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第1話 窮屈な平和の終わり  

 鬱蒼と生い茂る木々がざわざわと夜の風に吹かれて鳴き声を上げていた。

 地に落ちた落ち葉と小枝を踏み折りながら私は鉛のように重い体を引きずって前に進む。

 血と脂に塗れた聖剣は輝きを潜め、精霊の加護を受けた白金の鎧は修復が不可能なほど破壊されていた。


「うぅ……オエッ!」


 空っぽの胃袋の中からこみ上げてきた胃液を地面に吐き散らす。

 何度も嘔吐を繰り返した喉は裂け血が混じっていた。


 まさに満身創痍。

 放っておかれても体内に居座る毒気に蝕まれ、幾日もしないうちに私の命は尽きるだろう。

 だが、私が安らかな眠りに落ちることを許してくれるはずがない。

 今、この森の中にいる人間たちは皆、我こそは! と私の首を手に入れようと駆けずり回っているのだから。

 




 10年前、田舎町の宿屋の娘として平凡な毎日を送っていた私の人生の転機が突如訪れた。

 宿に宿泊していたベテランの冒険者風のパーティの一人である占い師の女は気まぐれで私の運勢を占ってくれた。

 目の前に置かれた綺麗な真球の水晶玉を覗き込むように観察していた私を見る彼女の顔が真っ青になった。

 彼女は机に突っ伏して眠りこけていたパーティの面々を叩き起こし、耳打ちをした。

 彼らは訝しむような顔で私の頭から爪先まで舐め回すように見て、


「娘よ。この剣の柄を握ってみよ」


 と古代の美術品に見られる装飾を施した古いサビだらけの剣を手渡してきた。

 自分の体ほどもあるその剣の柄を恐る恐る握ると、それが思いの外軽いことに気づいた。

 鞘から勢いよく引き抜くと、現れた刀身は鋼とは思えないほど白く、ランプの光に照らされ太陽のように輝いていた。

 その圧倒的な美と力強さに目を奪われている私の周りに彼らはかしずいて、言った。


「『聖剣の勇者』よ、あなたを探しておりました」



 彼らが私に取らせた剣はおとぎ話にも出てくる魔を滅ぼす聖なる剣『グランカリバー』だった。

 その剣はこの世に存在するどの武器よりも強い力と運命を持ち、持ち手に加護を与えどのような魔神も切り裂き、天変地異ですら鎮めると言われている。

 しかし、その剣を使えるのは聖剣に選ばれた勇者のみ。

 宿に逗留していた彼らは聖剣を守護する一族の末裔であり、祖先の代から何百年もその使い手を探して旅を続けていたという。


 時に世界は東の海の向こうにある魔界と呼ばれる大陸に棲む魔族が押し寄せてきており、人類は存亡の危機に瀕していた。

 魔族の長である魔王を討ち、人類に平和と安寧を取り戻すという壮大な使命を帯びた聖剣に選ばれし勇者。

 何の変哲もない、村娘の私がそんなものになれと言われても何の実感も湧かなかったが、少女の戸惑いを慮るほど守護者たちは呑気でも愚鈍でもなかった。

 金貨と宝石の詰まった袋を手切れ金代わりに私の両親に叩きつけた彼らは、さらうようにして私を故郷から遠ざけ、人里を離れた万年雪の積もる高山地帯につれて行った。

 私は来る日も来る日も剣と魔法の稽古に打ち込んだ。

 いつか世界を救う旅に出る日のために。

 使命を言い聞かせる彼らの言葉はいつしか呪詛のように私の運命を縛り付けていく。


 5年に及ぶ荒行が終わると、彼らと共に人里に降り、片っ端から魔王の手のものを切り倒していった。

 人間には手の負えない怪物のようなモンスターや魔族たちも私と伝説の力を持つ聖剣の前に力及ばず土に還っていく。

 とはいえ、楽な旅だと思えたことは一度もない。

 共に人里に降りた守護者たちは旅を始めて2年もしないうちに全滅した。

 一人では戦うことができないと知っていた私は、世界を救うという夢を持つ者、誰よりも強い力を欲する者、全てを蹂躙され魔族に復讐する者など様々な動機を持って私と共に戦ってくれる戦士たちと手を組み、旅を続けた。

 その中で何百という仲間ができたが、半数以上の仲間の命を失った。

 消耗品のように力尽きたり、力が及ばなくなった仲間を切り捨て続けた残酷な私の旅は最高の形で幕を閉じる。


 魔王の居城にたどり着いた私達は人知を超えた力を持つ魔人たちを力を合わせて討ち滅ぼし、そして最後にグランカリバーは過去最大の輝きを放ち、魔王の体を両断した。

 人類と魔族の戦い、『人魔大戦』は人類の勝利に終わったのだ。




 人類の統一国家エルディラードの首都ミクリオンに凱旋した私を待っていたのは何十万という民から捧げられる歓喜の声だった。

 涙を流しながら私達を崇める彼らの姿を見て、私は自分の使命をやり遂げた……そう感じていた。


 その後、王宮に招かれ、侍女たちに髪を溶かされ化粧を施され豪奢なドレスにてめかしこんだ私は連日連夜祝賀会に足を運んだ。

 自分の娘や孫ほどの歳の私に国の有力貴族たちが傅いておべっかを使う。

 内心辟易としていたが、それも世界を救った勇者の仕事のうちと割り切って作り笑いをしながらやり過ごしていた。

 しばらくすると共に王都に招かれた私のパーティメンバーもそれぞれの故郷や家族のもとに帰っていった。

 だが、私だけは王の引き止めもあり、最後の一人になるまで王宮に居続けた。

 そんな、ある夜のことである。


 晩酌の相手をするように、と私はバスローブ姿の王の待つ寝室に招かれた。

 甘すぎる香水と肉食を好む王の体臭が混じった匂いで鼻が曲がりそうになり、はだけたバスローブの隙間から見える不摂生に太ったオークのような肢体に目をしかめ、高貴なお方とは思えぬ下品で身勝手な言動に耳が腐りそうになりつつも、それを顔に出すような無礼はしまいと必死で心の平静を保った。


「時にジークリンデ。

 そなたは歳はいくつになる」

「ハッ。この冬で19になりまする」


 一瓶で屋敷が建てられるほど高級なワインを王は惜しげもなく胃に流し込む。


「19……フフ、なかなかの箱入りじゃな。

 3年前に公爵家にくれてやった儂の孫娘がそれくらいかの。

 大いなる勤めに励むあまり行き遅れてしまったのか?」


 下卑た笑みを浮かべて細身のナイトドレスに身を包んだ私の体をマジマジと見やる。

 その視線に言い知れぬ不安のようなものが掻き立てられる。


「そなたの周りには屈強な戦士も知的な魔法使いもおったであろう。

 中には有力な貴族の血を引くものも。

 そやつらとは情を交わさなかったのか?

 むき出しの命を晒すような危険と隣り合う日々。

 戦場に生きる者はその生命をつなごうと交わりを欲するものだろう」


 ガッ、と不躾に王の手が私の太ももの上に置かれる。

 そして猫の毛を撫でるようにサワサワと薄い布地の上から私の脚を弄る。


「わ、私は……!

 剣を振るうことしか取り柄がなく!

 殿方を悦ばせる術を持ち合わせておりませんので……」


 私の言葉を聞き流すようにして王の手がどんどん下腹部に近づいてくる。


「ふふう。人類を救いし歴戦の英雄も、そちらの方はまだ槍の一つも手にとったことのない生娘か。

 よい……よいぞ。ジークリンデ……

 可愛いところがあるではないか」


 ベロリと王の酒臭い舌が私の耳をなめ上げた。

 あまりの衝撃に私はソファから転げ落ちて床に尻をつく。

 そんな私を見下ろしながら王は、獣のような目と息遣いで私に迫る。


「お、お戯れをっ!?」

「戯れなどではない。

 わしはそなたが欲しいのじゃ。

 フフフ……魔物の牙や爪を突き立てられ、その返り血を浴びながらもそなたは美しい。

 神に愛でられたその身にむしゃぶりつきたいという衝動をこらえよというのは酷ではないか。

 そなたにとっても悪い話ではなかろう。

 勇者であり、王の寵愛を受ける身となればこの世のありとあらゆる贅と快楽を愉しみ尽くせるぞ」


 王は私の足首を掴み上げ、くるぶしにしゃぶりついた。

 このような狼藉……旅の中でも何度も受けた。

 人間にも魔族にも魔物にだって……

 その度に私は相手の首を切り落として事なきを得たのだが、まさか人類の盟主でありその象徴である王がこのような真似をしてくるという事態に混乱しきっていて、身体は動かず、声もあげられなかった。


「あぁ……甘いのぉ。

 これから迎える女盛りを一時として無駄にしてはならんぞ。

 そなたは王の種を撒かれる至高の畑。

 その肚から王と勇者の血を引く子を産むがいい。

 女として生を受けたものとしてそれこそが至上の悦びじゃろうて」


 私が、子供を産む?


 王の……?


 ……こんな薄汚く身勝手で品性下劣な年寄りに孕まされる?



 吐き気とともに怒りがこみ上げてきた。

 私が死に物狂いで戦い、何百という仲間を失った戦いの裏で、この爺は飢える民から巻き上げた金で贅を尽くし、幾万の屍となりし兵に作らせた仮初めの平和の中で醜く肥え太っていた。

 それでも彼が人類の最高権力者であり、秩序の守護者であると思っていたから敬意を払いその悪行については目をそらしていた。

 だが、権力によって私を屈服させ欲望のはけ口にすることに悦びを見出そうとしているこの男は人間として看過できないほどの悪だ。

 

「王よ……私は…………」

「ん?」


 呟きを聞き逃すまいと体ごと私の口元に寄せてくる王の頬にーー


「貴方に抱かれるために世界を救ったのではない!!」


 拳を叩き込んだ。

 虫の脚を潰すかのように極力、力を抑えて。

 それでも王はゴム毬のように吹き飛んで、


「グボキュッ!!」


 となんともなさけなく醜い悲鳴をあげて意識を失った。

 その瞬間、私の窮屈ながらも平和な暮らしは終わりを告げたのだ。


 王を殴り飛ばした私はその場で部屋の外に待機していた衛兵たちに囲まれた。

 女が男に犯されそうになっているのを黙っているくせに、丸腰の女を槍を並べて囲むことはできるのか? と心の中で吐き捨てながら私はドレスの裾を破り、脚を広げて構えを取り、迫りくる槍をすり抜けるように躱して、衛兵たちを拳と蹴りのみで叩きのめす。


「聖剣がなければただの小娘だと思ったか?」


 最後の一人の肩を捻って外し、悲鳴をあげる男を投げ捨てて私は自室に走り戻った。


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