受精卵内部における多様な物理事象の遂行に問題は基本的にもうありません。
(受精卵は、卵子と精子から命を受けつぐゆえに生きています。このゆえ受精卵にも意識(= 生きている知性)は最初から具わりています)。
ただ、受精卵で果たされる最初の物理事象--最初の細胞分裂--については、そうではありません。なぜなら、最初の細胞分裂を始動する物理的原因--物理力--が存在しないからです。(こういう、物理的原因がないという状況は、生体内でのそれぞれの物理事象にて、物質に、微細・正確・個別的・差異的・柔軟・協調的・そして統合的な動きをもたらす物理力が存在しないのと、同じです)。
(ちなみに、もしも、そこに、構成要素となる物質に物理的秩序を形成させうる方向に作用する物理力が存在するなら、レヴェルの低い秩序は自然に形成されえます。
それは、たとえば、人間による化学反応にての別の物質の合成のようなものです。しかし、これは、試験管や化学反応装置にての秩序の集合的な形成です。そしてそこで作用する力は集合的力です。人間によりもたらされる加熱や撹拌などによる物質のランダムな動きと接触が、別の物質がうまく合成される機会を確率的にもたらすのです。
しかし、高い秩序が形成されるためには、それぞれの物質に個別的に作用するきめ細かな物理力が不可欠です。
かりに、偶然、受精卵内部の1個の物質に、細胞分裂の方向に沿う動きが生じつとしても、そういう動きが、ドミノウ倒しのように、他の物質に伝わることは、有りえないです。その動きは完全な偶然にすぎません。
そして、受精卵内部の無数の物質に、最初の細胞分裂を始動させる方向の動きを引き起こしうるきめ細かな物理力は、現実に存在しないです)。
このゆえ、受精卵で最初の細胞分裂が始まることは、物理的観点から見るならば、表向き不可能です。そしてその受精卵が胎児に成長することもありません。
ここまで来れば、もう、私たちは、物理力以外のものに原因--最初の細胞分裂を始動するトゥリガァ--を求める他はありません。(なぜならそれは現実に始動されるからです)。
そして、それは、意図ないし目的という観念と予想されます。そういうものがあれば、(そして、観念にもとづき物質が動きうるなら--そして、少なくとも生体内にて、物質は観念にもとづき動けます--)、きめ細かな物理力が存在しなくても、最初の細胞分裂--最初の高度で動的な物理的秩序の形成--は始動されえます。
意図や目的は観念です。しかし、観念が物理力から影響を受ける--観念が物理力により形成される--とは、とても考えられません。むしろ、観念は、(大きな)測定とそれに基づく演算(思考)によりて形成されるです。生体にての観念は、生体システム全体の物質的状況に呼応して生じるのです。
このゆえ、最初の細胞分裂を始動させる意図ないし目的は、受精卵全体の物質的状況にしたがい自動的に形成される、と予想されます。それは卵子が受精せし瞬間と思われます。そういう物質的状況の変化が、((大きな)測定と演算をとおし)、受精卵の発生プロセスの根本的原動力となる意図ないし目的を自動的に生じさせる、と予想されます。
ここで、その意図ないし目的は、大まかには、受精卵から胎児の体にまで成長しようという大きなものと言えるです。それは、単に最初の細胞分裂を始動させるだけのものではないのです。
そして、その最初の一部として、最初の細胞分裂を始動させるという意図が働くのかも、知れません。
そして、こういう、意図ないし目的により高度で動的な物理的秩序の形成に該当する物理事象が始動されるという枠組は、生体内で果たされる全ての物理事象にも該当する、と思われます。
(ちなみに、生体内でのそれぞれの物理事象に関与する無数の物質をきめ細かく個別的に動かそうとする観念も、意図ないし目的と言えます。どちらも観念であるという点で、違いはないのです。違いは、ある一まとまりの物理事象を始動させるためのものか、または、動作中の物理事象にて物質を動かすためのものかです。
そして、いずれにしても、生体の意識(= 生きている知性)は意図ないし目的をいだけます。そして、大きさのレヴェルに拘わらず、生体内で、物質は、根本的に、意図ないし目的にもとづく制御によりて動かされる、と言えます)。
(ただ、実際には、受精卵の最初の細胞分裂以前に、精子が卵子に侵入し、精子の核が卵核と融合するという事象も必要です。しかし、それらを達成しうるきめ細かな物理力は存在しないので、そもそも、そこにも意図ないし目的が必要です。しかし、これについては、精子と卵子の両方に、融合しようという意図ないし目的がもう具わりている、と想定しましょう。そして精子の核と卵核が融合せし瞬間に受精卵全体の意識が形成されて、それと同時に、その意識に、受精卵から胎児の体にまで成長しようという大きな意図ないし目的も自動的に生じるのかも知れません)。
そして、受精卵に生じる大きな意図ないし目的は、結局のところ、その個体の生涯にわたり高度な物理的秩序を形成しつづけようとするものである、と予想されます。この秩序形成の意図ないし目的が、誕生後の子供の体の成長や、体を構成する無数の生体での生産的動き、そして、その個体の生涯にわたる身体的活動や精神的活動を導くと、思われます。
そして、エナァジや物質にそなわる自己創発作用(または、自己融合作用)が、その意図ないし目的の根本的源と思われます。
一人称の主体である生物の自発的能動性は、厳密な意味で、意図ないし目的という観念にもとづきもたらされるかも、知れません。そして、その意図ないし目的は、エナァジや物質にそなわる自己創発作用によりて自動的に形成されるです。生物のすべての活動の原因は、エナァジや物質の自己創発作用です。
さらに、生物の進化は見掛けじょう(または、明らかに)目的的で合理的に見えるです。進化の根本原因または原動力は、現在の状況に呼応して、体をより効率的なもの・より使いやすいもの・または、より合理的なもの--これはより高い物理的秩序に相当します--に変化させようという意向かも知れません。
《 細胞などの生体には必ず知性が生じている 》
1) 細胞などの生体には必ず知性が生じている
2) (脱線) エナァジに具わる無生物の知性がすべての知性の源である
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1) 細胞などの生体には必ず知性が生じている
細胞などの生体内での物理事象(= 高度かつ動的な物質的物理的秩序)は、観念的機能による制御にもとづき達成されます。
そして、観念的機能を果たすものは知性です。知性だけが観念的機能を果たせます。(むしろ、AIのような比喩的な意味でなく、文字通りの観念的機能を果たすものが知性、と位置づけられます)。
このゆえ、細胞などの生体には必ず知性が生じていることに、なります。
そして生体の知性は生きています。そして生きている知性は意識です。つまり、細胞などの生体には、かならず、生体の全体にわたる大きなものである意識が生じているのです。そして、生体内での物理事象の達成は、かならず、その意識で果たされる観念的機能に基づいているのです。生体の活動はその意識と物質のコラボレイションの結果である、とも言えます。
ちなみに、ここまでの事柄は、各種の物質の結晶の形成プロセスにも該当します。ただこのプロセスは無生物です。このゆえ、結晶の形成プロセスには無生物の大きな知性が生じている、と評価できます。それは無生物の意識とも呼べます。
ちなみに、生物と無生物の別を問わなく、意識は、本質的に、大きなものである物質システム意識です。
2) (脱線) エナァジに具わる無生物の知性がすべての知性の源である
そもそも、エナァジや物質に無生物の知性(= 観念的機能)が具わりています。これは必然です。そして、エナァジに具わる無生物の知性がすべての知性の源と、予想されます。
エナァジや物質に生じる変化や動きは、この知性の働きにしたがい生じます。なぜなら、測定と演算という観念的機能に基づかないかぎり、エナァジや物質の動きは、物理法則で定式化されるくらいに厳密には生じえないからです。エナァジや物質に生じる厳密な変化や動きは、かならず、測定と演算という観念的機能に基づいているのです。
(そもそも、ビグ バン理論によれば、エナァジは体積なくて非物質的と評価されます。この点で、エナァジは、それ特有の意味で、観念的、と言えるかも知れません。エナァジは、私たちが普通に想起する観念と区別するため、動的観念ないし自発動作観念と呼べるかも、知れません。
そもそも、(エナァジの本性である)物理的作用という摩訶不思議な働きは、外的には三人称の客体にすぎぬ物質には果たせなく、(物質の構成要素でありて、体積のない、一人称の主体であるエナァジという)動的観念にしか果たせないかも、知れません。
そもそも、ビグ バンにおき、固形物(の量子)は少しも噴出しませんでした。そして、固形物・固体・または粒子の存在に、理由ないし根拠は丸きり見当たりません。内部が固形物で満たされている固体が存在することは根本的に不条理であり、そういうものが存在しない状態こそが自然でありて順当です。そして、物質やこの宇宙は、実際、厳密な意味で、完全に真空です。あるのは、体積なくて非物質的なエナァジに具わる物理的作用です。体積ある物質は、測定対象から物理的作用によりて跳ねかえりてきし測定媒体を介し、意識のスクリーンに投影されし写像--言わば、物理的作用または動的観念という根拠ある幻想--でしかないのです)。
ただ、エナァジや物質の段階で果たされる観念的機能は、たくさんの物質で構成される大きな物質システムでの働きとは異なり、まだ、コムピュータァで果たされる見掛けじょうの観念的機能のように、完全に固定的、と予想されます。
《 進化の原動力 》
1) 筋肉運動は必ず意識での思考にもとづき生じる
2) 生物でのオートポイエシス
3) 活動が複数の生体単位におよぶ場合
4) 体全体の意識はつねに形成されている
5) 進化は予測できない
6) 高度な物理的秩序の形成は必ず意識の働きに基づく
7) 生物の活動や進化は、無形の思考の写像のようなもの
................
1) 筋肉運動は必ず意識での思考にもとづき生じる
発話の筋肉運動はかならず主観の意識に形成される思考(観念)にもとづき生じます。
そしてこのことは次のことを示しています。
a) 思考と物質のあいだには接点があり、思考(観念・意識)は物理的である。
b) 少なくとも細胞・組織・器官・生物の体全体などの生体におき、物質は思考(設計・観念・意識)にもとづき動きうる。
こういうことは、理論でなくて、実験結果でもありませんが、客観的な観察による順当な事実です。
そして、これは、意識から物理学への贈り物のようなものですが、ここには、物理学にとり、完全に新しい世界が広がりています。
(ちなみに、無生物のシステムにおいてでも、もしも、そこで、エントゥロピー生成速度が減少していて、無生物の意識が形成されているならば、その思考(設計)に基づき物質は動きうる、と予測されます。そういう所は、たとえば、各種の物質の結晶の形成プロセスや海底の熱水の噴出口のあたりです。特に、熱水の噴出口のあたりは、生物の形成の揺りかごと予測されます)。
2) 生物でのオートポイエシス
また、生体におき、物質が思考にもとづき動きうることは、生物でのオートポイエシス(自己製作)の根拠です。(理論ではありません)。
生物でのオートポイエシスとは、生物における、すべての自発的・主体的・能動的な活動--物理的秩序の形成に該当する物質の動き--を指します。次のようなことです。
A) 生物のふつうの活動
B) 体の成長
C) 体の修復
D) 進化
特に、B・C・Dは、体によりて自律的に果たされますが、それらは、細胞・組織・器官・生物の体全体などの、それぞれの活動の単位に形成される意識によりて司られる、と予測されます。
(ちなみに、複数の物質にわたる物理的秩序の形成は、かならず、その全体にわたり形成される意識の働き(設計)に基づきます。設計は観念的な機能ですが、物質には決して果たせなく、意識により果たされる他はないのです。これは、説明は難しいですが、事実です)。
3) 活動が複数の生体単位におよぶ場合
特に、活動が複数の生体単位におよぶ場合、それは、最上位の意識である体全体の意識により司られる、と予測されます。
特に、進化は、解明したり説明したりするのが極めて難しいと思われますが--それぞれの生体単位でのメカニズムの解明すら難しいですが、進化には一般に複数の生体単位が関与しています--、これは、もう、体全体の意識により司られる、と推測するほかはない、と思われます。
4) 体全体の意識はつねに形成されている
ちなみに、下位の生体の意識の集合から、その全体にわたる大きな意識が形成されることは、予測されえます。なぜなら、この宇宙には、厳密な意味で、エナァジしか存在しなく、各生体の表面には構成要素のエナァジが露出しているからです。それらは、条件さえ満たされるなら、融合しうるです。
そして、その条件とは、系のエントゥロピー生成速度が減少することです。(さらに、意識の基盤である個この生体が物質として互いに接触していることも、条件の1つです)。
そして、生物では、一般に、熱が外部に流出しつづけており、エントゥロピー生成速度もつねに減少しています。
このゆえ、意識は融合しえて、体全体の意識もつねに形成されているのです。(特に、生物の成長は、体全体の意識が主導していると思われます)。
(ちなみに、意識は、エナァジの物理的作用のうちの観念的作用から形成されます。つまり、意識は、接触さえしていれば、融合しうるです)。
5) 進化は予測できない
ただ、どのような進化が生じるかは予測できないと思われます。それは形成される意識に任されるです。しかも、その意識さえ、どのような進化が生じるかは、知らないのです。なぜなら、意識や意識に形成される思考(設計)は、エナァジの自己創発作用によりて完全自動で形成されるからです。しかも、その自己創発作用さえ、どのような思考(設計)を形成するかは、知らないのです。意識の形成と進化は完全に物理的な(物質的な)状況に依存しているのです。(ある意味、これも、自然選択と言えるかも知れません。とにかく自然にそうなるからです)。
そして進化に決まりはありません。このことは、地球上の生物の多様性によりほぼ実証されている、と思われます。
6) 高度な物理的秩序の形成は必ず意識の働きに基づく
ちなみに、生物の活動や進化は物理的秩序の形成に該当しますが、高度な物理的(物質的)秩序は、自然には決して形成されえないです。それは、必ず、全体にわたり形成される意識の観念的な働き(設計)に基づきます。これは事実です。
例えば、ジグソー パズルも、ある意味、高度な物理的(物質的)秩序ですが、その完成はかならず人間により果たされる観念的な働き(思考・設計)に基づきます。(高度な物質的秩序の形成はかならず無生物または生きている意識の働きに基づくのです。これは事実です)。さもなくば、その完成は極めて不合理なものになります。この宇宙では、不合理な物質の動きは決して生じないです。もしも三人称の客体であるたくさんの物質が合理的に動いて秩序を形成するならば、それは必ず全体にわたる意識の機能に基づいているのです。
7) 生物の活動や進化は、無形の思考の写像のようなもの
ちなみに、エナァジ同様、思考も無形でありて物質ではありませんが、生物の活動や進化は、その無形の思考の写像のようなものかも知れません。私たちは、写像という結果をとおし、それをもたらす思考が果たされつ、と推測する他はないのです。