第4話 聖剣の勇者が死んだ日
毒気が治まり、全身の痛みと不快感が抜け落ちた後に訪れたのは途方もない虚脱感だった。
人を誑かす悪魔の甘い言葉に心を動かすだけの気力も残っていない私はかぶりを振る。
「私は……聖剣の勇者だ。
貴様らの同胞を何千と斬り殺した。
中には女も子供もいる。
武器を持っている、持っていないは関係ない。
目の前に映る魔族は殺し尽くした。
その長である魔王も……」
懺悔のように呟く私をじっと見つめていた彼は、突然のその場に膝を付き私の顎を持ち上げ目を合わせる。
血のように紅い瞳に映る私は幽鬼のようにひどい顔をしていた。
「そして今は人間に殺されようとしている。
やりきれないよね。
過ぎた力を手にした存在ってのは」
男の口調は柔らかく、子供のようにまっすぐ私に向き合っている。
そのように喋っていると恐ろしく整った顔立ちも少し幼く見えてくる。
だが、レオンハルトをも瞬殺した強力な魔族。
これでも底を見せていないのなら、その力はかつての魔王に匹敵するかそれ以上。
私は人類の脅威を切り払えたわけではなかったのだ。
「私は……なんのために生まれてきた」
涙で視界がぼやけ、男の像が歪む。
情けなかった。
こんな思いを胸に宿すことも、敵である魔族に漏らしてしまうほどに弱りきった心が。
男の言う通り、私には聖剣は過ぎた力だったのだ。
自分の力など何も知らずに片田舎の宿屋の娘として生きていけばよかったのだ。
そうであれば、どれだけ幸せだったろうか……
「それを探しに行こう」
「……え?」
男は白い指で私の涙を拭った。
鮮明になった視界に映るその顔は穏やかな笑みを浮かべている。
「ついておいで、ジークリンデ。
絶望の果ての死を選ぶには、あなたはあまりにも悲しすぎる」
男は立ち上がり、私に手を差し出してきた。
男が何を考えているか分からない。
それどころか何者で、どうしてここにやってきたのかもわからない。
だが、その手を取れば引き返せないことは分かっている。
人類の英雄を焼き尽くす魔族の手を取ることは、明らかな裏切りだからだ。
「私には……できない……
魔族の手を取り聖剣の勇者が逃げたなどと知られれば、いずれ復讐に訪れると人々は恐怖する」
人間に裏切られた。
だけど、私が人間を裏切っていい理由にはならない。
追手を数多く殺してきた者にそんなことを思う資格すらないのかもしれないが。
それでも、無辜の民を傷つけるようなことはしなかった。
私を裏切った村の人も両親も、悲しいけれど憎むことは出来ない。
「だから……私は死ぬべきなのだ。
聖剣の勇者は魔王を殺した後増長し、王を傷つけかつての仲間を切り捨てた。
そして、一人惨めに死体になり、さらし者にされる。
死を以て人々に安寧を運ぶ。
それが私にできる最後の善行だ」
それでいい、と自嘲気味に笑った私を、
「おバカさんか!」
と頭を平手でペチンと叩いた。
「あなたのやろうとしているのは善行じゃなくってただの自暴自棄。
何もやる気もないから何もやらずにそれなりに収まりよく死のうってだけだろ。
善行? 恩着せがましいことこの上ないよ」
頭を叩かれて叱られている……
その気になれば一捻りで私を殺せる魔族に……
「気に食わない。本当に気に食わない。
だから、魔族らしく人間の嫌がることをしてやろうか。
そうだな……手始めに貴様には嫌がらせの限りを尽くしてやろうぞ!」
邪悪な笑みを浮かべて口調を改める男。
それは道化を演じているように、何故か思えた。
男は私を肩に担いで村の方に戻った。
村の到るところに兵士が転がっている。
そのほとんどは意識を失っているだけだが、見知った男は恐怖に顔をひきつらせて息絶えていた。
「バルディオス……」
「コイツは厄介だったよ。
ジジイのくせに湯水のように極大魔法を使いこなすし、並の兵士とは比べ物にならないほど身のこなしも優れていたし。
おかげで助けに行くのが遅れた」
『至高の賢者』バルディオス。
人類最高の魔法使いと名高い『最後の英雄』の一人。
魔法戦においては魔王以外には遅れを取らなかったこの男を一人で屠ったというのか……
「さっきの目くらましは貴様が?」
「そうそう。
あそこでやりあったらあなたの両親も巻き込みかねなかったからね」
ニッ、と笑顔を作る男。
先程からもそうだが、この男は極力人を殺すのを避けているようだ。
私に直接的に危害を加えようとした者以外は。
「も、戻ってきたのか……
この魔族め!」
倒れていた兵士たちの中で唯一起き上がる男がいた。
私はその男のことを知っている。
冒険者で双剣使いのティーチ。
3年前、私のパーティの一人だった男だ。
彼は私と私を担ぐ魔族の顔を見て、目をパチクリさせながら剣を両手に構えた。
「ジーク……さん……」
「ティーチ。あなたも私を殺しに?」
ティーチはうつむいて頷く。
荒くれ者の多い冒険者の中では異彩を放つほどティーチは穏やかな男だった。
腕前は一流と呼ぶには物足りないが、献身的で旅中の食事の世話から物資の調達など細やかなところにも気を配って私たちを支えてくれていた。
そんな彼まで私にその刃を向けている。
「なんだ、二人は知り合いか。
憎しみ合うような仲にも思えないが、それでもここにいるということはお前もこの女の首が目当てということなのだな」
男の言葉にティーチは首を横に振りながら、
「仕方ないだろ!
あんたを殺せって勅命が出ている!
俺がやらなくても……いずれ誰かがあんたを殺す!
だったら俺が……」
剣を持つティーチの手が震えている。
自分を言い聞かせるような言葉を繕って、私に殺意を向けようと必死になって。
「ふむ……何故殺す。
勅命とやらに従うことを喜びとするほど熱心な愛国者なのかね?」
「愛国者……ハハ……そんなヤツ冒険者の中にはいないさ。
偉いお方が作った仕組みの中に入れなかったはみ出しものが俺みたいな冒険者に身を落とすんだ。
今の王のことだってクソくらえだと思っているさ。
棺桶に片足突っ込んでるような歳のくせに飽きもせず若い娘を毒牙にかけて!
ジークさんもそうだったんだろう?」
ティーチはふと哀れんだような目で私を見つめた。
その目が私の愚かさをあぶり出そうとするようだったから、さっと目をそらした。
「聞いていないことをベラベラのたまうな」
男はギロリとティーチを見やる。
ティーチは気圧されて、後ずさる。
「そうだったな……
俺がジークさんを殺すのは金のためだよ。
あんたの首にはとんでもない懸賞金がかけられているんだ。
それだけさ」
ティーチは何かを振り払うように笑みを浮かべて再度剣を構える。
「だ〜か〜ら〜〜〜! 質問にはちゃんと答えろ!
おバカめ」
男は指を弾き、空圧でティーチの腹部を殴りつける。
ティーチは膝を屈し、恨めしげな顔で男を見上げる。
「何故殺すか、って理由を聞いたんだ。
なのに貴様は金のためと応えた。
人間社会には疎いが、金のことくらいは知っているよ。
物品や役務の交換手段であろう。
理由を聞いているのに手段を応えてどうする?
貴様は焚き火を焚く理由を「身体を近づけるためだ」って応えるの?」
嬲るようにティーチに説く男。
つまり、ティーチに求めているのは私を殺して得た金で何をしようとしているのか、ということか。
「……ジークさん。ティーゼのこと覚えているかい?」
ティーゼ……ジークと同じ時期にパーティにいた槍使いの女の子で、ティーチの妹だ。
「ティーゼがどうかしたのか?」
ティーチは目を細めて、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「大病を患っている……
治すには屋敷を買えるくらいの高級な霊薬が必要らしい。
だけど、そんな蓄え二流の冒険者の俺たちにあるわけない。
チマチマ稼いでいるうちに病は進行していく……
一山当てないとどうしようもねえんだ……」
ティーチの剣を握る拳に力が入る。
その刃を見て、私はあっさりと首を差し出そうと思った。
ティーゼは口調は荒々しかったが兄に似ていい人間だった。
彼らがパーティを離れた理由も、邪竜に荒らされた村の再興を手伝いたいとティーゼが申し出たからだ。
私なんかよりもよっぽど人に対して優しさと慈しみを振る舞える人間だ。
私の命が彼女の命を繋ぐための役に立つのなら……
「浅はか。貴様程度の腕であの弓使いやジジイを出し抜いて勇者の首を取れるとでも思ったの?
いいように使われて小金を叩きつけられて終わりだ」
男は冷たく言い放ち、私をその場に下ろした。
「だが、悪くない答えだったよ。
自分の名誉やくだらない命令に突き動かされる愚か者よりかは幾分ね。
俺の攻撃を受けてこんなに早く意識を取り戻したのも大したもんだ」
そう言って男は転がっていたバルディオスの死骸をむんずと掴み、呪文を唱え始める。
すると、その死骸はみるみる形を変えていき、私と瓜二つになった。
「うむ。いい出来だ。
これならば街中に飾られても恥ずかしくない」
そう言って、私の姿をしたバルディオスの首を切り落とし、無造作にティーチに投げつけた。
さらに、私から聖剣をもぎ取って突きつける。
「勇者の首とその聖剣。
これで貴様は裏切り者の勇者の討伐に成功した英雄だ。
霊薬でも竜の血でも好きなだけ買い漁ればいい」
「え……」
男はあっけに取られたティーチの顔を覗き込んで、
「聖剣の勇者ジークリンデはお前が殺した。
この首と聖剣は口止め料だ。
死んでもこの事を口外するんじゃないよ。
もし、破った場合は貴様も妹も地獄の苦しみを味あわせた上で葬ってやる」
と言って、再び私を担ぎ上げて歩き出した。
「フハハハハハハハ!
どんな気分だい!?
仲間のために死ぬことも出来ず、人々から死人扱いされることになった今の気分は!」
村から離れた男は両腕を掲げて大仰しく私に語りかける。
地面に座り込んだ私はためらいながら口を開く。
「ありがとう……」
「なぬっ?」
「聖剣の重荷から解放してくれた。
もう私は聖剣の勇者でもなければ、この世の者でもない。
私を追うために駆り出される兵もいなくなる」
男は肩を落としてため息をつく。
「ありがとう……ってもう少し嬉しそうに言ってもらえる言葉だと思っていた」
「がっかりさせたか?」
私の問いに男は首を振った。
「これからの楽しみにとっておく。
で、どうする?
死んだ人間のいる場所はこの国にないぞ。
お前が生きていることが分かればあの男は罪に問われる。
どうだ、俺についてくる気になったか?」
「そうだな。魔族なのか天使なのか……
よく分からないお前の住処であっても、死人の私にとっては贅沢過ぎるくらいの待遇だ。
少なくとも人間に迷惑をかけずに済むだろう。
どこにでも連れて行ってくれ」
自暴自棄の果ての言葉だったが男は満足そうに頷いて、私を抱き上げた。
「その答えを待っていた。
ちゃんと捕まっていて」
背中から翼を出し、私を抱えたまま男は空高く舞い上がり、東の空に向かって羽ばたき出した。
鳥を追い越して、雲を置き去りにして私たちは空を駆ける。
夜空がうっすらと白んじてきたことにより、眼下の大地の闇が拭われ始める。
農民たちが畑仕事をはじめ、牧場の羊や牛たちが目を覚まして闊歩している。
細い糸のような街道が続く先には石造りの建物が並ぶ都市。
夜回りの衛兵たちが重々しい足取りで屯所に戻り、パン屋の煙突からは煙が立ち上る。
地面に足をつけているときには見ることが出来ない景色が私に世界の在り方を教えてくれる。
城や王があるから国になるのではなく、生きる人々の営みの積み重ねが国を作っているのだと。
「君の守った世界だ。
君は誇るべきことをしたんだ」
慰めのつもりか、男は私に語りかける。
目に映る風景と相まって、その言葉は自然と胸に染みた。
「お前は魔族か? それとも天使か?」
「どちらでもない。
とある魔族が地上に降りた天使を手篭めにして産ませたのが俺だ。
魔族であるには儚すぎるし、天使であるには汚れすぎている。
同族などいない世界に立った一人だけの種族さ」
淡々と自らの出生を説明させてしまったことにいたたまれなさを感じていると、
「それでも生まれてきたってことは、俺もこの世界で生きていいってことだ。
だから君もそうなんだよ。
居場所がどうだの考えるまでもなく、俺も君もこの世界の一部なんだ。
誰かに咎められて生きることを諦めることなんてない」
私の陳腐な哀れみを一蹴するように、大げさな言葉を聞かせてきた。
上空の寒気を遮るようにローブにくるまれた彼の懐は暖かく、張り詰めていたはずの心はいつしかほぐれ、私は自分の身を預けきっていることにようやく気づいた。