研究員自宅
携帯ラジオを試しながら天津邸から南へ徒歩で2分ほどの所へ移動。鈴音が言っていた寄りたいところとは民家だった。なんかの施設とか言うオチかと思ったがそうではなかった。
ここはとの問いに──
「私の面倒を見てくてた人の家。研究所勤めだから何かあるかも」
表札には物部と書かれている。家主が何歳なのか知らないけど家に凄くお金掛かってる気がした。人として差をつけられてる気がするので賃貸なのを祈りたい。
あたしは嫌な予感を拭えない。こういう寄り道は大抵ろくな結果にならない。
「とりあえず、素早く家探しして学校に戻ろう」
賛成だった。苦戦はしてないけどレウケってた人間がウロウロしてる場所に居たくないし、天津邸からここに来るまでに4体は遭遇してる。サッサと戻って一息つきたい。
海人は門を開けようとするが開かない。
代わって。あたしは短く告げて前髪を留めていたヘアピンを二つ外して曲げる。そして門の鍵穴に突っ込んでピーキングで強引に開けた。カチャッと音がしたのを確かめてから門を開け放つ。
先輩、悪いことも出来るんですねなどと一年生たちが言ったが無視する。
ありがとうと短く告げて鈴音が庭に入って鉢の下から鍵を出す。そしてその鍵で玄関を開けた。よく見たら彼女はローファーから運動靴に履き替えてるし。
中にはレウケが居ないように見えた。でもそれが嫌な予感がする。女子寮みたいに。
鈴音は靴を脱いで先へ進んでいく。階段は近くには見えない。
声を掛けようかと思ったがそれで彼女の気が逸れて噛みつかれたり引っかかれる展開では話にならない。
仕方ないのであたしも靴を脱いで慌てて後を追う。
一応、後ろにいる和泉の射撃線上に入らないようにする。万が一の場合に彼女なら何とかしてくれるかもしれない。
鈴音がリビングの奥を確かめようとした瞬間、レウケってる人間が居た。白人女性で金髪ロシア系っぽい。案の定である。
掴まれそうになった鈴音を助けようとするがあたしは間に合わない。鈴音も矢を構えるには近すぎた。
あたしの脇を何かが通りすぎた。その瞬間、白人女性の顔に矢がめり込んで血を撒き散らす。
正確な狙撃だった。でもあたしにはその血の一部が鈴音の口に入ったように見えた。撃つのが早すぎたんじゃないだろうか。
「大丈夫なの?」
床に尻餅をついている鈴音に問う。一瞬、彼女は口に入った何かを吐き出そうとしてやめた。あたしのせいだろうか?
「だ、大丈夫」
「本当に?」
気まずい雰囲気が流れる。でもなんかの医療漫画で口から入ったウィルスを含む血が胃酸で弱められて抗体になった話を思い出した。今は何も言わないでおくべきなんだろうか。この事態がウィルス性の原因なら彼女は抗体を得ることが出来るのだろうか。
「多分」
その言葉に後ろを振り向いてみると和泉が寄ってきていた。単純に胸を撫で下ろしているように見える。あたし以外には見えなかったのだろうか。それとも勘違いなんだろうか。
鈴音の方に向き直って逡巡してあたしは口を開く。
「分かった」
馬鹿な判断かもしれないけど金属バットを握りしめる。最悪の場合はあたしが責任を取るしかない。多分、他の人間には出来ない。
鈴音は立ち上がって近くにあった木製の椅子に座る。他の面々にはショックを受けただけに映ったのだろうか。
「海人、使えるものがないか探してきてくれる」
背を向けたままで頼んだ。
「生徒会長を見ててくれ。和泉は援護を頼む」
海人は気づいてないのか、察していたのか和泉と取り巻きを連れて家探しを開始する。弟君はアタッシュケースをソファーの上に置いて自分も腰を下ろした。
あたしは隙を見せずに鈴音を見張る。彼女もこっちの考えを読んでいるのか黙ってこっちを見つめ返す。いつもは憂いを帯びている瞳は今だけは焦りの色に染まっているように思えた。
「どうするの?」
「祈っててあたしが責任とらなくていいように」
何故かその言葉に鈴音が肩を揺らしている。笑っているのだろうか。
「貴女は意外に甘いのね。もっと割り切れる人だと思ってた」
赤茶の瞳でただじっとあたしを見ていた。変化ない。そして膝の上にはコンパウンドボウが置かれている。
あたしは何も言わずに立ったまま他のメンバーが戻ってくるのを待つ。その間に鈴音がレウケってたら、みんなは引導を渡したあたしを許してくれるのだろうか。
そんな想いを巡らせているうちに5分ほど過ぎた。
「ドラグノフ狙撃銃を見つけた。あとはインカムとイヤーマフ」
海人は左手に持ったアタッシュケースを見せるがその声に張りはない。気付いているのだろうか。
「それとこのドラグノフ狙撃銃は日本仕様になってないんだ。誰がどんな手を使ったんだか」
その一言で注意が逸れる。慌てて意識を鈴音に戻すが彼女は海人の方に視線を固定していた。
「どういう意味? 私にはよく理解できないんだけど」
「日本だと弾倉に入る弾が制限されてて5発までしか入らないように改造されるんだがこれはそういう改造が施されてはいない。普通はあり得ないことだが……それだけで最夜警察に対して強力なツテがあるとしか思えない。ひょっとしたら俺たちはパンドラの箱を開けてしまったかもな」
製薬会社ティル・ナ・ノーグは想像以上に権力を持ってるのかもしれない。
今回の事件の原因がウィルスなら真っ先に疑うべきはティル・ナ・ノーグだろう。
「なら取れるものを取ったのだから急いで離れるべきね」
鈴音は立ち上がろうとして蹌踉めいた。
海人が咄嗟に受け止める。丁度、彼の首筋に鈴音の口が来るように──噛まれると言う最悪の事態が脳裏を過ぎる。
「ありがとう。平気だから」
鈴音は拍子抜けするほど簡単に離れた。
血なんか口に入ってなかったのだろうか。
よく考えると血液で感染するウィルス性ならあたしたちも多少は返り血を浴びているので確率的には変わらないかもしれない。血液感染じゃないのだろうか。空気感染なら今頃全滅してるだろうし──
考えても答えは出ないので海人に質問する。
「弾丸はどのくらいあったの?」
「100発程度。無駄には使えないだろうな」
これまた愉快じゃない答えが返ってきた。
「とにかく急いで学校に戻りませんか」
和泉が柱に備え付けられた時計を見ていた。かなり時間を食ったのか14時を過ぎている。
お先にどうぞ。あたしは左手でみんなを促してからこの家を最後に出た。勿論、最後尾なのは鈴音がレウケってた時に対処する為に。