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アロエ  作者: 小日向雛
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第89話 かわいそうな子

それから1週間とおかずに、例の女性がやってきた。


調剤薬局勤務の彼女は、身なりも綺麗でまだまだ若い。

まとめられた髪の毛は暗い茶色で清潔感に溢れている。


彼女は橋本さんというらしい。


橋本さんにテーブルを促し、春平もテーブルを挟んだ目の前に腰をおろした。


そしてなぜか、春平の隣には英国調スーツを着こなし7:3分けのお坊っちゃま風な乙名が座っている。


明らかに熟女狙いである。


「改めまして。正田です」

春平が頭を下げると、横で乙名も「乙名と申します」と頭を下げていた。

こういうときは礼儀正しいから毒気を抜かれてしまう。


橋本も何度もぺこぺこと頭を下げていた。


「で、正田さん。あの……」


困惑してしまっている橋本を優しく目で促す。


「正田に言われてここまで来ましたが、正直何を依頼すべきか決めかねているのです」


「でしょうね。私が誘うように言ったから……。それで提案なのですが」


「はい」


「おばあさんが落ち着くまで、しばらくはお孫さんの恋人を、大輔くんを演じましょうか?」


「えっ!?」


この提案には度肝を抜かれたようだ。


「あなたやおばあさんの精神面にもよくないかもしれないと考えてのことなんですが……」


「そう、ですね……」


橋本さんはいまいちピンときていないようだった。


オブラートに包んだのが逆効果だったようだ。


春平は少し言い澱んでから、口を開いた。


「孫娘が生きていると信じて疑わないのに、あなたからはいないと言われる。おばあさんはきっとあなたが嘘をついていると思うでしょうね。それに、そんなおばあさんのケアをするあなたの精神的負担も大きいと考えまして。私の勝手な解釈ですけど」


それに対して、橋本は何も言えなくなってしまった。

まったくその通りなのだろう。


しばらく無言が続き、橋本は決心したように春平を見つめた。


「期間がはっきりしないですけど」


遠慮がちな橋本ににっこりと春平は笑った。


「そういう仕事はなれてますよ。なんてったって便利屋。何でも屋ですから」




「じゃあ少し書類を書いてもらって……」


「なぁなぁ春平」


今までとくに何も言わなかった乙名が口を挟んできた。


「お前は彼氏であって、孫じゃないだろ?どうすんだよ」


「うん、かの子ちゃんは高校から一人暮らしをしてたみたいだから、そこは何とかカバーするよ。大丈夫、プロだから」


「お手数かけます」


そのとき、玄関から元気はつらつな声が聞こえてきた。


「ただいまー!春平ちゃーん!榊マーン!いーちゃーん!」


ミミだ。

当然のように乙名の名前を省いている。


ふわふわの長い髪を高いところでひとくくりにして、大きめのニットセーターを着たミミが、手にケーキの箱をぶら下げて帰ってきた。


「おかえりミミちゃん」


乙名が満面の笑みで言うが、ミミはそれを無視して春平に挨拶をする。


「ただいま春平ちゃん!あのね、今日はケーキのお土産だよー!ミミはモンブラン食べたいから選んじゃやだよ」


テーブルの上で箱を開ける。

なんだかんだ言ってしっかり人数分のケーキを買ってきているあたり、ミミらしい。


それからようやく橋本の存在に気付き、丁寧に会釈した。


「春平の依頼主さん?」


少しかたい口調のミミに苦笑しながら春平は頷いた。


そしてふと視線を橋本に向けると――


橋本は真っ青な顔で全身にびっしょりと汗をかきながら、ミミを食い入るように見つめていた。


「橋本さん……?」

異常に気づいて乙名が声をかけると、橋本は震える右手で自分の顔を押さえていた。


「あぁ、嘘でしょ……私、夢でも見てるのかしら。それとも……死んでるの?死んでるから、あの世で大輔くんと話をしているにすぎないっていうの?」


早口から、橋本がパニック状態にいることがわかる。


声はヒステリックだ。


「大丈夫」


そっと。


乙名が横から手を伸ばし、橋本の手を優しく握りしめた。


「現実です」


落ち着いたしっかりした声を聞いて、橋本はゆっくりと顔を上げた。

乙名がにっこりと優しく微笑む。


「落ち着いて。どうしました?」


とは言ったものの、乙名はなんとなく予想がついていた。


「彼女が、姪にそっくりだったもので」


「姪さんとは、かの子ちゃんのことで?」


春平の問いかけに、橋本は何も言わずに頷いた。


――まさかの好都合である。


春平はミミと向かい合い、目で座るように促した。


いまだ状況を理解しきれていないミミは口を尖らせたまま春平の隣に腰を下ろし、手を膝の上にちょこんと並べた。


「協力な助っ人、ということでいいですか?」


「えっ!べ、便利屋さんがいいなら是非……」


「ちょっと待って。説明を求めます」


混乱しているのだろう、ミミは手をつき出して言葉を遮り、彼女らしからぬ敬語を使用していた。


春平がいちから事情を説明し、ミミは納得してから書類にサインをした。


「無期限ね。それから、私はここに暮らせばいいの?」

「一人暮らしでいいかなとは思ったんだけど、やっぱり橋本さんの家にいるべきだと思う」


春平が言うと、ミミは少し考え込んでから「そうだね」と呟いた。


「一人暮らしで、おばあさんの痴呆が進むのを待つっていうのも有りだけど……何年かかるかわからないものね」


「まずはしっかりと孫がいるっていうのを目で認識さするべきかなって」


「うんうん」


納得して書類を書き、明後日からの仕事として今日のところは橋本には引き返してもらった。


橋本が帰ったことでやる気をなくしたのか、乙名はぐったりとし、ミミは人数分の紅茶を淹れ直していた。


ティーカップをテーブルに置いて座りながら、ミミは心配そうに眉を寄せた。


「ねぇ春平ちゃん。ミミは高校生として学校行くんだから、登校するふりして仕事に行ってもいいかなぁ」


「えっ?それはミミちゃんが大変じゃなければ……」


「大変だよー。でもこれからのシーズン、観光業はますます忙しくなるから、できればお手伝いしたいのよー。依頼主のオーナーさんはよく贔屓にしてくれる人だし、断ろうと思えば簡単なんだけど……ミミの気持ちが、断りたくないって思ってるの」


申し訳なさそうにしゅんとするミミを見るのは初めてかもしれない。


普段は自分の気持ちを頑なに通して周囲を巻き込むようなタイプなのに、こういう態度を見せられるとつい弱くなってしまう。


「……うん、分かった。それなら俺が毎朝ミミちゃんを橋本さんの家まで迎えに行くから、俺のバイクでホテルまで行こう」


「ん。その前に一度妙安寺に戻って着替えなきゃ」


「分かった」


そう。

おばあさんに不信感を抱かせないためには高校の制服を着て登校しなければならない。


しかしその格好で出勤するわけにはいかない。


少々ばたばたするが、それしかない。


「あ。それか、橋本さんの家の近くにアパートかマンションか借りようか?俺の名義で。それならわざわざ朝の時間を割く必要はないよね」


いい案が思い付いたと思って春平は得意顔で言ったのだが、隣でだれていた乙名がずるそうにクスクス笑っていた。


「何だよ」


何を笑われているのかわからずに春平がむくれると、乙名は「いいやぁ」と不愉快に笑った。


「特殊護衛科は金持ちだなぁと思っただけだよ」


揶揄されている。


「……そんなつもりで言ったんじゃない」


明らかに気分を害した春平を見て乙名は困ったように微笑んだ。


「そうだよねー。春平はそんなこと考える子じゃないもんな。俺たちだってもとは本社働きだったし、それなりにはあるから。護衛科とは比べ物にならないけどさ」


「まだ嫌味だぞ」


「乙名最低」


春平とミミで乙名をじろりと睨み付ける。


「ミミちゃんは最高だよ」


言いながら両手をあげて降参する。


そんな乙名を無視して、ミミは春平を見た。


「そんな無駄なお金使わなくていいよ。妙安寺との往復で十分だから」


「ぶっぶー。ミミちゃん不正解」


言ったのは、降参したはずの乙名だった。


ミミは憎たらしそうに乙名を見るが、彼本人はわりと真面目な表情で微笑んでいた。


「この場合は、『じゃあ借りよう』って賛同するのが正解だよ」


ティーカップのふちを指でなぞりながら、乙名は続ける。


「よく考えてみなよ。たしかにミミちゃんの朝の時間を考慮した話だったけど、これは春平が迎えに行くっていう手間をはぶく話でもあったわけだよ」


「別に俺はそこまで考えてない」


「君は違うと思うかもしれないけど、君の真相心理は間違いなくそこまで考えているよ。人間は楽をしたいと思う生き物だからね。それに、まったくその気がなったとは言い切れないでしょ」


「でも乙名、借りる話したとき春平ちゃんに嫌味言った!」


「それは全額出そうと考えてるってことに言ったの。掛け持ちってゆーことなら経費が出る可能性だってあるっつーこと」


正論で押し通す乙名を見て、春平は嫌な汗をかいていた。


乙名にこんな言い負かされ方をしたら、ミミはどう思うだろうか……。


ミミの顔を一瞥すると、案の定かぁぁっと顔を真っ赤にしていた。


「どうして乙名に偉そうに指図されなきゃいけないの!?今回の件については無関係のくせにっっ!」


もはやそれは、子供がすねているようにしか聞こえない。


ミミの完敗だ。


乙名はそれを理解しているくせに、にっこりと微笑んで、わざと火に油を注ぐような真似をする。


「俺に言われるのが悔しい?」


「――――――っ!」


瞬間、甲高い破裂音が響いた。


ミミが乙名を力任せにひっぱたいたのだ。


茫然とする春平。

しかし乙名はなに食わぬ顔でミミをじっと見つめている。


これ以上の敗けはない。

それを理解してか、ミミは顔をぷいっと背けて足早に部屋へと戻っていった。


洋間の鍵つき扉が乱暴に閉じられるのを聞いてから、春平は立ち上がってミミの部屋の方を心配して見た。


そして恐ろしいほど冷たい声が聞こえた。


「間違っても追いかけて慰めようなんて思うなよ色男」


誰が言ったのかと耳を疑うような声だ。


「――あのなぁ……。そんなことしないけど、お前、言い方ってもんがあるだろうが」


「なに。色男が気に障った?」


「そうじゃなくて、ミミちゃんに対しての」


ミミの名を出すと、さして気にしていないように「あぁ」とだけ呟いた。


「大人げないぞ。いくら大人っぽいとしてもあの子はまだ10代の女の子なんだからな」


「……春平ってさ、子育てできなさそうだよね」


「ふざけんなよ、お守りはよく仕事でやってたよ」


「お守りじゃなくて、自分の子供の話。子供としか見れないだろ?きっと、その子供は自分と同じ1人の人間だっていうことを理解できないと思う」


「なんだよそれ」


「ミミちゃんは、成長しなきゃならないんだよ」


本当に真剣な瞳で見つめられて、背筋が凍った。


「あの子は、色々なものに蓋をしすぎなんだよ。それを、見つめなきゃいけない。いつまでも――俺が嫌いだって言い逃れをしてちゃだめなんだよ」


その言葉には重みがあり、まるで自分の子供を思う親のようだった。


――ミミちゃんが色々なものに蓋をしている……?


しかしそう言われて、まったく思い当たる節がないわけではない。


ミミは何度も何度も、乙名を嫌いだと言う。

自分に言い聞かせるように。


まるで、乙名のことを嫌いじゃなければいけないというように。


そう言ったときのミミの表情は脳裏にべったりとくっついて離れない。


他にも、何か口を滑らせそうになって言いよどむこともあった。


乙名の言うように、ミミは何かを必死に隠している。


周囲にも、自分にも。


「なぁ春平。もしミミちゃんが本当に可愛いと思うなら、いつまでもあの子の言いなりになっちゃいけない。現実を見せるべきなんだ」


「現実……」


「きっと護衛科の先生の暗示も薄れているしな。良い機会だ」


「…………」


乙名が真剣にミミのことを思っているのは分かる。


だけど、現実と言われて、春平は黙り込んでしまった。


『死んだお兄ちゃんを思い出すなぁ』


そう穏やかな表情で呟いたミミを思い出す。


春平はきゅっと唇を噛み締めてから口を開く。


「あのさ、現実って、絶対に向き合わなきゃいけないものってわけでもないだろ」


言いながら、自分が真っ青な顔で汗をかいているのを自覚していた。


「向き合ったら苦しくなるような現実だってあるんじゃないかな……」


自分は逃げない。

そう右京に言った。

向き合って生きていこうって。


だけど、まだまだ向き合うことは怖くて、思い出すだけでも体が痙攣してしまうほどだ。


乙名はそんな春平をどこか遠い目で見つめていた。


決して呆れた表情ではない。

しかし、何か思うところがあるような表情だ。


「春平。俺も、そう思う。でもそれは、一度真剣に向き合ったやつにしか言う権利もする権利もないんだよ。俺は、ミミちゃんが現実と真剣に向き合っただなんて思わない」


「乙名……」


「お前にはそう言う権利があるのか、俺には分からないが、少なくともミミちゃんにはない。色々なことを押し込めて、すべてのものを憎む代わりに自分を憎み、俺を憎んでいる。こんな逃げ方、あっていいとは決して思わない」


言って、自分を落ち着けるように乙名は冷えきった紅茶を飲み干した。


そして今までの緊張感がまったくないような優しくはつらつとした満面の笑みを見せつけた。


「そうやって、自分を憎むのはもったいないんだよ。あの子にはもっと、広い視野で人間を見つめて、自分も見つめて、好きになってほしいんだ」


「―――――」


惚れ惚れするほど男らしい笑顔だった。


それを見た途端、身体中の汗がすぅっと引いていった。


春平も紅茶を飲んで、深く深く息を吐いた。


「そうだね。乙名の言うことは分かりやすいし、納得できる」


照れながら苦笑すると、乙名は「だろー?」といつものように得意気に笑った。


「だけど、俺は状況がまったく掴めていないから素直に賛同はできないや」


「ま、それはしょうがないな。俺もつい熱くなって色々口を滑らせたけど、これはミミちゃん個人の問題だから、おいそれとは言えないからさ」


「ん」


春平が納得して頷いたのを確認して、乙名は冷蔵庫の方に歩き出した。


「あーもーツマミになりそうなもの何もねぇじゃん」


「コンビニ行くか」


「ついでに晩酌の準備もしようぜ」


「あんま飲めねぇぞ」


「おっ、じゃあここで飲めるように練習しとけ」


「ちょっとしか付き合わねぇからな」


春平は立ち上がって部屋に上着をとりにいく。

その背中に向かって乙名が嬉しそうな声で叫んでいた。


「んじゃ俺の愛しいRX―8に乗せてやんよ!」


RX―8はスポーツカーだ。

しかも相当な維持費がかかると聞く。


――何だよあいつ。俺にはさんざん嫌味言っておきながら、自分も大層な贅沢してんじゃねぇか。


嫉妬半分心の中で思いながら、春平はミミのいる部屋の扉を見つめた。


今彼女は扉の向こうで何を考えているのだろうか。


たとえどんなに泣いていたとしても、気にしていたとしても、彼女はきっと自分の前には満面の笑みで表れるのだろう。


それを思うと胸が締め付けられるような感覚が襲いかかってきた。



人恋し編第2話!

やっぱりミミちゃんには何かある……。


次回、いよいよ仕事開始!

同時に分かる、ミミの秘密。

かわいそうな子の、考え。


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