優しい世界
私は早歩きで昇降口へと向かっていた。
「廊下はもうちょっとゆっくり歩こうね近衛さーん」
「ごめんなさい寺藤先生、さようなら!」
「さようならー」
いやほんと、この学校の先生たちは甘くて助かる。
盲学校の教員は優しい人が非常に多い。これは私が今まで普通の小学校中学校に通ってきたからこそ言えることらしく、生まれつきの視覚障害で幼稚部から盲学校に通わざるを得ない状況の生徒からすると普通だとのこと。ちなみに私はこの学校に来て一度も熱烈な説教を受けたことが無い。まぁ盲学校の廊下を早歩きすると大抵、見えない生徒同士で衝突事故が起こるけども。
そこはあれです、察してくださいお願いします。
あぁもう、見えてた頃なら階段一段飛ばしとかで降りれるのになぁ。
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私は迎えに来てくれているであろうお母さんに会うため昇降口に到着したところだ。
「おかえり冬香」
「お母さん!!!」
「!? な、なに?」
おっと公共の場では静かにね。
「あー、歩きながら話そっか」
「..........ん、んん?」
「いーから」
興奮の影響で自己中心的言動を貫いていることに気付く。日頃面倒を掛けているお母さんにこの態度は流石にポリシーに反するとかそういう次元の話では無くなってくる。とりあえず落ち着こうか私。
私は早まる気持ちをなんとか抑えつつ靴を履き、再びお母さんの肘を持つ。
「それで、どうしたの一体」
「あのねお母さん、私こんなの見つけたの」
そう言って私は問題の記事を写したスマホをお母さんに手渡す。
「.......これね、春香がここ最近狂ったように調べてるようだけど」
「え、そうなの?」
春香は昔からゲームが好きだった。ロールプレイングやアクション、ホラーなど、もはやゲームであれば何でも構わないと言いそうな勢いでやっていたっけ。そんな春香だ、買いたがるに違いない。
でもお母さんの言い回しだと、買ってくれと迫ってはいないようなきがするけど.........。
「多分、あの子が一年生でバイト始めたいって言い出したのもこれが原因ね」
どうせゲームのためだろうとは思っていたがこれだったか原因は。そんな前から行動を始めていたとはゲーマー恐るべし。
「実はさ、私もこれ買いたいんだけど」
「.......買ってあげたいとは思ってる」
「じゃあ」
「でもね冬香、これを買ったら、あなたが引きこもってしまうんじゃないかって思うの」
買ってあげたい、とは恐らく、お母さんもこの次世代のゲーム機が私の障害を貫通するかもしれないという可能性があることを理解しているからだ。お母さんは私が病気を発症した時から、効果がありそうな物を調べては私で軽い人体実験をするかの如く試してきた。言うまでもないがそのどれもが失敗に終わっている。
訳の分からない針治療をするため飛行機に乗ろうと言い出した時は流石に驚いたけど。
そんなお母さんが意外にも私のことを信じ切れていないことに少し胸が痛む。しかし私はそんなことで屈したりはしないぞお母さん。必死だもの、そりゃね。
「ねぇお母さん。うちの子に限って、そんなことできると思う?」
「それは......... 」
お母さんの言葉が詰まる。
私たち姉妹はこれでも厳しい両親に育てられた身なのだ。お父さん怖いし、お母さんだってたまに怒る時がお父さんより怖い気がする。小さい頃はよく怒られたなぁ。
.....主に春香が。
「こわーいお母さんお父さんに育てられましたからねこれでも」
「...... 」
お母さんはしばらく考えた後、ある提案をした。
「じゃあこうしましょう。冬香の成績が下がったり、寝坊したり、ご飯の時間とかちゃんと守れるって言うなら買ってあげる」
「なにその小中学生みたいな........」
確か春香も前に同じルールでゲーム機没収期間から解放されていたっけ。
「絶対守るよ。私も家族の空気が悪くなるの嫌だし」
「そう。ならいいんだけど」
「........?」
「私も前に気になって調べてみたんだけど、結構高いのよねこれ」
「え」
「ってことで、全額の半分くらいは冬香の貯金から引かせてもらうわね」
「うっ........はーい」
し、仕方ないんだよ。これも僅かな希望の為....。
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そんなこんなで買ってもらえることになったんだけども。さすがの人気というか、売り切れっていうことでなかなか手に入らなかったんだよねこれが。
授業になんて集中できるものですか、えぇできませんとも。
早く届かないかなぁと思い早一ヶ月が経った頃ようやくそれは手元に届いた。購入品は仮想現実空間へ旅立つためのゲーム機というか機械というか装置、それとゲームソフトである『BSO』の二つだ。どちらも店舗では発売当初から常時入荷待ちという状況、ネット通販でも最低二週間以上待たされる程である。私もその二週間待たされた人だ。
現時点で仮想現実システムに対応したゲームはこのBSOたった一つとなっている。故にゲーム機もゲームソフトと同じくらい、需要に供給が追い付いていないということになる。
私は宅配便によって届けられたそれらを自室に置く。
置いただけである。
何せ触覚だけが頼りの私にとってそれらはつるつるした大きな箱であり、それ以上の何物でも無いのだ。強いて言えば、玄関から部屋までの運搬がただひたすら重かったという個人的感想から来る情報だけである。箱を触り尽くしても段ボールのような開閉部分は無い。そんな箱の開け方が分かるものですか。
よりによって父母共に外出。私一人ではどうすることもできない。加速するプレイ願望と箱一つ開けられない自分への悔しさが頭を支配していた。
そんな時、私の部屋にノック音が響いた。
「.......冬香、大丈夫?」
「春、香?」
ここ数年耳にしていなかった、春香が私を心配する単語「大丈夫?」。それは唐突に再開を果たした。最近の春香の寂しそうな雰囲気と違った言葉に、私の心臓は緊張に侵され脈を早める。
「ど、どしたの」
「えっと、お母さんがね、冬香いろいろ分からないだろうから手伝ってやれって」
お母さんとて私と春香が大変ぎこちない関係にあることを知らないはずがないであろう。図ったなお母さんめ、いつかこの借りは返す。
返す余地があるのかは知ったことではない。
「.....入るよ」
「えっ」
心の準備は当然出来ていない。
ドアノブを捻る音が私の耳に入る。しかし捻り切るまでに時間が掛かり過ぎていることから察するに、思い切った発言をしたはいいものの行動までは思い切れなかった、結果恐る恐るという感じだろうか。春香も心の準備は出来ていないようだ。
私の部屋に春香が足を踏み入れるのはいつぶりだろうか。思い出せない程久しぶりな春香の足音は静かなものだった。
「うわ、結構大きいんだねそれ」
「う、うん。ここまで運ぶの大変だったよ」
「そりゃそうだよ、逆によく運んだねこんなの」
自慢気に胸を張ろうとして、春香とそれなりに話せていることに気付く。気付いた途端恥ずかしいような照れくさいような感覚に襲われた。その感覚は言葉の歯切れを悪くさせるように思考を鈍らせた。
「.....で、でね、この箱開け方わからないんだ」
「あー......これはカッターか何かじゃないと無理だよ、開け口ないし頑丈だし」
開け口の無いケースがパッケージとは、よっぽど中身が振動に弱いとしか考えられないな。にしても随分とまぁ視覚障害者に無配慮な包装ですこと。
「ねぇ春香」
「ん?」
「良かったらなんだけど、これ開けるのとか設置とか手伝ってほしいな。出来れば起動可能な状態まで」
気まずさとプレイ願望とを天秤に掛ければ、圧倒的にプレイ願望のほうが重いに決まっている。障害無しにゲームが遊べるかもしれない確率は百パーセントといっても過言ではないからだ。病気は違えど前例がすでにネットに書き込まれていたのをお母さんと先日確認したばかりである。
「うん、いいよ。だってそのために来たんだから」
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「ふぅー、これで大丈夫かな」
「ごめんね任せっきりで」
「いいのいいの」
結局見えない私に出来ることは無く、開封から設置完了までの全ての工程を春香がやってしまう形となった。面目ないの一言に尽きる。
私は指示された通りベットに仰向けで寝る。そしてヘットギアのようなものを被ると、春香が電源を入れるからと言われた。
「電源入れたら向こう側に飛ぶから。あとは機械の指示に従えば大丈夫だよ」
「うん、わかった」
「いってらっしゃい冬香」
別に外出するわけでもないはずだが、春香はそんな言葉を口にする。登校前たまに同じことを言われるが、いままでのそれとは違い寂しさ悲しさは一切感じ取れなかった。
しかし久しい春香との会話はお互いぎこちなかったことを思い返し、私たち双子の仲が昔のようにそれほど仲が良くないことを再実感させられた。
「いってきます、春香」
私はこれから始まるであろう第二の人生に大きな期待を抱き、二度と使い物になることは無いであろう両目の瞼を閉じた。




