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第6話 シオンの告白

 シオンを追うようにして森を抜けると、白い砂浜に出た。

 白い砂浜の向こうには真っ青な海が広がっており、緩やかな潮風の香りが鼻をくすぐった。


「靴はここで脱いで。

 砂が入ると後で面倒だよ」


 シオンは立ったまま靴を脱いで森の出口にキチンと揃えて置いた。

 私も言われたとおり靴をその場に脱ぎ捨てた。


 細かい砂の粒の感触を足の裏で感じながら私たちは砂浜を歩く。

 砂浜の真ん中には日よけのために不自然に植えられた大きなヤシの木とその木陰には背もたれの大きく倒れた一人用のベンチがこれもまた二人分並んでいる。

 だが、よく見ると片方は潮風で傷んでいるが、もう片方は作られて間もないことが分かる。

 シオンは傷んだ方のベンチに腰を下ろし、私を新しい方のベンチに座るよう手招きをしてきた。


「この島でお気に入りの場所の一つ。

 飲み物を片手に波の数を数えたりとかね。

 天気がいいと海も空も真っ赤に染まって綺麗なんだ。

 魔界とは違う」


 穏やかな顔で海を見つめるシオン。

 私の油断を誘う芝居だとしたらクサすぎる芝居だ。


「いい趣味をしているな」

「ありがとう」


 私の皮肉にも真摯に応えるシオンに調子を崩されてしまう。

 突っ立っているのも落ち着かないので、私はベンチに腰掛けた。


「座り心地はどう?」

「悪くない……魔族にも大工はいるのだな」


 私の言葉に彼はフッと軽く笑って、


「大工もいれば農民もいるし、芸術家もいる。

 魔王城を攻略した君なら分かるだろう。

 あんな大層な建築物が自然とできるわけないじゃないか」

「たしかに……そうだ」


 魔王城……聖剣の勇者としての私にとって最後にたどり着いた旅の目的地。

 人間界にあるどんな城よりも大きく禍々しい姿をした闇の城。

 数多の魔物と魔族を切り倒し、魔王を討滅した。

 レオンハルトや他の仲間とともに。


「お前は、魔王城にいたことはあるのか?」

「あるよ。というか、あれの外に出た記憶のほうが少ない。

 ただでさえ日差しの少ない魔界なのに窓もろくになく、床は氷のように冷たかった。

 そりゃああんなところで年中引きこもっていたら後ろ向きな考えしか出てこなくなるってものさ」

「だから、こんな暖かい場所を住処にしているのか」

「そうだよ。日焼けしないかがちょっと心配だけど」


 おどけた様子で腕をさするシオンを見て、思わず苦笑する。

 魔王城の薄暗い部屋にこの男がしかめ面で玉座にでも付いていたのなら、私たちは全身が痺れるほど警戒していただろう。

 こんな鮮やかな太陽と海の下では魔族と言えども――――


「あ……」

「どうした?」


 私はどうかしていたのだろうか?

 目の前の男は魔族で、天使のハーフだなんて稀少な存在。

 その魔力は強力無比、私たちが死に物狂いになりながら倒したあの男のように……

 それだけでも気づいて然るべきだった。

 恐ろしいほど美しい容姿も微かならない面影が宿っている。


「お前は……魔王とどういう関係だった?」


 自分でも驚くほど冷たい声でそう問いかける。

 シオンはうつむき、銀色の髪で表情を覆い隠し、


「魔王は……俺の父親だった」


 先程まで打ち寄せていた波の音がピタリと聞こえなくなり、時間が止まったように感じた。

 魔王の息子……

 魔王の配下にそう名乗る者もいた。

 娘を名乗る者も。

 父に忠誠を誓うその者共全てを切り伏せて私は魔王を討った。

 シオンはその生き残り?

 だとすれば、私はまさに親兄弟の仇ではないか……


 ザザァンとひときわ強い波の音が私を時の止まった世界から連れ戻す。

 シオンは髪をかきあげ、物憂げな紅い瞳で私を見つめた。


「心配しなくとも仇討ちなんて真似はしないよ」

「何故だ? 私が憎くないのか?

 私はお前の家族を皆殺しにした者だぞ?」


 まるで罰を乞うように詰め寄る私の頭をシオンの手が覆った。


「君みたいに家族に対して愛情を感じる者ばかりじゃないんだよ。

 別に死んでほしいほど憎かったわけでもないけど……

 いや、どうだろうな。

 死んだ時スッキリした気分になったのは事実だ。

 親子の情と相殺できる程度の怒りを覚えていたからね」


 シオンは私の頭をポンポンと叩き、立ち上がって背中を向けた。


「魔王に汚された天使に天界に戻る赦しなど与えられない。

 まして、その子供を身に宿し産み落としたなど堕天よりも重い罪であり、想像しうる限り最悪の辱めだ。

 それでも母親は俺を産み落とした。

 自らの寿命を引き換えにして……」


 淡々と語るシオンだったが、その言葉には底知れぬ重い響きを帯びていた。

 この響きを私は知っている。

 私自身が経験し、発していた言葉からもにじみ出ていただろう感情の発露。

 自分の存在を呪っている者の沈痛の響きだ。


「俺が3つの時、母親は死んだ。

 魂が天に召されたか地獄に堕ちたか、それは俺にもわからない。

 だが、父はそのことに何の興味も湧かなかったようだ。

 亡骸を見ることもなく、城から母を捨てるように命じた。

 まあ、そんなふざけた命令するもんだから俺も頭に来て、玉座に座るヤツに母の亡骸を叩きつけて、そのまま燃やしてやったけどね。

 火傷を負わしてやったが、子供のやったことだし幸い謀反とは取られなかった。

 だけどそれがきっかけで俺は父と決別した。

 表立って殺し合ったりはしなかったが、俺はアイツのやろうとしていることには一切協力はせず、城の中で惰眠を貪っていたというわけさ」


 振り向いたシオンの顔は微かに切ない表情をしていたが、涙も怒りも見せなかった。


「だから、俺は魔王なんて継がなかった。

 母親のことは抜きにしても、躍起になって人間を殺しつくそうとしているアイツの思想は俺には馴染まなかったからな。

 これで、君の質問の片方には答えたってことでいいかな?」

「そう……だな」


 想像していた以上にシオンの背景は人間臭いものであったことに、私は口が重くなる。

 私の……人間の知る魔族の価値観というものは邪悪だが精神構造はシンプルなものであったからだ。

 親子の情や諍いなどというあやふやで揺れ動くものに重きを置いていることなど常識の範囲外だ。

 このシオンという男、知れば知るほど訳がわからなくなっていく。


「じゃあ、もう一つの質問だ。

 何故、私をここに連れてきた」

「ああ……それはね」


 シオンは顎にて手をやって「んー」と唸りながらしばらく考え込む。

 そして、


「ジークさんが好きだから」

「………………は?」


 たった一言、そう言ったシオンは海の向こうに視線を向けた。


「ちょ、ちょっと待て!

 なんだ!? その雑な冗談は!!」

「雑でもないし、冗談でもない。

 伝わらないのが悲しいなあ」

「いや、その……だな……

 な、何故だか分からんのだ。

 お前と私は2日前に会ったばかりだろう。

 なのに……す、好きだなんて……軽々しく言うものではない!」


 何故か声が上ずる。

 緊張と焦りと不安が入り混じった謎の感情が私をひどく不自由にした。


「仕方ないでしょ。

 それ以外に言葉が浮かばなかったんだ」

「だ、だからっ! 何故だ!?

 す、好きになるには理由があるだろう!

 困っているところを助けてもらったとか、性格が合うからとか、容姿が自分好みだからとかそういうのを長い時間の中で発見して人は人を好きになるのだ……と思う」

「前の2つは時間が経たないと分からないものだろうけど、ジークさんは美しいよ。

 想像していたよりもずっと。

 僕が知っているどんな魔族や人間よりも君は美しく、可愛いと思う」

「カッ…………」


 落ち着け、落ち着け、ジークリンデ。

 こんな言葉は行きずりの女を口説く男の常套句だ。

 おべっかや社交辞令も含めて何度もかけられた言葉だ。

 王だって似たような言葉をかけてきたではないか。

 その時は身の毛もよだつほど不快でしかなかったが……


「もちろん君は素敵な女性だと思うけど……でも、それだけじゃないかな。

 うん。言うとおり俺は長い時間をかけて君のことを好きになったんだ。

 だから、興奮して毛を逆立てた猫のような顔をしないで、俺の話を聞いて」


 余裕ぶったその表情に少なからず反抗心を抱いたが、努めて冷静になろうと私はどっかりと背もたれに身体を預けた。


「君のことは魔王城の中でも有名だった。

 聖剣グランカリバーを操って魔族を殺し尽くすデーモンキラーことジークリンデ。

 名だたる魔族がその首を狙って襲いかかったが、ことごとく返り討ちにされ、その脅威をまざまざと示し続けた。

 全ての魔族が君を憎み、恐怖していたけど僕だけはそうならなかった。

 あのクソオヤジの描く傲慢な未来の絵を引き裂くように戦うあなたが痛快で応援したい気持ちになった。

 俺を腫れ物に触るような扱いしかしない魔族連中の悲劇よりも君の冒険譚に心を重ねたのさ。

 さすがに、そちらに与するほど恩知らずでもなかったけどね」


 聖剣の勇者として強く正しかったのジークリンデ……

 それはもういない私のことだ。

 自分の身を守るために人を殺し、挙句の果てに聖剣に見放された無力な女。

 それが今の私だ。

 彼の思い描いた勇者ジークリンデは今の私ではない。


「で、アイツが死んでまもなくのことだ。

 俺が生き残っていたことを知っている魔族連中は手のひらを返したかのように俺を敬い、次の魔王に就くよう推してきた。

 当然、俺は断ったがそれで「はいそうですか」と納得するような連中じゃない。

 利用価値のない危険過ぎる武器はへし折ったほうがいい、そんなところだろ。

 今度は俺を暗殺しようといろいろ仕掛けてきた。

 叩き潰すのは難しくないが、そんなやり方では何も変わらないと思った。

 今度は別の連中が俺を担ぎ出そうとして、できなければ殺しにかかってくる。

 正直、付き合いきれないよ。

 だから、俺は魔王城を出てこの島にやってきたのさ」


 シオンの話を聞いて、少し共感めいたものを覚えてしまう。

 周りの人間達に囃し立てられ魔王を倒した後、思う通りにならないという理由で反逆者の汚名をかけられて逃げ惑うしかなかった私。

 最果てに浮かぶこんな島に来なければ眠ることすらろくにできなかった。

 それは彼も同じなのだろう。


「この島に来て、救われたか?」

「まあね。暗殺される心配もないし、気を払う相手もいない。

 本の知識や記憶を参考に生活道具を作り、狩りをして、飯を食って、ぼんやり波の音を数える暮らしは穏やかで素晴らしいものだ。

 そういう暮らしの中だからこそ見つけられるものもある。

 肉の美味い焼き方とか、頑丈な家具の作り方とか、ね」


 そう言って、大きな体を背もたれに預けて宙を仰ぐシオン。

 穏やかに細められた目の上に長いまつげがかかる。

 この島にやってくる前の彼はきっともっと違った顔をしていたのだろうと想像する。


「そんな折りさ。島の生活にも慣れてきて何か時間つぶしをしたくなって人間の街に行ったんだ。

 そこである噂を聞いた。

『聖剣の勇者が王を殺そうとして、お尋ね者になった』とね。

 話を聞いてピンと来たよ。

 これは嵌められたんだろうな、って。

 興味を持って調べてみればみるほど君を取り巻く環境は最悪なものだった。

 助けた人々にも共に戦った仲間たちにも命を狙われて。

 正直、他人事とは思えなかったんだ。

 俺も魔界を追われた身だったからね」


 やはり、シオンは私を自分と重ねていた。

 だから、なのか。


「だから、私をここに連れてきた」

「そういうこと。

 さっきも言ったけどジークさんのことが好きだからね。

 絶望の果てに朽ち果てる姿なんて見たくないから」


 彼の言っていることは本当だろうけど、きっと、それだけではない。

 2つ並べられたベッド、椅子、クローゼットとその中に用意された女物の服。

 彼は孤独な自由を謳歌しながらも、退屈や寂しさを消し去ることは出来なかったのだ。

 誰よりも強いが故にその存在を疎まれる。

 彼に並び立つものも、無条件の優しさをくれる者もいない。


「だから、ここでの暮らしを楽しんでほしい。

 俺はジークさんを絶対に傷つけない。

 欲しいものがあるならば用意する。

 下賤な人間や業突く張りの魔族とは違って見返りを求めたりはしない。

 君が楽しく生きてくれたらそれだけで満足なんだ」


 屈託ない笑顔を私に向けるシオン。

 ああ、きっと私は幸福なのだろう。

 行き場を失くしたところをこの強大で純真な魔族の王子に見初めてもらえて。

 ありあまる富による贅沢でなくとも、彼は私に何不自由無い暮らしを与えてくれるだろう。

 そう、これはきっと幸福なはずだ。


 …………だけど、


「そういうことならば、遠慮なくこの島に厄介になる。

 できる限り、お前の話し相手にもなるし、一緒に食事を取ろう」


 私の言葉を聞いて、「やった!」と声を上げるシオン。

 無邪気な子供のような笑みを奪うのが心苦しくて、次の言葉をつぐもうとしたが――


「だけど……私は――」


 こぼれ落ちる。

 彼が私に求めていることは純真なものだから。

 それに対して、私は残酷でも誠実であるべきだと思ったから。


「私は……お前の家族にはなれない」


 言葉が唇を通り抜ける時、刃で斬られるような気分になった。

 どんな顔をしているのか、覚悟を決めて窺うと、


「うん。それでも構わない」


 先程、喜んだときと変わらない笑顔なのにどこか寂しそうな彼の言葉が耳を打った。

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