巣立ち
最終話
再び大学へ通い始めて3ヶ月。年が明け後期試験も終わり俺の留年は決まった。いや留年は少し前に決まっていたんだけどな。出席日数の不足はどうしようも無かったから。やはりどんな理由であれ、決められたルールを守れなかった俺の責任だ。そこは反省して卒業まで頑張ろうと思う。
俺の周囲で変わった事と言えば、今は俺の隣に五十嵐さんが居ない事。彼女には就活もあったが、理由はそれだけじゃない。大学内で学生同士の騒ぎが起き、その対応にまわるらしい。らしいと言うのは、本当の理由が分からないから。彼女の交友関係を知らないので、何が起こったのか知りようもない。その代わりと言っては失礼になるけど、五十嵐さんを通じて話せる学生が数人出来たよ。
今はまだ他人と深く付き合うのは無理だ。だけど自分で考えていた程、大学生活は辛く感じないよ。変に干渉される事もないし、ここ最近では俺を意識する人もいない。あれだけ悪態を投げつけられていたのが、夢だったんじゃないかと思うほどなんだ。でも違和感もある。
広い構内とは言え、学生の行動範囲なんて知れているだろう? 俺も入学してから足を向けた事の無い場所なんて、未だに数え切れないほどあるし。サークルや部活に入っていなければ、関わりの無い場所へ行く事もないから。それなのに俺と似た行動範囲だった学生と、すれ違わないのも不思議なんだよ。向こうが俺を避けている可能性もあるが、1人2人じゃないしさ。
だから勇気を出してあのテラスにも行ってみたよ。恥ずかしながら1人では無理だったけどな。結局、顔見知りも居なかったし、誰も俺の事など気にもしていなかった。時期的に3年は忙しいと言う理由もあるだろうけどね。就活って3月に入っても忙しいらしいから。俺も来年は頑張ってるはずだ。
そんなある日。俺は父さんから誘いを受け、個室付き居酒屋に連れて行ってもらった。以前から父さんの夢の話も聞かされていたし、俺も体調は悪くないから快く向かったよ。
入店して暫くは、大学生活の話を中心にした。父さんは笑いながら聞くだけだったけどな。親子で酌み交わすお酒も、たまには良いと思ったよ。俺はそれほど飲めないけど。場が静かになった時、父さんが俺に言う。
「なぁハジメ。お前1人暮らしをしてみないか?」
「え? 何だよ突然。まぁ憧れもあるけどね。家事も引き篭もってる間に、少しは出来る様になったし。でも何で?」
「本当はこう言う席で話す内容じゃないが、父さんも酒でも飲まないと話せなかったんだ......」
ここからの話はあくまでも父さんから聞いた話だ。
俺が家に引き篭もってから、両親は俺の為に交互に休みを取る事にした。病院の送迎は自家用車が必要だ。そうなると父さんが自宅に居る時間も増える。暇を持て余すぐらいならと、慣れない家事にも挑戦したそう。簡単な物でも作ろうかと思ったが、何処に何があるやら分からない。キッチンは母さんの聖域だしな。そこであちこち開け回っていたら、収納の奥に封筒が置いてあるのを発見。
こんな場所には不釣り合いな封筒。キッチン設備の説明書? 不思議に思いながら中を確認すると、示談書や告訴などの控えだったという。記載されている名前や示談書の日付を確認すると、これまで母さんが何をしていたか分かった。
父さんは先ず、書類に記載されていた代理人弁護士へ連絡。しかし家族でも詳細は教えて貰えなかったんだ。依頼人の情報は教えられませんってさ。父さんは悩んだ。きっと息子の為にやった事だ。だが何故? こんな大切な事で相談もない? もしかしてまだ何か他にもあるのか? 家での母さんは普段通り変わらない。変化があるとすればあの学生ぐらい。
悩んだ末、父さんは母さんの行動調査をプロに依頼。10日程の調査で頻繁に小春と外で会っている事が判明。会話の音声データから、何を狙っていたかも分かった。更に調査を続けてると、自宅マンションで起きていた事件にも、間接的に関わっている事も分かった。しかもやはり息子絡み。事件を起こしたのは息子を追い詰めた男だ。流石にもう黙っていられない。父さんはこれらの証拠を持って、母さんに突きつけたらしい。
「それで母さんは何を話したの?」
「まぁ理由は分かるだろ? 俺も母さんの気持ちは理解出来る。やった事も否定しない。親なら子供の為に鬼にもなる。だがやってはいけない事もあるんだ」
父さんはお酒を一口飲んでから続ける。
話し合いは俺に聞かれない為に、平日にしたそうだ。ちょうどと言っていのか? 俺が再び大学へ通い始めた時期だ。たまには2人で過ごそうと言って誘ったそう。
最初こそ自宅でまったりと会話を楽しんでいた。父さんにとっては幸せな時間。それを自分から壊すべきなのか悩む。だけど普段通り何も変わらない母さんを見て、もうこれは駄目だと感じたそう。夫の俺には何の相談もしないのか? そう思ったんだってさ。
だから父さんは調査会社の調査書を母さんに見せ、今まで何をしていたか説明を求めた。既に示談書などを見た事も伝えてさ。ここで嘘を話すならもう家族ではいられない。そんな覚悟を持って父さんは待った。
すると母さんは姿勢を正して、父さんに頭を下げたらしい。いつかこう言う日が来ると覚悟していたと。
そこから母さんは、自らの口で全てを話した。その話は父さんが想像していたものより巧妙で冷徹。狙った相手を出来る範囲で追い込む手法に、恐怖さえ感じるほどだった。しかしそれも母さんが、弁護士や調査会社を使っただけであれば、父さんも何も思わなかったんだ。でも五十嵐さんを駒として使った件は許してはいけない。
事実に基づき、息子を追い詰めた人間を法の範囲内で追い込むのは良い。決して褒められた行いではないが、親として、家族としては許せないものもある。本人は成人であってもまだ学生だから、やり過ぎた行いを大人が嗜めただけだ。
しかし善意を利用して息子と同じ年齢の女の子を道具として使ってはいけない。調べるなら調査会社だってある。協力して貰えた事に感謝し、きちんとお礼を言うべき話だろう。使い捨てなどと考えた母さんには、ガッカリしたそうだ。
「だから五十嵐さんを見なくなったのか」
「彼女には父さんも同席の上で謝罪した。彼女は泣いていたよ。やっと瞳から解放されるってな」
「瞳から解放? 何の事だろう。まぁ良かった......のかな。じゃあ他のグループと揉めてるってのは嘘? 俺はそう聞いてたんだけど」
「揉めていたのは事実だそうだよ。既に専門家が動いているみたいだけどな。内容は詳しく言えないが、SNS絡みだ。例の村井さんと同様と言えば分かるだろ?」
「桜子の件か。今日聞いたばかりだから、正直実感が湧かないよ。まぁ大学で見ない理由は分かったけどさ」
今日の話は俺には不意打ちだった。何故いきなり1人暮らし? から始まり、突然の父さんの告白。しかも中身が母さんが俺の為に動いていた話だ。
沖縄での事は客観的に見たら、既に振られていた俺が何も知らずに事実を知らされただけ。そのやり方については、俺には理解は出来ないけどな。俺があの3人の事を知らな過ぎたのも原因だろう。
約10年近い時間を騙されていたのなら、彼らは優秀な役者とも言えるよ。でもこれは俺の方から見た考えであって、彼らには違う言い分があるのかも知れない。もう聞きたくないし、知りたくないけどな。やっと最近、自分の中で踏ん切りがついた事を今更蒸し返したくないんだ。
だからまさか母さんがそれほど怒っていたとは思わなかった。確かに3年近くかけて色々されてたし、嫌がらせで済ませるレベルでは無かったかも知れない。俺が精神的に追い込まれていたのも事実だし。
俺個人で大学内の状況を変える事は不可能だっただろう。終わるまで黙って耐えるしか方法は無かったよな。それを変えてくれた母さんに感謝こそしても、恨みなんかない。母さんは俺に恨まれると言っていたらしいけど。
多分母さんの中でも葛藤はあったと思う。母さん自身もあの3人とはそれなりに長い付き合いだったしな。特に真希は頻繁に家にも来ていたから。今思い返せば、3人の事でたまに変な質問はされていた気もするけど。
そんな3人は、桜子が名誉毀損で告訴〜地方への追放と家族との縁切り。幸助は2件の容疑で逮捕。前科付き〜地方へ追放か。父さんの話では逮捕時に釈放まで時間が掛かったのは、母さんが幸助の父親に今回の経緯を話していたかららしい。まぁ逮捕はアイツの自業自得だが。
ただ真希に対しての母さんの話が理解出来ない。桜子と幸助に比べたら、俺にした事なんて面倒な計画を立てて、幸助との仲を見せつけただけ。まぁ確かにアレは心に突き刺さっているけどな。好きだった彼女だから落ち込んだんだし。
俺としてはやり直す選択はないし、自然と忘れたいと思っていた。なのに五十嵐さんと2人で俺の為に協力させたとかなんとか。一体何の為だったんだろうな?
「母さんについては、細かい話を除いてそれだけだ。それで最初の質問に戻る。1人暮らしをするつもりはあるか?」
「はい。と答えれば良いんだよね? 理由は知りたいけど」
「ハジメ自身も色々あった。父さんも本気で心配したよ。一時は命も危なかったんだからな。でも今は回復し精神的にも強くなってくれた。でもな。母さんは何時までもハジメが心配なんだ。今以上に暴走する可能性もある。だから」
父さんが言うには、母さんは幼少期から共働きで家族の時間を持てなかった事を悔やんでいた。それが今回の件で少なからず叶った。今の幸せを誰にも壊されたくない。だから俺の為なら何をするか分からない。もう歯止めがきかないかもしれない。歪んだ愛情で、俺を守る為に何でもするだろうって言うんだ。
「確かに病院から退院した頃から、顔つきも少し変わった気がするよ。表面上は普通にしてたけどさ」
「父さんはそれを見抜けなかった。夫婦なのにな。だから余計に今の晴美の状態は心配なんだ。荒療治にはなるが、ハジメを離す事で晴美を助けたい」
「分かったよ。母さんの事よろしく」
「おう。任せろ。晴美への愛情ならお前には負けん」
「はいはい。ご馳走様」
この後、俺は2駅ほど離れた街のワンルームマンションで、1人暮らしを始めた。たまに母さんからの手料理が送られてくるが、家への訪問は無い。
大学生活は可もなく不可もなく、今も俺なりには順調だ。一度だけ真希の姿も見かけた気がするが、俺の勘違いかもしれない。長く住んだ街から離れた為、桜子や幸助のその後の噂は聞かないよ。
五十嵐さんも同様だ。 母さんが迷惑をかけた分、幸せになって欲しいと思ってる。
今回俺の身に起こった事件は、人によって受け取る印象が違うだろう。物事は見る方向により異なって見える場合もある。
俺にとっては長く付き合った彼女と親友たちに、こっぴどく裏切られ振られた話であるようにね。
全ての読者様に深い感謝を。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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