第18話 大好きなあなたのためにできること
その夜、私たちは久しぶりにお酒を飲んだ。
月の見える丘で互いの背中にもたれかかりながら。
お酒にたっぷりと他の果実の汁を注いでできたそれは、ほとんど酒というよりも甘露みたいなものだ。
だけど月を見上げながら時折、ペンダントの宝石にその光をかざしてやると淡く輝いているのを何度も繰り返していると夢を見ているような気分になる。
「今回は反省したよ。
当分、島の外には行かないし、行くときは必ずジークさんを連れて行く」
「そうだぞ。次は本当に許さないからな」
「分かってるって。これ以上シーツをダメにされたらたまらないし」
皮肉を言うシオンの脇腹を小突くと彼は笑った。
「それにお父さんにも言われているんだ。
しょっちゅう様子を見に来なくてもいい。
今、娘が幸せに暮らしているのならその幸せを守るために力を尽くしてくれ。
って」
「そうか」
お父さん言うことははごもっともだろう。
ひょんなことから私の生存が明らかになってしまえば、再び私を狙う追手はやってくる。
レオンハルトやバルディオスという『最後の英雄』の二人はもういなくても、まだ逃亡中に出くわしていない仲間たちもいる。
エマやゼーゼマンのような権力を持った者たちがもし私に刃を向けてくるのであれば、軍勢がこの島に押し寄せてきてもおかしくない。
ルミナスやリンネのように教会に属する者たちからすれば天使の翼を持つ魔族のシオンは存在自体を認めることが出来ないだろう。
ドラゴやリュウシンなんかは、勅命に興味がなくとも強者と戦いたいからなんて理由で襲ってきてもおかしくないし、アルバートなんかは考えるまでもない。
もし彼らと戦うことになったとしてもシオンはおそらく負けないだろうが、万が一はあり得る。
シオンの命を危険に晒すことも、この暮らしを脅かすことも私はしたくない。
「シオン。お父さんの話し相手になってくれてありがとう。
きっと、お母さんがいなくなって寂しかったと思うから。
しょっちゅう来なくてもいいって言ったのは区切りをつけたかったんだと思う。多分」
私の言葉を聞いていたシオンが、
「うらやましいな」
と呟いた。
「うらやましい?」
「ジークさんのお父さんのこと。
お母さんに先立たれたのは気の毒だけど、気にかけてくれる娘がいる。
息子だって別の町でちゃんと奥さんと子ども作って一緒に暮らすよう誘ってくれてたり。
魔族にとって家族の情ってもっと淡白なものだから。
俺と親父が仲悪かったのも珍しい話じゃないんだよ。
親子であってもその間にあるものは力による隷属関係だ。
ジークさんも俺の兄や姉を見て思わなかったかい」
「たしかに……奴らは魔王の血族であることを誇りはしていたがそれに甘えることはなかった。
むしろ、任務の失敗により父親を失望させてしまうことを恐れていた気さえする」
うっすらと大戦時の記憶が蘇る。
追い詰めた魔王の息子を名乗る魔族は洞窟もろとも私たちを道連れにしようとしたし、魔王の娘は理性を失うと分かっていても魔獣と化して私たちに襲いかかってきた。
「人間の家族は持っている幸せを分け合おうとする。
だからあんなに繁栄したんだろうな」
ジークは器に入った酒を飲み干した。
「行こう。雪が積もってきた」
ジークは翼を広げて私を抱えて飛び立った。
彼の腕に抱かれながら、声を掛ける。
「シオンも寂しいと思ったことあるのか?」
「ないよ。特に今はジークさんがいるから。
でも、離れている時はちょっと寂しくて会いたいなあ、と空を見上げたりしていたよ」
「まったく……」
家の中は雪の舞う外にも負けないほどの寒さで、吐く息が白い。
シオンは魔法で大きな火球を作り、部屋の中を暖めた。
ある程度、温まったところで桶に入れた水にその火球を放り込む。
ジュウウウと蒸発する音と共に火球は消え、湿った空気が室内に広がった。
「さて、寝ようか……と思ったけど」
シオンはシーツを剥がされ下の干し草があらわになっている私のベッドを見て苦笑する。
「外に行くの減らすって言ったばかりだけど、布は明日にでもまとめ買いしにいこうかな」
「……すまん」
私は干し草の上に直に寝ようとするが、
「ちょっと待った。
それじゃあ服や布団が汚れるでしょ。
ジークさんはコッチのベッド使いなよ。
俺は床にでも寝るからさ」
シオンは私の掛け布団と毛布をシーツの敷かれたベッドに移し、代わりに自分の毛布を引っ張り出したが、
「一緒に寝ればいいんじゃないか」
私の一言でシオンの動きが止まる。
ゆっくりと私の方を見て、
「……ジークさんがいいなら」
となんとも言えないような顔で応えた。
部屋の温度は下がってきているはずなのに、布団の中は異常に暑く感じた。
シオンの寝ているベッドは大きいが私たち二人が並んで寝ると肩がぶつかりそうになってしまう。
目を閉じたシオンもいびきをかいていないことから寝たフリで確定だ。
冬だから、寒いから、体を冷やしてはいけないから、全部言い訳だ。
帰ってこないかもしれないという不安からの解放、思いがけない最高のプレゼント、そして家族と繋がっているお父さんを羨ましがったシオン……
それらが私の胸の中を駆け巡って、言葉で言い表せない感情をどうにか彼に伝えたい。
だが、私はこういうことが下手なのだと自覚している。
恋愛経験どころか人付き合いだって限られていた。
聖剣を振るって戦うだけの勇者に雑事は必要ないと周りの人間達が上手くこなしてくれていた。
実際、今だって街に行けば交渉事の類はシオンに任せて横から口を挟む程度だ。
そんな私が……同じ布団の中で甘えることなどできるわけないだろうが!
こういうのが上手だったのがエマなのだが、あんな妖艶を人の形に落とし込んだような『女郎蜘蛛』の真似を私がしたところで噴飯ものだ!
と、淫靡な彼女の仕草を自分が真似ているのを想像するとあまりのチグハグさに笑えてきた。
「ジークさん……面白い夢でも見たの?」
「す、すまん! 思い出し笑いだ!」
怖い夢を見てうなされるというのはよく聞くが、面白い夢を見ると寝ながら笑うのだろうか?
うーん……不気味だな、それは。
「俺が邪魔で眠れないならやっぱり床で寝ようか?」
「だ、大丈夫、大丈夫だから! あ……」
腕を掴んでしまった。
しかも両腕で胸に抱きしめるようにして……
シオンの硬い二の腕に当たって私の胸が潰れている。
そのことにシオンは気づいた。
「ジ、ジークさん!?」
慌てふためくシオン。
私もどうしていいのか分からなくて腕に込める力を強めてしまう。
「お、お、おち、ちつつけ! シオン!?」
「いや、ジークさんの方こそ!!」
シオンはカチンコチンに体を強張らせている。
でも、きっとこの腕を離してしまえば彼は床で寝るか、家の外に行きかねない気がした。
大きく深呼吸して、私は彼の胸に頭を預ける。
入浴で使う石鹸の香料の匂いが彼の体臭と混ざってクラクラする。
そう、クラクラしてしまったのだ。
だから、これから私が言うことは混乱状態だから言うことで、恥ずべきようなことではない。
と、自分に言い聞かせる。
「シオン……この島に来た日にお前は私のことを好きだと言ったな」
「う……うん」
「あ、あの時は色々とあった後でそんなことを考える余裕はなかったが、今は違う。
この島の暮らしは、その、平和で、やることもたくさんあって……その、楽しかった」
「そう……なら良かったーー」
「だから! 今の私にはそれなりに心に余裕がある!
今日、お前に……大好きだ、って言ったこともそのせいだ……」
シオンは少しの間をおいて、うん、と答えた。
結局、私に小賢しい駆け引きや世慣れした手練手管を求めることなど不毛なのだ。
全てを賭けて、真正面からぶつかるような無謀な戦い方しか出来ない。
でも……そんな私でもシオンは良い、と思ってくれる。
「大好きだ、シオン。
世界中の誰よりもお前のことを……大切だって思っている」
私の言葉に応えるように、彼は私の後頭部を優しく撫でた。
彼の手は大きく、長い指が髪をすく度に胸がときめき、やすらかな想いが生まれる。
だけど、そのことが私の不安を掻き立てるのだ。
体を起こし、彼の腹の上に馬乗りになった。
戸惑いながらも真っ直ぐ見つめる彼の紅い瞳を見つめ返すと、涙がこぼれてきた。
「でも……私はいずれ死ぬ。
お前よりもずっと早く。
お前はきっと何百年もその姿のままだろうが、私は数十年もすれば老け込んで、今のようではなくなる。
そのことが……怖い」
私は再び、私たちが異なる時の流れを生きているということを告げる。
前回とは違い、私の胸の中に芽生えたシオンへの想いも明らかにしている。
「大丈夫だよ。ジークさんがおばあちゃんになっても僕はジークさんのこと、きっと好きだよ。
だからずっと一緒に暮らそう。
僕もそう望んでいるんだ」
私を諭すように語りかけてくるシオン。
違う、そうじゃないんだ。
私が恐れているのは、
「そうじゃない……そうじゃないんだ、シオン。
私が怖いのは私が死んだ後、お前が一人になってしまうことなんだ……
お前が私のことをどんどん好きになって、今よりもずっと好きになったりなんかして、そんな風にかけがえのないものになってしまったら、それを失うお前のことを考えると苦しいんだ。
悲しいんだ……泣きたくなるんだ」
頬をたどる涙の雫が彼の頬に落ちた。
「シオン、大好きなんだ。
私がお前にそうしてもらったようにお前のことを幸せにしてあげたい。
ずっと、ずっと……
でも、できないんだ。
私はお前から私を奪ってしまうんだから。
何百年もそのことでお前を苦しめるかもしれない。
これは……自惚れかな?」
私の問いにシオンは首を横に振る。
「ジークさんの言うとおりだよ。
俺はジークさんがいなくなったら死ぬほど辛い。
自分が他者を好きになるだなんて思っていなかった。
他者を恐怖で従わせることは出来ても、共感してもらえるような存在は人間にも魔族にもいないと思っていた。
何百年か、何千年かの生の中で俺がジークさんに出会えたことは奇跡だと思っている」
奇跡……なんとも儚い言葉だ。
私はシオンに消えない跡を残すだろう。
でも、それだけでは彼の孤独も寂しさも癒やすことはできない。
それどころか彼をずっと苦しめ続けてしまう。
「私……このままじゃお前に受けた恩を返せそうにない」
「恩返しなんて求めてないよ。
ジークさんが一緒にいてくれることが嬉しいんだから。
一人になった時のことは、またその時考えればいいんだ」
そんなの嫌だ。
一人で泣くシオンを想いながら死ぬのも。
他の誰かがシオンを支えてくれることを想いながら死ぬのも。
私は勝手で傲慢だ。
シオンに降りかかる悲しみを全部自分の手で拭いたいと思っている。
これは世界を救いたいと願って聖剣を振るうことよりもバカげた話だ。
それでも……
私はシオンの頬を両手でつかみ、押し付けるようにしてキスをした。
「ん……んっ!?」
自分からしたはずなのに彼の唇の感触と暖かい吐息のせいで声を上げて唇を離してしまう。
「あ……あの……ジークさん……」
「な、なんだっ!?」
シオンはうっすら頬を赤らめて、目をそらしながら、
「も……もう一回……」
……乙女か、お前は。
可憐めいたシオンの反応に嗜虐心を覚えながらも願いを叶えてやる。
今度はシオンも唇と舌を動かしてお互いを貪りあい、見つめ合った。
「シオン……私はお前を救いたい。
寂しい過去から、訪れる悲しい未来からも」
それを叶えるための方法を私はひとつしか思いつかなかった。
「子どもを作ろう。シオン」




