帰還
レウケたちとは遭遇せずに学園の裏門に辿り着いたのは幸いだったのだが裏門は開いていて何やら不穏な空気が漂っていた。
「何かあったのか?」
海人が裏門に近づきながら声をかけると女子生徒が何人かが顔を出す。ちゃんと生きてるようだった。
彼女たちは台車で死体を運んで側溝に投げ落としていた。言いたくないけど余り気分のいい光景ではなかったが彼女たちは平然とやっていたので余計な発言をすべきではない。
つーか、男子はどこへ行った。力仕事なんだから手伝えよ。
裏門を通り抜けて中に入ると不穏な空気の原因が分かった。裏門を警戒してた兎川とファンの女子たちの態度が妙に隙間を感じる。
「東たちなら先に戻ってきたぞ」
どこかを怪我したのか兎川は顔を歪めていた。
そんな事はどうでもいいから例の件を──言い返そうとしたら本当に兎のごとく鈴音に向かって走っていった。
バレたのか。焦ったがなんか赤面して興奮してるがそんなような会話ではない。あれは誰なんだとかよく分からん会話をして生徒会長殿を困らせている。
間に海人が入って何やら言っている。例の件は後回しでいいや。
全員が入ったのを確認してから裏門を閉めようとする。兎川を遠巻きに見ていたファンたちが慌てて駆け寄って裏門を閉めるのを手伝う。
この2時間に何があったのだろうか。よく見ると地面は血で濡れていた。レウケに襲撃された後なんだろうか。
「車はまだ? 塞ごうよ」
取り巻きだった一人が叫ぶ。よく見るとその姿は返り血を浴びていた。ちゃんと裏門警戒組を確かめてみる。明らかに何人か減っていた。あと猫みたいな形の残骸が何体かあった。
残骸と形容するのはそれらは全て頭が完全に潰されていて首は刎ねられている。もしレウケってた猫が壁を乗り越えて襲いかかったなら予想以上に最悪の事態だった。
そして兎川の背中の右側は何かで切り裂かれたような痕があり、上着には血が滲んでいるように見えた。
おいおい。お前もフラグを立っててどうするのよ。
道理で取り巻きが余所余所しいのは分かった。酷い奴らだなとも思わなくもない。
そんな兎川はまだ鈴音と何やら話し込んでいる。興奮してると血が止まらなさそうなのでそろそろ止めるべきである。そう判断したあたしは兎川に近付いて肩を叩く。
「何の話をしてるのか分からないけど背中の方をどうにかすべきじゃないかな」
兎川にだけ聞こえる声で言ったつもりだがさすがに目の前に居た鈴音と海人には聞こえてしまっただろう。
「……依田先生に診てもらうわ。あの件は後で話すわ」
それで我に返ったのか、兎川は顔を近付けて本当にあたしにだけ聞こえる声で囁いた。そして血が付いたシャベルを杖代わりにして校舎の方に歩いて行った。
うーん、あんまり気分良くないな。あたしも取り巻きを非難する資格は無かったのかもしれない。
誰だってあんな風な化物にはなりたくないのだから。
「さっきの兎川はなんだったの?」
鈴音は不機嫌そうに押し黙ったままで答えない。彼女の方は大丈夫だったのだろうか? それとも個人によって発症までに時間が違うのだろうか。潜伏期間が何時間なのか分からないけど生きた心地がしないのは確かである。
「別に貴女には関係ないことよ。と言うかあったら困る」
鈴音はため息をつく。その様子はさっきまでよりも遥かに疲れているように見えた。
可哀想なのでそれ以上は追求しないことにする。
『この異常事態は昨日起きたアイスホッケーの乱闘から始まっていると噂している方々が居るようです』
その一言を発した人物を探す。と言うかラジオからの声なのでラジオをいじってる人物をだが──弟くんだった。
アイスホッケーなんかやってたけ? 全く興味ないので思い出せない。
「アメリカからチームが来てたじゃないか」
海人がフォローしてくれてるがあたしにはさっぱりだ。
『それに関連して怪我人が搬送された市民病院でも混乱が起きているようです。風邪など病院に通院する場合はご自宅の近くにある掛かり付けの医師の病院へお願いします』
『とにかく市民の皆さんは外出しないで助けを待つのが一番だと思われます』
電波の調子が悪いのかそこで途切れた。
「あ、FM最夜です。ここしか入らなかった」
弟くんが説明を入れるが正直暗い気分になったのは言うまでもなかった。
「病院も危険だと言うことですか。依田先生が倒れたら本当にマズイかもしれませんね」
和泉が笑えないことを言う。心配なのは分かるけど嫌な展開を想像させないで欲しい。そういう予想は大抵あったりするのだから。
「おい。お前ら入れてくれ」
裏門の方を見ると見たくない顔がそこにあった。白井と不良で愉快な仲間たちである。その手にはシャベルやピッケルに大鎌、斧、高枝切り鋏などが握られており、どこで拾ってきたのか自転車まで確保していた。
徒歩10分を自分の足でウロウロしてたあたしたちが馬鹿みたいじゃないか。
兎川の取り巻きだった子が見るからに嫌そうに門を開ける。
「ホームセンターで大量の武器とか確保してきたぜ。自転車を貸してくれた奴らに礼を言っておいてくれ」
門を開けた女子にそう言ってヘラヘラと笑いかける。
「死んだ子たちのよ」
「そりゃわりぃ。なら借りたままにしとくわ」
彼女は押し黙ったまま、白井たちが中に入ったのを見てから裏門を乱暴に閉めた。ふざけた態度への怒りを示したのだろう。
「こりゃお揃いで」
その言葉に鈴音から赤いオーラが見えたような気がした。
「そう怒るなよ。さっきの詫び代わりに一つ情報を教えてからさ」
白井の言葉にはさっさと言えと言わんばかりの態度で鈴音は睨みつけている。
「人間以外にもゾンビ化だか凶暴化だかの症状が出てるぞ。俺たちは鳩に襲われた。幸い鳩は肥大化してるせいでうまく飛べないみたいだが人間以外にも拡がるならこんなトコに立て籠ってて防げるのか」
暗に鈴音を避難しているようにも聞こえる。
「最夜以外が無事なら私は立て篭もりたいとは思わない」
鈴音は冷たいほど冷静な声が返す。その答えに白井は意外だったのか口笛を吹いて答える。
「お飾りかと思ってたが考えてるじゃねぇか。ついでにその件も生徒会で報告しておいてくれや」
こっちにやってくるセダンを見て白井は仲間たちを連れて去っていった。
この状況下でも教師は怖かったのかだろうか。まだ歯止めがかかってるだけマシと言えるのかもしれないけど。
門を閉めた女子がこっちにやってくる。何かを決意したような表情だ。
「あ、あの、生徒会長、朝花さんの背中の怪我は猫に襲われたものです。いきなり壁を超えてきてあたしを庇ってしまったから彼女が代わりに……大丈夫ですよね? 朝花さんは」
それを生徒会長に聞くのは酷だぞ。彼女も感染してるかもしれないのに。
「……大丈夫だと思いますよ」
自分に言い聞かせてるのか、鈴音は声を絞りだす。もっとも事情を知らない人間から見たら落ち着かせようとして生徒会長に見えるのだろうが──
そんな空気を察することが出来ないのか、自分の事で手一杯なのか取り巻きちゃんは胸を撫で下ろすような表情をしている。
しかし、白井の言葉といい、取り巻きちゃんの言葉といい、とんでもなくヤバい方向に話が進んでる。
レウケってた人間くらいなら問題ないが鳩や猫が壁や門を超えてくるのでは学校に立て篭もるメリットが失われる。
さて、どうしたものか。あたしは頭を抱えたくなった。