操り人形
Side:小春
私の軽率な判断で1人の女性を傷つけてしまった。知り合いでもない人から受けた簡単なアルバイト。それがあんな話になるなんて思わなかったよ。小百合に頼まなければ、知らなくて済んだかもしれない。
だけど知ってしまった以上、動かなけば気がすまない。すぐに桜子にお金を返した。でもそれは私の自己満足でしかない。近藤君の家に行ったのもそうだ。その行動が発端で鬼を起こしてしまうとは思わなかった。あの時の晴美さんは本当に怖かった。だって私が話してる途中に見た、晴美さんのあの瞳。もうこのまま帰れないんじゃないか? と思ったもの。
小百合の方はそんな事も知らずに、ずっと聞いているフリをしていたよね? 帰り道で私に言った言葉で分かったよ。
「私らって巻き込まれた側でしょ。わざわざ家まで行ったんだし、もういいじゃん。それより今からカフェ行かない? 今調べたら駅前に新しいお店が出来たんだって!」
「私はそんな気分じゃない」
「ええ〜。じゃあ私、別の子誘うね〜」
あの時、小百合はそう言って、私を置いて帰って行った。帰る時、舌打ちしてたの見てたよ。きっと大半の人間はその程度の事なんだろう。噂では知っていても、当の本人の事は何も知らないし、知ろうともしない。皆んなが言ってるから、そんな奴なんだと。だから何を言おうと関係ない。そこに悪意すらない。
私も近藤君の噂話は知っていても、彼の事に興味は持っていなかった。だから桜子のバイトの時に、興味本位で話しかけたんだよね。話をしてみたら普通の人だったわ。印象に残ったのは、笑顔が優しかった事ぐらい。
じゃあ何故、前のめりに動いたのか? それは近藤君がされた事が、私の過去の経験と重なったのよ。高校時代にイジメを受けてしまった友人の話とね。イジメと言っても内容自体はありきたりのもの。SNSのグループ内で悪口を言われたり、学校内で無視されたり。直接的な暴力はない。だからやっている方はただの遊び。そこに恨みや憎しみすらない。
でもされる方は違った。友人は本気で悩み不登校になったの。そうなってから皆が騒ぎ出す。責任をなすりつけ合って、誰もが逃げるだけ。私だってそう。友人の為に何も出来なかったんだから。そんな事をしたら自分が巻き込まれる。だから自分の為に友人の家に行ったの。心配しているフリをして。結果は......友人を失っただけだった。
「だからまた偽善者をするの?」
自分の口から出た言葉。否定できない言葉。近藤君の為じゃない。失敗した過去から楽になりたいだけ。それでも私は行動を起こした。名刺に書かれた携帯に電話して、晴美さんに言ったんだもん。私が出来る事なら何でもするって。
その後、駅前で晴美さんと待ち合わせして、2人で話をした。晴美さんは終始穏やかだったけど、瞳は一切笑っていなかったんだよ。その時の晴美さんの瞳は、あの友人が私を見た瞳と同じだった。強い恨みの篭った瞳。ああ。もう私は逃げられない。そう心で感じた。
晴美さんが最初に私に求めたのは、桜子達が悪評を振り撒いた証拠探し。私はこれについて心当たりがあったの。確か私の知り合いに、桜子達と付き合いのある子が居たから。その子が言ってたのよ。某SNSのグループがあるって。
だからすぐに調べられたわ。そして見つけた。桜子本人のアカウントを。表も裏も含めてね。裏のアカウントは真希と幸助にも内緒みたいだった。近藤君の悪口は勿論、真希や幸助の愚痴や大学の友人の悪口まで色々と書いてあった。グループ内のやり取りでは良い事ばかり書いてあるのにね。近藤君の事以外は。
私はすぐに、そのアカウントとグループの事を晴美さんに教えた。でもそれ以上は何もしていない。後はこちらでやると言われたしね。でもその代わり次の指示が入る。他のグループも調べろって。流石に私は躊躇した。私にも人間関係はあるから、やり方によっては何を言われるか分からない。
でも私の口からは......。
「わかりました」
やっぱり晴美さんの瞳からは逃げられない。私は必死だった。表だって動けば目立つ。だから薄い関係の学生から、徐々に広げて行ったのよ。でもその頃から交友のあった学生に避けられる様になる。もしかして私の動きが誰かにバレた⁉︎ そう思ってたら実際は違ったよ。
「アイツだろ? 自分だけ良い子ぶって抜け駆けしたらしいぜ」
「黙ってりゃわかんねぇのに。余計な事するなっての」
「うっざ。白けるわー」
私の耳に入るのは、そんな言葉たち。私は安堵した。だってこんな人達に嫌われるより、晴美さんに失敗を伝える方が怖いから。それに犯人は1人しかいないよね? 貴女は自分に賛同する人以外認めないから。サークルの女王様だもんね。見た目は清楚でお淑やか。なのに飾らない。だから外面は良い。でも反面、好き嫌いが激しい。今度は私が標的かな? 小百合。
私は手に入れたSNSの情報を再び晴美さんに伝えた。そして大学内での私の立場も。すると晴美さんは笑顔で私にお礼を言った後、小百合との交友を禁じたの。これが3つ目の指示だったわ。私はすぐに了承した。だって既にそうなっているもの。表面上は前と変わらないけどね。
この頃はまだ、私は自分を保っていたの。だから大学内での孤立には、少なからず悲しみも感じていたのよ。私は4つ目の指示に躊躇した。だって避けていた真希に近づく事だったから。彼女はきっと私を恨んでいる。それが怖かった。
でもやっぱり断れない。だから諦めたのかな。次の日には真希の元へ向かっていたし。それも追加された指示を遂行する為に......。
「ごめんなさい。謝って許されると思ってないけど、本当にごめんなさい!」
この言葉は本心からだったと思う。それに対して真希の反応は薄い。私が誰だか分からない様だ。あれ? 何で私の事を覚えてないの? 私があれだけショックを受けたのに。
腹が立って真希に桜子から受けたバイトの話をした。真希は暫く考え込み、ようやく思い出したみたい。私の後悔した行いって、貴女にとっては忘れるぐらいの事? 何なのこの女。そう思った私は更に情報を追加した。
すると真希の反応は激変したわ。もう狂った様に取り乱して、泣きながら謝罪の言葉を吐き出したの。私は冷めた目でそれを見ていた。この女はただの悲劇のヒロイン。自分に酔っているだけ。私は悪意を持って情報を追加。この女は私が近藤家に行った事を知らないはず。それを知れば壊れるよね? その方が晴美さんの希望が叶う。
私のそんな考えは的中した。
「もうこんな私なんて消えた方がいいよね。ハジメの前から」
「そこまで思えるなら......」
私はスラスラと晴美さんからの指示の内容を話した。近藤君の為にと言う魔法の言葉は、効果覿面だった。希望のこもった瞳で私を見る真希。おあつらえ向きに幸助がいるからね。何故か私の後をつけて来たのも知ってるのよ。だから真希に幸助の姿を見せた。そうしたら真希の瞳に光が灯ったわ。これで前段階は終了。
私は真希と別れた後、晴美さんに接触成功の連絡を入れた。
「分かった。こっちもやる事があるから、暫く小春さんに任せておくわ。それと必要な物を準備したから、駅前に来てくれる?」
「はい。すぐに伺います」
この通話の後、私は晴美さんと落ち合い、デジカメやICレコーダー、必要経費を受け取った。私はそれらを見ても何も感じなかったわ。もう晴美さんの指示は絶対で、言われた事に従うだけだったから。
翌日以降、私は頻繁に真希と大学内で会う。そこで私が避けられている情報も話し、真希と立場も近い事を匂わしておく。この時に近藤家に行った話を誰にもしていない事も言っておく。これは真希に緊張感を持たす為だ。
誰かが情報を漏らすと考えれば、不必要な行動をしなくなるだろうし。幸助にこちらの動きはバレたくないからね。あくまでも保険。すると狙いどおり真希の私に対する依存度が上がった。それでも幸助の悪口なんかは、興味が無いから聞き流したけどね。
この頃の真希はかなり張り切っていたわ。私の期待以上の動きだったと思う。渡したデジカメやICレコーダーでどんどん動画や声が集まってる。ある程度集まるまではそのまま真希に預けておくけどね。その方が真希のやる気になるだろうし。
私は真希が動いている間に、小百合グループを嫌う学生に声をかけていた。晴美さんにとっての私の様に、使える手札が欲しかったのよ。色々と幸助の情報を聞いて不安だったしね。男が暴走したら私や真希なんて抵抗出来ないから。
案の定、幸助は私と真希に接触しようとして来たけど、そこは私の手札達がカバーしてくれた。この事は真希には内緒だ。真希とは今だけの関係だからね。あくまでも晴美さんの指示で近寄っただけなのよ。
でも私の予想より幸助は気持ち悪い男だったわ。粘着って言うのかしら? 小百合のガードが硬いと見るや、私を標的にしたみたい。まさか近藤家まで着いて来るとは思わなかった。普通の神経なら躊躇するはずだ。この事はすぐに晴美さんに報告しておいたわ。
私の手札にも晴美さんの存在は伏せているから、近藤家に行く時は無防備になるのよね。自宅へ帰る際は頼めるんだけどさ。勿論タダじゃないけど。経費は貰っているからね。
ああ。そう言えば、晴美さんから桜子を排除した事を聞いたわ。例のSNSの情報が役に立ったと褒めて頂いた。この成功で気分を良くしたらしく、上機嫌の晴美さん。でも瞳は変わっていない。あの人の恨みは晴れていないのだろう。怖い。
何も知らない真希は、私に桜子が引っ越したと教えてくれたわ。真希は不思議そうだったけど、私は震えるばかり。一体排除って何をしたのだろう? そんな人に逆らえば私も......。
それからの私は感情を表す事が少なくなった。とにかく晴美さんが怖い。だから真希や近藤君と話していても上手く笑えない。それは自分でも分かっていたのよ。
ああ。また今日も近藤家に向かう日。もう早く終わらせたい。何時もの電車に乗り、目的の駅で降りる。ん? 珍しく携帯が鳴った。晴美さんが自宅にいる日は、電話での連絡は来ないはず。
『もしもし』
『小春! 幸助が居たよ......』
私はその電話に久しく感じなかった喜びを感じた。でもそれはドス黒い感情。アハハ。操り人形にもまだ感情が残ってたわ。あの粘着男なら狙いは1つ。私を使った近藤君への嫌がらせかしらね? それならやる事は1つ。私は真希に警察への通報を指示。その後に晴美さんへメール。吉日だと伝えておく。
そして真希に伝えた時間通りに近藤家に向かう。間も無くと言うタイミングで晴美さんから電話だ。指示の内容は大声を出し必ず身体に触れさせる事だったわ。普通なら躊躇するんだろうけど、私の足は止まらない。
背後に意識を集中し、タイミングを合わせた。突然叫ばれた幸助は、軽くパニックを起こし迫ってくる。でも怖くない。その後は簡単だった。飛び込んで来た警察官に対し、身体を震わせて被害者を演じるだけだ。
まぁ現行犯だし私の服が乱れているから、疑われる心配は無かったけどね。女性の警察官に丁寧に扱われたもの。その後は警察署で襲われた時の証言をし、以前からストーカーされていた事も伝えておいた。後日、真希から写真と動画のデータを回収して、それを持って被害届も提出。後の事は晴美さんに任せた。もう既に動いていると思うけどね。本当に怖い人だ。
さて。これで真希との関係も終わりだ。晴美さんからも関係の縁切り指示が来たからね。でも晴美さんらしくない。これで終わりなのかしら? それなら少しぐらい良いよね? 私の都合で動いても。
悲劇のヒロインなら最期は決まってるでしょ?
ちょうど良い。近藤君がとうとう大学へ向かう日が決まったし、申し訳ないけど付き合ってもらいましょう。
それから数日後、私は大学の最寄り駅で近藤君を待つ。晴美さんに聞いた時間なら間も無く到着ね。電車は時間通りに駅に入り、近藤君が緊張した姿で現れる。
「おはようございます。大学までご一緒してよろしいですか」
私は出来るだけ普通の態度で近藤君へ言う。すまなそうな近藤君には悪いが、今日は私の為にお供したい。きっと今の私は上手く笑えていない。でもそんな事は近藤君には分からないだろう。彼にとっての私は、ただの知り合いでしかないなのだから。
大学へ向かって歩く私達に会話はない。近藤君は今が1番緊張しているだろう。だから私は比較的何も気にせず、周囲を観察した。ああ。真希はやっぱりそこにいるのね。私と並ぶ近藤君を見た感想はどう? さぞ悔しいでしょうね。だって貴女と私の立場が逆転してるから。これで近藤君の気持ちが分かれば良いんだけど。ああ。やっぱり見てくれた。
立ち尽くす貴女に、私はこの光景を見せたかったの。あの日。貴女さえ私を覚えていたら、私にこんな感情を植えさせなかったでしょうね。
私は近藤君の背中に手を当て振り返る。そう。その絶望した顔が見たかった。それを確認した私は、久しぶりに普通に笑えたわ。
「ありがとう。真希」
少し驚いた表情の近藤君へ謝罪し、再び前を見て歩き出した。