お礼に半分食べてあげる
「やっばああぁぁーーーい!!英語の宿題忘れてたぁぁぁーー!!」
二時間目が終わり皆が次の授業の準備をしていると、大絶叫がビリビリと教室を震わせた。
「もー、ハルまたぁ~?」
「今月何回目?」
「これ忘れたら10回目ーっ!」
「マジ?!え、確か10回忘れたら補習じゃなかったっけ?」
「そうだよぉーーっ!松センマジ超怖いのにぃー!」
松センとは英語の松田先生のことだ。補習が超絶スパルタなことで有名だった。
「それなのに10回も忘れるあんたは強者だよ…」
「ホントホント」
頭を抱えもだえていた中学二年生、斉川陽乃は友人2人にガバリとすがりついた。
「リコ!マユ!お願い宿題見せて!!」
「やだ」
「ムリ」
しかし2人の答えはなんとも厳しいものだった。
「なんで?!」
「そうやって、いっつも誰かに見せてもらえるなんて考えでいるから忘れるんだよ」
「そーそー。ちゃんとやってるうちらがバカみたいじゃん。少しはあんたも苦しめ」
「そんなぁ~!!」
ならばと他のクラスメイトに助けを求める。
…が、誰に頼んでも結果は同じだった。
「お前忘れすぎ」
「やだよ、私この前も見せたじゃん」
「誰が見せるか!」
「今からやれば?」
「うわーんっ!みんな冷たいぃー!!」
「「自業自得だ!」」
絶対絶命の大ピンチに半泣きになりながら教室中を見回すも、皆陽乃から目をそらす。
だがそんな中、一人の生徒がチラリとこちらを向いた。
陽乃の隣の席に座る気弱そうな眼鏡男子、倉井悟だった。
「あっ…」
「あ!」
倉井がヤバイと悟った時にはもう遅く、陽乃は機を逃すまいと目にありったけの力を込め彼を見つめた。
「倉井くぅ~~~ん!」
「うっ…」
「こらっ!倉井を誘惑するな!」
「負けるな倉っち!!」
キラキラウルウル攻撃が倉井を襲う。
「うぅぅ…!」
倉井の顔が湯気が出るほどに赤くなり、そして……。
「……ぼ…僕ので、良ければ…………いいよ」
「本当?!」
倉井の敗北に皆がどよめく。
「それでいいのか倉井~っ!」
「ダメだよ!それじゃハルのためにならないって!」
「あ、あの……今度…お礼してくれるなら…」
「するする!絶対するっ!!倉井くんチョー神!ありがとぉー!!」
「うわぁっ!?」
陽乃は勢いづくままに倉井に抱きついた。
「ああー!倉井が取り込まれたーっ!」
「倉っちの優しさにつけこむなんて卑怯だよハル!」
「おのれ魔性め!」
陽乃にノートを渡した所で、顔が真っ赤の倉井はそのまま頭をショートさせた。
◆◆◇◆◆
「ひゃ~!あっぶなかったぁ~!倉井くん本当ありがとね!」
三時間目の英語を無事切り抜け、陽乃は隣の倉井に満面の笑みを向けた。
「マジ命の恩人だよ~!」
「あ…いや…僕は別に…」
「それでお礼のことなんだけど、何がいい?」
「え?」
「ジュースおごるとか?あ、それともなんか欲しいものある?」
「いや、あのっ…ほ、本当にしてくれるの?」
「当たり前じゃん!さっき約束したもん!」
「!…」
「で?何がいい?ないなら私が勝手に決めちゃうけど」
「あ……じ、じゃあ…」
「うん、なになに?」
「て、手伝ってほしいことが……あるんだけど…」
◆◆◇◆◆
日曜日。
「倉井くーん」
「!」
陽乃は駅の入り口で待っていた倉井の元へと駆け寄った。
「ごめーん!ちょっと遅くなっちゃった」
「いや、ぜ、全然大丈夫っ…」
なんだかぎこちない動きの倉井は、陽乃をチラリと見ると、すぐにうつむいてしまった。
「ん?どしたの?」
「あ、あの……ごめんね」
「へ?何が?」
「せっかくの日曜日なのに……一緒にいるのが、僕で…」
「えー、なんで?!私は倉井くんと約束したんだから、倉井くんと一緒にいるのは当然じゃん!それに日曜日がいいって言ったの私だし」
陽乃が所属するバドミントン部は日曜日にしか休みがないため、倉井に空いてる時間を訊かれた時にこの日を指定したのだった。
「そ、そうだけど……」
「てか今日は倉井くんへのお礼なんだから、謝るのはおかしいよ?」
「うぅ…で、でも…斉川さん、ちゃんと可愛い格好してきたのに…僕、こんなんで…」
「ほぇっ?可愛い?!」
今日の陽乃の服装は、すそに花柄の入った白のワンピースとデニムジャケットだ。
今日はなんでもいっかー、と一枚でまあまあ様になるワンピースを選択しただけの、完全ゆるゆるコーデだった。
「うん、可愛い。…斉川さんにすごく似合ってると思う」
「!」
実は陽乃はこういったふわっとラフな服装の方が好きなのだが、友人に『その性格じゃ似合わない』と言われたことがあるので、いつもはもっとハードめの格好をしていた。
だから、可愛いと言われたのはなんとも意外でびっくりした。
「え、えへへ。そっかぁー、ありがとう」
なんだか顔がニヤける。
好きなものを褒められるって、ちょっと嬉しいかも。
「でも、僕は…こんなに地味で……」
対する倉井は、薄い水色のYシャツにジーンズという格好だった。
とてもシンプルではあるが、陽乃はそれを地味だとは思わなかった。
「そうかなぁ?私は良いと思うけどな」
「え…?」
「倉井くんらしくて、なんか安心する」
「!」
「それに、ほら!」
陽乃は腕を組むように倉井にくっついた。
「デニム同士で超ぴったり!」
「わっ!ちょっ、斉川さん?!」
「リンクコーデ完成~!ってことで早速レッツゴー!」
「えっ、あ、あの…!」
「あれ?ところでどこに行くんだっけ?」
「…………」
◆◆◇◆◆
倉井に連れられて来たのは、駅を出てすぐの所にあるファミレスだった。
案内された席に座りながら、陽乃ははてなマークをいくつも浮かべた。
「んん?ここで一体何を手伝うの?」
「あ、あの……これなんだけど…」
倉井はメニューを広げると、デザートのページを指差した。
「へ?…パフェ?」
「うん……こ、これを食べるの……手伝ってほしいんだ」
詳しく訊いてみると、倉井は今までこういったデザートを注文したことがないのだそうだ。
「家族で来た時とか、いつも気になってはいたんだけど…ご飯食べた後だし、甘い物もすごい好きな訳じゃないから、全部食べられる自信がなくて…だからいつも、メニューを見るだけで終わってて…」
「お母さんとかは一緒に食べてくれないの?」
「親二人とも、デザートとかあんまり好きじゃなくて…」
「そうなんだぁー。食べたいって言って頼んだのに、残したらもったいないしね」
「うん…」
「そっかそっか!そういうことなら全然オッケーだよー!」
「本当…?」
「うん!しかもお礼する側なのにパフェ食べれちゃうなんて超お得~!」
「い、一緒に食べるの……嫌だったりしない…?」
「え?ぜーんぜん!だって美味しいものシェアして食べるの楽しいじゃん!私は好きだよこういうの!」
パフェが食べられる嬉しさにニコッと笑いかけると、倉井も照れたように微笑みを返してくれた。
…あ、やっと笑ってくれた。
それを見たら、なんだか更に嬉しくなってきた。
「よーしじゃあ、どれにする~?」
いろいろ悩んで、二人はフルーツパフェを一つ頼んだ。
◆◆◇◆◆
最初の一口目をゆずり合う押し問答の末、二人はせーのでそれを口に入れた。
「ん~~~っ!んまっ!やっぱこのパフェおいし~!どう?倉井くん、初めてのお味は?」
「うん。…おいしい」
控えめながらもほころぶ顔に、陽乃の顔も思わず緩む。
…ふふ。良かったぁ。
「あ、ねぇねぇ!こっちのいちごソースがかかってるとこもおいしいよ!食べて食べて!」
「あ、う、うん」
「どうどう?」
「…本当だ。おいしい」
「でしょ~?」
向かい合う二人につつかれ、フルーツパフェはだんだん小さくなっていった。
至福とばかりに食べ進めていると、ふいに倉井が話を切り出してきた。
「あ、あの…さ……」
「ん?」
「そういえば…なんだけど……」
「うん、何?」
「さ、斉川さんって…その……あ、明石君と、別れたって……本当?」
「え?」
「あっ、や、えっと、あのっ……誰かが話してるの…たまたま聞いて…」
…あ、なんだ。そのことか。
「うん、そうだよ~。隼人とは別れた」
陽乃はなんとも明るいトーンで答えた。
「!……そ、そうなんだ…」
「だって、なんか言ってることがおかしくてさぁー」
「おかしい…?」
「うん。なんかね?『俺は束縛とかしないから』って言ってたくせに、私が男友達と面白い話してただけで『そんなことできる神経が信じらんない』とかって怒るんだよ?意味不明じゃない?」
今思い出しても、さっぱり分からない。
なぜ話をしてただけで怒られなければいけないのだろうか。
「え?…あー………そう…だね…」
「だから、そんな人と一緒にいるのムリってなって別れちゃった」
「…そ…そっか」
「うん」
倉井がなにやら思案顔であったが、終わったことより目の前のパフェに夢中の陽乃には、それが見えていなかった。
「ねぇねぇ!バナナとオレンジどっち食べる?」
「…あ……ぼ、僕は別にどっちでも…」
「おすすめはねぇ~、バナナだよ!ここのクリームとかいっぱいつけると、きっとすっごくおいしいと思うよ~?どうどう?バナナ食べたいと思わない?」
「…………えっと…もしかして斉川さん、バナナ嫌い?」
「え゛っ!なぜバレた?!」
「いや、なんとなく…」
◆◆◇◆◆
「はぁ~おいしかったぁ~。ごちそうさま!」
陽乃はスプーンを置き、両手をパチンと合わせた。
「ってか、倉井くんちゃんと食べた?私食べ過ぎちゃってない?大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。斉川さんのおかげで、やっと食べられて嬉しかった」
「えへへ、そっか。良かったぁ~」
彼の笑顔を見ると、なんだか心が温かくなったように感じた。
「ふふっ。なんかいいね、こういうの」
「え…?」
陽乃は少し言いにくそうに、空になったグラスに目線を落とした。
「実を言うとね?私も甘いものあんまり食べれないんだ」
「え!そ、そうなの?」
「うん。好きなんだけど、食べてる途中で疲れちゃうっていうか…。でも食べもの残すの嫌だから、いつも最後の方は『頼むんじゃなかった~!』って後悔しながら食べてて。でも今日は最後まで『おいしい』って思いながら食べられたから、すごく楽しかった」
陽乃はニカッと倉井に笑いかけた。
「半分こって丁度いいね!」
「!」
目を合わせた倉井は驚き、顔を赤くしながらも、『そうだね』と笑顔でうなずいてくれた。
◆◆◇◆◆
おごるおごらないと会計でも押し問答を繰り返し、結局それも半分こをして二人は店を出た。
「今日は、ありがとう。すごくおいしかったし…楽しかった」
「うん!私もおいしかったし楽しかった!」
「あ、あの……また…手伝ってもらっても、いい…かな…?」
遠慮がちな問いに、陽乃はふたつ返事でOKした。
「うん、いいよ~!また一緒に食べよ!んじゃ私と倉井くんは今日からパフェ友だね!」
「ぱ、パフェ友…」
「あ!じゃあ私も食べたいのがあったら倉井くん誘っていい?」
「!…う、うん!それは全然」
「やったぁ!それじゃ、また明日ね!」
「うん…また明日」
今日のことを思い出し、緩む口角を頑張っておさえながら、二人はそれぞれの帰路についた。
◆◆◇◆◆
それからの二人は、パフェに限らずお互いにスイーツの情報を持ち寄っては二人で食べに行った。
「やばっ!?これ超おいし~!」
「甘過ぎないから食べやすいね」
「ねー!」
「うわ、割ったらなんか出てきた」
「すごーい!なんかのソース?おいしそう~」
「せーのっ……」
「「…甘っ!!」」
「何これ~」
「これはハズレだったね…」
「あ、最後一個残っちゃった」
「斉川さん食べていいよ」
「ホント?ありがとう!じゃあこれは私が~…と思ったけどやっぱりあげるっ!」
「え!なんで──ムグッ!?」
「この前も私最後もらったもん。倉井くん遠慮しすぎ~」
「~~~っ!」
◆◆◇◆◆
そんなある日のこと。
「…なぁ。斉川って、倉井と付き合ってるのか?」
「へ?」
今日は日曜日。陽乃は何人かの友達とカラオケに遊びに来ていた。
リコとマユが歌っているのを皆で盛り上げていると、隣に座る男友達の神崎が声のトーンを落として話しかけてきた。
「なんか最近よく一緒にいるからさ」
「あー。ううん、違うよ~。倉井くんはパフェ友なの」
「ぱふぇとも…?んー、よく分かんねぇけど…付き合ってはないんだな?」
「うん、付き合ってなーい」
「じゃあさ……俺と付き合わない?」
「……え?」
陽乃は目をパチクリさせた。
「斉川、一緒にいて楽しいし、話も結構合うしさ。俺ら相性いい気がすんだけど。それにお互い今フリーで丁度良いじゃん?」
「んー…」
突然の、告白というよりも提案に近い発言にしばし考える。
神崎は一言で言えばザ・イケメンである。
成績はそこそこ優秀、容姿は端麗、陸上部では期待の星とされ、いわゆるモテるタイプ。
付き合う相手としては申し分のない男だ。
…まぁ、特に断る理由はないか。むしろお得物件?
「確かに良いかも」
「だろ?」
「うん。じゃあいーよ。付き合お」
◆◆◇◆◆
翌日。
休み時間に陽乃は、雑誌のスイーツ特集を倉井と共に見ていた。
「見て見てこれ!超おいしそうじゃない?」
「うん、おいしそう。見た目も可愛いね」
「ね!食べた~い!あ~でもこっちもいいな~」
キラキラ可愛いスイーツに目移りしながら、陽乃は何気ない口調で切り出した。
「あ、そうだ。私ねー、神崎と付き合うことになった」
「………………え…?」
倉井の表情を見ることなく話を続ける。
「昨日一緒に遊んでたら『付き合わない?』って言われてさー。特に断る理由もなかったから、いっか~って」
「……そう…」
「うん」
う~ん。やっぱりケーキよりこっちのパフェかな!
「ねぇねぇ倉井くん!今度はこのパフェ──」
「行かない」
「…え?」
驚いて顔を上げると、笑みをなくし俯く倉井が見えた。
しかしそれは一瞬で、彼はすぐさままた口角を上げた。
「それは、神崎君と行きなよ」
「え、でも、私は──」
「明石君と付き合ってた時、他の男子と一緒にいたら怒られたんだよね?」
「う、うん…そうだけど…」
「だったら次は、そうならないように気を付けないと。…僕も一応、性別は男だし」
「でも倉井くんはパフェとも──」
「って、ああそうか。こうやって話してるのももうやめた方がいいね」
そう言うなり、倉井は立ち上がった。
「パフェ友は今日で解消だね。ありがとう斉川さん、いろいろ楽しかったよ。神崎君とうまくいくといいね」
「え!待って倉井くん?!」
陽乃の呼びかけに振り向くことなく、倉井はそのまま教室を出ていった。
◆◆◇◆◆
その日以来、倉井とは一緒にいることも、会話をすることもなくなった。
彼の気遣いなのか何なのか、挨拶をしようと近付いただけでも、するりとかわされあっという間に離れていった。
そこまでしなくていいのに……。
陽乃は、なんとも言いようのないモヤモヤを抱えて日々を過ごしていた。
リコ達と過ごすのは変わらないのに、神崎ともうまくやれているのに……なんだろう?
なんか…………楽しくない。
「どうした?」
「…へっ?」
突然の隣からの声に、陽乃の思考は現実へと引き戻された。
部活が終わり、陽乃は神崎と共に帰り道を歩いていた。
「なんかボーッとしてたけど」
「え?あ、あー……あはは!実は昨日夜更かししすぎちゃってさぁー!もう朝から眠くて眠くて」
テキトーな言い訳をしながら頭をガシガシ掻いてみせる。
「何やってんだよ。そんなんじゃまた宿題忘れるぞ」
「えへ。忘れたら見せてね?」
「やだよ」
「えー!けち」
倉井くんだったら見せてくれるのに。
「それよりさー、次の日曜どっか行かね?」
「ん?日曜?」
「お前も空いてるだろ?」
「うん、まぁ。でもどこ行くの?」
「まだ決めてない。どっかある?」
「うーん…。あ、じゃあさー…」
◆◆◇◆◆
次の日曜日。
「はぁ~、やっと座れたぁ~。やっぱ人気店は混んでるね」
「たかがアイスに一時間待ちとかあり得ねぇだろ」
「パフェだよ!」
向かい側で愚痴る神崎は放置し、陽乃はメニューを広げた。
二人が来たのは、最近オープンしたばかりのパフェ専門店。テレビや雑誌でなにかと話題になっているお店だ。
この間雑誌で見たのは、ここの人気ナンバーワンのメニューだった。
「すごーい!ここのパフェ全部おいしそう~!見て見てすごくない?」
「あ?あー…よく分かんねぇ。どれも一緒じゃん?」
「全然違うよー!もう!」
倉井くんだったら分かってくれるのに。
「う~ん、悩む~」
「早く決めろよ」
「だってぇ~。ってか神崎も一緒に食べるんだからちゃんと選んでよ~!」
「え、何言ってんの?」
「へ?」
「俺食わねぇよ?」
「ええっ?!」
予想外の言葉に陽乃は目を剥く。
「なんで?!」
「お前が来たいって言うから来ただけで、甘いもん好きじゃねぇし。つーか女子なんだから、それくらい一人で余裕だろ?」
「え、そんなこと──」
「今更なに恥じらってんだよ。俺の前じゃ通用しねぇからやめとけ」
「べ、別に恥じらってないし!」
「はいはい。ほら早く選べー。一時間の苦労を無駄にすんじゃねぇぞー」
「…っ……わ、分かったよ!」
なんなの?
……なんでそんなこと言うの?
倉井くんだったら苦労だなんて言わないのに。
倉井くんだったら一緒に食べてくれるのに。
倉井くんだったら……──
◆◆◇◆◆
「「はぁ?!別れた?!」」
月曜日。女子更衣室でリコとマユが驚きの声を上げた。
「うん」
「なんで?!」
「ハル、神崎と前から結構仲良かったじゃん!」
「そうなんだけど…」
理解できない、と二人に両側から責めを受ける。
「何が原因?」
「神崎が実はヤバイ奴だったとか?」
「違うよ。そんなんじゃないって」
「あ、ハルの方が問題アリだったんだ!」
「ああ~。何やらかした?」
「もっと違うし!」
私をイジるのやめて!
「じゃあなんで?」
「なんか…私とは合わなかった、っていうか…」
「なにそれー」
「神崎イケメンなのにもったいなーい」
「ってか付き合って一週間くらいじゃなかったっけ?」
「ヤッバ、最短記録更新じゃん!」
「!だ、だって……」
だって、違ったんだもん。
あの時みたいに楽しくなかったんだもん。
◆◆◇◆◆
今日の体育は女子がバレーボールで、男子がバスケ。
陽乃は教師の話を聞きながら、離れた所にいる倉井を見つめた。
リコ達は分かってくれなかったけど、倉井くんならきっと、ちゃんと話を聞いて『そうだね』って言ってくれるはず。
今日はまだ、『おはよう』しか言えてない。
神崎とのことも、そうでないことも、話したいことがいっぱいある。
雑誌に載っていたあのお店も、倉井くんと一緒に行かなくちゃ。
倉井くんじゃなきゃ、楽しくない。
なぜそう思うのかは分からない。
けれど今一番に頭に浮かぶのは、他の誰でもなく彼なのだ。
早く彼と話したい。早く一緒に出かけたい。
そしてまたせーので食べ合って、お互いに感想を言ったりもして。
「…ふふっ」
って危ない危ない。今は授業中だった。
考えただけで笑みがこぼれ、緩む口元を慌てて押さえた。
あーもう、早く早く。授業なんかしてる場合じゃないよ!
◆◆◇◆◆
体育が終わり急いで着替えを済ませると、陽乃は気持ちが逸るままに教室へ向かい倉井の姿を探した。
まずは神崎と別れたことを伝えないと。そうすればまた、パフェ友に戻れるよね。
自分の席に座る彼を見つけ、笑顔で近付いた。
こちらに気付き立ち上がった所を呼び止める。
「倉井くん待って!」
「っ……」
「聞いてー。あのね私、神崎と別れちゃった」
ピクリと倉井の肩が動く。
「なんか相性悪かったみたいでさ~。やっぱ勢いで付き合っちゃ──」
「残念だったね」
倉井は陽乃の言葉を遮るように声を発した。
「え…」
「でも斉川さんならすぐまたいい人見つかるよ。ごめん、僕教科書忘れたから隣に借りに行かなきゃ」
「え、あのっ」
そう言うなり彼は陽乃の前を横切り、一度も目を合わせることなく教室を出ていった。
「倉井、くん……」
なんで…………?
話…聞いてくれないの?
◆◆◇◆◆
なんで……?なんでなんでなんで?
私、なにか怒らせるようなことした?
彼の行動の意味が分からず、悶々と考え込む。
あの後も何度か話しかけようとしたが、あからさまに避けられ、近付くことすら許してはくれなかった。
別れたって言ったのに。もう私を避ける必要ないのに。
なんで…?
何も分からぬまま、隣で授業を受ける横顔を見つめる。
…………もしかして…『軽い女だ』って軽蔑されちゃったとか?……私のこと、嫌いになっちゃった…?
もしそうだったら…どうしよう……。
怖くて訊けない。
『嫌いだ』なんて言われたら…いやだよ。
彼に避けられるたび、心がギュッと締め付けられた。もしもそんな言葉を聞いてしまったら、きっと潰れてしまう。
「…………」
こんなに近くにいるのに、すごく遠く感じる。
……ああ、そっか。
『近くて遠い距離』って、こういうことだったんだ。
歌の歌詞や少女漫画によく出てくるこの言葉。今まではなんとなく分かっているようで、実は全然分かっていなかった。
『近くて遠い距離』……手を伸ばせば届く所にいるのに、うまく話すことも、笑い合うこともできない距離。
すごく…………苦しい距離。
陽乃は俯き、唇を噛んだ。
どうしたらいいの?私の何がいけなかったの?
どうすれば…また前みたいに笑ってくれるの?
「…………」
俯き髪に隠れたその顔を、倉井は静かに見つめる。一瞬苦しげに眉をひそめ、彼は再び前を向いた。
◆◆◇◆◆
放課後になり部活が始まっても、陽乃は未だ考え込んでいた。
今日一日、彼は一度も目を合わせてくれなかった。
このままずっと………こんな日が続くの?
明日も…明後日も……ずっと?
もう、一緒にパフェ……食べられないの…?
「ハル!」
「え?あっ!」
考え過ぎて、飛んできたシャトルを取り落としてしまった。
「何やってるの!」
「ごめーん!」
拾い上げ、元の位置に戻る。
このまま…ずっと……。
シャトルを見つめ、サーブの形に構える。
明日も……明後日も……ずっと。
「……うぅ」
「ハル?どうしたの?」
「うぅぅ」
「ハル?」
「ううぅ~~~っ!!そんなのやだっっ!!」
陽乃は頭を抱え、盛大に吠えた。
体育館中の皆が驚き、陽乃を見やる。
「いきなり何?!なんなの?」
「ごめん今日もうムリっ!お腹痛いから早退するって先生と部長に言っといて!!」
「え!待って、ハル?!」
そう言ってシャトルを部活仲間に押し付けると、陽乃は猛ダッシュで体育館を出ていった。
「はやっ…………そんなに痛かったの?……」
◆◆◇◆◆
着替えてなんていられない!
陽乃は練習着のまま更衣室からかばんを引っ掴み、玄関へと走った。
彼は帰宅部。帰りの会終了から少し経ってしまったから、もう家に着いてしまったかも知れない。
でも!それでも、今日じゃなきゃ!
明日まで待つなんて嫌だ。苦しいまま夜を過ごすなんて嫌だ。
今すぐ倉井くんに会いたいの!
靴箱の前に到着。荒くなった息を整えながら自分の靴がある場所へ向かう。
早く!早く行かないと!
焦る気持ちのままに外靴に手をかけた時、すぐ近くの階段から誰かが降りてくるのに気が付いた。
「え!…」
「え…」
それは、たった今会いに行こうとしていた、倉井その人だった。
「…斉川さん……なんで…」
「倉井くんこそ…なんでいるの…?」
驚きを露わにしていた倉井は、我に返ると目をそらし、無理矢理口角をあげて止まっていた足を再び動かした。
「あっ…ぼ、僕は…図書室で考え事してて、気付いたらこんな時間だったんだ」
言いながら、陽乃の横を通り過ぎる。
「ははっ、呆れちゃうよね。早く帰らないと…」
「待って!!」
陽乃は倉井の腕にしがみついて引き止めた。
かばんがドサリと床に落ちる。
「っ!?」
「行かないで…お願い……話、きいて…っ」
行っちゃだめと、引き止める手にギュッと力を込める。
「……斉川…さん…?」
怖いと叫ぶ心を押さえつけ、彼の顔を見られないまま震える声で必死に言葉を紡いだ。
「…なんで…?なんで、避けるの…?……わ、私のこと…嫌いになっちゃったの?……私の何がだめだったの?悪いところがあるなら、直すから!嫌なことももうしないからっ!…だからっ……だから…っ…」
だから、嫌いにならないで。
陽乃の目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
苦しみが喉を締め付けて、あと少しが声にならない。
このままなんてやだよ。倉井くんと一緒にいたいよ…。
すると、柔らかいものが頬をふわりと撫でた。
顔を上げると、動揺し心を痛めた瞳が見えた。
「ごめん…………泣かせるつもりじゃなかったんだ…」
倉井はハンカチで優しく涙を拭った。
「斉川さんは何も悪くないよ。嫌なことだってされてない。大丈夫だよ。だから泣かないで」
「でもっ……でも!…」
「斉川さんのこと、嫌いになんかなってないよ?…なるわけないよ」
「…っ……じゃっ、じゃあ……なんで…?」
「そ、それは……なんていうか、その…………………ぼ、僕じゃ……だめだったんだなって…思って…」
「…え?」
「神崎君と付き合うってことは……僕といるの…本当は楽しくなかったんだ、って…。そうしたら、何だか…一緒にいるのが辛くなっちゃって……だから──」
「ちがうっ!」
陽乃は顔をくしゃりと歪め、全力で首を振った。
目からは再び涙が溢れる。
「…ちがう…っ…違うよ!楽しくないなんて、思ったことないっ!」
強くまっすぐに倉井を見つめ、想いの全てをぶつける。
「いつもすっごくすっごく楽しくて、次はどこに行こうかって考えるだけで幸せな気持ちになれてっ。でもそれは、倉井くんだったからなの!」
「え?……」
「神崎と付き合って分かったの。神崎と一緒にいる時も、『倉井くんだったら分かってくれるのに』『倉井くんだったらこうなのに』って、ずっと倉井くんの事ばっかり考えてた。倉井くんとだったら楽しかったことも、神崎とじゃ全然楽しくなかったの。倉井くんじゃなきゃだめだったの!」
「っ!」
その言葉に、倉井は目を見開いた。
「ごめんなさい…っ。軽い気持ちで、神崎と付き合うなんて馬鹿なことして、辛い思いさせてごめんなさい!許してなんて、言わないからっ……お願い…嫌いにならないで…!」
とめどなく流れる涙に視界がボヤけ、彼の表情を見ることができない。
倉井くん…。倉井くんっ。
「…っく……、ひっく………っ……」
「斉川さん」
掴んでいた腕が、やんわりと引き抜かれた。
「大丈夫だから、泣かないで。顔あげて」
そっと頬に添えられた手に誘導されて上を向くと、伝い落ちる涙にハンカチが押し当てられた。
すぐ目の前にある彼の顔には、心を温めてくれる微笑みが浮かんでいた。その瞳は、そらすことなくまっすぐに陽乃を見つめている。
「僕のせいで泣かせて…ごめん。僕こそ、苦しい思いさせてごめんね。さっきも言ったけど、僕は斉川さんのこと、嫌いにならないよ。絶対にね」
「……ほんとう?」
「うん、本当だよ。だって、斉川さんが僕と同じ気持ちでいてくれたって、分かったから。…ちゃんと伝えてくれてありがとう。僕も、斉川さんといるとすごく楽しいし、すごく幸せな気持ちになれるよ」
彼の言葉一つ一つが、恐怖で固まった心に染み込んでいく。
「もう避けることもしない。約束する。…だから、その…………斉川さんさえ良ければ…また、パフェ食べるの…手伝ってもらってもいいかな…?」
「!!」
赤く染まる頬で俯きがちに発されたその問いは、今なによりも求めていたものだった。
見開かれた陽乃の目から、涙がボロボロとこぼれ落ち、せっかく綺麗にしてもらった頬を再び濡らした。
「え!?あ、あれ?なんでまたっ…?」
「うぅぅ~」
「ごめん!僕っ、なんか変なこと言っ──」
「うわあぁぁぁぁんっ!」
「わぁっ?!」
ワタワタと慌てていた倉井に、陽乃は思い切り抱きついた。
強烈なタックルに負け、細い体はそのまま尻餅をついた。
「よ゛がっだぁぁぁぁーっ!」
「さっ、斉川さ──」
「『手伝って』っでゆっでぐれだぁぁぁぁ」
「う、うん、言ったよ。だから──」
「うわあぁぁぁーーーんっ」
「いや、あの………えーと…」
倉井は馬乗りで離してくれそうもない状態に困惑し、とりあえずなだめようと陽乃の頭をポンポンと撫でる。
身の内から湧いてくる邪念を深いため息と共に吐き出し、呆れ気味にボソリと呟いた。
「やっぱり明石君が怒った原因、これだよな…」
誰彼構わず触ってしまう距離感のなさ。
「斉川さんて…」
「ふぇ?」
「…ううん、なんでもない。それより、あの……そろそろ離れて…」
「いや!」
「ええぇ~…」
次の日、校内には倉井が陽乃に襲われたという噂が流れた。