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第15話 世界はままならないけれど

 その夜、兄の妻が夕食を作ってくれ、私とシオンも食堂に呼ばれた。

 なかなか食が喉を通らない私たち家族に対してシオンは美味しそうに残されたものも全部平らげた。

 そして、おもむろに荷物の中にあったワインを取り出し、


「私の故郷の風習では家族が亡くなった夜は酒を飲む。

 よければいかがかな?」


 と、言い出した。

 頭を小突いてやろうかと拳を握ったが、


「いただこう」

「俺も」


 と、父と兄は言った。


「奥方は?」


 シオンが尋ねると、彼女は首を横に振った。


「ありがたいのですが……お腹に子どもがおりますので」


 と応えて、私とシオンは面食らったが、それ以上に父が大きな声を上げて驚いた。


「ああ、スマン。

 つい最近分かってな。

 手紙を送ろうとも思ったんだが……」

「バカもん! 身重の妻をこんな村まで歩かせるなど何を考えている!」


 父の雷が落ちた。

 兄も負けじと言い返そうとするが、シオンはワインの注がれたグラスを二人に差し出して、


「怒って飲むにはもったいない酒です。

 どうかゆっくりと味わって」


 と言って二人をなだめすかした。

 つくづく、妙なところで口と頭の回る男だ。


「君はダメだよ。

 酔っ払うと余計なことまで口走っちゃうから」


 と私に釘を差すのも忘れない。


 男たちが酒を飲み始め、兄の妻は子どもを寝かしつけるため寝室に向かった。

 私は食べ終わった食器の片付けをしながら、彼らの話を聞いていた。


「父さん、俺達の家に来なよ。

 この宿は村の誰かに引き継がせればいい」

「お断りだ。お前の家で子守りでもして過ごせと。

 そんな歳ではない」

「でも、母さんがいなきゃやっていけないだろう。

 今までだって母さんがいたからなんとかやってこれたようなもんじゃないか」

「俺一人でも大丈夫だ。

 他人様に迷惑さえかけなければ、俺が何をしてようと誰にも文句は言われん」

「俺たちが心配するって言ってるんだよ!

 一人でここに暮らすなんて寂しすぎるだろう!」


 兄も父に負けず短気だ。

 シオンはそんな言い合いを目の当たりにして、私に助けを乞う視線を送っているが……知らん。


「夫婦といえど、どちらかが先に死ぬ。

 それが自然の摂理だ。

 俺は妻に先立たれた。

 ならば夫としてその寂しさに耐えることが務めだ」

「父さんが昔気質なのは知っているさ。

 だけど、心配なんだよ。

 それに父さんが来てくれると俺も助かるんだよ。

 もうひとり子どもも増えるし、男手が家にいてくれると――」

「俺には……もう子どもを育てる資格などない!」


 怒鳴りつけるように言った父の言葉で兄は黙りこくった。


「王があの子を捕らえるよう命じた時、ヤツを殺さなかった時点で俺は父親ではなくなった!

 村のみんなに害が及ぶ!? 他の家族にも!?

 収まりのいい言い訳で自分を納得させて父親としての責務から逃げ出したんだ!」


 机を叩き、その上に突っ伏しながら王をありとあらゆる下品な言葉で罵る。

 そして、時折不甲斐なかった自分を悔いる言葉を悲しげに囁く。

 どうやら私の酒癖の悪さは父親譲りのようだ。


「すみません。どうか酔っぱらいの戯言と聞き流してください」


 シオンはコクリと小さく頷いた。

 兄は残ったお酒を自分とシオンのグラスに注ぐ。


「ところで、お連れの女性は奥様ですか」

「ええ。俺の妻です」

「へえ、馴れ初めは?」

「……なれ?」

「どんな風に出会われて、どういう風に好きになられたのかですよ」


 ニヤニヤとシオンを問いただす兄の様子が私はいたたまれなくなって厨房を出た。

 いつのまにこんな下世話な話ができるようになったのだろう。

 やはり商人のところで修行していたせいだろうか。

 昔はわんぱくで粗雑なだけの子どもだったのに……


 母の寝室の扉には干し草で編んだ縄で封印している。

 こうしておくと夜に霊が外に出て彷徨うことを防げるのだとか、田舎村に伝わる風習の一つだ。

 そして、翌日の朝に埋葬する。

 その際には村中の人が手伝いに来るから立ち会うわけにはいかないだろう。

 夜が明ける前にはこっそりとここを出ていこう。




 空が青白んで来た頃、私は起きた。

 隣のベッドにシオンはいない。

 食堂に行ってみると、兄と父とシオンが床や椅子や机に転がるように眠っていた。

 全員に毛布がかかっているのは兄の妻によるものか。

 本当に気の回る良い奥様なことだ。


「良かったね、お兄ちゃん」


 いびきをかいて眠る兄を一瞥し、父の元に行く。

 父は眠りながら涙を流している。

 頑固で強い人だと思っていたが、その実脆い所だらけだ。

 だけど、いつも家族のことを思っている。

 私を突き放してくれたことも結果的には私のためになった。

 もし、悲しみながら「死んでくれ」と頼まれていたのなら、私はすんなりと首を差し出していたに違いないのだから。


「お父さん。ずっと元気でいてね」


 父の頬に小さくキスをする。

 そして、シオンのもとに……


 ゴツン、と脳天に拳を叩き込む。

 シオンはうめき声を上げて目を覚ます。


「行くぞ」

「ん…………」


 寝ぼけながらシオンは起き上がり、一緒に宿を出た。




 村の外れでシオンは翼を広げ、私を抱えて飛び上がった。

 ぐんぐんと速度を上げて島の方角に向かうかに見えたが、


「シオン、北に寄り過ぎじゃないか。

 これだと遠回りになるぞ」

「ああ、ちょっと寄り道しようかと思って」


 シオンはしばらくして丘に着陸した。

 その丘は王都の城下町の近くで、シオンの視線は王宮に向かっていた。


「シオン。なんでこんなところに」


 シオンは首を鳴らし、腕や脚の腱を伸ばして、


「あのお城にいる、えらーい王様とやらをぶっ殺してやろうと思って」


 その言葉に私は驚愕した。


「な、なんでいきなりそんなことを!?」

「なんで? 当然だろう。

 ジークさんが追われるようになったのも、そのせいで家族や村の人が苦しめられたのも、全部あそこで寝ぼけてるクソ野郎の仕業じゃないか。

 人間を殺したからウチの親父は殺された。

 罪に対する罰は受けるべきだ。

 だったら、それはあそこの王様も変わらない。

 自分がしでかしたことの罪深さを味あわせながら、じっくりと嬲り殺しにしてやる」


 そう言って、シオンは魔力を開放した。

 芝生がちぎれるほどに揺れ、頭上の雲が渦巻いている。

 肌で感じられるほどに膨大で強力な魔力。

 たとえ王宮の近衛騎士たちが束になってかかってもこの男には敵わない。

 彼は容易く本懐を遂げるだろう。

 あの王が想像を絶する苦しみの中で命乞いをしながら死んでいく……

 爽快とは言わないが、そのことで救われる人もいるだろう。


 だけど……


「やめてくれ」


 私はシオンに言った。

 するとシオンは舌打ちと同時にその魔力をサッと霧散させた。


「分かっているよ。

 俺なんかより、もっとそうしてやりたい人が歯を食いしばって耐えているんだ。

 その気持ちに水を差すような真似はしたくない」


 声音は普段と変わらないが、その表情は怒りに満ちている。


「それに……どんな愚物であろうと人の世を治めている以上、殺せば世の中は混乱する。

 そうなればまた別の不条理に苦しめられる人々を生み出すことになるかもしれない。

 ままならないねえ……世界というのは」


 シオンは芝生の上に大の字になって寝転がった。

 私はシオンの顔を見下ろし、疑問だったことを問う。


「なあ、今回の外出……あまりにもタイミングが出来すぎじゃなかったか。

 私があの村についたその日にお母さんが亡くなるなんて」


 シオンはすっと目をそらした。


「お前、いつから調べていた?」


 出来すぎた状況については、それを誘導した者がいるのではないかと疑う。

 エマがよく言っていて、そのおかげで窮地を脱することもあった。

 そしてこの場合、容疑者は一人だ。

 シオンはハア、とため息をつく。


「ジークさんと暮らし始めてから割とすぐ。

 一人で街にでかけた時は必ずあの村の様子を探っていた。

 で、この前に来たときにお母さんが永くなさそうなことを知ったんだ。

 黙っていたことは謝るよ」


 つくづく変なところで気が回る奴め。


「自分の親に対しては冷たいくせに」

「ジークさんの家の場合はそうじゃなかったろ」


 ああ、そのとおりだ。

 兄嫁の嘆きと母の涙、父の怒り。

 あの家に戻らなくては知ることが出来なかったものだ。


 ……そして、再びあの家に戻れたのはきっとシオンのおかげだ。

 きっと、島に来たばかりの私ならば、母が危篤だと言われても戻りはしなかった。

 あの島の暮らしの中で過去と向き合えるほどに私の傷は癒えていたのだ。


「シオン……」

「あー、悪かったよ。

 勝手にコソコソ動き回ってさ。

 これからは隠し事はしない!

 そう誓うから――」


 罰が悪そうに喚く彼の唇を人差し指で抑えて、


「ありがとう」


 と言った。

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