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鈴音の自宅

 寮から北へ徒歩3分もしない所に高い塀と深い堀に囲まれた天津邸があった。青で塗装され質素な外見だが妙に厳重な印象を受ける。


「大丈夫だと思うけど」


 鈴音は鍵を取り出して門を開ける。一応、海人が警戒して居たが当然の事ながら侵入者は居なかった。これなら猿か鳥じゃなきゃ入ってこれないだろう。

 象とかが出て来たらさすがに駄目だろうけど──なんか不吉な事を考えているような気がする。こういうのはフラグだ。忘れよう。


「お邪魔します」


 和泉がこんな状況なのにズレた事を言う。弓の名手なのにこういうところが浮世離れしてる。

 あたしは全員が中に入ったのを確かめてから門を閉めて鍵をかけた。

 振り返ると鈴音がドアを開けて中に入っていた。


「お邪魔します」


 あたしも人の事は言えなかったようだ。入って玄関の鍵を施錠して習慣で靴を脱いでしまう。でも全員同じようにしたのか靴が置いてあった。緊張感ないかもしれない。


「あ、姉ちゃんおかえり。その人たちは? それにその格好は何?」


 警戒していたのにそれを打ち破るように声変わりしてない少年の声が左から聞こえた。その手には食べかけのオニギリが握られている。パジャマではない、ジーパンにTシャツとラフな服装だった。


「勇ちゃん、二階で寝てなさいって言ったでしょう」


 鈴音の声に怒気が含まれていた。こんな状況なら怒るわな。

 姉というより若妻に見える生徒会長はひと目で状況を悟ったのかそれ以上の小言は言わなかった。

 勇ちゃんと呼ばれた中学生成りたてくらいの少年は助けを乞うように視線を漂わせてある一点で止まる。

 この中なら和泉あたりだろう。だが彼が助けを求めた人物は違った。


「兄ちゃんなんとか姉ちゃんを諌めてくれないかな」


「……まあ、姉ちゃんも今日色々あって参ってるんだよ。宥めておくから時間をくれ」


 顔見知りだったのか海人は両手の指を上下に動かして熱を冷ますような動作をとる。

 隣で鈴音が口を尖らせて拗ねていた。

 なんか予想以上に悪い方向に話が進んでないか。どうして生徒会長の弟と顔見知りなんだ?


「私は2階に上がって着替えるから1階を見まわったら外を警戒だけしておいて」


 あ、あのぅ。と和泉が口を開く。それと同時に誰かの腹の虫が鳴った。

 まあ、誰のお腹が鳴ったかは確かめるまでもない。ちょっと可愛かったので笑いを堪えるのが辛かった。


「お昼に何にも食べてないんで何か頂けるとありがたいのですが」


「開封してる冷凍食品があると思うから適当に食べていいわ」


 家主は和泉にあっさりと許可を出した。

 ありがとうございます。と言うのが早いか駆け出すのが早いのか、和泉はリビングに置いてあった冷蔵庫の下側の扉を開け放っていた。この子は意外に食いしん坊なのか。

 封の開いていた冷凍カレーピラフを取り出し、耐熱皿を棚から持ってきてカレーピラフを盛って近くにあったサランラップを掛けて電子レンジに入れて温めだした。

 来たことあるような流れるような動作だった。しかもいつの間にかスプーン取り出してるし、目は輝いている。余程、お腹が空いていたのだろう。あたしが家主なら絶対に怒らない。それにそのカレーピラフは結構辛かったはずなのだが平気で食べてるし。

 鈴音も同じ心境だったらしくため息を吐いていた。


「那名側、一応護衛しておいてくれる」


 二階への階段を登ろうとしている鈴音が振り返る。


「はいはい」


「貴女は可愛げがないわね」


 言い返したかったが失言だったので何を言わなかった。集中力が切れたせいか余計な一言ばっかりな気がする。


「勇ちゃんは1階の奥の部屋にあるアタッシュケースをリビングに持ってきておいて貰える。とても大事な物が入ってるから持ち歩いておきたいの」


 返事が返ってきたのを確認して鈴音は階段を上っていた。

 あたしも立っていても仕方ないので玄関にあった雑巾で金属バットを拭いてから彼女の後を追う。

 先に二階を上がった所にある部屋に入った鈴音は早速上着を脱いでいた。護衛の意味ないと思うんだけどな。

 廊下で立っていてもしょうがないので部屋の中に入って適当に見渡してみる。

 本棚には意外に漫画系が多い。陰陽師の本もある。魔術とか好きなのか。話題を振れたらいいのだろうがあたしはオカルトはチンプンカンプンだ。それに興味もない。


「ドアは開けておいて」


 なんかあった時用なんだろう。別にあたしが着替えてるわけじゃないので言うとおりにする。

 見れば既に下着姿でウエットティッシュで体を拭き終えて黒タイツを履こうとしていた。彼女の下着は上下ともに黒だった。

 どうしたらそんな必要なところだけ肉が付くのか聞いてみたくなる。あたしより軽いくせにバストは一カップ違うだろう。神は不公平だ。


「これから寒くなるんだったか」


「貴女は大丈夫なの」


 一応大丈夫と返す。あたしはハイソックスしか履いてない。あんまり賢くない選択肢ではあるけどパンストは苦手だ。絶対領域とか言われるサイハイソックスでも履いたら良かったのだろうか。

 そうと返しながら、鈴音は制服のスカートを履いている。私服でもいいのに──


「制服なの?」

「私服で行くと人妻と連呼されるだけじゃない。それに汚れるし」


 確かにお気に入りの服が返り血で汚れたら目も当てられない。

 黒のミニスリップを着ていた鈴音の動作が止まる。視線は部屋の隅を向いていた。


「いやぁぁぁっぁぁぁっぁぁ」


 レウケか! 慌てて身構えるが彼女が見て叫んだ相手は──主に台所に居る黒い虫だった。

 あたしは持っていた金属バットの先端で走り回る黒い塊にサクッと押し付けて潰す。近くにあったティッシュを何枚か取って黒い塊くんを包み込んでゴミ箱に放り込む。

 階段の方からドタドタと音がする。

 多分、海人が上がってくるから何でもないと返さないと。


「よく平気ね」


 あたしからしたら台所の黒い物体で騒ぐ方が面倒である。駆除した方が早いんだし。

 ドアの方を見たらやっぱり海人が居た。間に合わなかった。ムカつくことに視線は鈴音の方を見ていた。しかもちょっと固まってるし。目だけはチラチラとこっちを見てるし。

 あたしは咄嗟に鈴音の前に立って遮ろうとするが事もあろうに彼女は反対方向に動く。

 ちょっと意地になってそっちへ体を動かすが今度は鈴音が反対側に動いた。バスケのマンツーマンディフェンスかよ。

 何故、わざわざ見せようとするか。多分、あたしへの対抗意識かもしれないけど。


「あ、すまん」


 あたしと鈴音のつまらん攻防を何度か繰り返した後、固まってた海人が動き出してこちらに背を向けて壁の裏に移動した。


「大丈夫。覗いたことはあれと相殺でチャラと言うことで」


 カッターシャツを羽織ってボタンを全て止めおえて右手をパタパタと振る。


「あれとチャラなのか? あれはそういう展開になるものだったのか」


「だって私の我侭だし」


 今日最大級に嫌な感じの会話だ。

 紺のブレザーを着込んだ鈴音があたしを追い抜いて廊下に顔を出す。どう見ても人妻のコスプレにしか見えない。

 悪女。ボソッと言ってしまった。


「悪女の悪口入ります」


 レジの一万円入りますみたいな口調で舌を出して鈴音が戯けてみせた。またやぶ蛇だった。ぐわぁぁぁっぁぁぁ。ムカつく。頭から煙でそう。

 何かを考えて言葉が出ない海人を見てあたしは不審がる。


「黒? 最悪の場合に返り血が目立たないようにしてる」


 絶対に下着の色の話じゃないぞ。ってそんな理由か。


「いや……方位磁石と乾電池ないかと思って」


 やっと戻ってきたのか、海人が目的の物を告げた。両方とも絶対に要るよね。


「勇ちゃんの部屋とリビングの棚にない?」


 海人は確認してから向かいの部屋に入る。鍵はかかってなかったようだ。漁るなよとも言いたくもならないが非常事態だし家主の鈴音が黙っているのであたしも黙ってる。と言うか、なんで其処が弟の部屋だって分かるんだ? お前、来たことあるだろう。


「あと携帯ラジオあるか」


 方位磁石を見つけた海人はそれを回収する。一応、あたしのリュックに入ってるので言うべきだった。後で言っておこう。

「台所にあった気がする」

 鈴音は弟の部屋に入ってそんなやり取りを交わしている。


「最夜の外は無事だと思ってるの?」


「ここはインターチェンジがなきゃ陸の孤島だぜ。インターチェンジの事故が上手い方向に行ってることを祈るよ。この状況で日本中で全滅なんて冗談は洒落にならない。例え妨害されてても電離層からの跳ね返りがあれば他の都市の放送が入るかもしれないからな。それで確かめようってお前には釈迦に説法だったか」


 乾電池と缶切りは入れたけどラジオを忘れたなんて言えない。


「あ、乾電池と方位磁石あったと思う」


 背負っていたリュックを床に下ろして確認する。単3と単4それぞれ12本しかないけど入ってた。あとそれなりに高いコンパスも。

 単3と単4だって。あたしに被さる影。振り返らなくても分かる。鈴音だった。


「いや要るのは単2なんだ。あ、あった」


 複雑な心境だ。


「丁度いい機会だから女子寮の件は謝っておくわ。私の判断ミスだった。寮に入る前に海人君を貸すべきじゃなかった。貴女が危険に陥ったのは私の責任だから負い目を感じる必要なんてないから」


 振り返るといつもよりも遥かに憂いを帯びた瞳でこっちを見ている鈴音が居た。

「別に……助かれば気にしないから」


 あたしはそう言葉を絞り出すのがやっとだった。怒りではない。死の恐怖をぶり返してしまっただけだ。あたしたちは一歩間違えれば死ぬ綱渡りの真っ最中なのだと改めて認識する。


「あともう一つ。下着姿を見られたのは私だから勝手に制裁とか加えないように。これは私の貸しだから」


 わざわざ余計な一言をプレゼントしてくれた。フリーズしかけてたのを見かねてなのか、嫌味なのか判断できない。


「ちょっと降りてきてもらえますか? いいもの見つけました」


 和泉の声に鈴音が右手でどうぞと促す。

 あたしは思考を振り切るように立ち上がって先に階段を降りていった。



 降りた先には耐熱皿を持ってまだカレーピラフを食べてる和泉が居た。


「口の端に米粒付いてるよ」


 彼女は慌ててそれを取って口の中に収める。


「インカムとラジオ見つけました。あと言われたとおり奥の部屋からアタッシュケース持ってきました」


 残っていた一年生たちがアタッシュケースとインカムと携帯ラジオを見せる。


「生徒会長が降りてくるまで待ってたらいいよ」


 あたしにはインカムと携帯ラジオの価値はわかるが鈴音が指摘したアタッシュケースの価値は分からない。何か貴重なものが入っているのだろうか。


「皆さんは最夜に家族とかいらっしゃるんですか」


 羞耻心から和泉がその話題を振ったがどう広げても今の状況では地雷にしかならない。

 それを示すように鈴音の弟は黙っている。

 一年生たちがそれぞれ居ないと答えてしまったのであたしも渋々答える。


「この街には私しか居ない。父は駐屯地だし姉は東京だから」


「家族とは小さい頃に死別した」


 上から降りてきた海人がなんの感慨もなく答える。

 ゴメンナサイ。ゴメンナサイと謝って和泉は米粒が一つもない皿を台所の流しに置きに行った。


「別に気にしなくてもいいのに」


 海人があたしを見る。うんと返すがあんまり賛同する気にはなれない。


「私に母親なんか居ない。勇彦だけ」


 自分のコンパウンドボウを持って降りてきた鈴音の目には冷たい光が宿っている。

 海人以上に地雷の人物がいた。勇彦と呼ばれた弟は姉の言葉に黙って視線を逸らしていた。

 一年生たちと話を振った和泉が凍りついている。

 鈴音はアーチェリー部から持ってきた備品のコンパウンドボウをこれお願いと一年生たちの一人に渡す。


「勇ちゃん、アタッシュケースは出来るだけ丁寧に扱ってくれる? とても重要なものが入ってるから」


 鈴音の言葉はまるであたしたちの命運を左右するかのように聞こえた。そう言えば、彼女の母は研究所勤めだったか──アタッシュケースに変なもんが入ってないことを祈りたくなった。

 鈴音は英語で文章の書かれた紙をテーブルの上に置く。


「あと近くに寄りたいところがあるの」

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