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アロエ  作者: 小日向雛
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第88話 優しい子

「嫌ぁな予感がしますね」


パタン、と片腕で本を閉じて青年が呟く。


すぐ傍らで先日注文されたスピーカーの設置をしながら、もう一人の青年がその声に応えた。


「先生、シックスセンス?」


先生と呼ばれた青年は「まぁ……」と言葉を選んでいるみたいだった。


「過去に自分が暗示をかけた人の暗示が解ける気配、瞬間というのが感覚でわかるんですよね」


「すんげぇ陰陽師みたいじゃん先生。まさか、それが春平とか右京のことだって意味で、わざわざ俺の前で呟いたりしたの?」


青年がいたずらっぽく言うと、先生は少し困ったように微笑んだ。


「いいえ。ただ、本社の人間であることは否めません」


「――気にかかるような奴か?」


「えぇ……。きっと、清住くんも知っている子で、実は今まで暗示をかけた子たちの中で一番脆く危うい子なんですけど……」


遠方にいる我が子の顔を思い浮かべるような哀愁漂う表情で、先生はもはやなくなってしまった自分の下腿を見つめながらぽつりと言った。


「あの子は本当にかわいそうな子なんだ。暗示なんて生ぬるいものではあの子の感情を抑えられない。あの子が自分を受け入れない限り、きっとあの子はこの世界では生きていけない」


あまりにも深刻な物言いに、清住は口をきゅっと引き締めて目を細めた。


「――誰」


もともと自分の欲求に素直は清住は、まごつくこともなく直球で質問を投げつけた。


先生はそんな彼の性格を理解しているからこそ、嫌な顔もせず、当然のようにそれに応える。


彼もまた、自分の欲求に素直だから。


「それは――」


窓の外では、木枯らしが大木の紅葉を奪っていた。












雪こそ降らないが、すっかり季節は冬の到来目前となっている。


「この地域は山だからね、本格的な冬となればたくさん雪かきの依頼が雪崩れ込むよ」


暖かい煎茶を飲みながら、井上が物思いにふけながら言った。


ミミはホテルフロントの仕事へ行き、乙名も今日は犬の散歩へと行ってしまった。


そんなのどかな仕事がアロエにいたころを思い出させて、春平の心に甘酸っぱい気持ちが広がっていた。


今日暇を持て余しているのは春平と万だ。

と言っても、万は部屋で金利の仕事を一人受け持っているのでまったくの暇ではない。


春平と万はテーブルに並び、井上と向かい合ってのんびり午後の休憩をしていた。


「いいよなぁ。やっぱり便利屋って言ったらそういう仕事って感じだ」


「大衆的には、ね」


春平の言葉にやんわりと微笑む井上の表情は御仏かと思うほどに穏やかだ。


そう、井上の言っていることは身に染みて理解している。


全国に根を張る便利屋本社の社員、しかもその中でも超一流と言っても過言ではない「特殊護衛科」に在籍していた春平だからこそ、便利屋というものが世間一般で言われる「何でも雑用屋」というような存在ではないことを重く理解している。


便利屋は人の幸せを願うもの。


便利屋は金で動くもの。


便利屋は命さえ惜しまないもの。


便利屋は嘘をつくもの。


決して、世間一般にその本当の姿を見せてはいけない――……。


「犬の散歩、したいな」


万がお茶をすすりながら言った。


「楽しいよなぁ犬の散歩!犬と一緒に走り込み!あー、最近野球できてねぇなぁ。また高校野球の依頼がくればいいのに」


「僕はそんなパワフルな散歩はしたくないです」


冷静に否定されて、春平はむっとする。


「万も野球しようぜ」


「そんな某国民アニメキャラクターの友達みたいに誘わないでください」


「暇なときはスポーツだよ。市民体育館行こう」


「僕は暇じゃないんですけど。バドミントンなら……」


「よし、早速行こうぜ」


勢いよく立ち上がり、部屋へと向かう春平の背中をいつもの呆然とした瞳で追いかけてから、万もゆっくりと立ち上がった。


「本当に、やりたいのか?」


少しかたい口調の井上に声をかけられ、万はぼうっとしたまま視線を向けた。


「仕事がまだまだ残ってるだろう?お前は要領がいいから、はたから見たら簡単な仕事のように見えるが、実際は何日もかかる大変な作業だろう」


「3分の1は終わりました」


「……私は、疲れていないか聞いているんだよ」


意図をくみ取れていない万に、井上が我が子を見るような微笑を向けると、万は少しだけ考え込んだ。


「お前のことは、わからないでもないよ、私も雄輝も。……でもだからこそ、このままではお前があまりにも不憫だよ」


「はぁ……」


「もう少し、自分の意思を出したらどうだ?それでお前をわがままだなんて誰も思いはしないよ」


自分を気遣う井上をじっと見つめ、万は窓の外をちらりとうかがった。


落葉途中の木はむき出しで、寒空の下裸でぶるぶると震えている。


――かわいそう。


本心から思った。


木は、どうしてあんな風に衣替えをするのかな。

まるで季節に強要されて仕方なく裸になっている――そんな風に万の目には映っていた。


それから井上に視線を戻して、ふんわりと微笑んだ。


「嫌じゃないです。たまには体を動かすのも楽しいかな、なんて春平さんを見てたら思ったから」


組織にやられた傷も癒えた。


しばらく病院で眠っていたから、体もずいぶんなまっている。


「春平さん、優しいですよ」


「……そうか」


春平の考えていることに察しがついて、井上は半ばぽかんとしながら嬉しそうに口角を上げた。




ふさぎこみがちな万が、少しでも元気になるように。


仕事におわれる万の気が晴れるように。


そんなことを考えながら、春平は万を誘っていた。


もちろんそんな詭弁だけではなく、実際に自分自身も体を動かしたいと思っていた。


万を背にバイクを走らせ、春平はうきうきした心を押さえていた。


体に当たる風は強く、むき出しの肌を刺激する。


30分ほど運転して、ようやくたどり着いた頃には4時になっていた。


近くでは帰宅途中の学生が楽しそうに話している。


「そういえば万は去年まで高校生だったんだっけ?」


ヘルメットを脱ぎながら尋ねると、万は「違う……」とヘルメットを脱ぐのに手こずりながら応えた。


「本来なら今年高校3年生の年です」


「あ、行かなかったの?」


「1年のときに中退して、そのままこっちに来ましたから」


「そっか。もとからこっちの世界に来ようと思ってたの?」


バイクをしっかりと止めて市民体育館の中に入り、手続きをしながら春平は万に声をかけていた。


「この仕事を知ったのは、両親を失ってからでした。妙安寺を知って、井上さんから薦められて便利屋に」


「あ、じゃあもしかして出戻り?」


バドミントンのラケットを受け取り、更衣室に向かいながら尋ねると、万は恥ずかしそうに笑った。


「本社から左遷を申告されるまで、まさかここが変人の駆け込み寺と呼ばれてるだなんて知りもしませんでした」


「万は少し特殊な形で妙安寺に在籍してたんだな」

小さく笑いながら体育館の中へと入った。


万は両親をなくして便利屋の道に進んだ。


だけどそんなことは、きっとどうでもいいのだ。

一緒に悲しんでほしいわけでもない、働くことになってしまったのが両親のせいだとも思っていない。


ただ、今この場所で便利屋として生きている。彼にはそれがすべてなんだ。


そんな表情を、万はしていた。


羽をぽんと投げ、万が打ち返す。


こんな些細なことが、今は唯一無二の現実だ。




しばらくそうして3時間ほど打ち合っていた。


途中で高校生なんかが入り交じって楽しく体を動かし、軽くシャワーを浴びてからの帰宅となった。


「うぅ…シャワーは浴びるべきじゃなかったかもな」


夜7時にもなると、風の冷たさは凶器へと変わり始めた。


口から吐く息は白くなり、呼吸をするたびに鼻の奥がつーんと痛くなる。


ちょうど夕飯時になり、主婦や学生たちの姿は消え、代わりに仕事帰りのサラリーマンの姿が目立つ。


「そこのスーパー寄ってもいい?小腹空いた」


春平が言ってスーパーの中へ入ろうとしたときだった。


目の前から女性二人が出てきた。

1人は40代くらいの女性、もう1人はもう80にもなろうかという老婆だった。


入り口の段差をよろよろと下る老婆に手を貸しながら仲睦まじい二人に道を譲って春平が段差を上ろうとしたときだった。


――突然横を歩く老婆に腕を乱暴に掴まれた。


突然のことにぎょっと目を見開いて、条件反射で身構え、すぐにでも老婆を倒すことができるように手刀を首の後ろにあてがった。


――あ。最悪だ……。


まさかこんなところに自分を狙う刺客なんているわけがない。


顔がみるみるうちに赤くなってきて、春平はおずおずと手刀を引っ込めた。


「あの……」


どうしたんですか?


春平がそう尋ねようとしたとき、その言葉を老婆が遮った。


「わしじゃよ、わし。気づかなかったかい、大輔くん?」


満面の笑みで老婆が自分を見上げてくる。


しかし春平は老婆の顔に見覚えなどない。


便利屋が過去依頼を引き受けた人の顔を忘れることは御法度。失礼きわまりないからだ。


だけどここに来てから、春平は数えるほどしか依頼をこなしていない。依頼主の顔なんて忘れようもない。


「気づかんと通りすぎるつもりだったじゃろう?大輔くん、かの子はどうした?」


――かの子?


ますます混乱する春平を見て、老婆の顔が蒼白としていく。


「まさか、ねぇ、無事に家に帰ったんじゃろ?かの子は無事なんじゃろ?」


「えっと……」


春平が困惑した顔でちらりと横の中年女性を見やると、女性は今まで真っ青な顔をしていたのだが、春平の視線に気付きはっとして老婆をとめた。


「お母さん、違うの。この人は大輔くんじゃないのよ?」


「何を言っとる。これはどこからどう見ても大輔くんだ」


「ねぇお母さん、かの子ちゃんと大輔くんはもういないのよ?」


「ふざけたことを。ほら、大輔くんだってお前さんを不思議な目で見ておる」


いまだにこの状況が把握できない。それは後ろにいる万も同じだろう。


女性は申し訳なさそうに眉をへの字に曲げた。


「ごめんなさい、うちのお母さん、痴呆が進んでて死んだ孫娘とその恋人が生きてると思い込んでるの」


「なんと失礼なことを……っ!目の前に大輔くんがいるのにそんなことをぬかすのか!」


完全に噛み合っていない。


「――おばあちゃん」


春平はそっと老婆の腕を自分から離して、微笑んだ。


「大丈夫、かの子ちゃんは家に帰ってるから」


春平は仕方なくその場しのぎにそう言った。


すると老婆も安心したようで、にこにこ笑顔で「そうかそうか」と言って先に歩いていってしまった。


残された女性はいまだ真っ青な顔で春平を見ている。


「……そんなに、似ていますか」


春平が口を開くと女性はびくりと体を震わせ、もうしわけなさそうに視線を逸らした。


「生き写しだわ……。ごめんなさい、こんなことに巻き込んでしまって」


「いえ……」


「おばあちゃん最近すごく騒いでいるの。かの子はまだか、大輔くんは何をしているだって。今まではそんなことなかったのに、最近は特にひどくて……」


女性の目が赤くなり潤んでくる。


その様子がなんだか見ていられなくて、春平は後ろの万を振り返った。


「な。ペンとメモ持ってる?」


「あります」


ぱっと出されたメモをさらさらとその場で書き、春平はそれを女性に手渡した。


そこには地図と名前が書いてある。


女性は目を丸くしてメモと春平を交互に見比べていた。


「名刺がなくてすみません。名刺で公に名乗れるような身ではないので。……勝手な提案ですが、もしかしたら助けになれるかもしれません」















「で、熟女をナンパしたのか。やるなぁ春平」


夕食後居間でテレビを見ながらのんびり話してると、乙名が楽しそうに笑って言った。


「お前はそういう思考しかないんだな」


「俺は熟女もヒット圏内だから。その人来るんだろ?俺も予定明けて麗しのマダムを見ようかなー」


「乙名気持ち悪い」


むっとした表情で爪の手入れをしながらミミちゃんが言った。


万は仕事で部屋にこもっている。


「いいよやきもちは。可愛い子だね、ミミちゃんはぁ」


「だーかーらー、そういうのが嫌いなの」


「俺は好きだよ」


二人きりでいたならつい騙されてしまいそうな爽やかな笑みを向けられて、ミミの頬がかぁっと赤くなった。

相当頭にきているらしい。


「ばかっ!大っ嫌い!!」


ぎゅっと春平の腕を抱き締めて、ミミは乙名にべぇっ舌を出していた。


いつもの光景だ。


何だかんだ言って仲がいいように見える二人を見て、春平は苦笑していた。




このときはまだ、ミミがどういう気持ちで乙名に対して「嫌い」という言葉を吐いていたのか、春平には理解できずにいた。



ついに始まりました、人恋し編!

なんだか作者自身も書いていてほっこり和んでしまう万くんです。


次回、新たな依頼に向けて始動!

そしてミミちゃん……?

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