いたいのいたいのとんでけー
Sideです
兎川視点
兎川にとって生徒会室のある2階のベランダは取り巻きたちから逃れる抜け道に過ぎなかった。
6月の昼下がりも同じ事を繰り返すだけの筈だった。そう生徒会室に生徒会長の天津鈴音と見慣れない男子の八幡海人が居なければ──
生徒会長の方は勿論知っている。問題は相手の方だ。チャラいのは見た目だけ、伊達メガネの男、根は真面目な奴、意外と頼りになるアウトドア派と噂は多数流れているがイマイチ全容がつかめないので興味がある。
そして色恋沙汰に興味がない訳ではない。いやむしろ大好きな分類だ。取り巻きから逃げ出せたらそれでよかったので持っていた鏡で生徒会室の中を覗きながら二人の会話に聞き耳を立てることにした。
こんな自分に父は確実に呆れ返るだろうが容疑者の会話を盗み聞きしたりしている警察関係者の父にそんな事を言われたくない。
幸いに暑い日だった為か、窓は開け放たれている。
覗き込むと生徒会長がカウンセラー、八幡が患者のような感じで対面して座っていた。
「まず何から話したらいいか」
「落ち込んでる原因について話せるところから、かな」
生徒会長は大人びた笑みを浮かべて相手の反応を探っている。付き合いがない兎川が断じるのも違うのだろうがとっても楽しそうだ。正直、生徒会選挙の時に体育館の壇上で仏頂面をしていた少女とは別物にしか見えない。
「こんな聞き方は変だと思うが愛って何だと思う。正直、俺には分からない」
八幡はパイプ椅子の背もたれに仰け反りながら天井を仰ぐ。
「愛の種類によるわね。家族愛なら私にも分かるけど、その愛はどんな愛?」
兎川の予想とは別に生徒会長の答えに驚かされる。勝手に恋愛経験が豊富だと思っていたので。
「この間、好きだった人が結婚しちまった。俺はあの人から見たらガキで小さい頃から面倒見てもらって12歳離れてて、チャンスが無いことは分かってたんだがやっぱり堪える。でその人が言ったんだ。私に対する感情は愛じゃない。だから海ちゃんはちゃんと、ちゃんと愛が分かるようにならないと駄目だって、普通に振られるのはいいんだ。それは仕方がない。でもその一言が心に突き刺さってて辛い」
八幡は今度は俯きになって声を詰まらせる。相当混乱してる様子だった。
兎川の予想通り、恋の話は間違いなかったが他人の失恋の話は結構胸に来る。
「それがさっきの自棄ね」
八幡は生徒会長から渡された白いハンカチを受け取ってそれを握りしめた。
「その人とは小さい頃からの付き合いと言ったけどどんな付き合いだったの?」
「本当に家族みたいだった。両親の居ない俺に姉みたいに接してくれた」
生徒会長が暫し考えた後に口を開いた。
「多分、その人が言ったことは家族愛と恋愛感情を混同してる状態だから切り離して考えて欲しいと言う意味じゃないかな」
反論しようとした彼の唇を生徒会長が添えるように右手の人差し指で抑えた。
「距離が近すぎて分からなくなることはあるよ。ほら、吊り橋効果とかあるじゃない。あれは高所による恐怖や緊張を恋愛によるものだと誤解して人を好きになったりするでしょう? それと同じ」
生徒会長は感情じゃなくて理屈で八幡を諭す。なるほど。男には理屈か。覚えておこうと兎川はそのやり取りを見守る。
「そんなもんかな」
そうよと生徒会長。
「だから八幡くんを否定してるわけじゃない。だからその人の為にも自棄になっちゃ駄目よ」
「正直、こっちは忘れたいぜ。もうボロボロ」
そこで生徒会長は笑いを堪えきれずにクスクスと笑いだした。
酷いな。結構辛いんだぜと八幡が肩を竦めてみせた。
「認めてしまえばいいのよ。失恋したって」
「辛辣だな。同じ顔の妹とも仲が良いから嫌でも思い出してしまうだぜ。胸がキリキリと痛むよ」
チャラけた様子に戻り始めた八幡に対して生徒会長が笑みを浮かべた。同じ女である兎川には理解できた。何を企んでいる笑みだと。
八幡の心臓あたりに手を触れて撫ぜながらこう言った。
「いたいのいたいのとんでけー♪」
落雷の直撃を受けたがごとく八幡は生徒会長の方に倒れこんだ。
意外に運動神経の良い生徒会長は椅子から飛び降りるようにスライディングしてそれを受け止めた。
兎川の目には八幡の頭部が彼女の胸を経由して黒タイツに包まれた太ももに着地してるように見える。
「……と、とても効きました」
八幡が耳まで真っ赤にしながら呻くように言った。
「良かった。貴方だけよ。素直に受け入れてくれたのは、だって勇ちゃんですら馬鹿にするなって怒るし」
一瞬、頬を膨らませた生徒会長が意地の悪い笑みを浮かべていた。
ウサを晴らすように八幡の頭を一心に撫ぜている。
八幡が蜘蛛の巣に飛び込んでしまった蝶のようにすら見える。どう見ても生徒会長は悪女にしか見えないと兎川は思う。
「もう離してくれないかな。もう大丈夫だ。それに見られたらヤバいし」
「あら、私は困らないけど東なんぞとのスキャンダルを撒き散らされるくらいなら八幡くんとの密会の方が嬉しいわ。それに鍵は掛けてあるし、開けようとすればすぐに分かるから問題はないわ。強いて言うなら窓から誰かが覗いていたら困るけど」
八幡の体がビクッとなるのとほぼ同時に兎川の体も獅子に見つかった兎のごとく跳ね上がりそうになった。
兎川は逃げ出したい衝動に駆られるが今逃げるのは無理なので隙を窺う。
「私が落ち着くまでこうしててくれたらいい。誰か来たらそこで慌てて椅子に座り直して取り繕えばいいだけの話でしょう? 違う?」
八幡には分かったと返事する以外に選択肢がなかったと思われた。