第97話 可能性が確信に変わるとき
『ばいばい、春平くん』
あっさりと言ってのけた。
さっぱりとした表情で。
でもそれがすべてのぐちゃぐちゃした感情を圧し殺したものだということくらい春平にもわかる。
乙名と別れてから眠る気にもなれず、春平は居間のソファに横になってぼーっとしていた。
――あいつのあの態度……。
あれは、すべてを知っている態度だ。
春平が何を思案しているのかも、その真実もすべて知っているのだ。
――あいつも俺に何かを隠すことに関わっている。間違いない。だけど
乙名は仕事として春平を裏切りながら、個人として春平を庇っている。
――あいつは俺のことを考えた上で危険を侵しながら行動しているみたいだった。
反対に言うと、危険を侵してまで春平を守っているようだった。
――馬鹿野郎、そんなことくらい俺だってわかるんだよ。
ようやく状況を把握してから春平を襲ったのは悔しいという感情だった。
――肝心なとき、いつも俺はあいつに助けられてばかりだった。
それなのに、自分はそんな乙名のことを考えずに感情を乱暴にぶつけたのだ。
そうして、我慢していたものが決壊した。
あの乙名が、我慢しきれなかった。
「………………っ!」
ガバッと勢いよく上体を起こした。
ようやく自分のすべきことが見えてきた。
――美浜さんは動くなと言っていたけど、そうもいかない。
自分が危ないかもしれないなら、それが何なのは自分で確かめる。
そしてそれはきっと、乙名にも関係がある。
『目の前にあるものだけが真実とは限らないからな。本社然り』
つまり、目の前の人間を疑うばかりが真実ではないのかもしれない。
真実――秘密。
本社にも、隠し続ける秘密があるのか?
春平が関係する秘密。
春平が知りながら気づかない秘密。
窓の外は明るさを取り戻し始め、時計を見ると時刻は朝の5時に近付いていた。
拳を握りしめ、春平は深く深呼吸した。
――行こう。
すべての秘密は、本社にある。
久しぶりにスーツに身を包むと、全身に緊張が走った。
新幹線で数時間、ようやくたどり着いた本社は以前とまったく代わり映えのない姿で堂々と存在していた。
なぜこの組織が公にならないのだろうかと思うほどの広大な敷地、建物。
ほんのりと肌寒い風にも負けず胸を張り、エントランスホールの硬質な床を踏む。
会社の顔であるフロントには、1分1秒無駄にはできない大忙しの社員がいた。
「春平くん!?」
大きな目をさらに大きく開けて、春平の同期の友人であるフロントスタッフの沖田はすっとんきょうな声を上げた。
「よっす」
ぱっと手を挙げて軽快に挨拶をするが、沖田はまだ唖然としたままだ。
他のフロントスタッフは春平に向かってにこやかに手を振ってくる。
一体誰なのか知らないが、どっちにしろ相手は自分のことを知っているのだ。春平も爽やかに手を振り返す。
「春平くん仕事は?」
「今日は暇だから。最近は何だか俺にはあんまり依頼がこなくってさぁ――何でかは知らないんだけどね」
「………………」
最後にほんの少し、含みを持たせただけで沖田は勘づいたようだ。
――そうだよ、お前は本来そういうやつ。乙名と同じ人種、読心術に気持ち悪いほど長けた男だ。
だからその言葉だけで春平が何をしに来たのかは想像ついているだろう。
「清住さんの班は今仕事でいないから、帰ってくるのは夜になるよ。だからその前に僕だね」
そもそも、僕に一番に用があるんだろう?
そんな雰囲気を醸している。もちろん、春平の目論見はわかっているという表現だ。
「さすが沖田、気持ち悪いくらい話がわかるな」
「それ誉め言葉じゃないよ」
子供のようにムッとした沖田を見て、春平は思わず笑ってしまった。
和やかな雰囲気にしてくれるのは助かる。
春平もすっかり素の笑顔を見せた。
「そういうわけだから、何時にどこにいればいいかな?」
「じゃ、12時ピッタリに専門学校の玄関ホールに行くね」
「学校?何でまたそんなとこに」
春平が不思議そうに尋ねると、沖田はにっこりと天使のような笑みを浮かべた。
「僕はあそこのヌシだからね、二人っきりでお話ができる場所知ってるんだ」
時間の10分前に学校へ向かう。
専門学校は本社の敷地内にあり、小さなビルになっている。
ちょうど昼休みということもあって、学校から生徒がわらわらと出ていった。
まだ10才前後の子から井上ぐらいの30〜40代の人間まで幅広い生徒を見て、春平は懐かしさを覚えながら玄関ホールの椅子に腰かける。
それからほとんど間を置かずに沖田が走ってきた。
やはり忙しいところからやってきたらしく、息を切らしながら「こっち」と春平を誘導した。
無機質な階段を上り、懐かしい教室を素通りして「生徒指導室」の前で立ち止まる。
「なんだ、ただの生徒指導室じゃん」
「うん。でもね、実は秘密があるんだ」
ガチャリと戸を開けるとすりガラスで小分けにされた部屋がいくつもあり、1対1で向かい合う机と椅子が設置されている。
沖田は一番奥の部屋に入り鍵をかけた。
その部屋にだけなぜか扉が2つあり、もう1つの扉の中に入り込んだ。
床に絨毯が敷かれ窓はなく、壁一面に均等に小さな穴が空いている。
「防音室……?」
春平が椅子に腰かけながら周囲を見回すと、沖田は「うん」と自慢げに笑った。
「ここは誰にも聞かれたくないような話をするのに最適な場所なんだ」
2人腰かけ息をついたところで、沖田は背もたれに体を預けた。
「で、何が聞きたかったの?」
どうやらそこまで予想できてはいないようだ。
春平はつばを飲み込んで沖田を真正面から見つめる。
「乙名について」
「乙名、くん?」
「この間、2人して山で遭難した。そのとき仕方なく警察が関与する結果になったんだけど――乙名の素性が調べられた」
「………………」
「信じたくない話だが、乙名雄輝はもう死んだ人間だって言われたんだよ」
「………………」
沖田は目をそらすことなく、春平をしっかりと見据えている。
「なぁ沖田。あいつは誰なんだよ」
「乙名くんだよ」
あまりにも冷静に、沖田は口を開いた。
途端に、部屋の温度が下がった気がした。
「乙名は死んでるんだってば」
「だけどあの人は乙名くんだよ」
少しだけ苛立ったように沖田は言った。
有無を言わせないという雰囲気が滲み出ていて思わず譲歩してしまいそうになるが、それではここに来た意味がない。
春平は声を荒げながら眉間にシワを寄せた。
「沖田。お前ならあいつの事情も正体も知ってるんだろ?」
「うん、知ってるよ」
「だったら――」
言いかけて、沖田の表情が緩んだのに気がついた。
困ったように苦笑して、どこかもの悲しそうに自分を見る。
「知ってるよ。知ってるけど、そんなことを僕が人に言うような人間に見えるのかな」
「あ……」
やってしまった。
後悔したが時間は戻ってこないので、春平はしゅんと落ち込んだ表情になりながらも真摯に謝った。
「ごめん、俺が悪い」
沖田はいつだって仕事と真正面から向き合っている。
だからフロントとして、個人情報をおいそれと流すわけがない。
たとえ相手が春平であろうとも。
何だか気まずい雰囲気になってしまい、沖田は空気を変えるために苦笑した。
「お話は終わり?」
「――あぁ、ありがとう」
本当は妙安寺のことも問い正しかった。
だけどきっと、沖田は教えてはくれないだろう。
清住たちが帰ってくるまでまだまだ時間がある。
暇な時間が出来たなぁと思いながら一階をぶらぶらして、人が極端に少なくなってしまった食堂へと向かった。
カレーうどんを1人寂しくすすっていると、突然食堂の入り口から「あっれー?」と愉快な声が聞こえてきた。
何事かと顔を上げると、すでに声の主は自分の目の前までやってきていた。
なんの遠慮もなく、彼女は目の前の席にどかっと腰をおろすと、楽しそうに強気な笑みをつくってテーブルに肘をついた。
「正田春平じゃーん。元特殊護衛科現妙安寺社員の」
突拍子もない登場に、春平は口にいれかけたうどんを丼に落としてしまった。彼女の手前に汁が飛ぶが、まったく気にせずに自分に妖艶な瞳を向けている。
肩口で切り揃えた髪の毛をさらりと頬に流しながら、フロントの制服を着た彼女は言う。
「お久しぶりー。その節はどうも」
桜春子が、にんまりと笑って見せた。
なぜかフロントスタッフが休憩する奥の部屋へと招かれた。
春子は紅茶を出すと、のんびりすすっている。
彼女は春平が以前受けていた学園組織解体の依頼の際に、組織の一員になっていた女子高校生――のはずだ。
なぜか春平のことを知っていたが、フロントナンバーツーを自称する乙名がその存在を知らない謎の少女だった。
「フロントの人間……だったんだ」
春平がためらいながら尋ねると、彼女はにんまりと妖艶に目を細めた。
「兼業。本当は2階の社員なんだけど、ちょっとフロントの仕事も手伝うの」
「2階……万の同僚?」
確か2階は金融関係の仕事のはず。社員は自分の科がある階しか足を踏み込むことは許されていないので、あやふやなところだった。
しかし春子は「んー」とうなると、困ったように微笑んだ。
「実は私が来たの、わりと最近のことなのよね。だから、万くんとは面識ないわ」
「そうなんだ……。だから万も君のこと知らなかったんだな。それなら乙名が知らないのも納得だな」
「その言い方だと、あのとき私のことを怪しい人物だってマークしてたっぽいね」
図星だった。
春平の表情を読み取った春子は、強気に笑って紅茶を飲み続ける。
「乙名くんは私が入ったときにはもういなかったもの。今は戻ってきてるけどね」
「そうだ!乙名はどこにいる!?」
春平が慌てて尋ねるとに、春子は「会えないよ」ときっぱり断言した。
「今は本社の中で彼のいない間に変わったすべての情報を頭に叩き込んでいるから、会えないわ」
「……そう、だよな。あいつ、仕事いっぱいありそうだもんな」
なんだか今日は空回りしてばっかりだ。
春平は気を落として紅茶を飲む。徐々に冷えてきた紅茶は美味しいとは言えなかった。
そんな春平の様子を見て、春子は何か考え込むように黙り込み、やがてテーブルに肘をついて身を乗り出した。
「春平くんが何しに来たのか当ててあげようか?」
「え?」
「秘密が何なのか知りたいんでしょ」
「!」
あまりに唐突なことに、春平は息を飲んだ。
「乙名くんのことも知りたいし、どうして自分が目をつけられているのか知りたい。当然、何かを決断しきれずにいる乙名くんにも会いたい」
「……お前」
「ん。知ってるよ。だって私は本社のフロントだもん」
にこっと猫のような小狡い(こずるい)笑みを浮かべる春子。
「でも知ったところで君はどうにもできないよ?」
「やっぱり……何か隠してるみたいだな」
声色を低く固くして尋ねるが、春子が怯むことはない。
「あるよ?企業秘密がない会社なんてないでしょう?」
「命に関わるような秘密か?」
声を低くして、脅すように問いただした。
だけどそんな脅しは軽くあしらい、春子は満面の笑みをつくった。
「春平くん君ね、当人だからはっきり理解していないのかもしれないけど、特殊護衛科だって命に関わる秘密組織よ?今さらなことを言うのね」
あくまで自分が優位にいることを分からせるような言い方だった。
そして春子は立ち上がり、春平にも出ていくように誘導する。
「お帰りなさい春平くん。君が何もせずに今まで通り仕事をしていれば、いずれはすべて片付くことよ。無理に頭を突っ込まない方がいい」
助言なのだろう。
だがその言葉には、抗いようのない力が込められていた。
大人しく部屋を出ると、携帯を肩と首の間に挟めながらメモをしている沖田が立ちふさがっていた。
彼は電話を切ると、じろりと春平を睨み付けた。
おそらく出待ちをしていたのか。
「春平くん、いい加減にしなよ。一体何を探ってるの」
「へっ?」
嫌悪のこもった瞳で睨まれて、春平は怯んでしまった。
そもそも、沖田にそんなことを言われるだなんて思ってもいなかった。
彼なら自分の考えていることなんてすべてお見通しだと思っていたからだ。
「いや……」
「彼女にまで何を聞いているの」
「やっ、沖田。桜が勝手に俺のとこに来ただけで……」
「知り合いなの?」
「えっ?妙安寺が受けた例の学園組織解体の依頼のとき、桜も別件で学園に来ただろ?」
何気なく春平が言うと、沖田の表情がみるみるうちに青くなっていった。
そして春平の横に平然と立っている春子を睨み付けた。
彼女は沖田の言いたいことを察したのか、冷静に手を上に上げて降参した。
「私が悪かった。すでにバレてることだから、罰は受けてる。言葉通り背筋が凍りつくような、ね」
「……春平くん。僕が何も教えなかったのは、僕自身仕事には真摯でいたいということとは別に、君を守りたいと思ったからでもあるんだよ?」
言わせないでよ。と沖田は恥ずかしそうに目を逸らした。
何だか1人気まずくなってしまったようで、沖田はむぅと口を尖らせると、再び手帳を確認しながら口を開いた。
「清住班、ちょっと長引きそうだから話ができるのは明日の朝10時だよ。一応、春平くんが所用で訪ねてきた旨は伝えてあるから」
「あ、ありがと……」
かろうじて礼を言う春平に背を向けて、沖田は着信に応えるとそのまま忙しそうにエレベーターの方へ向かった。
「じゃ、私もこれで」
バイバイ、と春子は淡白に別れを告げると沖田の後を追っていった。
「………………」
残された春平は、徐々に忙しくなり始めたフロント脇で、呆然と立ち尽くすばかりだった。
朝から向かったはずなのに、妙安寺に着く頃には夜の8時を回っていた。
まだまだ肌寒い春の夜風に吹かれながら玄関をくぐると、すでに乙名以外の全員が帰宅していた。
夕食の魚の芳ばしい匂いが鼻腔をくすぐって食欲をそそる。
「んー、おかえりー」
必死に魚の小骨を取りながら、ミミがいの一番に背中越しに挨拶をした。
「お帰りなさい」
「遅かったね。どこに行ってたんだい?」
「ただいま。ちょっと……本社まで」
瞬間。
空気がピリッとした緊張感を携えた気がした。
その空気の変化に春平も身構えるが、緊張はすぐにかき消える。
「うー、小骨取るの疲れたー!春平ちゃん、取って取って!」
「それぐらい自分でやりなさい」
「春平ちゃんいつからそんなケチ臭い男になったのー!」
ぷんぷん、と怒るミミに、横にいた万がぴったりと寄り添った。
「ミミさん、僕が取る」
「えっ、ほんとー?」
「細かい作業は得意だから」
黙々と骨を取り始めた万の頭を愛しそうに撫でて、ミミはご満悦のよう。
「春平も早く夕食にしなさい」
「んっ、あ、うん。着替えて――こなくていいか。腹減ったし」
とりあえず上着だけ脱いで井上の横に腰かけると、今まで万の頭をなでなでしていたミミが目を輝かせた。
「わー!春平ちゃんスーツ姿っっ!かっこいいー似合うーSPみたーい」
「あながち間違ってはないんだけど」
言いながら春平はすいすいと小骨をとっていく。
わいわい騒ぐミミとは別に、井上は楽しそうにしながら黙々と食事を続ける。
何気ない食卓。
仲の良い社員。
そこに隠れる、ちぐはぐな関係。
今こそこうして楽しそうにしているものの、つい先程空気が変わったのは確かだ。
それは、春平が自ら秘密に迫っていることに対する焦りなのか。
夕食を終えてしばらく居間で団らんしてから、ミミと万は明日も早いからと眠りついた。
春平は居間のソファに寝転がって読書をしていた。
テレビを消した静寂の中、窓ががたがたと揺れている。
今日はいやに夜風が激しい。
御堂で仕事を済ませた井上が風で服を翻しながら戻ってくる。
「いやぁ雲行きが怪しくなってきた」
参った参ったと言いながら居間に戻ってきた井上に対して、春平は体を起こして本にしおりを挟みながら声をかける。
「明日は朝から雨だろー?あんまりひどいようなら俺が2人を職場まで送ろうか?」
「そうだね……駅まででも構わないだろう」
「いいよどうせ暇人だし。……幸い、乙名の車もあることだし」
ピシッ、と。
穏やかだった空気に亀裂が走った。
――やっぱり。
この空気を作り出していたのは井上だったようだ。
なぜか乙名のことを会話に持ち出したくないような雰囲気を見せつける。
ミミのように巧みに会話を続ければいいのだが、井上はあえてそれをせずに乙名を禁句にしようとしている。
――俺が突っ込んだ質問をしてくるのを恐れてる態度だ。
井上は確実に黒だ。
なら、遠慮などする必要もない。
「――何を、隠してる?」
どすの効いた声で、そう呟いた。
井上は春平と向き合うことをさけるように和室へと向かった。
リビングのすぐ隣にある和室は、襖を閉めなければ完全にリビングとひとつの空間だ。
「井上さん」
返事はない。
だから春平は立ち上がって和室へ向かう。
机を挟んで向かい合うかたちになって、小さく息をついた。
こんな脅しのような真似に屈服する人だとは思わない。
ならば、はったりでも暴力行為でもなく、自分の本当の心をさらけ出すしかない。
彼には、それを見透かす力があるのだから。
「……疑いたくないんだよ」
声音が変わったことに気づき、井上が春平と向き合う。
「俺は、井上さんを信じている。きっと何か理由があるんだってことも」
「………………」
「すべて話してくれないか?」
真摯に、春平は頭を下げた。
井上の息を呑む音が聞こえる。
こんなお願いでどうにかなるようなら春平が四苦八苦する必要なんかない。そんなことは分かっているが、それでも井上の誠意を見たかった。
「……まぁ座りなさい」
かすれた声で井上がようやく口を開いたことに春平の心臓がはねあがった。
その場に腰を下ろして机越しに井上と向かい合う。
彼の表情は苦行を強いられているかのように歪んでいる。
「無念」
呟くと、机に広げられている説教に視線を落とし、再び春平を見据えた。すべてを割りきった顔のように見える。
「春平に何も話すことはできない」
「!」
「話してしまっては意味がない。春平のためには、何も話すべきではないんだよ」
「………………」
井上の言葉で確信した。
やはり、井上は何かを隠している。しかもそれこそが春平の近くにあって知ることが許されない秘密なのだ。
妙安寺が自分と敵対している可能性も色濃いということだ。
疑いが確信に変わり、春平の表情があからさまに翳っていく。
「だけどこれだけは言っておきたい!」
井上が突然声を張ったことに驚き春平は目を見開いた。
「だからといって春平やミミ、万を危険にさらすような真似だけは絶対にしない!裏切ることは決してない!」
「――――――」
声が、出なかった。
井上はそう断言した後、あろうことか口を結んでそっと優しく微笑んだのだ。
我が子を見守るような優しい瞳で。
寺門のように。
「だからお前は、安心してここで働いていればいい。ここの従業員は皆、お前が思っている以上にお前を信頼し、好いているよ」
確信が今、春平を救う。
妙安寺が一丸となって春平を見張っていたわけではないらしい。
単独で春平を見張るために動いていたあるいは依頼の操作をしていたと思われる井上さえ、春平を脅かすものではない。
信じられる仲間は、確かにここにいるのだ。
「……井上さん」
「ん?」
「信じても……いいか?」
またこうして自分を巧みに騙しているかもしれないという可能性は、捨ててもいいのだろうか。
井上は目を細めた。
「あぁ」
翌日、井上が本社に呼ばれた。
今日は春平も久しぶりに清住たちと会うことになっているので同行した。
前日に予想した通り、真っ青なはずの空を覆う分厚い灰色の雲が外界へ向かって激しく水滴を打ち付けている。
いつものように他愛ない会話をしながら新幹線に乗っていたのだが、春平の心の中は外の天気と似通っていた。
なぜ井上が本社に呼ばれたのか、分からないのだ。
妙安寺は本社に一番近い存在でありながら、普段は誰も本社と連絡しているふしはない。
井上も同様に、本社に上ることなんてなかった。
――何かよっぽどのことがあったんだろうか。
過るのは自分と関わりのある何かに関すること、そして乙名。
――俺が動くことで、迷惑する人がいるのかもしれない。
この井上のように。
でも、今さら引き換えそうだなんて思わない。
自分は、何としてでも乙名に会う。
そしてやることがある。
自分が妙な真似をすると警戒されることは理解している。
でも、動かずにはいられない。
ずっとずっと、脳裏に焼き付いて放れない光景がある。
『ばいばい春平くん』
いつものようにけろっとした表情で別れを告げた乙名。
爆発する感情を抑え、大の男が泣くのを堪えて笑いながら言った姿。
乙名が、春平の頭に居座って離れてくれない。
10日経ちました。
もう少し早く更新できたらよかったのですがorz
ついに動き出した春平。そして、再び登場した桜春子。
井上の言葉。確信する絆。
そして、井上の本社からの呼び出し。
少しずつ謎に近づき、少しずつ色々なことが始まっています。
次回はなるべく早い更新ができればと思っています。
早々に改稿しました。
まさかのタイトル誤字ww
これはありえないww