5. ザンギ少女とデート②
昼食を摂った俺たちは居酒屋を出て歩き出す。
ちなみに二葉はポップコーンLLサイズを完食したのにも関わらず、ザンギ定食(ご飯大盛り、ザンギ三倍)をたったの十分ほどで平らげた。
それだけ食べたのに、二葉は現在苦しそうな様子もなく普通に歩いている。さすが胃がブラックホールなだけある。
「あ、あの店良さそう」
二葉は気になる店を見つけ、足を向けた。
「この店って……」
店内の明かりが多くて眩しい。しかも店内には女子しかいない。
そう、この店は普通なら男子が入る店じゃない。
女子向けの化粧品や小物などを扱っている店だ。一応、雑貨屋という括りになるのだろうか。
二葉が店に入るのは問題ないが、俺が入るにはハードルが高すぎる。
「……俺、店の前で待ってて良いか?」
「ダメに決まってるでしょ。私と一緒なら変な目で見られないから大丈夫だって」
分かってたよ、俺の意見が通らないことなんて。
二葉のせいで今日の俺からは拒否権が消滅しているのだから。
「へえ~、このアイシャドウ、春の限定色出してたんだ」
二葉は店の入口付近に置いてある化粧品を手にとって見ている。
それらの化粧品が置かれた棚には手書きの文字で『春限定コスメ』と書かれたピンクの紙が貼られていた。お菓子だけではなく化粧品にも季節限定があるのか。知らなかった。
「あ、このチーク可愛い。でも値段がちょっと高いなあ」
次々と春限定の化粧品を手に取ってチェックしている。
時にはテスターを腕の内側に塗って試している。腕にメイクされて虹ができるかもしれない。
「このリップの色好きかも。買おうかな」
さっきから化粧品の名前が出ているが、ほとんど聞いたことないので何に使うのか一切分からない。
でも、英語っぽいので日本語にすれば分かりそうだ。
アイシャドウは目の影。チークは頬。リップは唇。
……そのままじゃん。
「ねえ久保、お願いがあるんだけど」
妙ににっこりしてやがる。怪しい。
「……何だ」
「このチーク買って。お願い」
甘えた声出すな。上目遣いで見るな。
「お前、キャラ崩壊してるぞ。バグったか?」
「お前じゃなくて二葉翠怜。で、買ってくれるの?」
普段の二葉に戻った。めでたしめでたし。
「買う訳ないだろ」
「……サイテー」
最低なのはどっちだろうな。可愛くお強請りすれば俺の心が動くとでも思ったのだろうか。
まあ、可愛かったのは認めるけれど。
「いっそのこと、久保もメイクしてみれば?」
「……それは女装しろって言ってるのか?」
笑えない冗談だ。
「そうじゃなくて、最近は男の子でもメイクしてる人がいるらしいから」
「俺の知らない世界もあるんだな」
俺には興味がないけれど、綺麗でいたいという意識が男子の中にもあるってことなのだろう。
「でも、久保がメイクしたら見た目が女の子になりそう。元から顔が可愛い系だし」
二葉はクスクスと笑う。失礼な奴だ。
「いっそのこと、女の子として生きたらぼっちじゃなくなるかもよ?」
「残念ながらその予定はない」
そして、おそらく俺が女子だとしてもぼっちには変わりないと思う。現実とは異なるので無意味な仮定だが。
「でも、久保が女の子だったら私は真っ先に友達になると思う」
友達、ねえ。
「二葉は友達を作ることに価値があると思うか?」
「当たり前でしょ。友達と話したり遊んだりすると楽しいじゃん」
二葉は即座に迷いもなく答えた。
一般的な人に同じ質問を投げると、おそらく二葉と同じ返答をする人が大半だと思う。
友達といると楽しいと感じるから、環境が変わっても友達を作る。そうやって人々は理不尽な社会を生き抜いている。
それを俺は否定するつもりはない。
ただ、友達の存在が不利益になる場面もある。
「友達関係って、そんな単純なものなのかな」
俺は二葉に聞こえない大きさでぼそっと呟いた。
「あ、良いもの発見!」
二葉は近くの別の棚へと移動して、後を追った俺の方を向く。
「久保、手を出して」
「何でだよ」
急に二葉が俺の手を要求するので、身の危険を感じて俺は二葉から一歩下がって距離を取った。
「変なことはしないからそんなに警戒しなくても大丈夫だって」
「…………」
変なことする奴の常套句を言われても説得力が皆無だ。嫌な予感しかしない。
「ハンドクリームくらい良いでしょ? ファンデーションとか塗る訳じゃないし」
「まあ、ハンドクリームなら良いが、嘘じゃないだろうな」
「久保はどれだけ私のこと信頼してないのよ……」
初めて会話したのがつい三日前。そんな短期間ですぐに信頼できるはずがない。
「とにかく手を出して」
「断る」
俺は本能的に自己防衛を選択。
「仕方ないわね」
しかし、二葉が俺にすっと寄ってきて左手を掴み、手を引き寄せられた。
俺は逃げようとしたが、二葉の動きの方が素早くあと一歩のところで左手が犠牲となってしまった。
二葉は俺の左手にテスターと書かれた容器から白いクリームを俺の左手に出す。
「……本当に見た目はハンドクリームだな」
「だからただのハンドクリームって言ったじゃん。それ、手全体に馴染ませて匂いを嗅いでみて」
店の中で『ただの』って言うのは如何なものかと思うが……。
俺は言われた通りハンドクリームを両手に塗って馴染ませ、手を顔に近づけて匂いを嗅いだ。
「何だろう……。甘い、シャンプーみたいな香りだな」
「良い匂いでしょ」
確かに良い匂いだ。男子が想像する女子らしい香りと言えるだろう。
ただ、その匂いが俺の手から漂っていると思うと何とも言えない不思議な気持ちになる。
「このハンドクリーム、私のお気に入りなのよ。丁度切らしてたし、買うかな」
そう言って二葉はハンドクリームの容器を手に取り、先ほどから持っていた化粧品と共にレジへと向かった。
「合計で四千七百円になります」
ほぼ五千円。化粧品の金額って意外と高いんだな……。
◇ ◇ ◇
「ちょっと高かったけど、欲しいコスメ買えて良かった~」
二葉は化粧品を買えて相当満足だったようで、頬を綻ばせていた。
対照的に俺はあの店にいるだけで心臓に相当な負担がかかった。寿命が十年近く縮んだかもしれない。
「一つだけ不満があるとしたら、久保がチークを買ってくれなかったことかな」
「何で俺が二葉の使う化粧品を買わなきゃならないのか謎だな」
自分で使うなら自分で買うのが普通だろ。
「それでも女の子は男の子にプレゼントして貰ったら嬉しいものだよ?」
「相手が俺の場合でも?」
「あー……。久保だと嬉しくないかも。やっぱり買って貰わなくて正解だわ」
失礼な奴だ。
「けど彼女ができたらプレゼントしないと彼女が可哀想だからね」
「安心しろ。俺に彼女ができる予定はない」
俺は誰かと付き合いたくない。
「堂々と言われても困るけど……」
二葉に軽く引かれてしまった。
「私は誰かと恋をするって、それだけで楽しいと思う。付き合ったことがない私が言っても説得力ないだろうけど」
二葉はどこか遠くを見つめるように、
「だから、私はいつか良い人が見つかったら付き合いたいな」
二葉には恋愛が輝いて見えるのだろう。いや、二葉に限らず大抵は恋愛に憧れを抱くと思う。
二葉は友達関係だけでなく恋愛に対しても一般的な価値観を持っている。ある意味、純粋だ。
人によって価値観が異なるのは当然なので、俺は二葉の考えが間違っているとは思わない。
ただはっきりしているのは、俺と二葉は価値観が異なるってことだ。
「って、こんなこと言っても運命の人と巡り会える訳じゃないけど」
誤魔化すように二葉は笑う。
何となく、その笑顔の裏に寂しさが隠れているような気がした。
「さて、次はどこ行こうかな~。……あ、そうだ。ゲーセンあるよね、ここ」
「知らん」
初めて来た人に同意を求められても困る。
「確かあったと思うから、行くよ。久保」
二葉は俺の右手首を掴むと、ゲームセンターは逃げないのにスタスタと早足で歩き出す。
というか、どうして二葉は躊躇いなく俺の手首を掴むのだろう。少しは俺の気持ちを察して欲しい。
二葉に手を引かれるまま歩くと、数分ほどでゲームセンターに辿り着いた。
ショッピングモール内にあるためフロアは大して広くなく、主にクレーンゲームが置かれていた。他の音楽ゲームやパリクラなどは端の方に設置されている。
俺はクレーンゲームを眺めながら進む二葉の後ろに続いて歩く。
「クレーンゲームって色んな景品置いてるのね」
二葉の言う通り、クレーンゲームの景品にはぬいぐるみやフィギュアといった代表的なものから、缶詰、お菓子、マグカップなど意外なものまであった。
「あ、これ……」
二葉があるクレーンゲームの前で立ち止まる。中には大量のザンギくんストラップが置かれていた。
「なまら可愛い!」
「……そうか?」
二葉は目を輝かせているが、俺にはデコボコしたザンギを模した茶色の物体に適当に目と口を付けて、体を生やしたようにしか見えない。
ザンギくんは可愛いとかの次元ではなく、造りが雑だ。
「ザンギくんってこのくりっとした目が最高! 癒やされる!」
二葉はザンギだけではなくザンギくんも好きなのか。もはやザンギと何かしら関係があれば好きそうだな。
「よし、これやる!」
二葉は気合いを入れてお金を投入した。
次いでクレーンを操作し、目的の位置へ移動させる。何度も微調整した後、パシーンと勢いよく下降ボタンを押した。
「来い来い来い来い……」
呪文のように呟きつつ、じっと降りていくアームを見つめる二葉。
アームはマスコットのいる位置で止まり、すっと閉じる。
そしてアームが上がって元の位置へと戻った。
結果、何も変化なし。
「何でよ!」
二葉のイライラだけが残った。
「……そう簡単に取れたらクレーンゲームでの収入なくなるだろ」
「そういう問題じゃないの!」
俺にキレ気味に言いつつ、再びお金を投入。まだやるらしい。
「こういうのは、狙ったら逃したくない」
まるでベテラン漁師のように言っているが、獲物は所詮いい加減な造りのザンギくんストラップ。しかも小さい。
しかし二葉は捕まえようと必死にクレーンを操作し、先程とは別の場所まで動かして下降ボタンを押す。
アームが下がって閉じ、そのまま上昇。元の位置に戻ってアームが開いた。
しかし何も起こらない。
「何でよ……」
二回目にして既に元気がなくなり始めている。かなりショックらしい。
「よし、もう一回だけ……」
そう言ってさらにお金を投入。
だがアームは何も掴まず、結果は同じ。
「…………」
二葉は言葉さえ失っていた。
ここまで二葉に落ち込まれると、何だか放っておけなくなる。つらい気持ちは可能な限り取り除くべきだ。
「なあ二葉、俺がやってもいいか?」
「…………え?」
俺の言葉が意外だったのか、二葉は驚いている。
「一回だけだから」
俺がそう言うと、二葉は無言で俺に場所を譲った。
俺はクレーンゲームにお金を投入し、アームを狙いもなく動かす。取るつもりは一切ないからだ。
俺がやっても取れないと分かれば少しは二葉の気が楽になると思う。だから取れない方が望ましい。
アームを気の向くまま適当に動かした後、俺は下降ボタンを押した。
アームはその場でゆっくりと下がって閉じる。
「あ…………」
瞬間、俺は意図していない方向に物事が進んだことを知る。
何故なら、銀色のアームに二本の黒い線が見えていたから。明らかにストラップの紐だ。
アームが上昇し、元の位置に戻っても紐は引っかかったままで、最後にアームが開いてストラップは取り出し口へと吸い込まれた。
まさかゲットするとは思ってもみなかった。しかも二つも。
どうしたものかと思いつつ、恐る恐る二葉を見ると、
「……や、やったー! 久保、すごいじゃん!」
自分で取った訳ではないのに舞い上がりそうな勢いで喜んでいた。
「い、いや、二個も取れるなんて偶然だろ」
実際、全く狙っていなかったので偶然以外考えられない。運命のいたずらとはこのことか。
「偶然でも、結果が全てでしょ」
二葉は言外に「もっと喜んで」と匂わせているが、それは不可能だ。
意図した未来と真逆の結果になっているし、何よりザンギくんの造りが粗末過ぎて嬉しくなれない……。
俺はゲットしたザンギくんストラップを取り出して、二葉の前に差し出した。
「俺はいらないから、あげる」
誰かにプレゼントなんてしたことないから、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。
けれど、二葉は気にした様子はなく、
「ありがと。でも一個は久保が持っててよ。同じの二個もいらないし」
俺の手から一個だけザンギくんマスコットを受け取った。
◇ ◇ ◇
ゲームセンターの後、二葉に振り回されて服屋、アクセサリーショップ、カフェなどに行き、気付いたときには既に夕方だった。
外に出れば冷たい風が吹いていて、空はぼんやりと赤く染まっていた。
「ねえ久保、今日は楽しかった?」
不意に二葉に尋ねられる。
「……さあな」
「楽しんでくれなきゃ交換条件にならないのに」
二葉は不満そうだが、友達がいない俺にとって楽しかったかどうか判断できるはずがない。
初めての経験で、自分の気持ちがよく分からない。
「……私は楽しかったけどな。久保のことも知れたし」
俺を好き勝手に振り回したのだから、楽しいのは当然だろう。
「ぼっち野郎の俺のことが分かっても得することは何もないだろ」
「かもね~」
二葉は俺の冗談を軽く受け流し、
「さて、遅くなる前に帰るかな」
その場でうーんと背伸びをした。今日一日の疲れが体に出ているのだろうか。
「ところで久保ってどうやって帰るの?」
「バスだな」
「じゃあここでお別れか。私の家はここから歩いてすぐだし」
二葉は俺の方を向いて、
「じゃ、また明日」
それだけ言って、二葉は目の前の横断歩道を渡ろうと歩き始める。
だが、横断歩道の信号が示していたのは赤。いかなる理由があろうと決して渡るべきじゃない。
俺は思わず渡ろうとしていた二葉の手首を掴む。
「え? な、なに?」
二葉は戸惑っているが、俺は手を放すつもりはない。横断歩道を渡らないよう、しっかりと二葉の手首を握る。
「赤信号だろ。絶対に渡るな」
「車も来てないから大丈夫だって」
「急に来るかもしれないだろ。それで轢かれて死んだらどうする」
「ご、ごめん……」
俺は二葉の手を放さない。力を込めて、ぎゅっと握る。
命は一つだけだから、大事にして欲しい。失われた命は決して戻らない。
世界には生きようとしても失われる命が無数にある。だから救える命は可能な範囲で救いたい。
失われる命は発展途上国だけではなく、この国にも存在している。
科学技術が発達して便利になっても、危険性をゼロになどできないのだから。
「久保、青になったんだけど……」
「ああ、悪い」
二葉の言葉で意識が現実へ引き戻される。
どうやらしばらく二葉の手首を握っていたらしく、既に信号は変わっていた。
「そ、それじゃ」
二葉はそう言って横断歩道を渡っていく。遠ざかっていく背中は、次第に小さくなって見えなくなる。
「何やってるんだ、俺は……」
俺は一人で後悔の念に苛まれつつ、帰宅のため朝鉄バスの停留所へと向かった。