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月山多佳子と言う名の歪み(レウケ)

Sideです

月山視点

 ヨレヨレの白衣を着た30前後の女性である月山多佳子(つきやまたかこ)は薬品臭の漂う白い雲の中のようなワクチン開発部のフロアで車椅子に乗り、机の上のモニターを見つめている。そのディスプレイには研究所内の陰惨たる内情が映しだされていた。

 数日前までは所員たち闊歩していた廊下やフロアは血や内臓で汚され、異形の者たちが徘徊する魔界に成り果てていた。まともな神経を持つ者が覗き込んでしまったら吐き気を催すほど赤と黒の絶望に染め上げられている。


「えらく様変わりしたもので」


 だが多佳子にとっては彼らに対する憐れむに値しないし、同情するつもりもない。ワクチンや抗ウィルス剤を投与していれば、少なくともそんなおぞましい姿にはならずに済んだのだから──少なくとも彼らに研究者、科学者としての探究心があれば目の前の世紀の大発見の前に二の足を踏むなどと言う愚かな行為は彼女には理解できなかった。

 そしてその感情はこの絶望下にあって己には関係ない部外者の感想ですらあった。この外に徘徊する出来損ないたちに襲われないと言う絶対なる自信であり、他者にとって傲慢さ以外の何物でもないと映るのだろう。


「それにしても物部(ものべ)、お漏らしは感心しないわね。一応あれは機密情報なのよ」


 後ろに控えていた赤いメッシュを入れた、まるで女子大学生のような部下に苦言を呈する。それに反応して彼女は親に叱られた子供の如く全身を震わせる。いや違うか。これは怒りか。


「主任、申し訳ありません。ですが災害時用のマニュアルの配布を行っておくべきだと思いましたので」


 多佳子はキーボードを左手で操作してその情報を呼び出す。


「研究員の家族までに送ってどうするのよ」


 怒りよりは呆れが勝る。自分と1歳しか変わらないのにこれなのだと思うと多佳子は頭が痛くなった。


「申し訳ありません。綾のミスでした。ですがマニュアルがあれば生き残れる研究員の家族もいる筈です」


 物部は表面的には謝罪しつつも己の行いを肯定している。仮に社外マル秘の機密情報をワザと流失させてしまえば製薬会社ティル・ナ・ノーグは敵に回してしまうだろう。随分と安っぽいヒューマニズムだと内心で呆れ返る。例え、その何割かが──


「それで流失したのは家族だけなのね」


 多佳子は思考を打ち切って詰問を続ける。


「はい。大体20人くらいかと」


「……貴女の事だから天津の婆の実験体にも情報を流したのね」


 多佳子の一言に物部が怒ったのは分かった。


「天津博士は最低の人ですが2人は在り方が違うだけでちゃんと人間です。2人は不当に貶められるような存在ではありません」


 ネグレクト状態に陥りそうだったあの2人の面倒を見るように言ったのは多佳子だがここまで入れ込むとは予想外だった。かと言ってモルモットのように扱いそうな同僚では話にならないので彼女しか選択肢がなかったのは確かだが──


「入れ込むのはやめておきなさい。この事故で最夜市全体に【e】が蔓延してるとすれば生きてる可能性は低いのよ」


 多佳子は白衣の上から己の右腕の肘窩(ちゅうか)を左指で触れながら出来るだけ優しく言ってやった。淡い希望など絶望を深くするにすぎない。とても愚かな行為だ。


「ですが携帯のGPSは天津博士の家から動いて最夜高等学園の方に移動してました。あの2人はまだ生きてます」


 その言葉に多佳子はキーボードを叩き、GPS情報を調べる。確かに今日動いている。しかも猫や犬が咥えて運べるような距離ではない。

 随分な入れ込みようね。まあ、あの婆が生き残るよりはマシかとと思いつつ、2人の資料と顔写真を出す。全く親とは顔が似てない時点で多佳子も大体察してはいる。彼女も科学者なのだから研究所の凡人どもよりはまともな判断であるとは思っていた。倫理には反していても──


「なるほどね。ま、あまり期待しないでお待ちしましょう。もし、彼女たちが本当に貴女の期待に答えられる子ならこの研究所に生きて辿り着くでしょうし……迎えに行くとか言い出さないでね」


 先に物部の行動を制しておく。

 ですがと言いかけたので多佳子は事実だけを述べる。


「貴女がレウケだらけの街中を運転して戻ってこれるとは思わなかった」


 物部は唇を噛んで悔しがっていた。


「一つお聞きしますが主任はなんで脱出しないんですか?」


「わたしたちがヘマしたと思われてるのに、それを覆す資料と見返りがないと助けが来ないでしょう」


 多佳子は敢えてそう答えた。もっとも彼女が要請すればすぐに助けは来るだろうが折角の好機でもある。この目でこの成果を見届けてからでなければ最夜市からは出られない。これは科学者としての義務いや使命と言っていい。

 物部は信じたのか、黙って聞いている。


「それよりこれを持ってここの周りのレウケを片付けてきなさい」


 多佳子はデスクの机から特殊な銃のような物体を取り出す。


「綾1人でですか?」


「車椅子のわたしにどうしろと? それにそれには特殊な薬品が入っているから体のどこかに当たれば奴らは死ぬと言うか、機能を停止する。ああ、でも出来るだけ血流に流れやすい箇所、心臓や動脈を狙ってね」


 部下は面白くなさそうにその銃を受取る。


「主任はこのワクチン開発部で何を研究していたんですか?」


「対抗手段に決まっているでしょう。あとそれ6発しか入ってないから撃ち尽くす前に戻ってくるのよ。片付けるのはこの周りだけでいい」


 多佳子は嘘はいってない。結果的にではあるが──


「分かりました」


 反抗心の高い部下はカードリーダーを操作して電子ロックを外してこの巨大な部屋を出て行った。


「生存を考えたらレウケから次の段階に行く前に減らしておくのが賢い判断よね。でも研究者としては【e】の脳を再生させる力を間近にしておくべきなのか」


 多佳子は生存率と研究心を秤にかけていた。白衣と服の下にある注射針痕だらけである肘窩を触りながら──

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