第8話 生活レベルを上げよう!
私の獲ってきた牛の肉でシオンに夕食を作らせた。
渾身の【閃光烈打】を直撃したにもかかわらず、チョチョイと回復魔法で治癒するとケロリとした顔で牛を捌き始めた彼を見て、バカなことをしてもとてつもない化物であることに変わりはないと思った。
3匹の狼は牛の肉を貪るように平らげた後は満足そうにコロコロと私に懐いてくる。
「ジークさん、懐かれているね。
晩飯は俺が用意してやったのに……」
「あやうくその晩飯になりかけたんだ。
まったく……狼は人間にとって最古の友と呼ばれるくらい関わりの深い動物だ。
山で見かけても狩るんじゃないぞ。
次は【閃光烈打】じゃ済まさん」
はーい、と肩をすくめながらジークは返事して、
「じゃあ、今夜は俺が外で寝るよ。
明日はちゃんとジークさんが納得するような離れを作るからさ」
そう言って、海の方に向かおうとするシオンだが、
「構わない。お前も家の中で寝ろ」
私がそう言うと、シオンは目をパチクリさせて、
「いいの?」
「私に危害を加えないのならどこで寝ようと構わん」
フン、と鼻を鳴らして私は狼たちを抱えて彼らを犬小屋に連れて行った。
家の中に戻った私はベッドをそれぞれ部屋の反対側の壁にくっつけるように置き直し、クローゼットにあったワンピース型の寝間着に着替えた。
肌は露出していないが無防備過ぎる格好だ。
一緒の部屋に寝るのはやや油断が過ぎるか?
ためらいながらも私は家の扉を開け、シオンを招き入れた。
ニヤニヤしながら私をつま先から頭まで舐め回すように見るシオンに冷たい視線を送り、
「変なことしようとしたら【閃光烈華猛襲撃】だからな」
「名前だけでヤバそうな匂いがプンプンするんだけど……
安心して。ジークさんの嫌がることは絶対にしないから」
「ああ。あと、あの狼達が嫌がることも極力するんじゃないぞ」
そう言って、私は布団の中に潜り込む。
シーツの下に敷き詰められた干し草が思った以上にふかふかとして寝心地の良いベッドの具合に私は満足する。
「いい寝具を用意する気遣いはするくせに、犬小屋を作ったり、狼を食おうとしたり……
お前は本当になんなんだ」
「魔王と天使の息子で、今ははぐれ魔族のシオンだ」
「ああ……そうだな……」
他愛もない言葉をかわして、シオンは灯りを消す。
暗闇が部屋の中を覆った。
「そういえば、人間は狼に名前をつけたりするの?」
「ん……ああ、そうだな。
自分の所有する動物には名前をつける事が多い。
子供のように大切にするために」
「じゃあ、あの三匹に名前はつけたの?」
「……いや。たしかにつけるべきなんだろうな。
だが、私はその手のことは疎い。
家で家畜を飼っていたわけでもないし、本を読んだりすることもあまりなかったから」
「そっか……じゃあ、俺が名前つけてもいい?」
シオンがベッドから体を起こす音がした。
「お前、名付けなんかしたことあるのか?」
「ないよ。だけど、魔王城にいた頃は本ばかり読んでいたからね。
ジークさんよりはセンスある気がする」
「言ってくれるじゃないか」
「明日の朝までには考えておくよ。
おやすみ、良い夢を」
おやすみ、良い夢を……だなんて甘い言葉を知っているのだな。
いや、もしかすると彼の母親が幼い彼に語り聞かせていたのかもしれない。
教会の聖典やおとぎ話に出てくる存在だが見たものはいないとされている神の使いとしてこの世に降臨し、務めを果たす天使たち。
もっとも、彼の母親はその務めを果たすことなく魔王に手篭めにされてしまったわけだが。
聖なる存在である天使が悪魔の首領たる魔王に犯され、孕まされ、子供を産んだ。
想像するだけで身の毛がよだつ屈辱だ。
只人の私であってもそう思うのに、挙げ句その不幸を断罪され天界に帰還すること無く地上で死を迎えた。
それでもシオンが母を想い、その言葉を覚えて今も使っているのだとしたら……
聖なる存在であるが故のものなのか、それとも彼女自身の心根なのかは分からないが、彼女は彼を愛し育んでいたということの現れだろう。
彼女の存在があったからシオンは魔王にならなかった、そんな気がする。
おやすみ、良い夢を……か……
翌朝、シオンより早く目を覚ました私は着替えて家の外に出た。
私よりも更に早起きな狼達が私めがけて飛びかかるように懐いてきた。
「朝から元気な奴らだ」
私は彼らのふわふわした毛並みを撫で回し、彼らは私の体を舐め回してくる。
ヨダレだらけになった服を見て、これは早々に洗濯しないとな、と思った。
「おはよう、ジークさん。
よく眠れた?」
シオンは目をこすりながら私のもとに寄ってきた。
すると、狼達はうーっ、と唸ってシオンを威嚇した。
「なつかれるまでの道のりは遠そうだな」
「なんだよ……
小屋も作ってやったし、飯も作ってやったし、名前だって考えてやったのに」
「あ、そう言えば……どんな名前にしたんだ?」
「うん。ベッドに寝転びながら明け方まで真面目に考えた。
だから、拳を素振りするのはやめて、ジークさん」
おっと、つい勝手に。
シオンは並んで威嚇してくる狼達の前に座り、一匹ずつ頭を手で撫でながら、
「クライネ」
「ナハト」
「ムジーク」
とそれぞれ名前をつけた。
すると、犬たちは威嚇するのをやめて、しっぽを振ってシオンを見上げた。
「どう?」
「いいんじゃないか。彼らも喜んでいるようだし」
こうして私とシオンの暮らしの中にクライネ、ナハト、ムジークの3匹が加わった。
「さて……本格的にここでの暮らしを始めるにあたって色々と用意しなくてはな」
「ん? 一通り揃ってはいると思うけど。
食べるものには困らないし、家具とかも十分だと思うけれど」
「お前はこれで大丈夫なのかもしれないが、人間である私はそうでないのだ。
食べるものにしても果実や肉はあるが、穀物や野菜が足りない。
人間は食べるものが偏ると病にかかったり、体調を崩しやすくなる。
大きくなくていいから畑を作りたい。
あと、獲った獲物を加工して日持ちするようにもしたい。
腐らせるのは勿体無いからな。
それにこれから冬になるにあたって体を洗うのに水浴びはちと辛い。
お風呂があると嬉しい。
石鹸や下着やタオルも欲しいし、髪を梳かす櫛とかも――」
いろいろと思いつく限り欲しいものを述べるが、ふと、贅沢を言っているのではないかと不安になり、シオンの顔色を窺う。
だが、シオンは相変わらず笑みを浮かべて、
「やることがたくさんあるなあ。
でもいいや。時間ならあるし、邪魔するやつもいない。
それにジークさんが前向きにいろいろ考えてくれるのはありがたいし、嬉しいよ」
などと言うものだから、私は面映い気分になる。
朝食を済ませた後、私たちは外に出て手頃な場所を探す。
「家からあまり離れていないほうがいい。
湯から出た後、湯冷めしてしまうからな」
「ジークさん案外繊細なんだね。
戦場では魔神のように強いのに」
「戦う強さと生物としての強度はまた別の話だ。
魔力によって身体能力を強化していたわけだし、気を抜いているとただの人間の娘と大差ない」
そんなことを話しながら、風呂場は炊事場の近くに作ることにした。
かまどの火をもってくれば火をおこす手間を省くことができる。
シオンの魔法を使えば、おそらく適温のお湯を瞬時に発生させられるだろうができる限り頼らずに使えるようにしたい。
私たちは木の枝を使って地面に風呂場の完成予想図を描く。
「じゃあ、俺は地面をならしたりしているから、浴槽の材料の方はよろしく。
向こうの岩場から好みの大きさで岩を切り出してきて」
「分かった。あと、ついたても頼むぞ。
お前に裸を見られたくないし、お前の裸も見たくない」
そう言って私は剣を片手に岩場に向かう。
……浴槽の大きさの岩を持ってくるなど女ひとりにできるわけないのだが、その点は私も元勇者だ。
魔力を全開放すれば家一軒分の岩だって持って帰れるだろう。
結局、アイツを常識外の化物扱いしている私自身も十分に化物ということか。
そう考えるとなかなか相性が良いのかもしれない。
共同生活を過ごすものとしては。