ノイズ
ハジメ視点へ戻ります。
あの旅行からの帰路。家までどうやって帰って来たか覚えていない。ああなる可能性は、覚悟していたんだけどな。俺には耐えられなかったみたいだ。何か起こるって思ったのは、違和感を感じた時からじゃない。
大学内であれだけ陰口を言われていたらさ。耳に入らないはずがないだろ? それだけじゃない。知り合いでもない奴に、面と向かって嫌味を言われた事なんか、3年の間に何度でもある。
「おい! お前調子に乗るなよ?」 「だっせぇ服。お前なんかモテねぇよ」
「早く真希ちゃんと別れろよ」 「ねぇ見て。アイツじゃない?」 「あの人? 近寄らない様にしなきゃ」
毎日の様に聞こえて来るヒソヒソ 声。構内を歩けば、周囲の人間がサッと隠れる。そんな事が3年近く続けば、俺みたいな鈍感な奴でも理解するよ。自分が嫌われていて、周囲から避けられているってさ。全部聞いていないフリをするのも、もう流石に限界だったんだ。
だから沖縄の件があっても無くても、俺の方から離れようと思っていた。いずれアイツらに、とばっちりが行くかも? なんて考えてさ。誰にも言えずに悩んでいたんだけどなぁ。
まさかそれも桜子達の仕業だなんてな。あの浜辺で桜子は更に何か叫んでいたけど、うるさい雑音にしか聞こえなかった。それ以上聞いたら自分を保てる自信が無かったから、俺は逃げたんだよ。それでも頭の中が真っ白になったけどな。
「なぁ。俺達って楽しい経験いっぱいしたし、しんどい受験も一緒に乗り越えて来たはずだったろ? 」
1人で居ると、まだ俺の口からそんな言葉が出る。そう思ってたのは、俺だけだったのにさ。本当に滑稽だよ。今俺が少し冷静なのは、家に帰り着いた時に母さんが居たからだ。何も言わず自室へ向かおうとする俺を、無理矢理リビングへ引っ張って行ったんだよ。
「ハジメ。何があったか言いなさい」
「何でもないよ。ただ真希や幸助達の連絡は、今後一切取りつがないで欲しい」
「分かった。なら真希さんとは、別れたって事ね。それで? 何かされたの? 幸助君達に」
「......真希には振られたのかな。たぶん。理由は知りたくもないけど。今は名前も口にしたくないからさ。それより何で何かあったと思うの?」
「とにかくお風呂に入って、自分の顔を鏡で見てみなさい。そんな顔で予定より早く帰って来たら、親として見て見ぬふりは出来ないから。今日は余計な事は考えずに、ゆっくり休みなさいよ」
よほど酷い顔をしていたんだと思う。うちは小さい頃から両親共働きで、放任主義だったからさ。こんな風にちゃんと話をする機会なんて、数えるほどしかなかったんだよ。受験や入学、卒業ぐらいでさ。そんな母さんに心配されるほど、俺は顔に出ていたんだろうな。
まぁ風呂場の鏡で見た顔は、誤魔化せないほど瞼が赤く腫れていたけど。我慢してたはずなのになぁ。その日は言われた通りベッドに入ったけど、目を閉じれば思い出したくない場面ばかり浮かぶんだよ。だからヘッドフォンして、音楽を大音量でかけてた。それでも駄目だったけどさ。
結局は睡眠不足で体調を崩して、病院に連れて行かれたんだよ。そこで点滴打って睡眠薬出してもらったら、徐々に寝られる様になった。それでも3時間置きに起きるんだけどな。あまりにも部屋でゴソゴソするもんだから、母さんに見つかってしまって......。
毎日少しずつ、これまでの事を話す時間を、強制的に作られたんだよ。母さんも仕事があるのに大変だったと思う。そんな母さんは見た事が無かったよ。どちらかと言うと、冷めた性格だと思ってたし。
後で聞いたんだが、その行動には父さんの意見もあったらしい。俺が精神的に病む前に、吐き出させた方が良いって母さんに言ったと聞いた。俺のために色々と調べてくれてたんだ。それを聞いて、やっぱり家族は良いなと思ったよ。
でも内面的なものは、自分で意識しなくても出てしまう。父さんや母さんの携帯の音に怯えたりさ。だから自分の携帯は、あれから1回も電源を入れていない。何も考えずに外に出られる様になったら、今の携帯は解約するつもりなんだ。友人も居なくなったしな。その方が良いと思ってる。その事を母さんに言ったらさ。
「家族だけは登録しなさい。あまり干渉はしたくないけど、ハジメの人生は、まだこれからよ。今は辛いから逃げたくなるでしょう。でも逃げてばかりでは駄目。学生時代に良い思い出が無くても、社会へ出ればきっと楽しい事もあるから。新しい友人だって必ず見つかるわ」
と言うありがたい言葉も頂いた。俺もせっかく入った大学だから、絶対に卒業はしたい。だから1日でも早く忘れる努力をしようって頭では考えてたんだ。でもいざ大学へ向かおうとするど、玄関から外へ足が動かない。考えない様にしていても、脳裏にあの光景が映るんだ。構内で受ける嫌な視線と陰口。大学へ行けばまたそれに晒される。
「嫌だ。嫌だ。嫌だ。俺が何をしたって言うんだよぉ!」
「ハジメ。今日は家に居なさい。まだちょっと早いみたいね。食べる物は家に色々あるし、私が仕事に行っている間も外に出なくて良いから」
その後も毎日、大学へ行こうとしてみるものの、同じ様な状態が続く。父さんや母さんからは、心療内科の受診をしてみないか聞かれたが、まだ他人に心の内を話す自信がないんだ。この歳にもなって、自分が情けなくて悔しくてたまらないよ。
それからも自分なりに努力はしてみた。もう大学も始まって数週間は経つ。このままでは留年も視野に入るから、俺自身も焦っているんだ。そんな時に俺を苦める出来事が起こる。
ピンポーン。
滅多に無い来客を告げるインターフォンが鳴る。たまたま母さんが居たから良かったが、俺は身体が震えっぱなしだったよ。アイツらが来たんじゃないか? 会いたくないってさ。
「ハジメ。同じ大学の女性が来てるけど、どうする?」
「俺に知り合いは居ないよ。帰ってもらって」
俺は母さんにそう言い、自室へ閉じこもったんだ。ベッドで頭から布団を被って、震えが治まるのをじっと待つ。だけどここで、予想していなかった事が起こる。断る様に言ったはずなのにさ。母さんが来客を招き入れる声が聞こえたんだよ。
もうパニックになって、叫びそうになるのを必死でこらえてた。そんな状態の俺に、聞きたくない話が耳に響いてくる。やめろ! やめてくれ! 母さん何でこんな事するんだよ! こんな話は聞きたくない! 謝る? お前らだって俺の事を、遠巻きに見てたんだろ! やってる事は変わらないじゃないか!
そんな状態の俺を知らず、話はいつまでも続く。いつしか俺は放心し、聞こえる声はノイズに変わった。ああ。俺の苦しみは、コイツらには分からない。自分だけ救われる? そうはさせない。俺にした事を味わってみろよ。クソクソクソ!
「ハ......ジメ! しっかりしなさい!」
「か、母さん?」
「ごめんなさい。ハジメの気持ちを考えてなかったわ。でもね。何があったか知りたかったの。聞かないと分からないから。本当はハジメの口から聞きたかったけどね。辛かったでしょ。もう無理をしろとは言わないわ」
ああ。そうか。母さんも全部知ってしまったんだな。余計な心配をさせたくなかったから、絶対に言わなかったのに。駄目なんだよ。家族を不安にさせたら。俺が我慢していれば、誰も傷つかないのに。何でこんな余計な事したんだよ!
俺は心の中で叫び続けた。その日から俺はまた眠れなくなって行った。浅い睡眠を繰り返す日々は地獄の様に感じたよ。それでも暫く経つと、少しはマシになる。でもな。これは良くない状態だったんだ。ちょっとした事で怒りが湧き、部屋の中の物を手当たり次第投げてしまう。そんな状態が続いて、食事も摂らない俺は、ついに倒れてしまったらしい。
らしいと言うのはさ。気づいたら病院のベッドだったから。目を開けたら知らない天井ってやつだ。入院した病院には心療内科もあり、父親の付き添いでカウンセリングも受けたよ。先生は若く年齢もそれほど離れてなかったから、共通の話題もあって打ち解ける事が出来た。俺も日に日に精神が安定していく実感があったよ。
そして退院する頃には、同じ入院患者の人達とも話せる様になっていた。カウンセリング自体は、退院してからも通う予定だ。
「もう入院しに来たら駄目よ?」
「あはは。なら遊びに来ます」
などと看護師さんと言葉を交わし、俺は父さんの車で自宅へ帰った。その道中、父さんに頼んでコンビニにも寄ってもらったよ。父さんは不安そうにしてだけどな。お店にも入れない様では、大学へ通う事なんて出来ない。
その結果......少し緊張したものの、無事に買い物を終える事が出来たよ。たったそれだけの事が自信へ変わった。珍しく父さんが笑顔を見せたから、俺は恥ずかしくなったけどな。
約1ヶ月ぶりに帰った自宅には、母さんが笑顔で待っていた。だが......1人記憶に無い女性がいた。誰だ? こんな親戚いたっけ?
「お帰りなさい。ちょっと太ったんじゃない?」
「そうかもね。出された食事を食べないと、怖い婦長さんに怒られるからさ。かなり健康的になったと思う」
「あの婦長さん怒るの? 優しそうな人なのに」
そんな会話をしながら、チラチラと一点を見る俺。そんな視線に気づいたのか、やっと知らない女性が口を開いた。
「はじめまして。私は五十嵐 小春と言います。就活で晴美さんにお世話になり、その縁で親しくして頂いてるんですよ。今日はたまたま何も知らずに来てしまって、本当にごめんなさい」
「五十嵐さん? はじめまして。就活と言う事は、大学3年ですかね。なら俺と同じ歳だと思います。特にお構い出来ませんが、ゆっくりして行って下さい」
何か引っかかるが、俺は挨拶を済ませ自室へ向かった。話す事は大丈夫だが、年齢の近い女性に近づきたくない。かなり良くなったとは言え、入院前の事もあるしな。俺は1人自室で音楽を聴き静かに過ごした。
コンコン。
「はい。どうぞ」
「あ、あの。昼食の準備が出来たみたいです」
五十嵐さんが何故俺を呼びにくるんだよ。母さんってお構いなしに人を使うよなぁ。でもさっきの表情はなんだ? 笑顔がかなり引き攣ってたぞ? 俺って怖く見えたのかなぁ。
そんな風に考えながら、キッチンへ向かった。テーブルには4人分のすし桶がある。と言う事は、五十嵐さんと並んで食べるのか......。母さん。何の罰ゲームなんだよ。
俺は空いている席に無言で座る。みんな笑顔だから良いが、これ絶対たまたま来た訳じゃないだろ? 俺がそう思って母さんに視線を向けると、サッと逸らされる。やっぱりな。父さんは新聞で顔を隠していたが、肩が震えてるじゃないか。
「では。ハジメの退院祝いを始めま〜す。さぁハジメ。みんなに一言」
「.....はぁ。えっと父さんや母さんに心配をかけてしまって、本当にすみません。見ての通り元気に帰って来ました。まだカウンセリングは続けますが、そろそろ大学へも頑張って行こうかと思ってます。ではとりあえず、乾杯!」
いきなり話せとか言われても、何を話せば良いか分からないっての。そんな感じで始まった食事会? は、和やかな雰囲気のまま終わったよ。隣りの五十嵐さんとは、会話が進まなかったけどな。大学を聞いたら濁されたし。
それを見兼ねた母さんのフォローで、変な空気にはならなかったから良かったよ。食事の後は全員でリビングへ移動し、ゆっくりとお茶を楽しんだ。だが俺の隣に座る五十嵐さんが、何かソワソワしてるんだよなぁ。流石に俺も気になったから、思い切って聞いてみた。
「えっと。五十嵐さん。俺に何か言いたい事あります?」
「は、はい! じ、実は私、ハジメさんと同じ大学なんです。黙っていてごめんなさい」
「父さん、母さん。これどう言う事? 俺はこんな事頼んでないけど。何ですぐに言ってくれないんだ?」
「すまん。ハジメ。これは俺からも頼んだ事なんだ。黙っていた事は悪かったが、晴美の会社との話は嘘じゃない。だから少しでいい。この子の話を聞いてやって欲しい」
俺はついカッとなったが、カウンセリングを思い出し何とかコントロールする。入院中に何度もやった事だ。これを抑える事が出来ないと、俺は普通に生活を送れなくなる。
何度も深く深呼吸し、心拍数を元に戻して行く。よし。大丈夫だ。怒りに負けては駄目だ。冷静に。冷静に。
「ごめん。待たせた。良いよ。五十嵐さん。話してみて」
「はい。では何故、私が此処へ来たのかから説明します」
五十嵐さんはそう言って、休暇明けに起こった出来事を話し始めた。正直、聞きたくない名前も出てきたが、俺の様子を見ながら進めてくれたよ。真希があの旅行の話までした事には驚いたが、彼女に同情する気持ちは全く起きなかったよ。俺も傷つき苦しんでいるんだから。
話が進むと何故、五十嵐さんに引っかかったのか分かった。言われてみれば、あの時の女の子だ。なるほどな。あれも桜子の仕業だったか。おかしいと思ってたんだよ。接点のない女性が話しかけてくるからさ。思い出してみると、真希達が現れるタイミングもおかしかった。
毎回見られて真希から問い詰められるしさ。正直、否定するのも面倒になってた。桜子達は俺に考える間を与えたくなかったんだろう。まぁ話の流れ的なものは理解出来た。
「本当に申し訳ありませんでした。何も知らなかったとは言え、私が桜井さんを追い込んだのかもしれません」
「五十嵐さん。貴女の謝罪は受け入れるよ。ただ真希の事は謝る必要はないよ。アイツ自身に問題があるだけだ。追い込む? 違う違う。アイツは俺を信じず相談もしなかった。それを誰かのせいにするのはおかしい。だから幸助に気持ちが向きましたって言われて、はいそうですかなんて思えないしな」
五十嵐さんにも本当は言いたい事はある。だが俺の家まで来た事は、相当な勇気がいったはずだ。俺が同じ立場なら、そんな行動は出来なかったと思う。大半は俺の事なんて何とも思ってないだろうしな。でもこの子、単独でこんな動きをして大丈夫か? こう言う場合、集団心理として悪意を向ける対象に成り兼ねない。
「なぁ五十嵐さん。大学でハブられたりしてないか?」
俺の問いにビクッと身体を震わせ、俯いてしまう五十嵐さん。やっぱりな。五十嵐さんの話を聞いて思ったんだよ。俺の為に怒ってる人なんて、ごく少数しかいないってな。大部分の人は、問題が大きくなったらどうしようと考えるから。そんな状況で1人が動けばどうなるか?
「全く懲りてねぇじゃん。標的が変わっただけだろ」
「でも私が友人の言う事を聞かなかったから。今はその友人とも距離を置いています。私と一緒だと......」
「だからハジメ。大学で小春ちゃんを助けてあげてよ。強くなったハジメなら出来るでしょ?」
「父さん。母さんが俺に無茶振りするよ。俺は今朝退院したんですけど?」
「まっ。頑張れ。後ろに俺たちがついてる」
俺はため息をつき、返事を保留した。話が急展開過ぎて、頭が追い付かない。母さんは彼女を気に入ったんだろうけど、俺に言ってない話もありそうだ。就活で知り合う? んな訳ねぇだろ! 母さんの会社って外資系じゃん! それに母さんは人事に口出し出来ねぇし。
なし崩し的に引き受ける事になりそうだが、敵だらけの大学生活って通いたくないなぁ。