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一般向けのエッセイ

わかりやすい答え

 ヤフー知恵袋の質問の「読書」カテゴリを見ていると、多い質問が「読書は何のメリットがあるんですか?」というものだ。

 

 他にも「〇〇は何の意味があるんですか?」「〇〇は何のメリットがあるんですか?」という質問が実に多い。「人生には何の意味があるんですか?」という質問も常連だ。

 

 こういう質問を見ていると(まずこういう人には話が通じないだろうな)と思う。正直に言うと、関わるだけ無駄だなと思ってしまう。

 

 しかし、それはあまりに無慈悲な判断なのかもしれない。彼らはもがいているのかもしれない。彼らだって何かを求めているのかもしれない。だが、刹那的な時代に流されて、彼らは、おそらくは死ぬまで何一つ掴めないまま終わるだろう。

 

 こんな風な言い方はひどいかもしれない。私の元々の考え方は逆だった。誰だってやる気次第で、何歳からでもスタートを切る事ができる。そう思ってきた。ただ、問題は他人のやる気を創り出すというのは誰にもできない、という事だ。

 

 私の知り合いで、私があれこれと芸術や哲学の話をする人がいる。相手はそれほど知識はないので、私が、ああでこうでと色々話す。相手は興味を覚えて「その本、今度読みます」「その映画、今度見ます」と口では言う。しかし彼はその後、一つも本も映画も見てきた事はない。

 

 もちろん、彼の言っている事は社交辞令の可能性もある。実際には私の話も退屈に思っているのかもしれない。それならそれで構わない。ただ、私が見ている限り、彼は私の勧めを跳ね除けて、自分自身のすべき事や道を持っているという風でもない。

 

 私は彼を見て、考えざるを得なかった。彼は、人生の中で何かを求めている。知的な事に興味はある。しかし本を読む根気はない。そこまで苦労する気はない。ただ興味はある。

 

 そういう人がどこへ行くかと言えば、教養をつけてくれるユーチューブだ。あるいは、私との会話も、そういう動画を楽しむ気持ちで聞いているのかもしれない。要するに、こうした人は、自分の足で立って歩く事はできないが、かといって、まったく座り込んだままでいいとも思っていないので、手軽に手に取れる物を手に取って遊んでいるという風なのだ。

 

 ※

 知恵袋の質問を見ていると、信じられない質問が並んでいる。「小説が嫌いなんですけど、小説家になれますか?」という質問があった。からかっているのかと思ったが、回答者とのやり取りなどから、どうやら真面目だったらしい。

 

 まず、これら質問者の間違いは、「回答を貰ったらそれを自分が理解できる」と考えている事にある。

 

 例えば「哲学は何の役に立つんですか? わかりやすく教えてください」という質問がある。しかし哲学の歴史は深いし、その現実的影響を話すのは大変だ。哲学が歴史の中でどういう役割を演じてきたか、それを話す事は、哲学が「何の役に立ったか」の一つの回答となるだろう。だが、質問者はそんな回答を読む能力もないし、理解する力もない。

 

 あまりにもこういう人が多いので、私はこれは一つには学校教育に問題があるのではないか、と考えた。学校の試験というやつだ。質問者達はこの世界のあらゆるものに、試験に答えがあるように、明確な答えがあると思っているのではないか。

 

 「頭が良い」と言えば、学校の試験の点数、偏差値、IQなどしか想像できないほどに現代の人の頭は凝り固まっている。こうした凝り固まった頭の人間がどれだけ点数が良かろうと、私は「頭の悪い人」だと思うようにしている。

 

 現実の柔軟性に対応しているのが偉大な文学とか、哲学、歴史であるから、それらの表現は必然的に複雑にならざるを得ない。その複雑さの網の目に入っていく事が教養を身につけるという事なのだが、こうした人達にはそれがわからない。

 

 彼らは全てが試験の答えのように、整然としていると思いこんでいる。だから、自分の理解力のなさに気づかない。自分の理解力のなさを棚にあげて「もっとわかりやすくしてください」と平気で言う。こんな人間ばかりのこの国は大丈夫か、とでも言いたくなる。

 

 こうした人達は、ある意味で頭が良いとも言えるだろう。全ては理路整然としていると勝手に思いこんでいて、「メリット」が確定しない事には動きたくないらしい。だから「〇〇のメリットはなんですか?」と絶えず聞く。

 

 しかし、どんな事でも、メリットを第一に考えてやるものではない。何かをやるのは興味関心があるからで、それが自分とぴったりしているからやるものだ。

 

 最初の入りがメリットに釣られた、という事はあるかもしれない。しかし結局は、自分のしている事が自分自身に血肉化していかない事には、それこそ何の意味もない。この意味を問う病人達は、自分という生から疎外されているのだろう。だから外部に意味を求めようとする。いつまで経っても自分に充実を感じられないのだ。

 

 哲学者のシオランは文章を書いた後、口笛を吹きたくなる事があると言っていた。シオランにとっては、書く事が快かったのだろう。しかし、「シオランは口笛を吹くために文章を書いている」という論理で考えるなら、それは馬鹿話でしかない。この馬鹿話の論理で留まる人間というのは、多分、自分の中に生の充実というものを感じた事がないのだろう。

 

 私自身は文章を書いていて、充実感を感じる時がある。書くと、書き終わった後に心が軽くなっている事もしばしばだ。しかしこれを「ストレス発散の為に書いている」と取られたら馬鹿話だ。こういう風にしか理解できない人達に説明するのは私はもう諦めている。

 

 一応言っておくなら、私はストレス発散の為に書いているわけではない。そうではなく、書く事、それ自体が「私」だから私は書いている。だが、こう書いても伝わらないだろう。

 

 言語というのは所詮は論理であり、イメージでしかない。だから、言葉は記号を並べ替える事によって、ある真実に到達しようとする。ところが、言葉は真実を目指すが真実そのものにはなれない。

 

 私の書いた文章を読んで、私が書いている時に自らの中に感じた情感を、自分のものとして感じてくれた読者は、「読む」という行為を通して、記号から、「情感」のような本来言語化できないものを自分の中で再生したのだ。だから、彼は読むという行為を通じて、自分自身のある状態を創造したとも言える。

 

 最近、メルロ・ポンティの本を読んで「一流の哲学者は言語ではたどり着けないものを目指すのだ」と改めて思った。言語ではたどり着けないものを、言語で表現しようとするから勢い、言語表現は複雑になり、もつれる。古典と言われるものが読みにくい所以はここにある。

 

 こういう真実がわからない、中途半端に頭のいい人間は、まっさらなマークシートを握って、「早く答えを教えてくれ」とせがむ。彼らに対して「マークシートを捨てなければ答えはわからないよ」と諭しても言葉の意味は伝わらない。

 

 彼らにとってマークシートは全てであって、そこに当てはまらないものは全く意味がない。彼らはこうして世界を全て、自分の記号、論理の中に当てはめようとするが、現実はそういうものではないので、全てはこぼれ落ちていく。


 彼らは不死人のように「わかりやすい答えを教えてくれ」「わかりやすく言ってくれ」と叫び続ける。だが、彼らの思うような答えは世界のどこにも転がっていない。そんなものは世界のどこにも存在していない。

 

 あるのは真実に肉薄しようとする、自分が偽である事を悟った言語か、自分は真であると偽った偽物の言語かのどちらかである。後者の言語は自己啓発本のような形で常に世に出回っている。


 わかりやすい答えを求める人はそうした嘘を掴まされ、その答えが嘘であると人生の途中で悟るが、自分の握りしめた答案用紙を捨てる事はどうしてもできないので、また同じような別の言葉に騙されていく。彼らはずっと騙され続けていく。どんな賢い人でも、彼らの望むような答えを教えてやる事はできない。彼らのそもそもの前提が間違っているからだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 質問に対して明確な1つの答えはなく、複数の回答者が違った答えを出す場合もありますね。 で、回答が矛盾した相反する内容になっているとか。 自分としては、『たとえばこういう考え方があります』…
[一言] 非常に共感しました。 知恵袋だのなんだので安易に答えを求めるのにうんざりしていたんですよね。 なぜ、自分で考えないのだろうといつも思っておりましたが、ヤマダさんが非常にわかりやすく書かれてい…
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