第7話 狼たちとの出会い
海鳴りが響く夜の砂浜に置かれたベンチで私は横になっていた。
日中、シオンに島を案内してもらったし、一緒に夕食も摂ったが、私はどこか上の空だった。
私の「家族にはなれない」という言葉は彼を傷つけてしまったかもしれないが、私自身の心にも楔のように突き刺さっていた。
幼い頃から剣の修業に明け暮れ、ろくな人間関係を築いてこなかった。
当然、男女の仲のことや恋愛などというものは他人の口から語られたものでしか知らず、その当事者になったことはない。
そして……血の繋がった実の親からも見放されてしまった私だ。
そんな私が種族も性別も違うシオンの家族になどなれるわけがない。
先程、「同じ部屋には寝れない」と言って私は彼の家を出ることにした。
彼は「そうか」と言って毛布を渡してくれた。
くるまった毛布からはあの家の木の香がする。
多少の申し訳無さはあれど、ここでの暮らしは間違いなく快適だろう。
シオンが私に好意を持ってくれている限りは。
私のつれなさに逆上して暴力を振るわれれば私に抗する術はない。
また、愛想を尽かされていなくなってしまったら……
それはそれで仕方ない。
ひとりは慣れている。
誰もたどり着けないこの島を私の独房として余生を過ごすのも覚悟しておかなくては……
いろいろと考えてはいたが、疲れと安心感が睡魔を誘い、私は深い眠りに堕ちた。
翌朝、シオンの家に戻ると彼は家の近くの木を切り倒していた。
彼の手から伸びる魔力で形成された光の刃は太い木の幹を紙のように切り裂き、均一な板に加工していく。
「おはよう。ジークさん」
「ああ……何をしているんだ?」
「趣味と実益を兼ねた工作だよ。
朝食用の果実を炊事場で冷やしてある。
僕は先に済ませたから食べておいで」
と、言って作業に戻る彼を横目に私は炊事場に向かった。
炊事場で食事を摂り終えた後、シオンの元に戻ったが彼は黙々と作業を続けていた。
手のひらに光輪を作り出し、それを高速回転させ木の表面を削っていく。
丁寧にヤスリがけしたかのように加工された木材を傍らに積み上げていく。
高度な魔法を大工道具代わりに使う姿はプライドの高い魔法使い達が卒倒してしまうような光景だが、彼にとっては当然のことなのだろう。
魔法を使えること以上に価値を見出さず、それを使って価値のあるものを産むことに楽しみを見出している。
変わり者だが素直な男だ。
「山の方に狩りに行ってくる」
私がそう言うと、彼はキョトンとした顔で私を見た。
「その、つまり……面倒見てもらうだけでは居心地が悪いんだ。
せめて食糧の調達くらいは手伝わせろ」
家事の類はこの10年間ほとんど経験していない。
そんな私がメイドの真似事をしようだなんておこがましい。
せめて、役立つことをしたいと思って言い出したのだ。
「本当!? 助かるよ!」
シオンはまたもや屈託のない笑顔を向けてきた。
昨日あんな風に彼の思いを拒絶したのに、彼は何も変わらない。
そのことが胸に刺さっていたたまれなくなり私は彼に背を向ける。
「あ、チョット待って!」
シオンは小屋の裏手に積んである薪や干し草の中から一本の剣を取り出した。
「雑に扱い過ぎだろう……」
「だって俺は剣は上手くないし。
魔王城を出る時に邪魔してきた連中を叩きのめしたついでに奪ってきただけだから」
と言って私にその剣を差し出してきた。
「狩りに行くのなら得物は必要だろう。
聖剣の代わりにはならないけど、プレゼントだ」
狩りに向かう者の得物が弓矢や槍ではなく剣というのがどうにも可笑しい。
普通なら「こんなもん役に立つか!」と罵るところだろうが、幸い私ならば剣一本で獣と言わず竜種でも狩れる。
「ありがたく頂戴する」
私は剣を受け取り、鞘からその刃を抜き放つ。
漆黒の柄と鞘の間から現れた刀身は紫色の宝石のような美しいものだった。
長さは80センチ弱、幅は5センチほどでやや細身の剣だが、上質なものであることはたしか……というか……
「……シオン、この剣……誰から奪った?」
「ムーベとかいう鍛冶師だよ。
昔、剣の稽古つけてもらったりとかしたこともあったなあ。
あんまり剣の扱いは上手くならなかったけど、何百とある剣を見せてもらえたのはいい思い出さ」
「ムーベ……まさかそんなことはないと思うが、魔剣匠ムーベルードか?」
「ああ、そういやそんな通り名だったかな。
人間の間でもそう呼ばれてたのか」
カラカラと笑うシオンとは裏腹に私の頬は引きつけを起こしていた。
古来より武器には階位が存在し、下から数打ち、業物、良業物、大業物、最上大業物、神業物となっている。
普通の兵士や冒険者が扱うのはよほどの例外を除き数打ちで、騎士団の団長クラスや有力な冒険者ならば業物を使っている者がチラホラ。
良業物クラス以上はもはや国宝と同じ扱いを受けており、王族やまたは彼らが認めた者以外は扱うことが禁じられている。
聖躬の救世主と呼ばれていたレオンハルトが国王から預かり、扱っていた聖躬月女神の弓は大業物の中でも序列3位ということで格別の存在だ。
だが、逆に言えば救世主と崇められる存在であっても国から下賜できるのは大業物が限界ということだ。
私の使っていたグランカリバーは神の手によって作られた正真正銘の聖剣とされており世界に3つ存在するとされている神業物だが、これは例外で聖剣の守護者達が権力者や魔族の目から何百年と守り抜いてきたものであった。
それに準ずる世界に12個しかない最上大業物の内の半分、6個がひとりの剣匠の手によるものである。
その剣匠の名はムーベルード。
魔族であり、歴史上最高の鍛冶師である。
……実在していた事自体が世界中の鍛冶師の度肝を抜く報せだろう。
シオンが私をからかっているのかと、素振りをしてみるがほとんどグランカリバーと変わらない感覚……
紛れもない名剣だ。
「切れ味凄いから気をつけて……って、ジークさんには言うまでもないか。
俺は岩を切ったりとか地面を掘ったりとかでしか使わなかったし、その剣も君にもらわれて喜んでいるよ」
「伝説の剣匠が手元においてある魔剣で……」
どう考えても最上大業物クラスの名剣である。
この剣一つを奪い合うためだけに国を挙げての戦争が起きかねない代物だと言うのに……
「バチあたりめ……」
「へ?」
間の抜けた声を上げるシオンに背を向けて、私は丁重に鞘に刃を閉まった。
山について間もなく、野牛に襲われたが手刀一閃――頭骨を叩き割った。
それからナイフで皮を剥ぎ、背中の一部を切り出し、血を絞り出して、火にくべた。
肉の焼ける香ばし匂いが鼻をくすぐった。
今日の昼食はこれでいい。
いい具合に焼けたあたりで火から取り出し、切り分けて食べ始める。
すると、匂いにつられたのか小さな狼が三匹、岩場から現れ、私に近づいてきた。
狼たちはつぶらな瞳で私を見つめしっぽを振っている。
「ほしいのか?」
と尋ねてみたが、人語を理解する訳もなく変わらず尻尾を左右に振り続けている。
その仕草を愛らしいと思った私は牛から肉を切り分けてそいつらにくれてやった。
すると、一心不乱に小さく細かい牙で肉に貪りついた。
火を焚く人間にも恐れず近づいてきて、その場で肉を食す。
よほど、お腹をすかせていたのだろう。
狩りをするには体が小さすぎる。
おそらくは何らかの理由で親を失くし、兄弟で餌を求めて彷徨っていたというところか。
「お前たちも私やアイツと似ているな」
家族を持たない私たちと小さな狼達を重ねて苦笑し、ゴロンと横になって空を見上げる。
上げ膳据え膳の王宮での暮らしや暖かい手料理を食べられる家族での暮らしに比べれば不便だが、これはこれで悪くない。
何より気楽で仕方がない。
仮にあの王の寵愛を甘んじて受け入れ愛妾となっていたとしても、私はどこかで無理が来ていただろうな。
存在しない仮定した世界を思い浮かべていると、食事を終えた狼達が私の胸に乗ってきて、体を擦り付け始めた。
「乳は出ないぞ。そこまで求めるんじゃない」
と言ってはみたものの彼らが求めているのが乳ではないことをすぐに悟った。
親を失くし、兄弟で肩を寄せあって生きていても不安で仕方なかったのだ。
だから餌をくれる強い生き物に懐いて、その庇護を受けようとしている。
気まぐれに指で彼らの毛深い背中を撫でてみると、彼らはより一層私に体を擦り付けてきた。
「お前たちは単純でいいな」
ためらいなく他人に心を許すことができる彼らを羨ましく思えた。
その後、牛の四肢を細い木の幹に固定し、片手でそれを担いで家に戻る。
もう片方の腕にはぬいぐるみのようにおとなしい子ども狼たちを抱えている。
これからの長い時間を生きるのに子犬の世話はちょうどいい手慰みになるだろうと思ったからだ。
少なくとも人間や魔族を相手にするよりは気を使わなくて済みそうだしな。
家にたどり着くとまっすぐ炊事場に向かった。
シオンは私の捕まえてきた牛と狼を見て笑顔で「良い成果だね」と言った。
「工作は終わったのか?」
「うん。ついさっき」
「いったい何を作っていたんだ?」
私が尋ねると、シオンはニヤリと笑って、
「ジークさんが落ち着いて寝られるところ」
と言った。
虚を突かれた私は目をパチクリさせてシオンを見つめる。
「人間の街に行った時に裕福な家の庭には離れ、っていうんだっけ。
そういうのが建てられているのを見たことがある。
それを作ったらジークさんも砂浜で寝るようなことはしなくて良くなると思ったんだ」
「じゃあ……それを作るためにずっと朝から?」
「正確には昨日の晩から。
どんな家にしようか考えたり悩んだりで一睡もできなかった」
そう言うが眠そうな顔をせず、心底楽しそうにしているシオン。
まるで新しい遊びを見つけたかのように。
「来て来て! 俺の今まで作ったものの中でも一番いい出来なんだ!」
シオンは私を振り返りながら家の反対側に向かって歩き始める。
この男は……なんなんだ、もう。
傷つける覚悟で拒絶した言葉も、一緒に寝られないと家を飛び出したこともまるで意に介さぬように笑顔を振りまいている。
バカではない。
他人の感情に無頓着なわけでもない。
なのに、大樹のように揺るがない。
その在り方を羨ましいと、思ってしまった。
「見て見て! これこれ!」
と、家の裏側に指をさす。
まるでしっぽを振る犬のようだな。
小さな狼三匹と子犬のような魔王の息子……
家族ではないが、それでも一緒に生きていくことはできる。
一緒に話をして、食事をして、生活に必要なものを作り過ごす日々。
人間として最低限で単純なその営みは私が守りたかったもので、欲しがっていたものだ。
紆余曲折を経たが、ようやく私はそれを手に入れたのかもしれない。
「さあて、私を満足させられるものなのかな?」
家の角を曲がり、彼の指差す方向を見た。
「……………………は?」
そこには家があった。
壁があって、屋根があって、紛れもない家の形をしている。
入り口には木の板が貼られており、公用語で『ジークリンデのいえ』と書かれている。
壁の継ぎ目も良く貼り合わされている。
屋根もどうやったのか、赤い色に染め上げられている。
だが…………だがっ!?
シオン! これはだな!?
ワンワンっ! と声を上げて私の腕から飛び出すように3匹の狼達はその小屋の中に入っていった。
そしてしばらくして兄弟仲良く顔を並べて、入り口から顔を出した。
うん……とても良く似合う。
だってこれは、『犬小屋』なんだからな!!
確かに私が膝を曲げれば寝れないことはないだろうが、これはどう見ても犬小屋のサイズだろう!!
「人間は慎み深いな。
魔族の邸宅にも離れはあるが、普通の家だというのに」
人間だって普通の離れは普通の家だ!
お前は犬小屋で人間が寝泊まりしていると思っていたのか!?
怒りとひどい虚脱感を得ながらも、彼は人間の文化に詳しくないからと自分に言い聞かせ、努めて穏やかに声を掛ける。
「シオン……これは離れではなくて、犬ご――」
「さあて、ジークさんが採ってきた獲物もあることだし、夕食の準備をしようか」
と言って、一匹の狼の首根っこを掴んで持ち上げる。
「小さいけど、二人で食べるならちょうどいいくらいの量かな?」
屈託ない笑みを投げかけるシオン。
その時、私の堪忍袋の紐がプツンと切れた。
「それは食事じゃないっ!! 『閃光烈打ァ』!!」
魔力を込めた渾身の一撃でシオンの頬を殴り飛ばした。
※『閃光烈打』
魔力を込めた拳による拳打。
使い手によって威力が大きく上下するが、達人のそれは鉄の壁をも貫く。
つまり、ジークリンデが使った場合、大抵の相手は死ぬ。