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第16話 一人ぼっちの世界で

 母が死んでから3ヶ月ほど経ったある寒い夜、異様な体のけだるさと下腹部の痛みを感じて私は目を覚ました。

 布団のシーツと寝間着の腰から下が自分の血に塗れているのを見て、唖然とする。


「……月のもの、か」


 周りの人間からは聞かされていたが、自分には関係のないことだと思っていた生理現象が不意をつくように現れたことで、なんとも恥ずかしいような、やるせないようなそんな気分だ。



 シオンを起こさないようにこっそりとシーツを抱えて、家の外に出る。

 冷えると思ったら外は粉雪がパラついている。

 風呂場の近くに置かれた洗濯桶にお湯を張り、その中に汚れたシーツと衣類の汚れた箇所を浸して磨くように洗う。

 血で濁っていくお湯の色を見つめながら我が身について思いを馳せた。


 私は19になるがこれまで月のものが来ていなかった。

 それがいきなり来た理由として考えられるのはやはり、聖剣を手放したせいだろうか。

 グランカリバーは神に造られた聖剣であり、持ち手を選び、また戦うために邪魔となる体調の変化を抑制する力がある。

 空腹や睡眠不足といった避けがたい体調の不良を軽減してくれたおかげで、討伐の旅や一年に及ぶ逃亡生活を超えることが出来たと言っても過言ではない。

 だが、聖剣が『子どもを宿すこと』を戦うために邪魔なことと判断していたのだとしたら……

 8歳の頃から10年間ずっと剣を握り続けていた私は戦うために必要な手足の成長は許されても、子を産むための成長は抑制され続けてきた可能性がある。


「とんだ聖剣だよ……まったく」


 血の匂いに釣られてかクライネたちが私に寄り添ってきた。

 丸出しの下半身が彼らの暖かい体で撫でられて、冷え切っていることに気づいた。

 とりあえず、お風呂に浸かろう。



 しばらくして起きてきたシオンは具合の悪そうな私を見て、不安そうな顔でずっと落ち着かない素振りをしていた。


「気にするな、数日おとなしくしていれば治るから」

「本当に重い病気じゃない!?」


 こいつに月のものだの説明するのも面倒だし、なにより恥ずかしい……

 ただでさえ距離感がおかしくなってきているんだ。

 この上、自分が女であることを強く意識してしまうと今までのようにいられるか自信がない。


「シオン……」

「なに?」

「お父さん、どうしてた?」


 シオンは月に一度程度、バルドスから集金したり、必要なものを買いに行ったりするために島の外に行く。

 ついでにお父さんの様子も見に行ってくれている。

 どうやらお父さんの中ではシオンは私の夫か恋人かそういうものとして認識しているようで、愛想よくとはいわないまでも行けば宿に泊めてくれるし、酒を片手に話をしてくれるらしい。


「うん。宿の方はもうやめることにしたらしい。

 客室は一部屋だけ残してあとは村の人に貸すことにしたらしくて料理屋一本でやることにしたらしい」

「それで食べていけるのか?」

「その点は大丈夫。お土産として食材も置いていっているし、宿代は多めに渡している。

 そもそもあの村はお金の支配があまり強くないみたいだし、宿自体が親切心でやっていたようなものだから。

 男の人が一人で生きていくくらいは問題ないみたいだ」


 それを聞いてホッとした。


「何か食べやすいものを作るよ。

 ジークさんはゆっくり休んで」


 シオンが部屋を出ていくと静寂で部屋が包まれた。

 その静寂は動けない私に心細さを運んでくる。

 家を出てすぐそこにある炊事場にシオンがいるというのに。

 お父さんはこんな気持ちをずっと感じているのだろうか。

 これからもずっと、10年も20年もそうなのだろうか。

 兄夫婦も普段の生活があるからしょっちゅう帰ることは出来ない。

 万が一のことを考えると、私もうかつにあの村に近づくことは避けなければならない。


 孤独が心を蝕むことは聖剣の加護をもってしても抑え切れないことを私は知っている。

 そして、一人逃げ続けていたあの頃よりも私の心は脆くなってしまった。

 きっとシオンのせいだ。

 一年も経たないこの共同生活の中でシオンと一緒にいることが当たり前になってしまって、それまでの自分を思い出せない。



 ……まいったな。

 今更、小娘みたいな感情に振り回されるなんて。

 体の変化を受けていとも容易くその気になっている自分の心の単純さがみっともない。


 私は痛む腹を擦りながら体を丸めて目を閉じた。



 それから数日は出血がひどく、それをこっそり始末したり体調が悪かったりで散々だったが、出血がほぼ止まり体調が戻ると私はシオンと一緒に狩りに行った。

 シオンも私が元気になったことが嬉しいらしく、普段より張り切って作業をこなしていた。


「冬の間は山まで狩りに来なくてもいいかもな。

 雪が深くなると面倒だし、獣たちの冬ごもりを邪魔するのは忍びない」

「そうだね。じゃあ、魚を狙っていこうかな。

 こないだ街に出た時に釣り竿を買ってきたんだ。

 ちゃんと2本用意してあるから一緒に釣ろうよ」


 ウキウキしながら焚き火に小枝を放り込むシオン。

 そんな彼を見ていて自然と笑みがこぼれる。


「お前はいつも楽しそうだな」

「うん。楽しいよ。

 未来のことを考えるのがこんなに楽しいだなんてちょっと前までは思いもしなかったな」


 未来……か。


「来年には田んぼで麦が取れるし、そうしたらパンや麺を作ることもできる。

 料理の幅が広がってきっと楽しい。

 最近手に入れた本にはお酒の作り方が書いてあった。

 本によるとこの島で採れる作物からでもお酒って作れるみたい。

 手間も時間もかかるし、それに道具も色々必要だ。

 外から持ってくるのもいいけど、できれば自分で作ってみたい」

「パンとお酒……チーズも欲しいな」

「よし! それも作ろう!

 こんな風に一緒にいろんなものを作りながらずっと過ごすって楽しいと思わない?」


 そうだな。一年後の光景を思い浮かべるだけですごく楽しい。

 だけど、


「楽しいだろうな。

 でも、ずっとじゃない。

 そうはならないんだよ、シオン」


 私の言葉がシオンから笑顔を奪う。

 迷子の子供のように頼りない顔をしている彼に私は説き聞かせる。


「私は人間でお前は天使と魔族の混血……

 もちろん、種族差別をするつもりはない。

 人間に忌み嫌われてしまった私を救って、一緒にいてくれるお前だ。

 とてもありがたく思っている。

 だけど、寿命というものはどうしようもない。

 私は50年もすれば老いて死ぬだろう。

 だけど、50年という時間は魔族や、よく分からんが天使にとっても瞬くような時間だ。

 お前にとって私といる時間はずっとじゃないんだ」


 とっくの昔に分かっていたことだ。

 だけど、そのことを辛く悲しいことだと思えるほど、私はシオンの心に触れてしまっている。

 私がいなくなったこの島でシオンは一人で生きていく。

 その光景を想像すると私の胸は痛む。

 楽しい未来への期待などかき消えるほどに。


「……分かってるよ。そんなこと」


 ふてくされたように呟くシオン。

 その言葉を最後に私たちの間の会話は消え、足早に家に戻った。





 その夜、無言で夕食を食べていると、シオンが突然口を開き、


「明日、ちょっと外に行ってこようと思う」

「島の?」

「そう」

「何しに?」

「ちょっと買い物に……」


 少し歯切れ悪そうに言う彼のその態度が気に障って、


「あまり気軽に出歩かれるのも考えものなんだがな。

 お前がヘマをやらかしたらこの島のことがバレてしまうかもしれない」

「そんなことにはならないよ」

「考えが甘いんだ。お前は。

 人間がどれだけ魔王や魔族に怯えていたのか知っているか?

 奴らが攻めてくるからと、耕した畑も育てた家畜も全部捨てて故郷を逃げ出した人間のことをお前は見たことがあるか?

 命が助かったならそれでいい。

 でも、襲撃を予期できずに老人から赤子に至るまで皆殺しにされた村や町も数え切れない。

 お前は人間からすればそういう災厄の類だ」


 強い口調で毒気の混じった言葉を叩きつけてしまう。

 シオンは叱られた子犬のように拗ねる。


「親父達が人間に迷惑をかけていたことは知っているよ。

 でも、俺には関係ない。

 ジークさんに責められるようなことは何もしていない」

「責めてなどいない! 私は」

「とにかく! 明日は行くから!

 ジークさんは留守番していて!」


 机を叩くように立ち上がり、シオンは風呂場に向かった。


 責めるつもりじゃない。

 私は不安だったのだ。

 シオンの正体がバレるようなことがあれば、彼は人間に恐れられその悪意を向けられる。

 もし、それが彼と関わりのある商人であったり、あるいは私の父なんかであれば彼は人に拒絶されるということを経験してしまう。

 私の些細な苛立ち一つで枯れたように笑顔を失ってしまう彼が、それに耐えられるとは思えない。

 怒り狂うにしても、悲しみにやつれるにしても、彼が変わってしまうかもしれないと考えると恐くて仕方がない。

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