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アロエ  作者: 小日向雛
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第90話 頑なに目を背けるもの

「おはようございまーす!」


玄関で春平が声を張り上げると、居間からおばあちゃんが満面の笑みでやってきた。


「おやおや大輔くん。おはよう」


「おはようございます」


「かの子ならもうすぐ来るよ」


にこにこな老婆はそう言って一杯のお茶を持ってきた。


春平がそれを玄関に座り込んで飲み、しばらくすると荒々しく階段をかけ降りてくる少女の姿があった。


「きゃ―――待って待って!」


制服姿でポニーテールを揺らしながらミミがやって来る。


足を動かすたびに短いプリーツのスカートが翻り、春平が見上げるとスカートの中が見えそうで見えない。


見ている方としては、丸見えよりもよほど恥ずかしい。


春平が顔を背けるとミミ春平の横で靴を乱暴にはいた。


「かの子、そんなに急がなくてもまだ朝の7時だよ?」


「もー!言ったでしょ?部活の朝練があるんだってばー」


そのまま流れるように挨拶をして、ミミは家を飛び出し、春平も後に続く。


外に待機させておいたバイクにまたがり、ミミがヘルメットを被って自分にしがみついたのを確認してから、大急ぎでバイクを走らせた。


行き先は妙安寺である。


寺についた途端ミミはヘルメットを脱ぎ、玄関をくぐる。


ちょうど出掛けようとした乙名と鉢合わせ、「おはよう!」と言いながら乙名の肩を抱いて通り抜ける。

乙名に対して、ミミらしからぬ行為である。


それから部屋に飛び込み、鍵もかけずに着替えをする。


ものの15分でいつも通りのミミが現れた。

化粧は橋本の家で済ませているので、着替えだけで十分なのだ。


「よし、行こう!」


ミミは再びあわただしく妙安寺を飛び出し、春平のバイクの後ろに乗る。


それがミミの忙しい朝だ。








春平が9時過ぎに妙安寺に戻ってくると、井上と万が少し遅めの朝食をとっていた。


それに参加し、白米と卵焼きにほっけの塩焼きを食べる。


「こんなに慌ただしいと、春平もミミも毎日落ち着かないだろう?」


井上が本当に心配そうに言う。


春平は箸を持ちながら、ふぅと息をついた。


「俺は特に何もないからいいけどさ、掛け持ちしてるミミちゃんはきついよね」


「それに毎朝付き合うのだって大変だろ?ミミの遅刻は春平の運転にかかってるってプレッシャー感じてるんじゃないかい?」


その声はアロエの寺門そのものだ。


子供を見守るような柔らかい声だ。


それに頬を綻ばせて、春平は笑った。


「大丈夫。それにな、本社にいたのはほとんど専門学校出たエリートだろ?俺もミミちゃんも、忙しさには慣らされてるから」


「そうか……。そうだな、信用しなきゃいけないな」


嬉しそうに笑う井上を見て、横に座る万もそっと微笑んだ。




夕方の4時になったところで、ミミから連絡がきた。


今日は早く帰れそうだから、5時にはいつもの場所に迎えに来てくれ、というものだった。


時間に間に合うようにバイクを走らせる。


外はもう闇に包まれ始めていて、裸になりつつある木がざわざわと寂しげな音を立てている。


空気が乾燥しているので、バイクの音もどこか乾いているように感じられた。


それなのに、いつもの場所にミミは立っていた。


何も遮るもののない歩道で、目印の建物を背に鼻を赤くして待っていた。


「ミミちゃん!?」


春平はぎょっとしてバイクを彼女の前に止めると、ミミは恥ずかしそうに「へへ」と笑った。


「ホテルで待ってればよかったのに」


「んー。でも、ちょっと1人になりたくて」


澄んだ冬の空気を胸いっぱいに溜めて、ミミは気持ち良さそうに深呼吸した。


「ね。もし用事がないなら、付き合ってほしいところがあるんだ」












花を買って、ひたすら言われた通りにバイクを走らせる。


30分ほど経っただろうか。


春平はバイクを止め、ミミはゆっくりと降りた。


そして花を両手で抱えて、目的の場所に一歩一歩近づく。


ここは、墓地だ。


周囲に人の気配はなく、あたりも暗くなり始めている。


だけど、ミミは「今日じゃなきゃダメなの」と悲しそうに微笑んだ。


「田中家之墓」と彫られた墓石の前に花を起き、饅頭を添えてから線香に火をつけた。


そして恭しく両手を合わせて目を閉じる。


春平もそれに倣って両手を合わせた。


しばらく経ってから、ミミはゆっくりと目を開けて、ぽつりと呟いた。


「命日なんだ」


「……そっか」


「私のお父さんとお母さん、お兄ちゃんは殺されたの」


「…………」


言葉は出てこなかった。


しかしミミもそれは理解しているのか、構わず話を続けた。


「人を疑うことを知らない優しい人たちでね……ミミから見たら、本当に馬鹿な人たちだったの」


墓石を見つめながらしゃがみこみ、墓石の向こう側にいる誰かに話しかけているようだった。


「だから馬鹿な人たちはずる賢い人たちに騙されて死んじゃった。一家惨殺ってゆーのね」


「ミミちゃんは……」


どうして生きていられた?


つい聞きそうになって口をつぐんだが、遅かったようだ。


ミミはしゃがんだまま振り返り、泣きそうな顔で微笑んだ。


「ミミだけ、殺されなかった」


胸が締め付けられそうなほどに愛しい声音だった。


「理由は、ミミだけあの家族の中で異色だったのと、一人だけ生き残りがいた方が面白いからだって、ニュースで見ちゃった」


冷たい風が、ミミの長い髪の毛を乱す。


その隙間から見える表情はなんとも言えない自嘲じみたものだ。


「そりゃそうだよね。ミミはあの馬鹿な人たちの中で唯一ずる賢くて、人を疑うことしか知らない子だったんだもん。わがままで、自分のまわりの人間は、自分にひれ伏す人形だと思ってた。夢は全部人形たちが叶えてくれる。そんな思考回路を持つ女の子だもん」


「……」


「殺人犯たちはね、別にミミの家族に恨みはなかったんだって。ただ、見たこともないようなお人好しが、一体どこまでお人好しか知りたかったんだって。――結局お人好しは死ぬ間際までお人好しだったみたいだけど……」


周囲に音はない。

人の気配さえない。

ただ、風だけが冷たく吹きすさぶ。


「だからミミを殺さず、ずる賢い女としてどう生きるのか、気になったんじゃないのかな。……強烈な現場を見せつけて、殺しはしなかった」


その言葉は、まるで「殺してくれればよかったのに」と言っているようなものだった。


「それから、ずる賢い奴が大嫌いになった」


ついさっきとはうってかわって、冬の風のように突き刺す冷たい声音が響いた。


「自分のことしか考えず、人を傷つけているのにそんなのお構いなしで自分の欲ばかり叶えようとする奴が嫌いになった」


ミミとはおよそ思えないような恐ろしい口調だ。


春平は少しだけ屈んで、目線をミミに近づけた。

同時に、ミミが北風に吹かれないように覆い隠す。


「……だから、乙名が嫌い?」


聞くと、ミミは振り替えって不敵に笑った。


「乙名は女の子をとっかえひっかえする悪い奴だもん。それで女の子が傷ついたかもしれないなんて、考えてない」


ミミは立ち上がり、春平に体ごと向き直そうとしたが、突然の突風で体がよろめいた。


「!」


春平は慌ててミミを抱き止めた。


ミミの長い髪が風にふわりと舞った。


いつまでも抱き合っているわけにもいかないと春平が体を離そうとしたのだが、ミミは春平の服にしがみついて離れない。


鍛えられた胸板に額を押し付けて、何度か深呼吸していた。


「ほんとはね、わかってるんだ。ミミは自分が世界で一番大嫌いなの。乙名を見ていると、自分を見ているみたいで嫌なの」


「だから乙名が嫌いなの?」


「……そうだね。でも大前提として、乙名は自分のことしか考えないずる賢くて悪いやつだから、嫌いなの。そう考えたら、乙名が大っ嫌いになった」


その言葉に春平は素直に賛同することができなかった。


「――ミミちゃんは、そうやって乙名が悪いやつだから嫌わなきゃならないって思い込んでない?」


「…………」


ミミは何も言わない。


「自分のことも嫌わなきゃって思い込んでない?」


「…………」


「乙名は、自分の心を落ち着かせて納得するための必要悪なんじゃないの?」


――とたんにミミはぎゅっと春平の服を握りしめた。


「春平ちゃん、私の家族の話をちゃんと聞いててそんなこと言ってるの!?」


鼓膜を揺らす甲高い悲鳴にも似た声が遠い空に響き渡る。


「何もしていない家族が殺されたんだよ!そんなことされたら、ずるい奴が嫌いになるのは当然なのっ!ミミは乙名が嫌いなの!嫌いなの!」


鼻をすする音が聞こえる。


「ごめんっ」


思わず春平はミミを両腕で抱き締めた。


するとミミはまるで子供のようにわんわんと泣き始めてしまった。


優しく頭を撫でながら、春平は今にも泣きそうな表情をしていた。


自分がもしミミと同じ立場なら――それで、大切な家族を大した理由もなく殺されたのだとしたら――やっぱり犯人を恨むだろう。


ぱっとアロエの店長である寺門の顔が脳裏に浮かんで、言い様のない怒りに襲われた。


だけど……


――俺は、恨むだろうか。


犯人と似た思考回路を持つ自分を。


犯人と似た思考回路を持つまったくの他人を。


乙名雄輝を。


ここまで、憎むことができるだろうか。


――犯人は乙名じゃない。


でも、ミミは異常なまでに乙名を嫌悪している。


その違いは一体何なのだろう――……












しばらくそのままで、ようやくミミが泣き疲れてから、橋本宅へ帰ることを提案した。


ミミは大泣きしたことが恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして目も合わせずにこくりと頷いた。




妙安時で再び高校生の姿になったミミをバイクの後ろに乗せようと待機していると、ミミは千円札を春平に渡した。


わけもわからず春平はそれを遠慮していると、ミミは泣きそうな顔を背けた。


「電車で帰ろう。お話したいから」


彼女なりに勇気を振り絞った言葉だったのだろう。


耳まで真っ赤にして恥じらう姿を見て、何とも愛しい衝動にかられた。


春平は自然と顔を綻ばせて、口を開いた。


「じゃあ電車で帰ろう。お金はしまって」


「え……」


春平の言葉がショックだったようだ。


ミミが落ち込んだ表情をしたので、春平は彼女の手をそっと握って再びお金はいらないという意思表示をした。


「じゃあ、その電車賃はミミちゃんの可愛い顔を見せてもらったお礼にあげるよ」


何の恥じらいもなく言う春平にミミの方が顔を真っ赤にした。

どうやらいつも強気な割に、押されると弱いらしい。


ミミは千円札をポケットしまうと、真っ赤な顔のまま頬を膨らませた。


「ミミはいっつも可愛いんだからね!」


その強がりがやっぱり可愛くて笑うと、ミミはとうとう怒ってしまったのだった。












電車はラッシュの影響で混雑していた。


はたから見たら高校生カップルにしか見えない二人は、なるべく端に寄り、春平はミミを庇うように立っていた。


電車はがたごとと揺れ、ミミは何度かよろめきながら春平の腕を掴んでいた。


「……ミミ、春平ちゃんのこと好きだよ」


「……知ってるよ」


他人が聞いたらため息が出そうなバカップルぶりだ。


春平はためらって苦笑しながら応えた。

初対面のときから、ミミは自分のことが好きだと言っていたのだから。


ミミは嬉しそうに頬を染めた。


「でもね、いーちゃんは大好き」


いーちゃんとは井上のことだ。


さりげなく順位を決められていることに愕然としたが、そのまま彼女の話に耳を傾けた。


「でもね、誰よりも誰よりも、榊マンが大好き」


恋人を想うような甘い声をもらし、うっとりと目を閉じた。


「榊マンは、ミミの家族にそっくりなの。人を疑わない優しい子」


言われて、人懐こい万の眠たそうな顔を思い出した。


自然と顔がほころぶような子だ。


「万は、人のことばっかり考える子かもね。自分は二の次……きっと、人が大好きな子なんだろうね」


純粋無垢な万を、嫌いだと言う人はいないだろう。


そうなるとどうして万は本社から追い出されたのだろうか。


――思い出すのは、万の家族のことだった。


いなくなった、と言っていた。


何か関係はあるのだろうか?


こう言ってはなんだが、ミミと乙名は変人扱いされても納得できるのだが、どうして万は本社を追い出されたのだろう。


とくに際立って問題があるわけではない。

自己主張が乏しいところはあるが、それだって特記することでもない。


そんなことを考えているうちに電車は橋本宅の最寄り駅に停車した。


駅のホームに出た瞬間、身を切るような寒さに襲われ、体を小さく丸めたミミが擦り寄ってきた。


「寒いー。手ぇ繋ごうよぉ」


こちらが何か言う前にミミは指を絡めてきた。

こうして何人の男が彼女の思うがままになったのだろうかと考えて、春平は思わず苦笑してしまった。


外は寒いけど、ミミの手から伝わる体温は暖かくて、確かにそこにいると実感できるものだった。


たくさんのサラリーマンと同じ方向に歩きながら、二人は寄り添っていた。


今、殺された家族の命日を迎えて彼女は何を思うのか。


春平はぎゅっとミミの手を握り返した。


横には嬉しそうな微笑みのミミがいる。


その仮面の下に、どれほどの感情を隠しているのだろう。


このか弱い小さな女の子を力任せに抱き締めたい――そんな衝動が心の底から沸き上がる。


重荷を取り除くことができるなら、どれだけいいだろうか。


――しかしそれも、そう男に思わせるための計算なのかもしれない。


考えて、春平は首を横に降った。疑心暗鬼もいいとこだ。


――彼女のためを思うなら。


乙名が言ったことが、今なら少し理解できる。


ミミが自分自身を嫌うことがいいことなわけがないんだ。

そして自分と同じ種類の人間である乙名を嫌うということも。


――現実から目を背けている。


彼女は、一体何から目を背けているのだろう。


――彼女のためを思うなら。


気づかせてあげなければいけない。


でも、それを知っているのは乙名だけだ。


井上や万がしっかり認識しているなら、すでに何らかの行動を起こしているはずだ。

それか、気づいてはいるがミミには言えずにいるのか。


確かミミは先生に暗示をかけられている。

それほど頑ななミミを言い聞かせることができなかったのかもしれない。


ともかく、その役割は乙名が適任だ。


しかしミミが乙名を嫌い助言を聞く耳を持たないなら――


――それは、俺の役目なんじゃないか?


だから乙名はそのことを俺に話したんだ。託すために。


乙名は勢いついて口を滑らせた、なんて言っているが、そういうことに関して乙名は計算高い男だ。


春平が自分の役目に気づかせるという段階まで計算していたのかもしれない。


「春平ちゃん、段差」


言われて現実に引き戻された。


すでに橋本宅の玄関まで来ていたようだ。


気を引き締めて大輔になりきり、玄関にはいる。


お婆さんに遅くなったことを詫びて、すぐに帰ることを伝えた。


玄関を上がってこちらに振り返り、「ばいばいっ」と明るく手を振るミミを見つめて、春平も顔をほころばせた。


彼女が必死に目を背けているもの――それに気づかせ、乗り越えさせなければ。


それが一体どんなものか、わからない。


だけど、まだ10代の娘であるこの子が現実というものをどれだけ認められるのか、不安になった。


締め付けられる胸の痛みに耐えながら橋本宅を後にし、春平は星ひとつ見当たらない寒空を見上げて白い息を吐いた。




人恋し編第3話!

ようやく核に到達しました。

今回は、ミミちゃんの成長の話です^^

家族を愉快犯に殺され、自分を憎み、乙名を嫌い、万を好み……

一体ミミちゃんは何に目を背けているのか、春平にはまだ分かりません。

だけどきっと、この依頼をこなしていく中でたくさんのことが分かるはず。


次回も早め更新ができると思いますので、よろしくお願いします。

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