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プロローグ

『聖躬の射手』レオンハルトの月女神(アルテミス)の弓から放たれた魔族特攻の聖矢、【スティグマータ】が魔王バアルの膝に突き刺さった。

 目にも止まらぬ速さで魔王城の広大な玉座の間を所狭しと飛び回っていたその機動力が失われる。

 続けて、レオンハルトが二射、三射と畳み掛けるように矢を放つ。

 矢が突き刺さる度にバアルの顔が苦痛にゆがみ、ついには鏡面のように磨かれた石の床にその膝をついた。


「今だ! 一気に畳み掛けろ!」


 頭から血を流しながらレオンハルトは叫ぶ。

 これまでの攻防の中で彼の受けたダメージは決して軽いものではない。

 そして、深手を負っているのは彼だけではない。

 この最終決戦に臨んだ13人の英雄のうち3人は既に事切れ、3人は戦闘不能なダメージを受けている。

 残された7人も体力、魔力ともに尽きかけており、これが最後の攻勢となるだろう。

 祈り手は残る魔力を全て錫杖に注ぎ込み、【身体能力強化の奇跡】を仲間たちに付与する。

 自身の限界を超えて肉体を稼働させる諸刃の剣とも言える奇跡。

 苦痛を押さえ込み、近接戦闘のスペシャリストである英雄たちがバアルに襲いかかる。


『龍の化身』ドラゴの槍が、『獅子王』ゼーゼマンの斧が、『剣聖』リュウシンの双剣が、バアルの肉体に小さく、だが確かに傷を刻み込んでいく。

 レオンハルトの聖矢により、肉体の再生を抑制されているバアルは自分の肉体が千切れていくことに焦りを覚えているようだ。


「小賢しいわ!!」


 忌々しげに叫んだバアルの全身から波動が放出される。

 接近戦を挑んだ3人は弾き飛ばされ、壁や床に叩きつけられた。

 だが、英雄たちの攻撃の手は緩まない。

 齢70を超える老体が海原を支配するシャチのように踊る。

『至高の賢者』バルディオスは果敢に魔王との距離を詰め、その掌底を脇腹に当てる。


「魔法の威力は使い方次第……じゃろ?

 とくと味わえ! 【ブラフマー】!」


 軍勢を焼き尽くす程の極大の閃光魔法を接射、しかも放出範囲を集束することによってその膨大なる魔力を凝縮させ余すこと無くバアルにぶつける。

 光条はバアルの脇腹を貫き、その口から赤い血を吐き出させた。


「フヒッ! その血を見たくて……こんなところまで来てやったんだぜェ!!」


 怪鳥のような雄叫びを上げながら『灰の虐殺者』アルバートがナイフを投げつける。

 彼の扱うナイフは何百人もの人間の血と脂を吸った忌まわしき凶器。

 その名もマンイーター。

 ただの人斬り包丁が数多の殺人による呪詛と因果を溜め込んで、意思をも持ち始めた。

 最上大業物にも引けを取らない魔剣である。

 ズブズブとバアルの胸板に突き刺さったナイフは自ら動き出し、ピラニアのようにバアルの肉体を喰らい始める。


「ぐあああああ!! こ、このうっ!!」


 バアルは右手を伸ばしナイフを抜こうとするが、


「させへんよ」


『女郎蜘蛛公爵』エマの振るう鋼の糸により、その右手が切断される。


「ま……まさか……我の腕が……」


 床に落ちた自身の腕を見て呆然とするバアルは床に膝をつき狼狽する。


 押し切れると確信した英雄たちは再び、バアルに向かって一斉に押し寄せる。

 最強の魔族であり、現世最高の魔法使いである魔王バアルの恐ろしさを彼らは熟知している。

 追い詰められた局面を打破する魔法を懐に忍ばせている相手に考える時間を与えることほど恐ろしいことはない。

 彼らの一見無謀なまでの特攻は最善手であった。

 だが、戦いにおいて最善手が必ずしも勝利の一手になるとは限らない。


「獲った!」

「死ねぇっ!!」


 彼らの刃がバアルの背中を覆うマントに突き立てられようとした、その時だった。

 マントは背中から突き出した腕によって引き裂かれ、彼らの刃は受け止められる。


「なんだ!? これは!?」

「見ての通り、奥の手という奴だ」


 百腕の魔人を彷彿とさせる、屈強で長い無数の腕がそれぞれ個々の意思を持つ悪魔のように英雄たちに襲いかかる。

 暴風のような乱撃に英雄たちは武器を折られ、骨を砕かれ、肉を切り裂かれる。

 形勢は一瞬で逆転される。

 だが、バアルの顔に余裕はない。

 その足元には切り落とされた腕が5本、転がっている。


「自分の体が切り落とされるのを見るのは初めてだが……不快極まりないな」


 英雄たちの決死の攻勢は魔王に対して不快を覚えさせる程度に留まった。

 聖矢の効果も薄れ、魔力を取り戻しつつあるバアルに対して、英雄たちは満身創痍。

 それでも絶望に呑まれまいと痛みを噛み殺しながら立ち上がろうとした、その瞬間、


「次に落ちるのは、その首だ……」


 静かに響くその声を聞いて英雄たちは背筋が冷えた。

 だが、その声を向けられたバアルの比ではあるまい。


「貴様……まだ生きて――」

「ルミナス!! 私に全てを預けろ!!」


 対話を拒むように彼女は叫んだ。


『聖剣の勇者』ジークリンデ。

 神が造りし聖剣グランカリバーに選ばれた最強の英雄。

 戦闘開始間もなく放たれたバアルの闇魔法から他の英雄たちを庇い戦闘不能となっていた彼女だったが、血だらけの体を引きずって立ち上がっている。

 その右手に煌めくグランカリバーの白刃が獲物を睨みつけるようにバアルの姿を映し出している。


「ジークリンデ様! そのお体では――」

「早くしろ!!」


 祈り手を怒鳴りつけるジークリンデ。

 今の状態で体に負荷のかかる【身体強化の奇跡】を付与されれば体がもたない。

 そもそも英雄たちが束になってかかっても叶わなかったバアルに一人で突撃するなど無謀どころの騒ぎではない。

 祈り手はジークリンデを失う恐怖と計算や戦術を重んじる理性に縛られる。

 だが、血に濡れた華奢なジークリンデの背中が目に入った瞬間、理性は吹き飛んだ。

 大きく息を吸い込み覚悟を決める。


「その輝きに栄光あれ……」


 いつもそうだった。

 ジークリンデは自らの身を顧みることはない。

 魔を切り裂く聖剣を手にとったその日から、彼女は聖剣の担い手として人としての生も幸せもすべて宿命に捧げる覚悟をしていたという。


 すべては人の世のために。

 そんな彼女だからこそ、聖剣グランカリバーは彼女を見初めたのだ。


 祈り手は使い切った魔力の代わりに生命力を絞り出し、ジークリンデに奇跡を付与する。

 魔王に対して有効な攻撃手段を持たない祈り手にとって、その生命をジークリンデとグランカリバーに賭けることこそが非力な自らの一矢と定めた。


 銀色の光がジークリンデの体から発せられ、長い黄金色の髪がふわりと浮き上がる。

 その姿は猛々しき闘神の様にも、美しき慈愛の女神の様にも映る。


「グランカリバー……共に征くぞ!!」


 彼女の声に応えるようにグランカリバーは自ら刃を輝かせる。

 魔を打ち払う聖なる光……か弱き人類が最後に縋り付いた希望。

 照明に使われている青い炎の光をかき消し、極光があたりを包む。


 それは一瞬だった。

 彼女の突進を阻もうとバアルの手から放たれた暗黒は聖剣によって打ち払われ、肉体の限界を超えた稼働に血しぶきを上げながらも彼女は魔王の眼前にたどり着く。

 津波のように押し寄せる無数の魔の手を稲妻よりも疾い剣閃が切り落としていく。

 やがて、バアルの体が後ろに下がらざるを得なくなったと同時にジークリンデは地面を蹴って宙を舞う。

 遠心力を存分に利用した飛翔縦回転斬りこと【乱離の銀閃】。

 肉を切り裂く音すら立てず、その刃はバアルの体を縦断した。


 徐々に収まりつく光の中でバアルの表情は失われていた。

 目を開けたまま眠ったような虚ろな目でジークリンデを見ている。


「見事だ……」


 かすかに呟いた声を祈り手の耳は捉えていた。

 この100年の間に何千万もの人間を虫のように殺してきた魔王から初めて贈られた人類への賛辞だった。


 その巨体が左右に分かたれて、床に転がった瞬間、青い炎を上げてその肉体は灰になった。


「やった……やったああああああああ!!」


 祈り手の背後で剣を杖代わりにして立ち上がった聖騎士リンネが喜びの声を上げる。

 そして、緊張の糸が切れたように英雄たちはその場にへたりこんだ。

 聖剣の勇者ジークリンデは剣を振り下ろした姿勢のまま動かない。


「ジークリンデ様……」


 恐る恐る祈り手が声をかけると、ジークリンデは剣を取り落とし、床に向かって倒れていく――


「おっと」


 床に倒れ落ちる寸前、レオンハルトがその厚い胸板で彼女をしっかりと受け止めた。


「こんなところで死なれては困るぞ。ジーク」


 端正な顔立ちと美麗な鎧を血に汚しレオンハルトは微笑んだ。


「うちの姫さんは寝付きがようございますなあ」


 エマは胸の谷間に隠し持っていた霊薬の小瓶を取り出し、ジークリンデに無理やり飲ませた。


「長居は無用だ。ズラかるぜ」

「ああ。魔王を退治しても王国に帰れなくてはこの報せを伝えられない」

「脱出経路は準備済みじゃよ。

 外にいるハンネックたちと合流したら即刻、この魔界から退散じゃ」


 ドラゴとゼーゼマン、バルディオスが互いに肩を組みながらジークリンデに集う。


「あーあ……朝から晩まで殺し放題の旅もここで終わりカァ……」

「案ずるな。貴様にはまだまだ働いてもらう。

 全ての魔族を殺し尽くすまでな」


 キヒッと気持ち悪く笑うアルバートをリュウシンは汚いものを見るかのように口元を歪めた。


「う……ん……」


 小さなうめき声を上げてジークリンデが薄目を開けた。


「ジーク、分かるか?

 魔王は死んだ。お前が殺したんだ」


 そっと体を抱きしめ、耳元で囁くレオンハルト。

 ジークリンデは表情を変えず、「ん」と応えて、


「……お腹へった」


 と言って、再び意識を手放した。

 魔王城の中枢、玉座の間にて魔王を斬り殺した直後だと言うのに、彼女の呑気な言葉にその場にいる全ての英雄たちが笑う。

 それが人魔大戦の終結のファンファーレとなる。


 祈り手はジークリンデの聖剣を拾い上げ、鞘に戻した。

 すっかり寝入ってしまった持ち主の頬にぶつけるかのように微笑みを投げかけ、


「帰りましょう。ジークリンデ様。

 あなたの務めは終わったのです」


 祈り手は願った。

 その身を自らの血と敵の返り血で汚し続けた少女がもう二度と剣を取るようなことが無いよう。

 この場に集いし英雄たちが人類最後の英雄となりて、世界に平穏が訪れるよう。


 世と人の子を造りし神の御慈悲を賜らんことを……




 ◆聖光教会司教 ルミナス・コリーフォリア著 『魔王討伐随行記 第13章 最後の英雄となりて』より

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