第93話 深まる謎と憶測
さまざまな想いを乗せた雪は跡形もなく溶け去り、柔らかく暖かな日差しが大気の中で姿を変えた雪をきらきらと輝かせていた。
何もない畑の中でその景色をしみじみと感じながら、春平は首にかけてあるてぬぐいで汗を拭いた。
アロエ店舗が3つほど建つかという畑の横には古びた外観の家がある。
「ばあちゃん畑終わったよー」
言いながら玄関で泥まみれの靴を脱いでいると、向こうから「だからー」という男の声が聞こえてきた。
扉の開け放した床の間にいるのは、椅子の上に立っている乙名と彼に寄り添う老婆。
「この電球は種類が違うって言ったじゃーん。ばあちゃんわざとやってんだろー?」
まんざらでもない風に言う乙名に対して、老婆はフヒヒと楽しそうに笑っている。
「いいじゃないかよ、たまに若い男を家に連れ込んだって」
「ばあちゃん結構可愛い顔してるからいいけどさぁ。今度お孫さん紹介してよー」
「女子高に通ううぶな孫をゆうちゃんに会わせるわけにゃいかんよえ」
「いいねぇお嬢さんっぽいじゃーん。ばあちゃんの孫なら美人でしょ」
「そりゃゆうちゃんに会わせるのがもったいないほどさ」
「ケチ臭いと早死にするよー」
「憎まれ口は長生きするんだよ」
本当の家族のように接する2人をそのままに、春平は隣の居間でお茶を沸かしていた。
ここの家は妙安寺のお得意先らしく、春平も何度かこの家に来ている。
だから今さらどんな勝手な行動をしてもいいのだそうだ。
この考えが少し常識とはずれているところが妙安寺らしい。
3人分のお茶を沸かして、電球のつけかえを終えた乙名と老婆を居間に呼んだ。
「あのばあちゃん楽しいだろ」
昼頃に老婆の家を出て乙名の運転で妙安寺に帰る。
「気さくな人だな」
春平がそう言うと、乙名は楽しそうに声を出して笑った。
「あの人さぁ、ミミちゃんの将来の姿を写してるみたいだろ」
「ちょっと酷くないか?」
「でも一瞬核心ついてるなぁって思っただろ」
「まぁ……」
否定できずにいる春平を見て乙名がことさら愉快に笑った。
「あ、自販機でコーヒー買ってくわ」
人の少ない道路のわきに車を止める。
一緒に車を降りて種類を確認してるとき、
光の粒子を受けて乙名の髪の毛がきらきらしているのが妙に気になった。
「――どしたの?」
じっと見つめる春平に対して、自販機を見つめたままいつもの薄ら笑いで乙名が尋ねる。
「いや……そっか、お前髪染め直した?」
何気なく聞くと、乙名は少し驚いたようなぽかんとした顔をこちらに向けた。
「……うん」
「でも色はまったく変わんないのな」
「……覚えてないの?俺は髪の色変えないって言ってたじゃーん」
苦心しながら乙名はボタンを押し、落ちてきたコーヒーを取り上げた。
どこか挙動不審がちな乙名に対して、春平は本当に何気なく、いつものように言葉をなげかける。
「いいよな、その色。お前に似合ってるもん」
本当に何気ない言葉だった。
春平にとっては。
しかし乙名は、本当に驚いたように目を見開き硬直する。
「……乙名?」
何かまずいことを言ってしまったのかもしれない。
春平が慌て始めると乙名は嬉しそうに微笑んだ。
見ている者を虜にするような柔らかなまなざしを向けて。
これにはさすがの春平も驚き言葉を失ってしまった。
この後どういった反応をしろと言うのだ。
しかしその心配も杞憂に終わる。
携帯のポケットから激しい着信音が鳴り響いたのをきっかけに、その空気は壊された。
お互いびくっと体を一度震わせて2人そろってポケットをまさぐる。
「わっと、俺だ、も、もしもし?」
春平が携帯を一度取りこぼし、わたわたと通話ボタンを押す。
誰からの着信なのか確認せずに出たので、相手の出方を待つ。
『もしもーし。春ちゃん?』
少し甘い女性の声に春平の頬が弛緩する。
春平は自分のことを「春ちゃん」と呼ぶ女性を1人しか知らない。
「美浜さん!」
その名前に乙名がピクリと反応する。
「連絡してくるなんて珍しいじゃん!」
『あははー。本当は会いに行くな連絡するな、が寺門さんの方針なんだけどね。今日はちょっと事情が違うのよ』
通話したまま春平と乙名は車に乗り込み、乙名はゆっくりとアクセルを踏んだ。
「ふーん。で、どうしたの?」
『春ちゃん今どこにいるの?』
「今は車で移動中。依頼に出掛けてた」
『まだかかりそう?』
「たぶんもうちょっとかかるけど……電話越しには言えないの?」
『えーっと、もう、ね』
「え?何……。まさかもう」
『うん、妙安寺にいるの』
にっこりと苦笑気味の美浜の顔が浮かぶようだった。
「あと20分で戻るって美浜さんに伝えて」
そう言ったのは乙名だった。
直後、アクセルが強く踏まれ、春平の体がシートに押さえつけられた。
「に、20分かかるって」
『誰?』
「乙名」
『そう、ゆうちゃんね……。わかった、待ってるから、気を付けて帰ってきてね』
そこで会話は終了した。
「おい」
「なーに春ちゃん」
「うるせぇよ。いきなりとばすなよ。そんなに美浜さんに会いたいのか?」
「それを俺に聞くのねー」
当然だろと言わんばかりの乙名である。
そのとき、再び携帯がけたたましく鳴り出した。
「何、美浜さん」
春平が何の疑問も持たずそう言うと、受話器の向こう側からため息まじりの声が聞こえてきた。
『それは僕に対する当て付けか何かなのかな、しゅん?』
美浜同様、自分のことを「しゅん」と呼ぶ男性を春平は1人しか知らない。
「――ハル?」
それは便利屋史上最年少店長であり春平の友達である葵春貴の声だった。
『僕が電話したらおかしいの?』
「嫌、そんなことはないんだけど……普段連絡なんてとらないじゃん」
『ふんっ、臨機応変な対応がとれないところは相変わらずだな』
こういう憎まれ口を叩くところはまったく変わらない春貴の声を聞きながら、春平はため息をついた。
以前なら恐ろしい冷や汗をかいているところだ。
「葵店長?」
ひひ、と面白そうに乙名が呟いた。
どうやら本社のエリートフロントはいち社員と店長の関係まで知っているらしい。
「で、どうしたの」
春平が用件を促すが、当の本人は口に出すのを渋っているようだ。
「ハル?聞こえてる?」
『聞こえてるっての。あのねぇ……』
「うん」
『………………』
「大丈夫か?別に急かさないから」
あまりにも渋る春貴にわずかながら心配になり、春平はちゃかすでもなく真剣にとりあった。
その気持ちが電話越しに通じたのだろう。
『しゅんはさぁ、』
「うん」
『今妙安寺で働いてるんだよな』
「そうだけど……それが?」
『いや……』
春貴にしてははっきりしない。
さすがに痺れを切らして「何」と促すと、春貴もイラついてしまったようだ。
『どうしてしゅんはそう落ち着きってものがないんだよ!』
「逆ギレすんなよっ。お前がもたもたしてるから――」
『もういい。せっかく人がお前の身の心配をしてやってんのに』
ふんっ、とむくれた春貴の言葉を聞いて、春平の表情が一変した。
――身の心配?なんだ……?
ピリッとした空気が春平の周りを取り巻いている気分だった。
不穏な臭いが漂っている。
「どういう意味だ」
少し低い小声を出す。
万が一のことを考えて、なるべく外部に音が漏れるのを避けたかった。
しかも隣にいるのは本社一のタヌキだ。
疑うつもりは毛頭ないが自分たちの会話を春平の言葉だけで想定している可能性もある。
それに、乙名を心から信用しているのか、と言われれば即答はできない。
大切な仲間であり好き嫌いの分類分けをすると好き寄りではあるのだが、それとこれとは話が違う。
第一、乙名は命綱を託すような仲間ではない。
もし命に危険があるような場合、「本能から」信用できるのは本社の清住や久遠、右京だけだ。他意はない。
春平が小声になったことから色々な意図を汲み取ったのか、春貴の声も小さくなる。
それによって乙名に不審がられてもそれは春平の知るところではない。
電話越しに聞こえる声は緊張を含んだものだ。
『しゅん――君、色々なことを知りすぎているのかも。いや、知らずとも関わっている可能性が高い』
「続けて」
『社長に目をつけられている』
「そんなの前からだけど?」
『そういうレベルじゃない』
その言い方は特殊護衛科の紛争介入を甘く見られているようで気にさわったが、本人にはその意図がないので自分が怒るのは道理じゃない。
「それじゃあどういう……」
『僕にだってわからないような事態だよ』
「なんでそんなこと……」
『考えてもみてよ。本来特衛科の人は左遷なんてされないのに、しゅんはされたんだ。詳しい事情は知らないけど、それっておかしくないか?いくら本社の人間のみで構成されている妙安寺だからって、特衛科の人が本社から出ることは異例中の異例なの』
確かに。
社長の気に障ることをしたからといって、安易に機密を知った人間を外に出していいのだろうか?
最初は仕方ないことだと思っていた。
あの一件の後に春平を紛争に向かわせるのは不本意だろう。ならば必然的に左遷しか道はないのだろう、と。
しかしそんな理由で外部に特衛科を逃がすだろうか?
確かに妙安寺の人間は特衛科の存在を知っている。
紛争介入の真実を知っている。
――……ならばたとえ特衛科の人間でなくとも外部に漏らすのさえ躊躇うのでは?
聞けば本社から降りてきた社員がいる店舗なんて聞いたことがない。
どこの店舗にも、そんな人はいない。
なら、そもそも妙安寺の存在自体がおかしいのでは――
もしかしたら妙安寺には、変人のかけ込み寺以外の何か役目があるのではないか?
それが、知ってはいけないことなのか?
『しゅん、聞いてる?』
唐突に黙ってしまった春平を気づかう声を聞いて、はっと我に返る。
「……うん。続けて」
『僕はやっぱり、妙安寺に何らかの秘密があるんだと思うんだよ。そしてしゅんはそれに近すぎる』
「でもそれならおかしい」
『うん、どうしてわざわざ社長がそんな妙安寺としゅんを近づけたんだってことになっちゃう』
「それにもしそうなら、どうして俺だけって話なんだよ」
春平だけ目をつけられている意味がわからない。
春貴は少し唸ってから、自信なさ気な声を漏らした。
『もしかしたら、春平を除く妙安寺の全員が秘密を隠しているのかもしれない。何かの秘密。春平には知られてはいけない秘密。社長が本社社員を妙安寺店員として外部に出すというデメリットを背負ってまでも守る秘密。もしくは――その秘密を守るために妙安寺という囲いを用意したのかもしれない』
「だから俺はそうなると邪魔だろ」
『そうだね。でも急遽しゅんを本社から追い出さなくてはならなくなったとしたら?しかししゅんを紛争に向かわせられない。ならば気に障る社員という理由をつけて妙安寺に送るしかない。本社の人間、特に特衛科の人間はどうしたって外部に出すわけにはいかないから』
「確かに。でも……そこに俺の名を出した理由は?」
あくまで春貴の話は憶測にすぎない。
『そりゃ、又聞きしたからかな』
「はぁ?まさかそんな根拠のない話を」
『だからこうやって本人の安否を確認してるんでしょ。僕の聞いた話は、どうやら社長が沖田くんを筆頭にしゅんの周囲の人間にしゅんのことを聞き回ってるってことなんだ』
「……待って。それじゃあまさか――」
春平の顔が青ざめる。
向こう側で春貴が神妙に頷いたような気がした。
『たぶん、アロエにも』
「――――――っそ」
それは。
そう言おうとして車が減速し始めた。
「春平、取り込み中悪いけどもう妙安寺に着く」
「う、ん、あぁ、分かった」
特に警戒した様子でもない乙名を横に、春平はそっとため息をついた。
『どうしたの?』
「あぁ、今実は移動中なんだ。もうすぐ妙安寺に着くから。これから、『その』、美浜さんが来ることになってるからさ」
あえて『その』という言葉を隠しながら、声のボリュームをもとに戻した。
もう会話終了だというサインだ。
『そっか。とりあえずしゅんが無事ならいいんだ。また美浜さんから何か気になることを聞いたら連絡しよう』
「やっぱ、そういうことだよな」
『そういうことだよ』
言い聞かせるように春貴は言った。
美浜が来るのは、どうしても春平のことが気になるからだろう。春貴の言葉がそれを暗に示していた。
ほどなくして妙安寺に着き、春平も通話を切った。
今日ほど美浜に会いたくないと思ったことはない。
春平は少しだけ思い足取りで車のステップを踏んだ。
よし、UPした!
乙名は本当にタヌキです。電話の会話の憶測とかしちゃうあたり、怖い←
読心術半端じゃないし……腹の底見えない感じ、恐ろしい。
いよいよ始まりました!
ついに妙安寺編最後のお話となります。
さっそく不穏な空気が流れてますね。次話もこんな感じです。もともと1話だったのを長すぎて分割したので^^;
ってことはー!
次話は早めに更新できるってことですね!←