思い出のその先 【月夜譚No.149】
町にあった小さな映画館が好きだった。
スクリーンは一つしかなく、客席も一クラス分ほどしかない。放映される映画の数も他に比べて随分と少なかったが、彼にとってはそれで充分だった。
小さな箱の中で小さな銀幕に広がる世界は、それこそ無限大だった。アメリカの荒野、中世ヨーロッパ、森の奥深くから神秘的な宇宙の彼方まで。そこに座っているだけで、時も空間も超えて何処へだって行けた。
夏休みになんて入ったものなら、毎日のように通った。小遣いには限度があるから、ポップコーンやドリンクは偶にしか買えなかったが、映画が見られるだけで幸せだった。
遠い日を思いながら、彼は仰ぐように目の前の建物を見上げた。
錆びて今にも落ちてきそうな四角い看板。クリーム色だった外壁は雨風に汚れて煤色に。かつてポスターが貼られていた場所には、枠だけが虚ろに残されていた。
ここが閉館して、随分と経つ。それでも建物だけは残されていたが、それももう限界らしい。明日には取り壊しの作業が始まってしまう。
彼はポケットに手を突っ込んで、思い出の場所に背を向けた。それから、もう二度と振り返らずに歩き始める。
あの頃と違って、彼はもう何処にだって行けるのだから。