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第5話 無人島の食卓

 空の上で夜明けを迎え、そして日没を見た。

 私は天使の翼を持つ魔族に抱かれながら海上を飛行している。

 一度も地に降りることなく飛び続ける彼に、「疲れないのか?」と尋ねると、「全然平気」と妙に嬉しそうに答えられた。

 だが、取り立てて私たちの間に会話はない。

 風をきる音だけが耳に飛び込み、ぼんやりと下界を見下ろしながら過ごす。

 可笑しなことに男の気分一つで絶海のど真ん中に放り込まれてしまう危険な状況であるにもかかわらず、この1年に及ぶ逃亡生活の中でもっとも安心して過ごせる時間であった。



 やがて、二度めの夜明けを迎えようとする頃、果てしない海原にぽっかりと浮かぶ島が視界に入った。

 そして男はその島の中腹にある高台にゆっくりと降下して地に足をつけた。



「ふぅ……やっと着いた」


 翼をしまいコキコキと男は首の骨を鳴らしている。


「ここは……」

「さあ? とりあえず無人島ということはたしか。

 だけど、森には果実も獣もたくさんいる。

 俺たちだけじゃ一生かけても採りきれないくらいにね」


 彼の言うとおり、波の音と風の音、そして遠くで鳥の声が聴こえるだけで静かな場所だ。

 なるほど、ここならば追手に追われることもない……


 その時、ようやくハッとして私は男を見つめる。


 誰もいない。私とこの男以外は……

 聖剣を捨てられ、聖鎧も置き去りにしてしまった私は正真正銘の丸腰。

 一方、この男は素手でレオンハルトを瞬殺したほどの魔法の達人。

 指を弾いただけで人をなぎ倒すくらいだから膂力も凄まじいものだろう。

 そんな男と誰もいない島で二人きり……


 ようやく私はいかに危険な状況に置かれているかを悟る。

 男は私を殺さない、少なくとも今は。

 だが、殺さなくても私に危害を加えることはできる。

 たとえば、王が私に迫ったようなことを……


 レオンハルトとの戦いであちこちが破けてしまっている自分の衣服を見て、思わず自分の体を抱きしめる。

 男はそんな私を見て、クスリと笑い、


「ああ、そうだね。

 そんな格好をさせておくわけにはいかないなあ。

 ついておいで」


 と、私に背を向けて歩き出した。



 森に入って間もなく、木で作られた小さな掘っ立て小屋を見つけた。

 彼を追うようにしてその中に入ると、フワッと木の香りが鼻腔をくすぐった。


 ベッドとテーブルと椅子とクローゼットだけが置かれている殺風景な内観で、人が暮らしている形跡はない。

 だがベッドも椅子もクローゼットも2つずつ用意されており、ベッドには真新しいシーツと布団が敷かれている。

 男が片方のクローゼットの扉を開くと、その中には女物の衣服がぎっしり詰め込まれていた。


「とりあえず、あなたが着れそうなものを揃えたつもり。

 サイズは適当に調整してよ。

 ベッドも好きな方を使うといい。

 素人の手作りだが、丈夫さだけは保証する」


 そう言って、男はベッドの上のシーツをポンポンと叩いた。


「これは……自分で作ったのか?」

「そうだよ。時間はたっぷりあったからね。

 服みたいに島の外から持ち込もうかとも考えたけど、ベッドやクローゼットを担いで空を飛ぶなんて間抜けすぎだからさ」


 ククと犬歯を見せて小さく笑う男。


「じゃあ、俺は食事の用意をしているからその間に着替えておいてくれ。

 扉に鍵は掛けられないがそこは大目に見てよ」


 まさか、家まで自作したのだろうか……

 素人と言うが、キチンと隙間なく貼られた壁板や大の男が歩き回ってもきしまない床など職人の仕事にしか見えない。


 パタンと扉が閉じ、男の足音が離れていくのを確認して私はクローゼットを物色し始めた。

 男の目を悦ばせる淫らな娼婦のような装いを集めているのかと思いきや、くるぶしまで丈のあるスカートやズボン、ワンピースやシャツも全て長袖のものばかり。

 しかも着古してあるものばかりでツギハギが当たっているものまである。

 私は根っからの平民気質だが逆に貴族のご令嬢ならば作業着じみた服の取り揃えに卒倒してしまうかも知れないな。

 王の宮殿にいるときは透けて肌が見えそうな生地を使った胸元や背中の大きく空いたドレスばかり着せられていた。

 その事を思えば彼のセンスは性に合っていると言えなくもない。

 とりあえず、体を求めてくるつもりは無いのだろうか……

 そんな事を考えながら、藍色のスカートと麻で出来た白いシャツを身に着け小屋の外に出た。



 小屋の裏には炊事場と食事用のテーブルがあった。

 当然のように椅子は2つ。

 男は炊事場で肉を焼いており、かぐわしい匂いが辺りに立ち込めていた。

 ほどなく料理の支度は整い、私の目の前に大きな猪肉のステーキと果実が皿も使わずに置かれ、竹の切り株に注がれた水が運ばれてきた。


「では、逃亡生活の終わりに乾杯」


 そう言って男は竹の切り株を掲げたので、私は乾杯に応じる。

 男は私の目の前でステーキを手でちぎって大きく口を開けて美味そうに頬張る。

 その様子を見て、私は自分の置かれている状況の気味悪さをぼんやりと検証していた。


 たしかに、あのまま人間たちのいる場所で暮らしていくのは不可能だった。

 バルディオスが死んだことで私を追う千里眼は無くなったし聖剣も失ってしまったが、万が一正体がバレればティーチやティーゼの身が危ない。

 だが、得体の知れないどころか種族すら曖昧なこの男に連れられて、絶海の孤島で二人きり……

 男は私のことを多少は知っているようだが、私は男の名前すら知らない。


「口に合わないかな?」


 男は眉を下げて食事の進まない私に尋ねてきた。


「いや……そういうわけではない」


 私は証明するように手づかみで肉にかぶりつく。

 噛み切る肉からは脂が染み出し、口の中で甘く広がる。

 しかし、毒物を吐き散らかしてボロボロになった胃袋にはなかなか酷だったようで、すぐに食事の手が止まってしまう。


「無理しなくていい。

 残したら俺が食べるよ」


 と言って自分の前の肉をペロリと平らげた。


「で、あなたのことどう呼べばいいかな?

 ジークリンデ殿とか?

 それともジークリンデ様?

 ジークリンデさんくらいのほうがいい?」


 男は屈託ない表情で私に尋ねる。


「呼び捨てで構わない。あなたもやめてくれ。

 かしこまられる理由もないんだ。

 私は今や勇者でも、平民ですら無いのだから」

「理由はあるよ。

 だって……君は俺より年上でしょう」


 ああ、そうか。

 年上ならば仕方がない。

 年長者を敬う風習は魔族の界隈にもあったのだな――――って!?


「嘘だろう!」

「ホント。人間の暦でいうと、俺はまだ15歳だし」


 しかも4つも……

 魔族連中は数百年生きているものばかりで中には何千年と生きている者もいる。

 そりゃあ生き物なのだから、年若い魔族がいてもおかしくないのだが……


 目の前の男の整った顔立ちやガッシリした体つきを見て15歳、というのは違和感を覚える。

 人間の尺度で魔族の見た目を判断するのは非合理だがそれにしても……


 じっと、彼の顔を見つめていると、ピタリと真紅の瞳と目があって、弾かれるように視線をそらす。


「じゃあ、ジークさんでいいかな。

 生首と聖剣をくれてやった彼もそう呼んでいたみたいだし。

 ジークリンデ、って勇ましいけど長ったるいからね」


 ケラケラと笑うその表情を見るとたしかにあどけなさが残っている。


 魔族と天使の混血児だと言っていたな。

 魔族が天使を無理やり犯したとあれば、その出生は決して穏やかなものではなかったはずだ。

 見た目は大魔族の風格漂うこの男はどのような幼少期を送ってきたのか。

 私は気になった。


 ……気になる?

 いやいや、これはただの現状把握の一環だ。

 明確な敵でないにしろ、これから寝食をともにするかもしれない相手だ。

 情報は掴んでおきたい。


「私からも質問していいか」

「ああ。何でも聞いて」


 テーブルに腕を置いて身を軽く乗り出してくるその姿は懐いた犬のようだな、と思考がそれた。


「まず、名前を聞かせて欲しい」

「シオン。もちろん敬称はいらない。

 呼び捨てにしてくれていいよ、ジークさん」


 コロコロと笑顔を振りまきながら身を乗り出してくるシオンの圧に思わずたじろいでしまう。

 こんな風に初対面の相手が気負いなく会話をしてくれるのはいつぶりだろうか。

 魔王を倒す旅も終盤の頃には、私は人類最大の戦力として畏敬の念を集めていて、このように気軽な態度をしめしてくれる人間もいなくなっていた。

 子供ゆえの図々しさというものなのか、どうにも面映ゆい。


「シオン。お前は何故、私をここに連れてきた?

 お前の力は魔王に劣るものではない。

 その気になれば、亡き魔王の跡を継いで人類との戦争を再開することだって出来たろう。

 こんな絶海の孤島で抜け殻のような女と遊んでいる場合なのか」


 名前が分かっても彼は分からないことだらけなのだ。

 魔族は人類の敵であり、彼らは人類を害することに悦びを感じる生物である。

 だが、シオンは無闇に人を殺さなかった。

 私を犯そうとしていた兵隊長たちや敵意を明らかに向けていたレオンハルトやバルディオス以外は。

 そもそも、私を殺さないことが異常なのだ。

 魔王殺害の主犯である私は人類以上に魔族に憎まれて然るべきだ。

 なのに彼は私を救い出した。

 もしかすると、油断して心を開いたところで叩き落とそうとする悪魔的嗜好があるのかもしれない。


「ようやく名前を聞いてくれたかと思ったら、いきなり立て続けに被せてきたねえ。

 いいよ、なんでも聞いてって言っちゃったし、隠すようなことでもないからね。

 でも、場所を変えようか。

 汚れた机の前よりもいい場所がある」


 そう言って、彼は私の目の前に残った肉に手を伸ばした。

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