抗ウィルス剤
アーチェリー部が保有する空き教室は沈んでいた。曲がりなりにも今まで引っ張ってきた生徒会長である鈴音が倒れてしまったのが仕方がない。その上、彼女もレウケになるんじゃないのかと言う懸念からこの場から離れた者も少なくはなかった。纏めていたこけしちゃんも何か用があるのか動き回っているせいでここには居ない。
この場にいるのはドアを背にして椅子に座るあたしと鈴音の傍らで看病をしてる海人と兎川しか残ってなかった。恐らく兎川は最悪の事態の為に備えていてくれてるのだろうがあたしと兎川で海人を抑えて──なんて事態は避けたい。両方の意味で。
「熱は下がりそうなのか?」
兎川は教室の中央の椅子に陣取り入口と窓を見張ってる。
海人のマミー型の寝袋に入った鈴音は本当に死者を連想させ、寝袋がファラオの棺みたいで見てて笑えない。
「分からない。それより原因はなんなんだろう? 疲労? ウィルス? ウィルスが原因ならワクチンが効いてない事になるが」
海人が洗面器に入った冷水でタオルを絞って鈴音の額に乗せた。段々寒くなってる上にストーブくらいしか暖を取れないのでは彼にはドラグノフ狙撃銃を使う気がないのか、或いは一番上手く使えそうな兎川に任せるつもりだったのかずっと彼女が持ってる。
その兎川は海人の答えを待っている。
「手がかじかんでると引き金を引くのに不利になるけど良いの?」
あたしは沈黙を嫌って聞いてみた。
「狙撃は兎川に任せた方がいいだろう。普通に引き金を引くだけなら問題ない。それにお前ら一応負傷してるだろう。看病くらい任せろ」
海人の言葉にあたしの左肩と兎川の背中の件を思い出す。折角忘れてたのに痛みがぶり返してくる。
「任された。ところで下心はないよな?」
「馬鹿を言ってないで外を見張ってろよ。鳩でも入ってこられたら困る。第一、お前そんなキャラか?」
兎川の言葉に海人が怒った。凄く煙たそうな態度である。
「自分の事じゃなくて生徒会長の件だが……何と勘違いしたんだ?」
部屋の中央で兎川はニヤニヤしてる。チャチャでも入れて状況を忘れていないと和泉の件とかで参ってしまうのも確かだがあたしも面白くない。
「それよりも……」
なんだろう。何かが引っかかった。大事な事を忘れてる気がする。
「ワクチンを摂取してたのなら死んでもレウケになったりしないのか」
「そういえば勇彦くんを確かめてないな」
海人の意見に兎川が思い出したように疑問を口にする。生前に弟くんの体をちゃんと確かめた訳ではない。彼が摂取したのはワクチンだけだったのだろうか?
「あまりいい気分じゃないけど遺体を脱がせて確かめてみる? 摂取してるのなら痕が残るはずだし」
あたしの提案に何故か兎川は前後に大きく首を振る。お前はどっかのマスコットか。
「あとアタッシュケースを調べておいてくれるか。あれ妙に大きかった気がするんだ」
あたしもそれは思っていた。えらくアタッシュケースが重かったけど冷却装置のせいかと勘違いしていたのかもしれない。
「保健室に置いたままだったけ? とりあえず、二階の教室と保健室を見てくるか。じゃあ、と言うことで八幡にここは任せる」
こっちを見て話す兎川の提案に面白くないものを感じる。
しかし、あたしが鈴音の面倒を看る気がないのと海人が離れる気がないのを考えたら消去法で兎川の相手は一人しか居ない。
「あんたと一緒に行動することになるの多いわね」
あたしは立ち上がって武器を取り、ぼやき混じりで言った。
「気にしない。気にしない」
スリングベルトをクロスした形で兎川は武装して立ち上がる。
「では行くか」
あたしと兎川はまずは弟くんの遺体がある二階の教室へ向かった。
廊下は生々しい血痕の跡が残ったままで教室は殆ど手付かずの状態だった。弟くんは頭部を破壊された様子はない。
「あたしがやるよ。兎川は警戒とイザという時を頼む」
やや間があって兎川は返事を返す。
あたしはその理由を無視して裾を捲ってくるぶしを調べてみる。それらしき痕は何にもない。
「くるぶしとかまたマニアックな……」
その言葉を流して次は袖を捲って肘窩を調べる。注射痕らしいのが一つ。そしてそのまま袖を捲って見えた肩の三頭筋に一つ。
「二つ痕がある。ワクチンと抗ウィルス剤だったのかも」
「なら急ごう。アタッシュケースの中にあれば行幸だ」
兎川の言葉にあたしは頷いて保健室に移動した。
保健室のドアを開いたら依田先生が迎えてくれた。和泉の側で看病してくれていた。
「どうしたんだんだ。あんたたち。もう出来ることはないよ。薬も切れたしね」
「ワクチンのアタッシュケース、ありますか?」
あたしの問いに依田先生は顎で机の上を示す。鮫谷の一件から誰も触ってないのか同じ位置だった。
「あればお慰みか」
兎川がアタッシュケースを開けて慎重に調べ始める。すぐに見つけたのか、器用に上の底を外し、二重底を発見する。
「なんだいそりゃ」
「抗ウィルス剤ではないでしょうか?」
そんな事を聞いているのではないと思うがあたしは答えていた。
「なら和泉を助けられるかもしれないね」
残っていた注射器を使い、二重底から取り出した薬のアンプルを吸い出し、早速、その注射器の針をベッドの上に横たわる和泉の左腕に突き刺し、投与した。
「これで大丈夫ならいいんだけどねぇ」
依田先生にほんの少しだけ活力が戻る。
「注射器残っていますか? これを天津生徒会長に投与します」
はいよ。と未開封のビニール袋に入った注射器を手渡してくれた。兎川がアタッシュケースから抗ウィルス剤を一つ取り出す。これで鈴音も和泉も間に合えばいいんだけど。
あたしは何故か嫌な予感が拭えなかった。投与された和泉に変化がなかったからだろうか。すぐに効果が出る訳じゃないのに──




