違和感
俺は近藤 元。大学3年で21歳。そんな俺の彼女である桜井 真希とは、正確に何時から付き合いが始まったか分からない。と言うのも幼馴染だからな。自然とそういう感じになり、改まって告白はしていないんだ。真希に聞いても覚えてないし、何ならキスした日でいいんじゃない? って言われたから記念日はその日だ。性格がキツ目でハッキリとした物言いをする真希。口喧嘩で俺は、一度も勝った事がない。
そんな真希と対等に話が出来る奴がいる。それが俺の小学生からの親友、石井 幸助だ。幸助は間違っていると思えば黙っていられない奴だから、周囲とは特定の友人以外は上手くいってない。俺は直情的な真希で慣れてるから、特に気にせずに付き合ってたんだけどな。同じ様な性格が2人いれば、ぶつかり合うのは自然の事だろう。真希と幸助も当たり前の様にぶつかったよ。それも毎日の様にな。
「私の何がいけないって言うのよ! アンタこそ桜子を大切にして無いじゃないの!」
「自分の事を棚に上げてんじゃねぇよ! だからハジメが苦労してんだろうが!」
「またかよ。2人とも落ちつけって!」
「もう! コウちゃんもマキもやめなさいよ!」
顔を合わせる毎に口喧嘩する2人を止めるのが、俺と幸助の彼女である、村井 桜子の日常だ。桜子は、真希の幼少期からの友人なんだ。だから俺達4人は幼馴染と言っても良い関係なんだよね。そんな4人が大学まで同じとか、奇跡に近いって俺は思ってる。
しかしまぁ、毎回の口喧嘩の原因は、何故か俺や桜子の事なんだよね。友達想いの気持ちは嬉しいが、当人である俺達は別に気にしてもいないのに、激しく言い合うんだ。そんなに気に入らないのなら、無理に付き合わなくても良いと思うだろ? でも友人を遠ざけるとか俺も嫌だし、それは真希や幸助も同じだからさ。何となく最悪の展開は避けられてる。
喧嘩は多いけど、これまで2組のカップルでダブルデートやプチ旅行やら行ってるしな。なんだかんだで致命的な亀裂は訪れていない。誤解の無い様に言っておくと、俺も桜子も互いのパートナーに、言われっぱなしと言う訳では無い。激しく気持ちを表現する相手の話をしっかりと聞き、その上でこちらの意見や気持ちをちゃんと伝えているんだよ。そうじゃ無いと、恋人でいる意味がないしな。
周囲はそれが分からないから、俺も桜子も変に同情されたりする。毎回訂正はしているが、信じてもらえない事も多いから最近は諦めてるけどな。普通の恋人同士なんだけどさ。
そんな騒がしい大学生活が続いていたある日。俺は1人で受けていた講義を終え、他の3人と待ち合せたテラスへ向かっていた。同じ大学へは進学したが、俺の専攻は理系なんだよね。他の3人もそれぞれ微妙に専攻が違う。ある意味、講義の時間が息抜きなのかも知れない。そんな事を考え、自然と苦笑を浮かべながら歩いた。しかし俺の視界に入った光景が、俺の中に1つの感情を植え付ける事になる。
ん? 真希が笑ってる? という事は桜子と一緒かな? 遠目に見えた真希の上機嫌な様子に、俺の内心もホッとする。慣れてるとは言え、彼女が機嫌悪いとしんどいしな。
「おまた......せ?」
え⁉︎ 勢いよく声を掛けようとした俺の動きが止まる。途中から声が出ていなかったのか? 真希は俺に気づかず、笑顔で相手に話かけている。どう言う事だこれ? 目の前に居るのは、犬猿の仲の幸助だよな? その幸助も見た事ない様な優しい表情をしている。コレは夢か? 予想していない光景を見ると、すぐには受け入れる事が出来ない。俺だけかも知れないけど。
俺は無意識に、近くの柱の陰に隠れてしまう。本当なら喜ぶべき変化のはずなんだが、どうにも違和感を感じ頭が回らないんだ。今までは常に俺か桜子が真希と幸助と一緒にいた。だからあの2人だけで居るって言う場面を、知らなかったんだよな。今日がたまたまでは無く、俺が知らないだけなのか? でもそれなら何故、俺に言わないんだ? 何故、俺の前では言い争うんだ?
頭の中は疑問で埋めつくされて行き、考えれば考えるほど答えから遠ざかって行く感覚だ。今すぐ声を掛ければ、そんな事を考えずに答えが分かるかもしれない。それなのにそれが出来ない。身体が動かないのだ。
「ちょっと2人とも! いい加減にしなさい!」
は⁉︎ 考え込む俺の耳に桜子の声が聞こえた。俺は慌てて声が聞こえて来た方向を見る。するとそこには、見慣れた何時もの光景だ。激しく言い争う真希と幸助を止める桜子という構図。ははは。おかしいだろ? ついさっきまで仲良さげだっただろ? そんな疑問を心の中に押し込み、俺は一度深呼吸した。そしてたった今来た事を装い、その輪へ向けて駆け出したんだ。
何も変わらない様子の2人。違和感はない。だが俺には、表情まで作り物の人形に見えていた。
「はい。喧嘩は終了! それより沖縄旅行の話をする約束でしょ?」
桜子が喧嘩する2人にそう言うと、示し合わせた様に静かになる。俺はそんな2人をどこか冷めた目で見ていた。旅行と言うのは、間も無く夏季休みに入る俺達が計画したものだ。行き先は沖縄県。この旅行で念願のダイビングのライセンスを取りたいと、真希と幸助が言い出し俺と桜子にお願いしたんだ。何時も反発し合う2人にやっと共通点が見つかったと、明るい話題で盛り上がったんだけどな。今の俺には全てが2人の計画かと思ってしまう。
「ダイビングの講習も楽しみだけど、観光も何処へ行くか決めないとね。ハジメは行きたい場所あるんでしょ?」
笑顔で俺に問い掛ける真希には適当に相槌を打ちながら、何とか平静を装い観光地の名前を挙げて取り繕う。つい数分前まで楽しみにしていた旅行の話が、今はとても苦痛に感じてしまう。どうしてもさっきの光景が頭から離れず、どうにも割り切れない自分がいる。それでも何とか無難にやり過ごす事に徹した。
それ以降、旅行の当日になるまで真希と幸助の観察をした。でも2人は俺の前ではまるで何も変わらない。本気で俺は夢を見たんじゃないかと思ったよ。そして疑ってしまった自分の頭が、おかしいんじゃないかとも考えた。
そんな俺が自分を保てたのは、桜子の存在が大きかった。彼女が何時も変わらずに、真希や幸助と接してくれたからな。俺の心に余裕が出来たんだ。この時は本気で彼女の存在に感謝したよ。
俺は自分の疑念を晴らす為、色々と試してみたりもした。例えば宿泊する部屋を、4人部屋にしようと提案してみたり。しかしそれは真希と幸助が猛烈に反対。しかもカップルで分かれ、2部屋にしようとか言うんだ。普通ならそれで俺の疑惑が間違いだと判断するんだろう。でも俺は出来なかった。俺の中に芽生えた違和感が、納得する事を拒否するんだよ。
「ダイビングのライセンスって難しいんじゃないのか? 俺は泳ぎに自信ないし、辞めとこうかな。真希と幸助だけでも良いんじゃないかな」
「おいおい。俺とコイツを2人にするなよ。ハジメ? 何か最近少し変じゃないか?」
「そうよ! ハジメ! 訳の分からない事言わないで!」
「アハハ。2人共冗談だよ! 本気にするなって」
そんな提案は、少しあからさま過ぎたか。でも一瞬、真希と幸助の視線が重なった事を、俺は見逃してないぞ。だから2人のそんな受け答えでさえ、今の俺には滑稽に見えたんだ。日増しに増大する疑念に圧し潰されそうになりながら......。
そしていよいよ旅行当日。俺達は空港まで電車で移動し、いざ沖縄県へ向かった。国内とは言え飛行機に乗った事で、俺以外のメンツのテンションは高い。飛行機内では列違いで真希と幸助は窓側に座り、外を楽しそうに見ながらはしゃいでいる。俺はその間は目をつぶって、寝たふりを決め込んだ。電車で移動の際に寝不足だと言っておいたから、そんな俺に対し誰も何も言わなかったよ。決して旅行が楽しみで寝られなかった訳じゃないけどな。
数時間後、俺達は宿泊先のホテルへ到着。部屋は同じ階だが、幸助たちの部屋とは数室離れていたよ。旅行会社が変に気を使ったのかもな。荷物を置いたらロビーで落ち合い、さっそく近場へ観光に出る。今日は鍾乳洞などを見て回るだけだ。流石に俺も初めて来た沖縄で徐々にテンションが上がり、観光を楽しむ事が出来たよ。食事は多少の抵抗はあったけどな。夜遅くまでお酒を飲んでから初日は何も無く解散。
真希は部屋に戻ったら俺に構う事も無く、そのままベッドで寝てしまう。普通ならこんな夜は......。何て思う気持ちもあったけど、コレは予想してたからショックはない。と言うか最近そんな雰囲気にもならないんだよな。俺が避けてる訳じゃない。どちらかと言えば、真希が避けてる様に思う。
翌日。朝からテンションの高い真希と幸助は、俺と桜子を引っ張ってダイビング講習へ向かう。今日から3日間、海で講習を受けながら、海中散歩などを楽しむ予定だ。
ここで偶然なのか? お互いのパートナーをシャッフルする形で班が分けられた。普段なら不満に声を上げる真希と幸助が、その事に対して文句も言わない。桜子が首を捻っていたが、俺はこの時点で確信を得ていた。このダイビングのネット受付したのは真希だ。だが今日実際に現地の受付で手続きに行ったのは幸助。
初めからパートナーを入れ替えておけば、俺と桜子には分からないだろう。たまたま入れ替わったと言われれば、そんな物かと思うからな。俺の中の疑念が再び大きく膨れ上がった。だがまだだ。今はその事で揉める訳にもいかない。
「桜子。アイツらも大人だし大丈夫だろ。さぁ俺達はあっちだ。他の人を待たせる訳にはいかないよ。早く行こう」
「......そうね。分かったわ」
海の事故は怖いと言う認識はあるから、しっかりと注意事項なども頭に入れダイビング体験を楽しむ。チラッと真希と幸助も見たが、やはりあの笑顔を浮かべていたよ。何時もその感じなら、お似合いのカップルに見えるよな。活動的な2人だし。逆に控えめな俺と桜子は、周囲から違和感がないカップルに見えるかもしれない。残念ながら俺と桜子は、惹かれ合う事は無いけどな。
ダイビング体験1日目。慣れない海での活動に俺はかなり疲れていた。部屋に帰った時はもう動きたく無いほどだったんだ。真希はそんな俺に対し、烈火の如く怒りをぶつけてきた。だらしないとかなんとか。普段よりテンションが上がったのか、俺が謝っても一向に機嫌が直らない。
「もういいっ! ハジメは1人で部屋に居なよ!」
などと叫んで真希は部屋を飛び出して行った。時間的にはまだ夕食まで時間もある。暗い時間でも無いから、俺はそんな真希を追わなかったんだ。本当に身体が疲れていたから、気づいたら寝てたんだけどな。
次に目が覚めた時、部屋は真っ暗だった。かなり眠ったのかと思い、腕時計を見るとまた21時。今ならまだ食事も摂れる時間だ。そう思い筋肉痛が残る身体を何とか奮い立たせ、ベッドから起き上がり部屋を出た。ホテル内のレストランは既に人がまばらだったが、俺は1人で食事を摂った。俺を呼びに来てくれたのかも知れないが、1人寂しく食事をするのはとても惨めだったよ。だから少しお酒も飲んだ。そして部屋に帰ってからの真希の行動を思い出した。いくら楽しみにしていたダイビングを経験したとは言え、今日の真希の反応は流石におかしい。敢えて俺との時間を避けたんだろうか?
俺が頼りないのは否定しないが、何故あれほど感情的になるのか分からん。俺はレストランでの食事を終えた後、火照った身体を冷ます為に海辺へ向かった。確実な証拠も無く真希たちを責める訳にもいかないしさ。一旦冷静になる必要があると考えたんだよ。
まだ寝るには早い時間だからか、海辺へ向かうカップルも多い。南国の開放的な雰囲気は、カップルにとっては素敵なスパイスなんだろうさ。こういう時に1人だと場違い感がハンパ無いよ。
「コレはマジで気まずいな」
そんな事を思ったが、せっかく来たのだからと見て見ぬふりを決め込む。その俺の判断が、この旅行最大の分岐点なるとは、この時の俺は想像もしていなかったんだ。
ビーチは薄暗いから近寄らなければ顔は見えない。だからなのか? 海辺に集まるカップルの姿が多かった。そんな中でも俺の目は、1人の知り合いの姿を捉えた。長年の付き合いがあれば、友人を見間違える事は無い。俺が見つけたのは、幸助だった。幸助が向かう先にいるのは、シルエットから女性。普通であれば相手は桜子になるんだが......。
「......やっぱりか」
幸助の向かう先に居る女性は......真希だった。2人は砂浜で海の方向に寄り添って座り、幸助は躊躇いなく真希の腰に手を伸ばした。真希は嫌がる素振りすら見せず、幸助の肩に頭を乗せた。もう完全にカップルだ。そしてそのまま2人のシルエットが重なる。ああ。これは夢じゃない。疑惑が真実に変わり、俺の心は急激に冷めて行った。
お前らお似合いだよ。ふとそんな風に思う。この時は怒りよりもその光景を冷静に受け止め、その場から離れる為に自然と後ろを振り向いた。これ以上そんな光景は見たくない。
「......居たのか。桜子」
「うん。何も言わないんだね。ハジメ君」
「お前は知ってたんだろ? 俺だけ蚊帳の外か」
「だってハジメ君って鈍感なんだもん」
俺はその言葉で怒りを感じたが、感情の無い桜子の顔を見ると気持ちの整理がついた。俺はさらに話し続ける桜子を無視し、ホテルの部屋へ戻り自分の荷物を持って部屋を出た。もうこの場に居たくない。1秒でも早くここを離れたい。ただそれだけを考え、現実から逃げるように飛び出したんだ。このまま空港へ向かえば、早朝の飛行機で帰れる。ホテル前に止まるタクシーに乗り込み空港へ向かう間、初めて自分が泣いている事に気づいた。
一体何時から俺だけ何も知らなかったんだろう。何もかもが嘘で練り固められていたんだろうか? 情けないなぁ。タクシーの運転手さんは、窓を開けて俺に何も言わないまま走らせてくれたよ。そんな運転手さんの優しさが、この時の俺には本当にありがたかった。
タクシ-の中で思いっきり声を上げて泣いた後、到着した空港でそのまま眠らず朝まで待って帰路に着いた。この間、携帯にはひっきりなしに着信やメールがあったが、俺は何も見ずに電源を切った。信じていた人に裏切られた事だけが辛い訳では無い。自分の不甲斐なさに腹が立っていたんだよ。
あの違和感に気づいていたのなら、もっと違った動き方も出来たはずだ。わざわざこんな場所まで来る必要は無かった。傷つくのを恐れ真実から目を逸らし、何処か希望を抱いていた自分が滑稽だと思ったんだよ。でもこんな最悪な出来事から始まった休暇はまだ続く。
アイツらはどんな顔して帰ってくるんだろうな? 俺は帰り着いた家で、これから突きつけられるであろう真実に、どう向き合う必要があるのか考えていたんだ......。