劣等感
Side:真希
私、桜井 真希は、小さな頃から劣等感の塊だった。家では常に姉と比べられ、出来ない子だと言われる日常。だから家の外でだけは、弱い自分を見せられなくなってしまったの。そんな私の側に居て、私の話を静かに聞いてくれたのが、彼氏である近藤 元だった。
物静かな彼には、家での反動でキツく当たってしまう。いくら私が酷い事を言っても、ハジメだけは私から離れて行かなかった。他の子はみんな私から離れて行ったんだけどね。ハジメはイケメンでも無いし、自己主張するタイプでも無い。でも気づいたら、そんな彼の事を好きになっていたの。一緒に居るだけで心から温まる、不思議な魅力が彼にはあったから。
そんな難しい性格の私だけど、ハジメ以外にちゃんと同性の友人も居る。村井 桜子は、名前の桜という文字が一緒だったから、その話題で盛り上がり仲良くなった。最初に話しかけられた時は、グイグイ来るから驚いたんだけどね。私って他の同性からも嫌われてたし。でもハジメと同じで根気よく話を聞いてくれるから、彼女とだけは喧嘩もなく過ごせたのよ。たまに必要以上に距離が近いから、ちょっと怖く感じる事もあるけどさ。だけどその桜子の彼氏である、石井 幸助は嫌い。
ハジメや桜子は私の話をちゃんと聞いてくれるけど、幸助は私の話を聞かず自分の主張を通そうとするの。だから顔をあわすたびに、言い争いが始まるんだよ。きっと私達2人は、お互いが反面教師みたいに見えていたんだと思う。でも私は桜子に対する横暴な態度が気に入らないのよ。それを指摘すると、逆にハジメの事を言われるから余計にムキになっちゃうんだ。似た者同士なのにね。
時には頭に血が上って、激しく言い合っちゃうんだけど、そんな時には必ずハジメが私達の間に入って止めてくれた。幸助はハジメに対しては強く言わない。友人だし大切に思っているんだと思う。何か分かり合ってる2人に嫉妬してしまう自分が、とても恥ずかしいの。だから余計にハジメに対して意地悪しちゃうんだよね。家に帰ってから何時も反省してたのは、ハジメに伝えられずにいるけど。今思えばちゃんと気持ちを伝えていれば、あんな最悪な事にはならなかったのかも知れないよね......。
私達4人は気がつけば常に一緒に居た。普通はこれだけ毎日言い争っていたら、どちらかのパートナーに呆れられると思う。でもハジメも桜子も、私と幸助を見放す事は無かったんだよ。だから無条件に、安心していたんだと思う。ハジメは何があっても私を見放さないって。1人にはしないってね。
そんな4人に少し転機が訪れたのは、高校3年の受験時期だった。私はハジメが希望する大学へ一緒に行きたかったから、自分なりに一生懸命に努力したの。分からない所はハジメに助言を求めてね。ハジメは私達の中では1番頭が良かったから、そんな彼にマンツーマンで教えて貰える私は、とても恵まれていたんだよ。だから頑張れた。ハジメは常に寄り添ってくれて、徐々に私の受験に対する不安は薄れて行った。目に見えて成績が上がった時は、一緒になって喜んでくれたよね。
でも成績が上がった事を桜子に言ったら、真希だけズルいって言われたの。仕方なくその事をハジメに相談したら、どうやら幸助からも勉強の事で相談を受けていたみたい。私の事は言わずに、断ってくれてたみたいだけどね。幸助より私を優先してくれてた事は、本当に嬉しかったよ。でもそれと同時に、ハジメを独占する自分が嫌になったんだ。だから密かな楽しみだった勉強会に、桜子と幸助も参加する事を私から提案したのよ。
私もせっかく仲良くやってきた桜子と離れるのは嫌だったし、この時ばかりは幸助との言い争いも控えて頑張ったわ。そして受験を終えたんだけど、なんと4人とも同じ大学へ合格。これって奇跡だと思ったわ。だからこの関係が何時までも続けば良いのにって、本気で考えていたの。
そんな私達の関係に亀裂が入り始めたのは、大学に入学して暫く経った頃だった。私達とは学部が違うハジメとは、講義の時間が合わない事が多いのよ。だから普段は講義が空いた時間か、終わった後に集まる事になっていた。その日は私達が早く終わって、ハジメを待っていたんだけどね。桜子と幸助が席を外したタイミングで、同じ学部の女の子に話かけられたのよ。
「桜井さんってさ。近藤君と付き合っているんだよね?」
「あはは。そうだよ。何? ハジメの事知ってるんだ?」
「知ってるというか......ちょっとね」
「何? その奥歯に挟まった感じ。ハジメに何かあるの?」
言いにくそうに顔を背けるその子に、私は言いようの無い不安を感じたの。だからほとんど無理矢理に聞いてみたんだよ。するとその子からハジメの噂を聞かされたんだ。何でも学部で自分の頭の良さをひけらかしてるってさ。聞いた瞬間、これは無いって思った。
ハジメはそんなタイプじゃ無い事は、私が1番知ってるから。だからその子にはキッパリと否定したよ。誰が言い出したのかは知らないけど、見つけたら絶対訂正してもらおう。折角話してくれたのに、かなり怒っちゃったよ。でもね。その日以降も次々と変な噂が聞こえてきたのよ。酷い噂だと、女の子に声を掛けまくってるナンパ野郎とか。本人を見たら分かりそうなものなのに。歯痒い。
流石に私もハジメには直接聞いたけど、キッパリと否定していたから噂は真実じゃないはずだった。だけど一度感じてしまった不安は、どれだけ信じていても拭えない物なのよ。そんな私の気持ちを、桜子は何時も親身に聞いてくれた。その上で今度は桜子からも、ハジメのおかしな点を指摘されてしまう。
「ハジメ君ってさ。本当に講義に出てるのかな? 今日も居ないけど、実は遊んでたりするかもよ? 真希が信じたい気持ちもわかるんだけどね。たまに連絡がつかない時があるって、言ってたでしょ? 私達って学部違うから確かめられないけど、メールぐらい返せると思うし。何も無ければ噂なんて立たないはず」
「確かにそうよね。かと言って直接見に行けないけど。例え電話は無理でも、メールも返せないのはおかしいかな?」
桜子の言う事は、もっともだと私も思った。もしかして今頃、他の女の子と一緒に居るんだろうか? そんな不安ばかりが日に日に積もって行く。だからハジメには内緒で桜子と講義のある教室へ向かったんだよ。そしたらね 。その教室から仲良さそうに女の子と話をしながら、ハジメが出てくる姿を見てしまったのよ。
もう心臓はバクバクしたし、どうしたら良いのか分からなかった。でもこの時はハジメが私に気づいて、すぐにその子と離れて私の元へ来てくれたんだ。
「あの子と仲良いの?」
「ん? さっきの子? 教授から資料を集める様に頼まれたらしいよ。特に知り合いでも無いけど?」
「そ、そう。分かった」
「何だよ。また変な噂? 一体誰が言ってるんだろうな。俺なんか学部でも目立たないのに」
何でも無い様に答えるハジメの顔を、私はマトモに見れなかった。だって私以外にもあんな笑顔を見せるんだって思ったから。おかしいよハジメ。誰にでも優しくするの? 私だけじゃないの? 私いま不安だよ!
その後も私の知らないハジメの噂は、周囲から頻繁に入ってくる。実際にあんな光景を見てしまったから、聞くたびに思い出してしまうのよ。もうこの頃には、否定するハジメの声が届いていなかったと思う。
それでも3年生になるまでは、大きな問題は起き無かったんだけどね。私の心がもう限界だったんだよ。そんな時に何時もは私の話を聞かない幸助が、見兼ねた様子で寄り添ってくれたの。毎日幸助が側に居てくれる時間が増えて行って、私の癒しの時間だったんだよ。ハジメは居て欲しい時に居ないんだもの。次第に私の心は幸助に惹かれていったわ。自分でもそんな気持ちの変化を、ハッキリと自覚してしまった。
こんな気持ちを持ってはいけない。幸助は桜子の彼氏なんだよ? だから誰にも悟られては駄目だ。私は必死に自分の気持ちを押し殺し、普通に接していたつもりだった。でもある日、周囲から聞かれちゃったんだ。
「ねぇねぇ。真希。幸助君と良い感じじゃん。近藤君から乗り換えたの? 彼って桜子と別れたのかな?」
「ちょっと! そんな事ないよ! 桜子に聞かれたらどうするのよ!」
「あら真希。私は特に気にしていないわよ。軽薄なハジメ君と違って、幸助は良い男だもん。好きになっても仕方ないわ」
「さ、桜子居たの⁉︎ へ、変な事言わないで⁉︎ 私はそんなつもりなんて......」
自分でも分かるほど顔に熱を持っていた。そんなに私って分かりやすいんだろうか? 慌てる私に対して桜子は、笑顔のまま言ったの。
「ねぇ真希。今後幸助と私が、どうなるかは分からないけどさ。真希も自分の気持ちに正直になるべきよ。だからその前に、あの軽薄男に引導を渡そうよ」
桜子は真っ直ぐ私の目を見てそう言ったのよ。その言葉は私の中にある感情を震わせたわ。そうだ。私はハジメに対する気持ちが無くなったのよ。あんな軽薄な奴は、私にはもう必要ない。そう考えると頭の中にあったモヤが晴れて行った。
それからは幸助も交えて、3人で計画を練った。私に寄り添わない男なんて必要ない。アイツが私を裏切ったんだから、何をされても自業自得だよって思いながら。私の苦しみを、アイツにも味合わせてやるんだ!
幸助と桜子も気持ちは同じ。私にはこの2人が居れば、アイツは必要ない。私達はドス黒い感情のまま、計画を立てて行った。ハジメの前では平静を装いながら。
計画当日まであと少しという時、幸助と旅行の話で楽しく盛り上がっていたら、桜子にキッと睨まれた。その目線を追うとアイツが隠れる様に近くに居た。しまった。気が緩んでいたわ。
私も幸助も焦っていたが、そこは冷静な桜子が対応してくれて助かった。でもね。その後のハジメの発言に、私は驚いていたんだよ。4人部屋にしようとか、ダイビングはしないとかさ。そんな事を言うハジメを見たのは初めてだったから、私は困惑したんだと思う。でもすぐに切り替えた。変わったのはアンタだけじゃない。
私と幸助は普段通りを装いながら、ハジメの意見を全て却下した。すると薄笑いを浮かべながら、引き下がったのよね。何その顔? 気持ち悪い。自分が悪い癖にさ。早くその顔を歪ませてよね。私は本気でそう思っていた。
そして迎えた旅行当日。待ちに待った計画が始まった。普段なら家から一緒に駅に向かうけど、この日は駅で集合にした。もう2人で居る時間がわずらわしいのよ。
そんな私の気持ちを知らないハジメは、何時もと変わらない様子で集合場所に来た。ずっと下を向いているから、少し声をかけてみたらさ。
「ちょっと寝不足なんだ。空港まで寝るよ」
何て言うから笑いを堪えるのが大変だったよ。きっと旅行が楽しみだったのね。21歳にもなって、寝られないなんて子供なのかしら? 馬鹿みたい。
あまりにも面白かったから、幸助と飛行機の中で見せつける様にはしゃいでた。ほら。幸助と私の息はピッタリなのよ? アンタの入る隙間なんてない。だから寝たふりしないでこっちを見ろ。そんなタイミングで、携帯に桜子からのメールが届く。ふむふむ。お楽しみは明日ね。私は笑顔で桜子に頷いた。
ホテルに着いたらすぐに荷物を置いて、私は先に部屋を出た。やっぱり3人部屋が良かったなぁ。アイツと同じ部屋なんて息が詰まりそう。私達3人は集合してから観光を楽しんだ。アイツは1人遅れて着いて来ていたわ。時おり笑ってるから気持ち悪い。
流石に私達の態度に気づいたのか? この日はアイツから積極的に話かけてくる事は無かった。まぁ今度は部屋に戻った瞬間、ベッドにダイブして無視したんだけどね。向こうから視線を感じたから隠れて見たら、しょんぼりした顔をしてから布団を被ってた。その表情が面白くて、桜子に直ぐメールしたよ。笑いマークいっぱい付けてね。
それに対しての返信がまた面白かったから、バレない様に笑うのに苦しかったよ。ひとしきり笑った後は、私も早めに就寝。そしていよいよダイビング講習の日だ。ウフフ。桜子に言われた通り、私は幸助と同じ班になる。それを知った時のアイツの表情は、滑稽だったわね。でも思ったよりも反応が薄いから、少し拍子抜けだったけど。私はそんな事より幸助とのダイビングを楽しみたかった。海中で手を繋いでエスコートしてくれたから、幸せな気分になれたよ。
でもそんな楽しい1日が、アイツのせいで台無し。青白い顔して部屋に戻ってきてさ。小鹿みたいに震えているのよ。その状態で私を悲しそうな目で見てくるから、腹が立っちゃってさ。いっぱい暴言を吐いて、部屋を飛び出したんだよ。必死に謝ってたけど、アンタの話に興味ないっての! せっかく今日どれだけ幸助が優しかったか、特別に話してやろうと思ったのに。
そのまま私は桜子達の部屋に行ってたんだけど、食事の場で虐めようって話になって部屋に戻ったんだよ。でもアイツは爆睡して起きなかった。手で触るのも嫌だし、そのまま3人で食事したけどね。美味しい食事とお酒も飲んだし、気分はハイテンション。その後、桜子とお道産屋さんを見ていたら、幸助からメールが来る。アイツが起きたみたい。隠れて見に行ったら、1人で食事してたわ。
まるで人生に絶望したサラリーマンみたいな姿を、3人で笑いながら観察。何であんな奴に固執していたんだろう? って本気で思ったわ。それからアイツが外へ出て行くタイミングで、桜子からある提案された。元々最終日にするはずだった事を、今やろうって言われたのよ。ちょっと恥ずかしい作戦なんだけどね。お酒の勢いもあるから、ノリノリでOKしたわ。
先回りした浜辺で待つ事暫し。心地よい風に吹かれて気分は最高だった。そんな私に向かって、幸助がゆっくりと歩いてくる。周囲は浮かれたカップルでいっぱいだし、私もそんな雰囲気に完全に酔っていたわ。
身体を密着させる様に隣に座った幸助の肩に、自然に反応して頭を乗せる私。ああ。ちょっと恥ずかしいけど幸せ。幸助に見つめられて、私は恥ずかしくて視線を逸らした。でも幸助は強引に私の唇を奪った......,
え⁉︎ ちょっと待って⁉︎ キスはするフリだけだったわよね⁉︎ 私はパニックになり、慌てて幸助を突き飛ばす。そんな私の反応が予想外だったのか、幸助は尻もちをついて固まっている。あれ? 何で私は怒っているの? どうして私は、アイツの居る方へ振り向けないんだろう? ここで幸助と振り返るはずだったのに......。
そんな私達に聞こえて来る桜子の絶叫。そこで正気に戻った私達は、慌てて桜子に駆け寄った。泣き叫び暴れる桜子を幸助が必死に抑える。周囲も私達の異様な雰囲気に、皆が遠巻きにこちらを伺っている。それでも叫ぶのを辞めない桜子の言葉を聞き、何故私が怒っていたのかを悟った。
「何で怒ってくれないの? 私は見放されたの?」
私はそう呟いたのだ。急に身体が震え出し、これまでの自分の行いを振り返る。すると居ても立っても居られなくなり、私は桜子達をその場に残し、ホテルへ向かって走っていた。謝ろう。ちゃんと謝れば、ハジメなら聞いてくれるはず。何故未だにそんな事を思えたのか分からない。
......でも私のそんな淡い期待は、荷物の無くなった部屋を見て絶望に変わる。もうパニックだった。桜子達にその事を連絡した後、私は必死に電話をかけ続けた。メールもいっぱいしたよ。でも電話は通じなくなってしまった。
翌日、ダイビングの講習もキャンセルし、私は一日中ホテルの部屋に篭った。桜子と幸助も私を呼びにすらこない。夜になり、ハジメの自宅へ勇気を出して電話したんだけどね。ハジメのお母さんに、ハッキリと取りつがないと言われ切られちゃった。
ああ。知られちゃったんだ。私達のした事を。
「どうして私を1人にするの?」
私のそんな呟きは、虚しく部屋に響くだけだった......。