第17話 絆をつなぐもの
シオンが島を出てから3日が経過している。
彼が外に出て行く時はいつも2日以内に帰ってきていた。
単独で飛行する彼の速度は私や大荷物を抱えている時の比ではない。
風を置き去りにするような速度で空の彼方から瞬時に私の元に降りてくる。
「ただいま」と顔を綻ばせて犬のように近寄ってくるのだ、アイツは。
灰色の雲からパラパラと粉雪が舞い、砂浜の上にうっすらと積もり始め、クライネたちが駆け回る足跡が刻まれて行く。
冷たい風に吹き付けられながら二つ並んだビーチチェアの片方に私は膝を抱えて座っていた。
風の音や波の音が寂しさを感じさせるのは冷たい空気と曇天によるものなのか、それともシオンを突き放すように送り出してしまった後悔によるものなのか。
気軽に人里とこの島を往復するのは避けたほうがいいに決まっている。
だけど、あんな風な言い方をしなくても良かった。
自分の気持ちが不安定になっているからといって他人を傷つけていい理由にはならないのだから。
一人で過ごす島の生活は驚くほどに時間がある。
特に今は冬だから畑を耕すこともできないので、家の中で蔓草や竹を使った細工を作ったりしているのだが、静けさがより時間の流れを緩めているようにも思えた。
細かな作業をしながら思うことは、もしこのままシオンが戻ってこなかったらどうしようか、ということだ。
これまでの暮らしの中で生活に最低限必要なものは用意できている。
クライネたちも自分の食い扶持は自分で狩ってくるし、私一人が生きて行く分にはさほど問題はない。
寝ている間にも誰かに殺されるかもしれない恐怖や飢えからも解放された現状は待ち望んでいたものに他ならないのに、私は決して満たされることは無いのだろう。
もし、私がシオンに出会うことなくこの島に辿り着いていたのならそうではなかった。
聖剣の勇者として孤高の存在であったが故に、孤独と共に生きることを甘んじながらも受け入れる覚悟をしていたからだ。
だけど、私と同様、世の理から外れるほどの力の持ち主で世の中に居場所をなくしたシオンという男は私の孤高を台無しにした。
コロコロと人懐こく笑顔を振りまいている彼との暮らしは孤独から程遠く、故に寂しさに胸を痛めることを思い出させてくれた。
それは実に人間的だろうが、残酷極まりない。
この島の中にも外にも私と同じ目の高さでいてくれる存在はシオンしかいないのだ。
しかも、彼は私に優しく、一緒に楽しく生きられるよう働きかけてくれる。
彼もまた自分の孤独を埋めるために私を利用したのかもしれないが、それでも私が欲しがっていたものを全部くれた。
なあ、シオン。
戻ってきてくれ。
お前のいない日々は今の私には冷たすぎるんだ。
1週間が過ぎた。
シオンは未だ帰ってこない。
私の事を捨てたくなったのか。
それとも、奴の身に何かあったのか。
遠くの海を眺めて、私はひどく落ち込み、そして――
「うああああああああああああああああああああ!!
シオンのばかあああああああああああ!!」
と大声で叫んだ。
不安と寂しさを誤魔化すように怒りが込み上げてきた。
「もう、いい……
一人で悶々と過ごす平和なんてクソ食らえだ……」
私はバター剣で森の木を大量に伐採し、筏を組み上げた。
そして保存していた肉の燻製や干し柿、真水の入った樽などを積み込んで、海辺にかき集めた。
シオンが私を捨てたなら、どこにいても必ず見つけ出してぶん殴ってやる。
逆に、シオンの身に何かあってここに戻ってこれないようならばその原因を叩き切ってやる。
健気に帰りを待つ小娘になり切れるほど私は人間ができていない。
筏を海面に叩きつけるようにして浮かばせ、その上に荷物を載せていく。
その時、クライネ、ナハト、ムジークが私に駆け寄ってきた。
もし帰ってこれなかったら、この瞬間が今生の別れとなる事だろう。
シオンよりも早くこの島で打ち解けた生き物で、私に取って家族のようなものだった。
ならば、最後は思いっきり抱きしめて想いを伝えよう。
私は砂浜に膝をつき、両手を大きく広げる。
クライネたちは砂を蹴り上げながら私に迫りーー横を駆け抜けた。
そのまま筏に飛び乗り、砂浜に残った私に「さっさと来い」と言わんばかりに吠え立ててきた。
緩やかに波にさらわれ遠ざかる筏を眺めて思わず笑ってしまう。
そうだな。私とシオンとお前たちが揃っていないといけないよな。
食糧に余裕はある。
それにクライネ達がいれば私の寂しさも紛れる。
お前たちの安全を考えるならばここに置いていってやるべきなのだろうが、私はワガママになろう。
不安や寂しさを埋めるためにお前たちに付き合ってもらうんだ。
ニッ、と笑い、私は波打ち際から筏に向かって飛んだ。
私が取り付くと筏は大きく上下する。
ベッドのシーツを引き剥がして作った帆を広げ風を受けて、見渡す限りの海原に向かって針路を取る。
陸地まで早くて1週間。
風の具合によってはもっと長引くだろうし、嵐が来ればひとたまりもない。
大陸にたどり着いても私は元々お尋ね者だ。
危険極まりなく、また行くアテも頼るツテもない。
それでも私の心は海の向こうに向かっている。
魔王討伐の時にだって感じたことのない焦燥感と高揚感で胸が高鳴っている。
そう、私は初めて自ら目的を持って旅に出たのだ。
「待っていろ!
世界中駆け回ってでも見つけてやるからな!」
海原に向かって一人、叫んだつもりだった。
「……あ」
誰もいないはずの目の前の空にポツリと浮かぶ人影。
神々しいまでに白い翼を小刻みに羽ばたかせてシオンは浮遊していた。
「ただいま……てか、それ凄いね!
ちゃんと水の上浮いてるし!
あとで俺も乗らせてよ」
いつも通りの屈託のない笑顔を振りまいて、シオンは帰ってきていた。
私もクライネたちも呆気にとられてボンヤリと宙を見上げていると、ダッパーーーン! と大きな波が押し寄せてきて、筏に乗った私たちは飲み込まれた。
「ハハハ……しこたま作っていった燻製が全滅。
ベッドのシーツに一番出来が良かった樽も海の藻屑……」
「すまん……」
「ああ……いいよいいよ。
ジークさんもクライネたちも無事だったし。
作れるものはまた作ればいい。
元はと言えば俺の帰りが遅かったことが原因だし」
ずぶ濡れの私とクライネたちは砂浜で起こした焚き火に体を寄せている。
会ったら文句の一つでも言ってやろうと思っていたのに不意をつかれたのと大損害を出してしまったことに気がそがれてしまった。
「なんでこんなに遅くなったんだ?」
「話せば長くなるけど……」
「かまわん。話せ」
シオンは頰をかきながらどっかりと地面に腰を下ろした。
「元々はいつもどおり2日くらいで帰るつもりだったんだ。
バルドスに頼んで作ってもらったものを貰って。
でも、それがハーメルンの悪徳商会の連中に嗅ぎつけられてしまってね。
バルドスも頼んでおいたモノもまとめてさらわれちゃって、居場所がわからなくーー」
「ちょっと待て。いきなりとんでもなく物騒な話になってないか」
「俺もびっくりだよ。
幸い、そのさらった連中はオーシャンサファイヤの仕入れ先、つまり俺を狙っていたみたいで、そいつらを返り討ちにしてバルドスの居場所を突き止めることに成功したんだけど、そこからがまた面倒でさあ」
それからシオンはハーメルンの街で起こした大騒動を面白おかしく喋っていた。
細かいことは省いて結末だけを言えば、我が物顔でハーメルンの街を牛耳っていた悪徳商会のほとんどが駆逐され、若い新進の商人たちで形成する商会が台頭することで騒動の幕引きは行われたらしい。
無事助かったバルドスだったが報復を避けるため、息子夫婦の住む遠い北の街に移り住むことにしたとのこと。
「だから例のものを取り返すことはできたんだけど、仕上げまではできなかったんだよね。
モノが物だけに下手に情報を漏らすと、寝た子を起こすことになりかねないから」
「うーむ……むしろよくそれだけの騒動を数日で片付けたな」
「でしょ。しかも死人は出してないよ」
「そいつはよくやった」
私が褒めるとシオンはニマニマと嬉しそうな笑みを浮かべている。
なんだか、もう、それだけで全部許せてしまう気がした。
「で、仕上げをするためにジークさんの故郷に向かったんだ」
「待て待て待て! なぜその話の流れで私の故郷が出てくる!?
そもそもそのモノってなんなんだ!?」
「ああ……俺とジークさんのお父さんが酒を酌み交わしているのは知ってるだろうけど、その内容についてはあまり触れなかったからね。
結婚する前、細工職人の修行をしてたことの話とか」
「知らん! 初耳だ!」
「ジークさんの母上に一目惚れして、三日三晩寝ないでペンダントを作った話とか」
「全く知らんぞ! あ、でもお母さんは着飾った時はいつも胸元に付けていたような……
ええっ!? あれにそんなエピソードがっ!?」
「で、駆け落ち先としてあの村に移り住んだこともーー」
「何一つ知らないぞ!! おま……私の知らないうちに打ち解けすぎだろう!?」
怒涛の展開に私は狼狽し、彼はニヤニヤと笑う。
なんだか敵わない、って気分になる。
魔王とか天使とかそういうのを抜きにしてシオンという男の度量とか手腕の凄さに。
「両親の話はまた別に聞くとして……まず、そのモノについて教えろ!
何日も帰らずにお父さんまで頼って仕上げなきゃいけないものって何だ!?」
シオンはフッ、と笑って懐の奥から木製の箱を取り出した。
角の取れた形状や表面の光沢から時間と手間のかけられた品だと思った。
「受け取って」
「え?」
差し出された箱とシオンの顔を見比べる。
穏やかに笑みを浮かべるシオン。
戸惑う私を促すように彼は箱を開く。
中には楕円形の台座にオーシャンサファイヤが取り付けられたペンダントがあった。
チェーンと台座はは無骨な鉄製で飾り気のないシンプルなものだ。
だが、宝石職人によってカットされたオーシャンサファイヤの輝きはこれほどに美しい青がこの世にあったのか、と思わせるほどの美しさで思わず目が奪われた。
「久しぶりの再会だね」
シオンはそう言って、ペンダントのチェーンを指でつまみ、私の首の後ろに手を回す。
「このサファイヤはジークさんが最初に見つけた原石だよ。
ほら、試しに削ってみたヤツ。
これをバルドスに頼んで名のある職人にカットしてもらったんだけど悪い連中に嗅ぎつけられてさ。
ペンダントに取り付けるところまでいかなかったんだよ。
なんでもこの種類のものとしてはとんでもない純度と大きさらしくてさ。
貴重すぎて危険を招き寄せるというか、助け出したバルドスからももう関わりたくないって言われちゃったし。
そこで前にジークさんのお父さんから聞いた話を思い出して、お願いしてみたんだよ。
そうしたら快諾してくれてね」
うっすらと覚えている。
着飾った母が首元に掛けていた鉄製のペンダントを。
「このペンダントのチェーンと台座は」
「うん。お母さんの形見をお父さんが仕上げ直したものだよ。
ちなみに入れ物の方は俺のお手製さ。
お父さんがペンダントを磨き直したり、サファイヤを取り付けたりしている間、横でゴシゴシ磨いていた」
シオンの手を離れたペンダントのヘッドが胸元に当たる。
胸の下に心がある。
そんな風に思えるくらいに胸は熱くときめいた。
「よく似合う」
「鉄のチェーンに、こんな高価な宝石を付けて……
王族でも持っていないぞ、こんなもの」
と言って、鼻で笑おうとしたが鼻が詰まって上手く笑えない。
お父さんとお母さんを繋いだ思い出の品に私が見つけた宝石をシオンが結びつけてくれた。
世界にただ一つしか無い最高のペンダントだ。
私の心が傷ついても乱れても、大きく包んで癒やしてくれる。
そんなことをしてくれる人を私は他に知らないし、他にいらない。
「シオン……」
「ん?」
優しく私の表情を窺うシオンの首に腕を回す。
胸から溢れそうな思いをこぼさないよう力いっぱい抱きしめる。
それでもシオンは壊れはしない。
私よりも強い、世界で最も強くて、大切な存在……
「大好きだ」
耳元でそっと、でもしっかりとそう告げた。




