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第9話 お風呂を作ろう!

 クライネ、ナハト、ムジークを引き連れて私はシオンの指していた岩場にたどり着いた。

 青みがかった黒い岩肌が高くそびえている。

 試しに魔力を込めた拳で軽く叩いてみるが、かなりの強度だ。

 砕くことはできるだろうが、かなりの時間がかかるだろうし、思ったとおりの形や大きさになるとも思えない。

 ここは、コイツを使うしか無いようだ。


 私はシオンからもらったムーベルードの剣を鞘から抜く。

 紫色の美しい輝きは見るものを酔わせるような妖艶な光を放つ。

 刃を見た狼たちはこれが危険なものだと悟ったのか、私から少し距離を取る。


「ふむ……コイツにも名前をつけてやろうか。

 武器に名付けすると切れ味が良くなるという迷信もあるくらいだし」


 しばし、熟考して剣に対して呼びかける。


「よし、お前はバター剣だ。

 その名の通り、石をバターのように切ってみせろ」


 自信がなかったが名付けというのはやってみると楽しい。

 どんな名前にしようか頭の中をこねくり回して、その名を呼んでみると達成感や愛着が生まれる。


「こんなことならお前たちも私が名付ければよかったかな?」


 と、クラインたちを見つめると彼らはくぅーん……と力弱く唸った。


 私はバター剣を素振りし、感触を確かめた後に、


「ハッ!」


 気合一閃、岩山に上段から斬りつけた。

 バター剣は私の期待を更に上回り、岩を切り裂くだけでなく、地面まで切り割いた。


「凄まじい切れ味……

 ムーベルード作というのは本当らしいな」


 世に出ればその名を轟かせることが間違いない究極の名剣を石切包丁として使うなど、贅沢というか罰当たりというかなのだが、どうせここに斬らなければいけない脅威がいるわけでもないのだ。

 使ってやった方がバター剣のためだ。


 その後、小一時間かけて私は岩山から直方体の巨岩をくり抜き、それを担いで家に戻った。


「これはまた……大きいのを持ってきたね……」


 私の担いでいる岩は約1.5×1.5×2.5メートルある。


「大は小を兼ねる。

 お前の図体に合わせてやったんだ」


 私は170センチ弱と女にしては大きい体格だが、シオンはその私より20センチほど背が高く、横幅は倍くらいある。

 ゆうゆうと脚を伸ばすことを考えるとこれくらいは必要だ。


「俺も入っていいの?」

「そのつもりだ。わざわざ2つも浴槽を作る必要はないだろう」


 そう言って、土を固めた2本の台の上に岩を置く。

 台の間には空間があり、ここに火を炊いてお湯を温めるという寸法だ。


「とりあえず、体を入れる部分を掘る。

 ある程度出来たら仕上げはお前に任せる。

 得意の魔法で磨き上げてくれ」

「あ、うん。分かった」


 私は岩の上に乗り、バター剣を抜刀する。


「バター剣、よろしく頼むぞ」


 と、刀身を見つめた後、バター剣を振り下ろし岩を掘削する。


「バター……剣?」

「ああ、さっき名付けた。

 いい名前だろう」

「え……ああ……ジークさんがそう思うならそうだと思う、よ?」


 歯切れの悪い返しをしてくるシオンを私は鼻で笑う。


「名付けのセンスというものも人間と魔族では違うのだろう。

 文化の違いというものだ。

 お前は凄まじい力の持ち主だが私と暮らす以上はある程度の人間の常識も学んだほうがいい」

「ソウデスネー……」


 どこか遠いところをみつめるシオンにクライネたちが駆け寄り、怯えるように体を寄せている。

 シオンは彼らを抱きしめるようにしてその毛並みを撫でている。

 なんだかんだで打ち解けたようだな。

 と、横目でその光景を微笑ましく眺めた。




「よし! これで完成!」


 シオンは汗を拭いながら出来上がった浴槽を見下ろした。

 私は湯の入っていない浴槽に服を着たまま入ってみる。

 側面は大理石のようにすべすべに磨き上げられており、底面は火に熱せられて熱くなるためシオンが作ったすのこを敷いてある。

 もうすぐ日暮れだがわずか半日でこれだけの物ができてしまったことに驚きと嬉しさで胸が一杯になる。


「早速、水を張ろうか」


 シオンがそう言って手をかざしたので、私はサッと浴槽から飛び出る。

 次の瞬間、空中から滝のような水が浴槽に向かって注がれる。

 かなり大きな浴槽であったがまたたく間に水が溜まった。


「後は火を焚いて中の水を温めるだけだ。

 それと、明日からはちゃんと魔法を使わず水を溜めよう」

「川までは結構遠いよ。

 それに大した魔力を使うわけでもないし」

「井戸を掘ればいい。

 地下から水を汲み上げてそれを使うんだ。

 お前の工作に魔法を使うのは構わないが、普段の生活にはなるべく魔法を使いたくない。

 井戸ができるまでは水汲みは私がする。

 それならばいいだろう」


 シオンの魔法を頼れば、水と言わずお湯だって即時に出すことができる。

 だけど私には出来ない。

 対等でありたい、というわけではないがシオンに頼らなくても生活できるような仕組みを作り上げておきたいのだ。

 もしかすると、彼が急にいなくなることだってあるのだから……


 不穏な想像を振り払い、シオンの方を向く。

 彼は滑らかな浴槽の内側を上機嫌で撫でている。


「人間の暮らしとはいろいろ手間がかかるんだね」

「ああ、不便なものだ。

 だから人間は道具を作り、知識を広げ、発展してきたのだ」

「なるほどね。

 不便な暮らしも勉強の内ってことか」


 シオンは浴槽の周りに腰掛けて、


「明日からは井戸づくりだね」


 と嬉しそうに言った。




 夕食の時間中、これからやることについて二人で話し合った。

 皿の代わりにしている葉の上の料理がなくなっても話題は尽きず、またたく間に時間は流れた。


「とりあえず、俺たちには知識が足りないな。

 井戸にしても肉の燻製を作る窯にしても見様見真似で作るよりもそれについて詳しく書かれている本が必要だ」

「大きな街に行けばその手の本はいくらでも売っている。

 野菜の種や農具を買うついでに運べばいいだろう」

「ふむ……でも、俺はそれらがどこで売っているのか分からないよ。

 君に用意した服だって廃墟になっている村でかき集めてきたものばかりだし」

「分かっている。だから私も同行しよう」


 私がそう言うと、シオンは目を丸くした。


「どうした? 何を驚いている」

「いや……意外だったから。

 てっきり人間の街には近づきたくないものだと思っていたから」

「気遣いは無用だ。

 お前のおかげで死んだことになっているわけだし、変装でもしていれば問題ない」

「さすがの胆力だね。

 元気になってくれたみたいで嬉しいよ」


 そうかもしれない。

 体を動かして先のことを考えていると生きているという実感が湧いてくる。

 数日までには考えられなかったくらいに明日が待ち遠しい。


「よし! じゃあ、今日はここまで!

 お風呂に入って寝ることにしよう」


 私は立ち上がり、風呂場に向かった。



 木の板のついたてで囲まれた湯船にはたっぷりの湧かされたお湯が張られている。

 手で温度を確かめ、適温だと判断し私は衣服を脱ぐ。

 そして、足の先からゆっくりと湯に浸かっていく。


「…………ふ、くぅ〜〜」


 熱めのお湯に体中が揉みしだかれるように全身を刺激され、快感を覚える。

 底面に敷いたすのこの座り心地も悪くない。

 頭上の夜空には星が瞬いている。

 自力で作ったにしては上出来過ぎる贅沢な空間だ。

 聖剣を取り魔王との戦いの旅を始めたあの日から一所に根を張って暮らすことはなかった。

 そう考えると、今が私にとって人生で一番穏やかな時間ということになるのだろうか。

 水面から腕を出して手でこする。

 石鹸も欲しいな。

 体と髪を洗う用のものをそれぞれ。

 あと折角だから油も欲しい。


 王宮で賓客としてもてなされていた頃は面倒なだけの手入れだったが、今さらながらにそういうことに時間をかけられるのが平穏な生活を堪能することだと思う。

 別に着飾ってパーティに出かけたいわけでも、王侯貴族のような贅の限りを尽くしたいというわけではない。

 自分の手で用意できる範囲で自分の楽しみを行う。

 そうやって生きていくことを誰が止められるだろうか。


 ふと、シオンの顔が浮かんだ。

 ……彼には世話になりっぱなしだな。

 今日のお風呂づくりだって自分ひとりでは出来なかっただろうし、きっとひとりではわざわざ自分で作ってまでお風呂に入りたいなんて気分にならなかっただろう。


「ほだされつつある……のか?」


 息を吸い込んで、頭の先までお湯に浸かり、目を閉じる。

 シオンは良いやつ……それは魔族であろうと天使の混血児であろうと関係ない。

 私を助ける時も無闇な殺生はしなかった。

 狼達を食べようとはしたけど……


 あの笑顔を毎日向けられていれば、私自身も変わってしまうのだろうか。

 剣を振るうだけの人生を生きてきた私が男の手に触れられたいと願うようになるのだろうか。


 キュッと体を丸めて膝を抱える。

 膝に当たった自分の胸が押しつぶれる。

 髪を短く刈り込んで剣の修業をしていた頃、私に男や女という性別はなかった。

 男に嫁ぎ、子を成して家族で暮らす。

 そんな平凡な営みを求めたことはない。

 だけど、ここ数年は自分の体が女になっていくのをつぶさに感じていた。

 求めていないのに体の成長は私をその平凡な営みに引きずり込もうとする。

 いつか、心までもそれを求めるようになってしまった時、私はその相手としてシオンを求めてしまうのだろうか。

 ただ、近くにいる唯一の男だからなんて安直な理由で。


 息が苦しくなり、水面から顔を出し「プハッ!」と大きく息を吸い込んだ。

 そして、顔にまとわりつくお湯を手のひらで拭うと――――


「…………いっ?」

「ん? どうしたの目を丸くして」


 目の前にシオンが立っている。

 一糸まとわぬ姿で……股間には……

 ナンダアレ……?


「ああっ! これはたしかに気持ちいいっ!

 ジークさんがいてくれてよかったよ。

 ひとりじゃこんなもの作ろうなんて思いつきもしなかった」


 どっぷりとお湯に使って声を上げるシオン……


「いっ……」

「い?」


 私の顔に頭に熱が一気に昇って、爆発する。


「いやあああああああっ!!」


 ただただ全力の拳をシオンの顔面に叩き込む。


「グボハアアアアアア!!

 え? なんで!?

 俺も入っていいって言ってたじゃない!!」


 鼻血を流しながら、浴槽から転げ落ち全裸で地面を這いつくばるシオン。


「い、い、一緒に入っていいなんて言ってないっ!!

 順番に入るに決まっているだろうがっ!!

 何考えているんだ!? このドスケベ悪魔ーーーっ!!」


 頭に血が昇った私は裸のままシオンに飛びかかり、追撃する。


「ちょ! ジークさん!?

 いろいろ全部見えてしまっているけれどそれはいいの!?」

「……消せっ!! 記憶から消せっ!!

 消えるまでしこたま殴ってやる!!」

「む、無茶苦茶言ってない!? ソレ!?」


 その後、湯冷めして頭が冷えるまでシオンを攻撃し続けた。

 当然、その夜は家から締め出して一人で寝たわけだが、自分の行動に対する後悔と脳裏に焼き付いた彼の裸が交互に押し寄せてきてなかなか寝付けなかった。

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