兎川の嘆き
「さすがに研究者の娘だけはあるのね。でも貴女はそれが自分の命も脅かす事は分かっているのよね?」
月山は鈴音に向かって問う。
「とても不愉快な事にね。私としてはさっさと話を聞いてここから出て行きたいの」
二人の視線がぶつかる。こいつらトコトン仲が悪そう。蛇とマングースみたいだ。
「それよりも話の続きを! あんたがやった実験とは何?」
鈴音の返答に兎川が割り込む。
「貴女は【e】が何だと思う?」
ウィルスだろう。怒りに満ちた眼で話の先を促す。
「わたしもね、最初はそう思っていた。ロシアから発見された頭部に残されていた細菌だと……でもね、調べていく内に違う事が分かったの。それはウィルスを模したナノマシンだった。つまり、この世界ではまだ確立さえされていないナノテクノロジーで作られた兵器だったのよ。そこでわたしはそれを証明する為に実験室で大量の電気を消費して研究所全体の電力が落ちて補助動力に切り替わった訳。それが駄目押しと言えば駄目押しね」
「なんでそんなに平然としてられるんだ! 人がいっぱい死んだんだぞ!」
「全てがわたしのせいじゃないもの。【e】を蔓延させるつもりなんかないしね。そういう意味ではただの不幸な事故だから」
兎川は泣き出していた。パパ、ママと呟いている。
多分、兎川は両親の仇を討ちたい一心でここまでやってきたのか──でも敵と呼べる相手は目の前のただの研究者に過ぎない女性と既に最夜から逃げ出したらしい男だけなのだからそれはショックも受けるんだろう。
国際的陰謀だったとかの方が救われるんだろうか?
「どうしてそんな物がこの世界にあるんだ?」
黙っていた海人が口を開いた。
「えーと君が八幡海人か。君も後で血液提供してね。男性の【e】耐性保持者は貴重だから。あ、話がそれた。パソコンにおけるハッキング対策みたいな感じかな。自分を害そうとしたハッカー相手にウィルスを送りつけたり、位置を把握したり、攻撃するでしょう? この【e】も同じ。元々はそういうのだったのよ。でも向こうの世界は……多分滅んでてその防御機構だけが残っていた。で遅れた世界で馬鹿なわたしたちにはそれがナノマシンだとは分からずにただウィルスだと思い込んだ。こっちの世界に【e】が渡ってきたのはその世界を覗き見てた時にウィルスを貰ったのでしょう」
「つまり覗きして報復食らったのがこの【e】なのか」
海人が血を寄越せという部分に不快そうな表情をしながら暫く間を置いてから聞いた。
「そう。ちなみにわたしは大量の電力を消費して向こう側を覗こうとしたら失敗しただけ。そしてこの有様。あ、勿論、ティル・ナ・ノーグの許可はとったよ。貴方たちには何の意味もない事でしょうけど」
全く悪びれた様子はない。ウィルスを撒いて研究所を壊滅に追いやろうとしたのは月山ではないのだから当然のメンタリティなのかもしれないけど──聞いてるこっちが呆れてくる。
「ティル・ナ・ノーグはその事を知ってたのか?」
「ここにそういう施設があるんだから知っていたと考える方が自然でしょう」
つまり今回の件はいつ起きても不思議じゃない状態だったのか。
「第一、おかしいと思わなかったの? ウィルスが幾ら強力でも生物を短期間に書き換えるには限度がある。ナノマシンとウィルスとミトコンドリアなどの総合的な力を持ってこそ生物を書き換える事ができる。ウィルスだけで出来る訳がないとわたしは踏んでる」
月山は持論を展開し始めた。
「あの研究資料はなんだったの?」
そんな推論など聞いても仕方ないのでチャチャを入れようとしたら鈴音が割り込んだ。
「旧ソ連から盗んだ事とクリーチャーの能力以外はフェイクに決まってるじゃない。流出した時用のカバーストーリー」
「アルツハイマー治療の研究は?」
頭が痛くなってきた。でもあたしの口は勝手に開いていた。
「一部は合ってる。【e】が脳細胞を再生させるのも事実。現にわたしが【e】を使って脚を治そうとしたように。つまり、真実なんてそんなもの。大体納得してくれたかしら?」
「それが真実だと言う保証は? 貴女が嘘を吐いていないという根拠は?」
鈴音は呆れてるのか疑ってるのかため息を吐く。
「そんなものは全く持ってないわね」
「この騒ぎはどうしたら収まるんだ」
開き直ってる月山に俯いていた兎川が問う。
「街ごと滅菌するのが一番でしょうね。つまり爆撃して焼き払うくらいしか手段がない。そしてその為に結社が後始末に動き出す筈。ショックを受けてるんだろうけどサッサと脱出する術を考えるべきじゃないかしら?」
月山はギョッとするような一言を告げる。
「つまり、それは自衛隊がこの最夜市を爆撃するって事だよな?」
「その通りよ。多分、残り一日半あれば良いほうじゃない?」
海人の問いに月山は不敵な笑みを返す。他人事のようだた。
一方、兎川はずっと黙り込んでいた。何かを決意したように──




